バンと一発
コートを着込んで、笑いながらゆらゆらと揺れている。ゴミ箱を蹴飛ばしながら、彼はビール瓶片手に歌っている。
街は平然とゴミが散乱し、ネオンが彼の髪を照らしている。彼は何とごみを食べているではないか。ともに歩んでいた男がそれを信じられないという顔で見下げている。
「いいもんだ。落ちてる煙草ってのも。煙草ってのは食えるって知ってたか?え?」
「知るもんか、そんなこと。」
「へん、ブルジョアはいいよ。俺は貧困が身に染みてんだ。お前とは違う。」
「…俺も好きでブルジョアなわけじゃないぜ。戸坂。」
この戸坂という人物は下で唇をなめながらにやにやと笑っていた。広告の音が響き渡り、静寂などもう100年は起きちゃいないような、大消費都市たる東京では、これ以上ないって程、どうしようもない日常が繰り返される。そうした中で、いったいどれだけの人間がシラフでいられるのだろうか。
戸坂はけらけら笑いながら急に「用がある。」と言って路地のほうへ一人入っていった。去り際に酒臭い息でこんなことを云う。
「今度会った時はおもしろいことができるぜ。蛹妥。」
それからしばらくして、蛹妥は大学の講義を受けていた。講義と言っても、べつに聞くわけではないし、さぼって寝るか本を読むかのどっちかだ。蛹妥はすこし、退屈を感じていた。どこまでいっても結局はブルジョアに過ぎない。戸坂の言うように、蛹妥は全く貴族の様に人生を考えていた。就職も親の会社がある。恋愛も順調だ、友人も満足にいて、実に晴れ晴れとした人生であった。けれど何があっても退屈だ。倦怠感が体に染みつく。たまに薬をやったり、悪友と少々悪ふざけをしても、あまり気分は晴れない。退屈がにじみ出るようだ。
大学の講義が終わり、蛹妥はパソコンを閉じて鞄にしまう。女が近づいてくる。いつもの女だ。
「講義もうない?」
「いや、でも今日はもうさぼろうかな。」
「いいの?」
「いいさ。卒業できれば。」
二人は大学を後にし、カフェに行く。カフェはいかにもな感じのカフェで、木造で個人店の初見さんは中々入りずらいような店である。
平日であるので人はそこまでいない。そんな中にアベックがやって来たからか、どこか視線を感じる。こう言う視線が、蛹妥は頗る嫌いだ。
「人が空いててよかった。前来た時はすごい待ったもんね。」
「平日の二時ならこんなもんなんだろ。」
「今度明美を誘ってみようかしら。ほら、彼女こういうとこでコーヒー飲むの好きでしょ。」
蛹妥は適当に受け答えしながら会話を続かせる。コーヒーのドリップ音と匂いが店の中を循環し、小さなカップに注がれる。いつもの光景、どこかで見た光景。なんの価値もなく、全く繰り返しの光景。あまりにも、つまらない。
「お母さんね。早いとこ結婚しろってうるさいのよ。まだ、大学生だって言ってもさ、『そういう若いうちが男捕まえるチャンスだって』古臭いってのにね。」
音価はカップのふちを指で滑らし、言葉で言うより全く満足そうな感じだった。暗に蛹妥に結婚を催促しているようにすら感じる。蛹妥はその無垢さ、つまり、世間知らずさに鬱陶しさをおぼえながら、それでも何か惹かれてしまうところがあった。彼女の身体の水水しさに、そしてエロスとしての曲線と、しかしその精神の幼さ、無垢なものに、蛹妥はますますの官能を感じていた。
その夜のこと、蛹妥が大学の先輩のもとで、少々のヤンチャを吹かせている時のこと。その夜は冷えこんで、霧が立ち込めていた。月の光が霧を照らして、ネオンがぼやけながらも広がっていた。
「おい、あいつはまだなのか。」
「はぁ、もう来ると思います。」
「あいつは時間にルーズだからな。いや、何にでもルーズかもしれんがな。」
愛想笑いの苦笑で誤魔化し、早く来ないだろうかと心の中で催促する。先輩は苛立って来ると貧乏ゆすりが強くなる。その音が、妙に気に入らない。あの音を止めてくれるなら、別に戸坂に会うのだって構わない。
それから十分ほどしてからガチャリと音がした。ミャーミャー鳴く声が玄関から聞こえる。
「ほら、もうあっちいけ」
そう言いながら戸坂は扉を閉める。先輩はやっと来たかと言う感じで、偉そうに座り直した。
「遅いぞ。」
「はぁ、すみません。」
「そう言うとこ直さないと、俺はいいが、他の奴に迷惑かかるだろう。」
まぁ、先輩と一人というのは確かに迷惑ものであるが。
「いやぁ、でもきっと気にいるもん持って来たんです。許してください。」
「そう言えば、前におもしろいことがどうの言ってたな。」
「あぁ、それのことだよ。」
そうケラケラしながらバッグの中を探り出す。探る時にいちいち中のものを出すのが気に入らないのが、先輩は足のガタガタを早めた。
沈黙が場を支配した。戸坂の取り出したのが、全く拳銃らしきものであったから。
「おい、なんだそりゃ」
「拾ったんですよ。先輩。」
「拾った?買ったんじゃなく?」
「やだなあ、先輩、モデルガンじゃありませんよ。本物です。弾も入ってます。」
先輩はフンと鼻で笑った。蛹妥もそんな気分がしたが、なんとなく自制した。
「じゃあ、撃ってみせてくれよ。」
「はぁ、」
バンッ!と一発破裂の音がする。血が飛び散り、床のカーペットが血で濡れる。先輩が撃たれたらしい。誰に?そう、戸坂に。何が何だかわからないまま、先輩は苦しそうな声を出す。しかし先輩の嫌にデカい声は、はにかむ乙女のように小さかった。
バンッ!また一発。今度は頭だ。また血が流れる。流れて、徒然と蛹妥の方まで流転する。小川の様な、風情をもって。
「はは、死んじゃう情けないね。」
「おい、お前、何してんだ。」
「何って、人を殺しただけさ。誰もが嫌いな奴をね。」
蛹妥は恐怖を感じた。撃たれるのではないかという恐怖が、しかし、戸坂は狂っている様には見えない。妙に落ち着いた感じが、蛹妥の心を少し落ち着かせた。
「こうでもしなきゃ本物かわかんねぇもんな。」
「殺しちゃ意味ねえだろう。」
「わかってねぇな。俺はお前に説明するためにやったんだよ。」
「俺に?」
どういうことか。しかしとにかく撃つ気は今のところ無さそうだ。蛹妥はこの状況下で、どこか非日常を楽しんでいた。まるで007の様だ。さて、どうやって切り抜けようか。
「俺は退屈なんだよ。お前もそうだろ?だから俺はお前が好きさ。でもお前は裕福を抜け切れてない。お前は貧困を知らない。やってみりゃいいんだ。結構楽しいだろうよ。でも、お前はやらない。」
戸坂はタバコを吸い、吸い殻を先輩の飲んでいたビールに入れ、遊ぶ様に拳銃の銃口を除いていた。赤子がものを操る様に。
「だから、おれはゲームがしたいんだ。こいつはリボルバーだ。ロシアンルーレットができる。そうだろ?」
長い沈黙が訪れた。いつの間に降っていた雨が窓ガラスに雨粒をつけている。夜の深い霧のなか、戸坂は先輩の死体を運んでいた。私は電車に乗り、先輩の死体を思い出した。
それから結構が経った。戸坂は普通に大学に来ているし、蛹妥も普通に過ごしている。違いと言えば先輩が確かにいなくなっていたということだ。夢ではなかったらしい。蛹妥は別に戸坂とそのことを話すことはなく、ただいつもの様に、退屈に暮らしていた。




