どうにでもなれ
蛹妥は眠っていた。ちょうど猫が流れるように近づいてきて、すり寄って、キスをして。睡魔のただなかを、行き来しながら、虚ろにあのことを考える。人が死んだ。
別に大したことじゃない。先輩は私も嫌いだったし、多分みんな嫌いだ。家族は悲しんだのだろうか。何、別にどうってことはない。人が悲しんでいるのなんか、インターネットでもう見飽きてる。それくらい、大したことじゃないだろう。
問題は戸坂の奴だ。奴は銃を持っている。そして、奴はそれを撃てることを証明している。そう証明。奴は全く私を打つ可能性を持ち合わせている。警察にでも行ってみようか。しかし、なんとなく気乗りしない。
なにか現実味が欠落している。私が殺される可能性、この現実性が。頭が痛くなってきた。少し吐き気がする。特別恐怖はないというのに、胃痛がして仕方ない。現実が欲しい。可能性ではなく、お前は何かをしなければ死ぬというその現実が。
しかし、日常は平衡をたどり、不安を愛撫するのみで立ち消えてゆく。
退屈を感じながら、大学に向かう。しかし、今は少しだけ、退屈よりも緊張が勝っている。一体いつぶりだろうか、こういう高揚は。
「あれ、蛹妥君、まだいたの?」
「ああ、うん、ちょっとね。考え事。」
「そう、もうすぐ就職だもんね。」
「いや、就職は親父の会社に入るから。」
「そっか。お父さん元気してる?」
「うん、多分ね。最近会ってないけど、でもきっと元気さ。」
緊張が解けない。いっそのこと告白してみようか、あの一部始終を、そうしたとき、音価はどんな顔をするんだろう。想像してみると、なぜか得体のしれない動機を感じた。しかし、なぜ?
「こいつは昨日眠れなかったのさ。な、ぼおや。」
ドキリとする。何か自分の心臓に琴線が滑るような感じだ。あの音を聞かないように、私は努力をしていたのに、できる限り戸坂に会わないようにしていたのに、よりによって音価の前で会うとは、しかし、私はこの状況をなんとなく楽しんでる気がする。
そして、私は自分が楽しめていることに、愉しさを感じてならない。
「ま、そう。寝れないのはつらいわね。」
「そ、だからそっとしといてやってくれ、おい、蛹妥、話があるんだ…こいよ。」
戸坂はにやにや笑いを顔に引っ付けながら、強引に蛹妥を引っ張てく。
「じゃあ、またね。」
「うん…また。」
戸坂は人のいない部屋で、あの日の拳銃をみせてきた。
「おまえ、死にたいと思ったことはあるか?」
「…いや」
戸坂はそれを聞いてますますニヤニヤする。
「ふん、だからお前はブルジョアなのさ。前も言ったろ、貧困が足りない。貧困がなけりゃ、そいつは…」
戸坂は拳銃を優しくなでている。そしてゆっくりと、戸坂は自分のこめかみに銃をつける。
「なあ、俺は死んでもかまわない人間だ。そうだろ?あのクソ野郎と同じ、死んだってかまわない奴だ。きっと、他の誰かが銃を持ってりゃ、打たれていたのは俺のほうさ。」
戸坂は拳銃をこめかみに当てながら話を続ける。蛹妥はどうすればいいかわからなかった。
「俺はずっと前から死にたかった。もう生きることに興味はないし、酒もたばこも、そして薬も、もう、飽きた。
あるのは退屈だけだった。人を殴っても、それと、人を殺してもな。」
ニヤリと笑う戸坂。部屋が薬品のにおいで充満している。この匂いがどこかメランコリックの観を漂わせる。暗い部屋がのカーテンから入り込む光が、逆光の部屋を演出する。もはや、退屈はない。
「でも、お前と会ったとき、俺は思った。お前は俺と似てる。お前はあきらめる前の俺だ。だから、俺は死ぬのを少し延期した。
それで、お前のことを見守った。だが一つだけ違ったのは、お前には音価がいたってことだ。」
「音価?」
「ああ、そう、俺にはあんな人はいなかった。そう、いなかったんだ。」
戸坂は、煙草を吹かせる。煙が、カーテンから漏れるひかりで、全く不可思議な幻想性を与えてくれる。戸坂は、どこを見ているでもない目で、蛹妥にやさしく語り掛ける。
「でもな、お前は俺と一緒さ。一緒の退屈で、どうしようもなくて、馬鹿で愚劣で、結局俺とお前の差なんて、貧困くらいしかないんだよ。
だから、ね、俺はお前を試したい。俺はお前が、俺みたいな人間じゃないかを試したいんだ。だから、今から、お前にこの拳銃を渡す。そしたら、お前はその銃をつかって音価を守るんだ。
シンプルだろ。お前のやりたい冒険だろ?俺の知り合いのクズどもを使って、音価を襲わせる。それをお前は殺すんだ。」
「何言ってるんだ。そんなこと。」
「やるしかないのさ。俺と違うってとこを見せてくれ、頼むから、音価にふさわしい男だってことを、俺に見せてくれ。
俺みたいな死んだほうがいい奴じゃないんだってことを、俺に示してくれ。」
戸坂はセーフティを外した。
「なあ、この銃には空砲が一発入ってんだ。一体俺は、死んだほうがいいのかな。それが、きっとこれでわかる。わかるはずさ。」
血飛沫が部屋を蔓延する。スローに見えるこの血飛沫は、やはり、カーテンの光と同化して、きらきらした美しい星々の様だった。蛹妥は、避けられない現実に直面した。
もう逃げ場はない。




