Dang Dang 気になる
登場人物紹介
田中貴史:主人公。三三歳、サラリーマン。桃華の教育係をしていた。酒には弱い。コンプラ遵守がモットー。
花咲桃華:ヒロイン。二三歳。先輩の貴史をからかうのが好き。酒豪。先輩の動向にはいつも気を配っている。
森和雄:桃華の祖父。六〇歳。バー『カスク』のマスター。実はガンダムファン。基本マスターとしか呼ばれないので名前が出てくることはない。
昼休み。
社員食堂で昼食を済ました後、自分の席でくつろいでいた時のことだ。
桃華がこちらに近づいて来た。
「センパイ! さっき給湯室にいましたよね?」
なんだか、不機嫌そうに見える。
貴史は首を傾げる。
「給湯室? 確かにさっきコーヒー入れに行ったけど、それが?」
「そこで、女の人と話してましたよね。誰ですか?」
「誰って、同期の嵯峨さんだけど……それが?」
特に隠す必要もないので普通に答える。
桃華の言うように、昼食後、コーヒーを飲むために給湯室へ行き、同期の嵯峨万梨絵と偶然会ったのだ。
「なんか、とっても仲良さそうでしたよね?」
桃華はジト目でこちらを見ている。
言葉の端々にトゲがある気がする。
「そうか? 久々に会ったんで少し話しただけだぞ」
とくに誤魔化すわけでもなく、普通に答える。
別に、何一つやましいことはないからだ。
実際、同期と言っても仲が良いと言うほどではないので、たいした会話はしていない。
だが、桃華は納得できないようで、
「鼻の下伸ばしてませんでしたか? あの人、すっごい美人でしたし」
「まあ、美人ではあるよな。嵯峨さんは。――同期でもアイドル的存在だったし」
「ほら」
「これは客観的な事実を言っただけだって。本当に他愛のない話しかしてないぞ。――つーか、花咲、あの場にいたのか?」
貴史の素朴な疑問に、桃華はぎくっとした表情を見せて、
「た、たまたま通りかかっただけですよ」
「給湯室に?」
「え、ええ。そうですけど、悪いですか?」
開き直る桃華に、貴史は苦笑いをして、
「別にいいけど……」
「そんなことより、その嵯峨さんのことですよ。どんな話をしたんですか?」
「……なんでそんなこと知りたがるんだよ……」
「いいじゃないですか。教えてくださいよ」
「たいしたことは話してないって。『今なんの仕事してる』かとか、さ」
「本当ですか?」
「嘘ついてどうするんだよ。――だいたい、なんで俺が嵯峨さんと話していることを、花咲が気にするんだよ。なにか企んでいるのか?」
貴史が、疑わしげな視線を向けると、桃華は、むっとした顔で、
「なにも企んでませんよ! センパイってわたしのこと、いつもそうやって疑うんだから!」
「だってよ……」
「別にセンパイが誰と仲良くしてても気にしませんしっ!」
桃華はそう吐き捨てると自分の席に戻っていった。
――なんだ、あいつ……
そんな昼休みを終えたあとの、午後の仕事中は、桃華は明らかに不機嫌だった。
それでいて、仕事はしっかりこなしているのは、桃華らしいと言うべきか。
事務的な会話のみで、その日は定時となった。
貴史は、桃華に声を掛けようと思ったが、すでにいなかった。
――また『カスク』に行ったのかな?
桃華は、祖父が経営するオーセンティックバー『カスク』で、暇なとき、店の手伝いをしているのだ。
――どうするかな……
貴史も、この後、『カスク』に行く予定だった。
だが、昼休みのことがあって少々行きづらい。
このまま、家に帰るべきか。
貴史は腕組みをしながら思案するのだった。
思案の結果、どうなったこと言うと――
からんと、真鍮の鈴の音が鳴り、店内に入る。
――結局、来ちまったな……
貴史は恐る恐ると言った感じで、カウンター席に座った。
そして、カウンター内を見るが、桃華の姿は見当たらなかった。
――あれ、来てない?
貴史が不思議に思っていると、マスターが近づいて来た。
「いらっしゃいませ」
「あ、どうも、マスター」
「なにかを気にされているようですが、どうされました?」
「いや、その、花咲って、来ていないのかな、と」
「……桃華ですか……」
マスターは、貴史の質問に一瞬考え込んだ後、
「今日は、まだ来ておりませんが」
「そうですか」
「一緒に仕事をしていたのでは?」
「ええ。でも、定時になったらすぐいなくなっていまして……」
「桃華となにかありましたか?」
「……なにかあったというわけじゃないと思うんですけど……」
貴史は、マスターに昼休みの出来事を説明した。
話し終えた後、貴史は肩をすくめる。
「正直、花咲が、なんで怒っているのかわからないんですよね」
「……………………」
それに対して、マスターはなんとも言えない表情をしていた。
「田中様……お分かりになりませんか?」
「え? 全然」
貴史は、ごくごく普通に答えた。
「私が言うのもなんなのですが……桃華は、嫉妬していたのでは?」
「嫉妬?」
「田中様が、綺麗な女性と話しているのが気に入らなかったのでしょう」
「気に入らないって……どうして?」
「それは……桃華は、その……田中様のことを……」
「え? それないですよ」
マスターの言葉に貴史は、手を振って否定した。
「田中様……」
マスターは、信じられないものを見るような表情をこちらへ向けた。
そんなに、変なことを言っただろうか。
「だって、それって、花咲が俺を男性として好きって言ってるってことですよね?」
「ええ」
「……そんなことあるわけないじゃないですか」
貴史は言い切った。
「……桃華は、田中様のことを慕っていると思いますが?」
「それは、会社の先輩として、ですよ。――それ以上の事なんてあるわけないじゃないですか」
貴史は笑った。
当然のことだった。
二〇代の頃であれば、勘違いもしただろうが、三〇過ぎた今、いちいち恋愛に結びつけるようなことはなかった。
特に同僚相手なら、尚更だ。
変に勘違いをすれば、とんでもなことに、なりかねないのだから。
「はぁ……」
マスターは、なにを言えばいいのかわからずそんな声を漏らしていた。
*
――せ、センパイって……。
桃華は『カスク』のカウンター下に隠れながら、貴史の話を聞いていた。
前々から、田中先輩は、かなり鈍感とは思っていた。
少しは、意識してくれているのだろうと思っていたのだが……
桃華のアプローチに反応がないわけである。
――なんか、馬鹿らしくなってきたな……
桃華はどっと力が抜けた。
なんだかどうでもよくなり、立ち上がる。
「……センパイ……」
「は、花咲っ! いたのかよ……」
田中先輩は驚きの顔を見せた。
「はい、いました」
「隠れてたのかよ」
「そうですね。まあ、気まずかったですし……」
素直に答える。
自分でも結局なにに怒っていたかよくわからなくなってしまった。
給湯室で田中先輩を見かけたとき、もの凄い美人と話していて、本当に驚いたのだ。
桃華は焦った。
私だけのセンパイを取られてしまうと思ってしまったのだ。
だが――
その時ことを思い出すと。
――思えば、センパイの方は、一線を引いていたような気もする……
あれは、必要以上に近づかないようにしていたのだろうか。
「今日は色々と迷惑を掛けてしまったので、奢ります。どうぞ、これを」
桃華は、田中先輩にグラスを差し出した。
カウンター下でこっそりと作っていたカクテルだった。
聞き耳を立てながら必死に作っていたのである。
正直、カウンター下で作るのは大変だった。
「これは?」
「『モスコミュール』です」
「モスコミュール?」
「はい。モスコミュールは、ウォッカをベースにライムとジンジャーエールを合わせて作るカクテルなんです。ライムの酸味とジンジャーエールの甘み、辛みが合わさって爽快で飲みやすいですよ」
「ほう、そうなんだ」
田中先輩は、グラスを手に取り、モスコミュールを口にした。
「……確かにうまいな」
「でしょう?」
桃華は、田中先輩が美味しいと言ってくれて喜んだ。
「……花咲はどうして、このカクテルを作ってくれたんだ?」
田中先輩がそんな質問をしてきた。
「え?」
「だって、事前に作っていてくれたんだろ? なにか意図があって作ってくれたのかと思ったんだけど」
「それは……」
田中先輩の素朴な疑問に、桃華は口ごもった。
田中先輩にモスコミュールを作ったことに、意味は、ある。
意味はあるが、伝えるつもりはなかった。
「たいした意味はないですよ。センパイでも飲みやすいと思ったからで――」
「田中様。モスコミュールには、『仲直りしましょう』という意味があるんですよ」
誤魔化そうと思ったところで、祖父が口を挟んできた。
――お祖父ちゃん!
睨んでみせるが、祖父は、素知らぬ顔だった。
「……………………」
田中先輩は、呆けたような表情でしばらくこちらを見て、
「つまりは……花咲は、俺と仲直りがしたいってことでいいんだよな」
「それは…………」
田中先輩の言葉に、桃華は口ごもり目をそらす。
素直になれないのが桃華の短所であることは自覚しているのだが、人はなかなか変わることが出来ないのだ。
田中先輩は、急かすようなことをせず、穏やかな表情で待っていた。
桃華は、観念して頭を下げる。
「昼休み、意味もなく怒ってしまってすいませんでした。大人げなかったです」
「そうか、それは良かった」
「許してくれるんですか?」
「ああ。いいっていいって。結局、なにに怒っていたか、よくわからなかったけど、俺は別に気にしてないから」
「は?」
「いやー、午後の仕事中は気まずかったから、本当に参ったよ。――明日からはよろしく頼むよ」
田中先輩は、笑顔でサムズアップをした。
あまりにあっけらかんとした態度に、桃華は毒気を抜かれてしまった。
田中先輩からしたら、問題なのは桃華が不機嫌なことであって、その理由はどうでもいいと言うことなのだろうか。
そしてそれは田中先輩が、桃華のことを全く意識していないことの証左である。
「センパイ……」
桃華は、大きくため息をついた。
「モスコミュール、うまいな。結構好きになりそう」
田中先輩は、そんな桃華の想いなど気にせず、カクテルを楽しんでいる。
「それは良かったです」
「いやー、花咲と仲直りできて良かったよ。――明日も、そうだったらどうしようかと思ったぜ」
「……仕事に支障がでるから仲直りしたかったんですか?」
桃華は、トゲのある口調でそんなことを言ってしまう。
「は? そんなのはどうでもいいって」
「え?」
「花咲が、仕事はしっかりやってくれるのはわかってるからな。そんなことよりも、花咲と雑談できないのがつらかったぜ」
「え?」
「……職場では適度な雑談は必要なんだよな。ウチの部署で気楽に雑談できるって言ったら、花咲だと思ってるし。気が合うというか、会話のテンポがいいというか」
「……………………」
桃華は言葉もなかった。
「……ごちそうさま。美味しかったよ」
やがて、田中先輩はモスコミュールを飲み終えていた。
田中先輩は、お酒に弱いので、一杯飲んだだけで顔が赤くなっていた。
「じゃあ、今日はそろそろ帰るわ。――本当にご馳走になって良かったのか?」
「え、ええ」
「じゃあ、今度は俺が奢るよ。――花咲も、たまにはカウンター席に来て飲もうぜ」
「でも……」
「いいでしょ、マスター」
「もちろんです」
祖父は即答した。
「ほら、マスターからもオッケーもらえたし。いいだろ?」
「は、はい。わかりました」
「約束だからな。じゃあ、また明日」
そうして、田中先輩は、店を出て行ったのだった。
「……………………」
桃華は無言で、田中先輩が消えていったドアを見ていた。
「……………………お祖父ちゃん」
桃華はぽつりと、つぶやく。
「なんだ、桃華」
「結局、センパイって、わたしのこと、どう思っているのかな?」
「…………好きか嫌いかでいえば、好きなのは間違いない。だが、それが恋愛感情かというと、違う、ということだろう。己自身で恋愛自体にブレーキを掛けているのかもしれない。会社の同僚――しかも、後輩に対してそうした気持ちを抱いてはいけない、と」
「だよね……」
祖父の分析に納得するしかない。
田中先輩が、桃華のことを単なる同僚以上には思っている、というのはわかった。
そして、それが恋愛感情ではない、ということも。
予想以上の難敵である。
「はっきり言うしかないな。一分の誤解もしないように」
「…………」
つまり、駆け引きなどせず、さっさと告白しろ、祖父は言っているのである。
――それができれば、苦労はしないって!
素直に告白できるようなキャラだったら、とっくの昔に告白しているのである。
こう見えて、意外と臆病なのである。
だからこそ、頑張ってアプローチをして、先輩に段々と気になってもらって、告白してもらいたいと思っていたのだが。
だが、このまま、気のない振りをしている場合ではないのかも知れない。
「はぁ……」
難儀な先輩を思い、ため息をつく桃華だった。
あとがき
『Dang Dang 気になる』と言えばアニメ美味しんぼの主題歌なわけですが、当時小学生だった私は美味しんぼのアニメは結構好きで観ていました。
子供ながらに、この歌、作品にあまり合っていないよな、と思ったりもしましたが、何度も聞いて慣れてしまっているので、美味しんぼと言えばこの曲だよな、とも思っていますw




