薔薇のつぼみ(後編)
登場人物紹介
田中貴史:主人公。三三歳、サラリーマン。桃華の教育係をしていた。酒には弱い。
花咲桃華:ヒロイン。二三歳。先輩の貴史をからかうのが好き。酒豪。
森和雄:桃華の祖父。六〇歳。バー『カスク』のマスター。実はガンダムファン。基本マスターとしか呼ばれないので名前が出てくることはない。
久瀬亜香里:桃華の幼なじみ。自称二二歳。実際は、貴史と同年代っぽい? 桃華に頼まれて貴史を口説こうとしたが、酔っ払って楽しくなり忘れてしまった。
嵯峨万梨絵:貴史の同期。かなりの美人で同期の中でもアイドル的存在だった。先日、久々に再会した。
驚きの表情を見せている万梨絵に、貴史は力説する。
「嵯峨さんのような美人が、俺なんかに興味を持つはずないんだよ。――なにか、思惑がなければ」
これまでの人生でモテたことがない、生粋の非モテ男子の自分に、女性から口説かれるなんて事は、天地がひっくり返っても有り得ないのだ。
久瀨亜香里との一件で、それは改めて実感していた。
先日、ひとりで飲んでいる貴史にアプローチをかけてきた久瀬亜香里という女性がいた。
バーで見知らぬ女性から声を掛けられるというのは、ある種の憧れはあったので戸惑いつつも嬉しさもあった。
だが、後ほど知ったことだが、あの亜香里は、桃華の幼なじみだったのだ。
亜香里は、桃華から職場の先輩の貴史の話を聞いて、色々興味を持ったんだそうな。
結局のところ、興味本位なだけで、本気に口説く気なんてなかったのだ。
一瞬でも、喜んでしまった自分が馬鹿だった。
もっとも、そのおかげで亜香里とは、いいオタク友達になれたので、良かったとは思うが……
「田中くん……君って人は……」
万梨絵はなんとか絞り出すようにそんな声を出す。
「センパイ……それ言ってて悲しくなりませんか」
桃華も呆れているようだった。
「大きなお世話だ。事実なんだから仕方ないんだよ。――だって、嵯峨さんと言えば、同期ではアイドル的存在で、男連中からモテまくってたんだぞ。そんな彼女が、俺なんか眼中にあるはずないんだよ」
新人研修の頃を思い出す。
万梨絵は引っ切りなしに同期男子から声を掛けられまくっていた。
その頃、貴史は何をしていたのか、というと研修内容の難しさにヒイヒイ言っていて、それどころではなかったのだ。
もっとも、己の分はわきまえているので、どちらにせよ声を掛ける勇気など出なかっただろうが。
「で、なにが狙いなんだ? ……もしかして、壺?」
「田中くん、それはヒドくない?」
「いや、そうなんだけどさ。嵯峨さんが、俺に興味を持つ理由がないし」
「いやいや、あるでしょ。私たち同期でしょ。しかも同じ班なんだから」
「さっき、『覚えていないんだね』とか意味深なこと言ってたけど、いくら思い返しても、そんな大層なこと言ったいないはずなんだよ」
確かに同じ班で、多少の言葉を交わした記憶はある。
だがそれは、事務的な会話に過ぎず、万梨絵が興味を持つようなことは言っていないはずだ。
「俺としては、なにか思惑があるのは気にしてないんで、本当のことを知りたいかな」
何か狙いがあるのはわかったから、本当のことを言って欲しいと思った。
同期だし、協力できることはあると思っている。
だが――
「田中くん……君の認識ってそうなんだ……」
何故か万梨絵は、なんとも言えない表情でため息をついていた。
「え?」
「まったく、君って人は……」
万梨絵は、あきれ顔を一瞬見せて、すぐに今まで見せたことがないような、不敵な笑みを見せた。
「嵯峨さん?」
「確かに、田中くんが言うように、思惑はある。――でも、さすがに壺じゃないから」
「わかってるよ。あれは、冗談。さすがに、そんなことするとは、思ってないよ」
「それは良かった」
「……で、なにが目的なんだ?」
「私の目的は、彼女よ」
万梨絵は、バーテンダー姿の桃華を指さした。
「え? わたしですか?」
予想外の事実に、桃華は目を丸くしている。
「そう。私、花咲さんと仲良くなりたいの」
万梨絵は、先程貴史に見せたときとは比べものにならないような、熱っぽい視線を桃華に向けていた。
「ど、どうしてですか?」
万梨絵は、桃華の質問には答えず、バッグからなにかを取り出し――桃華に見せた。
「花咲さん、私とスールになって欲しいの」
それは、ロザリオだった。
「なぬっ!」
貴史は思わず声を上げてしまう。
――それって……
「スール? なんですか? それ」
きょとんとした表情の桃華。
彼女は、ピンときていないようだ。
「スールはね、フランス語で姉妹のことよ。私立リリアン女学園高等部特有の慣習で、学園生活を円滑に過ごすために、指導者役になる上級生が下級生と姉妹になる約束をすることよ」
「え? 女学園? 上級生? 下級生?」
桃華は、意味がわからず疑問符を浮かべていた。
すぐに、意味がわかってしまった貴史とは対象的だ。
私立リリアン女学園は、『マリア様がみてる』という、アニメ化もした人気少女小説の舞台である。
略称は『マリみて』である。
女性同士の恋愛を描く『百合』というジャンルに多大な影響を与えた名作で、女性のみならず男性にも大人気となった超名作である。
貴史も大好きな作品だった。
――嵯峨さんって、マリみて好きなんだ……
意外な一面を見た気分だった。
「私は、あなたと、姉妹になりたいの。だから、このロザリオを首にかけさせてもらえない? そして、私の事をお姉さまと呼んで欲しいな」
万梨絵は、真っ直ぐな視線を、桃華に向けていた。
冗談などではない、本気の顔だった。
「ちょ、ちょっと待ってください。わけがわからないです。質問させてもらっていいですか?」
「ええ。いくらでも」
「まず、どうして私なんですか? その、嵯峨さんとは初対面だと思うんですが」
「そうね。説明させてもらうわ。――私が、花咲さんのことを知ったのは、田中くんと再会した給湯室ね。」
「え?」
「花咲さん、田中くんの後ろでこっそり様子をうかがっていたみたいけど、私からは丸見えだったわよ」
「そ、それは……」
桃華は恥ずかしそうに俯く。
――やっぱり、覗いていたのかよ……
「その時、花咲さんに一目惚れしたのよ」
万梨絵ははっきりと言った。
「そ、そうなんですか?」
「ええ。だから、その後は、田中くんの後をつけて、花咲さんが同じ部署にいることを確認したわ」
万梨絵は悪びれることなく言った。
――あの日、そんなことしていたのかよ。
全然気づかなかった。
「でも、さすがに直接、アプローチするわけには、いかないから――」
「まず、センパイに声を掛けた、ということですか?」
「そういうことね」
万梨絵は頷いた。
「今日の昼休み、田中くんに声を掛けたとき、少し離れたところに花咲さんがいたのを確認して、確信したの。田中くんに近づけば、花咲さんと会えるって」
「…………」
桃華は恥ずかしそうにうつむいていた。
――なんで、嵯峨さんと会っていることを知っているのかと思ったらやっぱりみていたのかよ……
「それで、俺の後をつけてきたってわけか」
「そうなの。と、言うわけで、花咲さん、私の妹になって下さい。――そして、私が『薔薇さま』で、あなたが『薔薇のつぼみ』になりましょう」
「え? え?」
桃華は、またもや、知らない単語が出て混乱しているようだ。
貴史としては、口を挟まずにはいられない。
「嵯峨さん、薔薇さまって……『山百合会』幹部かよ」
貴史のツッコミに、万梨絵は、こちらを見て、キラリと目を光らせた。
「ほう、田中くんって『マリみて』知ってるの?」
「まあ、それなりには」
貴史は、不敵な笑みを見せた。
そして、言う。
「嵯峨さんは、何色の『薔薇さま』になりたいんだ?」
興味本位で質問すると、万梨絵は、即答した。
「もちろん、紅薔薇さまね。祥子さま推しだし。花咲さんとは、祥子さまと祐巳のような関係になりたいわ」
万梨絵は、手に持ったロザリオを握りしめて、目を輝かせている。
薔薇さまとは、『マリア様がみてる』の舞台であるリリアン女学園の生徒会役員のことである。薔薇さまは三人いて、各々、紅白黄の三色で呼び分けられ、
紅薔薇さま、
白薔薇さま、
黄薔薇さま、
と呼ばれていて、尊敬を集めている。
そして、その薔薇さまの「妹」を『薔薇のつぼみ』と言う。
呼び名としては、つぼみの意味のフランス語の「アン・ブゥトン」をつけて、
紅薔薇のつぼみ、
白薔薇のつぼみ、
黄薔薇のつぼみ、
と呼ばれるのだ。
さらに、薔薇のつぼみの「妹」となるとそこに「プティ・スール」をつけて呼ばれる。
物語開始時点では、万梨絵が推している小笠原祥子が、紅薔薇のつぼみで、妹かつ主人公の福沢祐巳が紅薔薇のつぼみの妹となる。
そして、学年が上がるごとに肩書きが変化していくのである。
「なるほど……嵯峨さん、本気だな」
「伊達や酔狂でこんなこと提案できないわよ」
「そりゃそうか」
「それにしても、田中くん、マリみても守備範囲だったんだ。今度、じっくり語り合いたいわね」
「え、いや、それは……」
「でも、今日はそんなことよりも――」
と、万梨絵は桃華の方に向き直った。
「それで、花咲さん。答えを訊きたいのだけれど?」
「すいませんけど、いきなり姉妹と言われても無理ですよ」
桃華はあっさりと拒否をした。
「よくわからないですが、絶対重そうな関係だと思いますし、それを会ったばかりで、受け入れられるわけないじゃないですか」
「そう……」
万梨絵はがっかりするかと思いきや、その回答は想定されていたのか、
「なら、お友達からならいい?」
「え?」
「ダメかしら?」
「べ、別にそれならいいですけど……」
桃華は、断り切れず、受け入れた。
「ありがとう。早速、RINE交換しましょう?」
「……いいですけど……」
桃華はなし崩しに連絡先を交換していた。
貴史はその様子を眺めていた。
――花咲って、意外に推しに弱いんだな……
姉妹になるというのがあまりにハードルが高すぎるので、連絡先交換をたいしたことないと思ってあっさり受け入れてしまった。
万梨絵としては上々の結果だろうか。
桃華との接点を得られたわけだし。
――なんか、面倒くさいことしてるよなぁ……
貴史は他人事のように、そんなことを考えていると――
「ねえ、田中くんの連絡先も教えてよ」
万梨絵が言った。
「え? なんで?」
「ついでよ、ついで。同期なんだし、連絡先ぐらい交換しようよ」
万梨絵がスマートフォンを見せてきた。
「…………別に、いいけど……」
特に断る理由も思い浮かばなかったので、了承する。
貴史もスマートフォンを取り出し、RINEのIDを交換した。
「メッセージのやり取りは苦手だから、返信とか期待しないでくれると助かる」
「わかってるわよ」
「それは良かった」
あくまで桃華のついでとして、一応交換しておくぐらいなものか。
安心した貴史は、残ったハイボールを飲み干すと、立ち上がった。
「田中くん?」
「じゃあ、俺は帰るわ」
「そうなの?」
「ああ。俺、酒強くないから、何杯も飲めないし」
先日、飲み過ぎて記憶をなくして、やらかしたばっかりなので、無理をする気はなかった。
それに――
「せっかくなんで、二人仲良くやってくれよ」
「センパイ、ちょっと」
「嵯峨さん、ハイボールごちそうさま」
貴史は、マスターにも会釈をすると、『カスク』を出た。
*
「相変わらずだなぁ、田中くん……」
田中先輩が出て行った扉を、嵯峨万梨絵がしばらく、優しい表情で眺めていた。
その姿を見て、桃華はふと思ったことがある。
「あの……嵯峨さん」
「なに、花咲さん?」
「……本当に、わたしと、『スール』とやらに、なりたかったんですか?」
「もちろんよ。――ロザリオ、受けとる気になった?」
「ないですよ」
「じゃあ、なんでそんなことを訊くの?」
「なんとなくなんですが…………嵯峨さんの本当の目的って、わたしじゃなかったんないかなって、思って……」
「なら、誰が目的なの?」
万梨絵は興味深そうな表情を見せた。
「それは、もちろん、センパイですよ」
「……どうしてそう思うの?」
「嵯峨さんは、本当は、センパイと連絡先を交換したかったのかなって」
桃華の言葉に、万梨絵はすっと目を細めて見せた。
「どうして? わたしと田中くんは、同期よ。別に、こんな回りくどいことしなくても、連絡先ぐらい交換できるわ」
「本当ですか?」
「どういう意味?」
「センパイって、ガード固いじゃないですか。特に女性相手だと」
「………………………………」
無言の万梨絵を見て、桃華はクスリと笑い、
「実はわたしも、時間がかかったんですよ。連絡先交換」
これは、本当のことだった。
桃華としては、連絡先交換ぐらい普通かと思ったのだが、教育係という関係をフルに使ってなんとか交換してもらったぐらいだ。
「花咲さん……」
「違いますか?」
桃華の問い、万梨絵は肩をすくめた。
「花咲さんとスールになりたいのは本当よ。嘘じゃない」
「でも……」
「確かに、田中くんとも連絡先を交換したかったというのも、本当」
万梨絵は、ついに認めた。
「それって…………」
「勘違いして欲しくないんだけど、田中くんのことが好きってわけじゃないのよ」
「そうなんですか?」
「でも、田中くんのことは、本当に尊敬してる」
「尊敬?」
「田中くんのおかげで、私は、社会人として一人前になれたと思ってる。田中くんがいなかったら、私はちやほやされてお飾りで甘んじるような、半端者になっていたわ」
万梨絵は、感慨深そうに、つぶやいた。
「なにがあったんですか?」
「別に、劇的ななにかがあったわけじゃないから。心配しないで」
「そうなんですか?」
「そう。でも、とても大切なことを教えてもらったと思う。――本人は、まったく覚えていないみたいだけど。びっくりした」
万梨絵は苦笑している。
「教えて下さい」
「ダメよ。そう簡単には教えられないわ。――でも、スールになってくれるのなら、話は別だけど?」
「それは全力で断らせていただきます」
桃華がきっぱりと拒絶すると、
「ふふっ、残念」
万梨絵は苦笑していた。
色々と読めない人だな、と桃華は思った。
あとがき
『マリア様がみてる』と言えば、一世を風靡した百合小説なわけですが、ご多分に漏れず、私も激ハマりしてました。
お気に入りキャラは白薔薇さまこと、佐藤聖様です。主人公の福沢祐巳との関係が、好きでしたね。




