月は出ているか?
登場人物紹介
花咲桃華:ヒロイン。二三歳。先輩の貴史をからかうのが好き。酒豪。
森和雄:桃華の祖父。六〇歳。バー『カスク』のマスター。
田中貴史:主人公。三三歳、サラリーマン。桃華の教育係をしていた。酒には弱い。最近忙しい。
――あーあ、なんでセンパイを誘えなかったんだろう……
花咲桃華は、グラスを磨きながら、大きくため息をついた。
ここは、バー『カスク』。
祖父の和雄が経営するバーである。
桃華は、祖父同様に黒のタキシードのパンツに白いシャツ、黒のベストといういかにもバーテンダーという格好だった。
今は、一九時過ぎ。
仕事を定時に終わらせ、『カスク』に手伝いに来ていた。
そんな桃華を見て、祖父は渋い顔で、
「黙って磨きなさい」
「はいはい。わかってますよ」
桃華は、ぼやき気味に言う。
祖父は、そんな桃華を見て、やれやれ、と肩をすくめた。
「桃華。手伝うというのならしっかりやりなさい。――そもそもこの店は、私ひとりで十分まわるのに、桃華がやりたいというから、手伝うことを許しているんだよ」
祖父は諭すように言った。
桃華はこの店が大好きで、いつか受け継ぎたいと思っているので、渋る祖父に強くお願いして手伝いをさせてもらってるのだ。
「……ごめんさい。お祖父ちゃん」
桃華は素直に謝った。
事実なので、言い訳もできない。
だが、決して、やる気がないわけではないのだ。
むしろ、やる気に満ちていた。
なにしろ――片想いをしている田中先輩が、この店に来てくれるようになったからだ。
田中先輩は、初めて来店した際、大恥をかいたのだが、それはそれとして、この『カスク』を気に入ってくれたようで、たびたび来店するようになった。
だが、今日は田中先輩は来店しないだろう、と思っている。
今も絶賛残業中だからだ。
本当は、帰るとき、田中先輩のことを『カスク』に誘うつもりだった。
だが、忙しそうな田中先輩を見てなお、誘えるわけもなかった。
そんなわけで、テンションが上がらないのである。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
大きなため息をつきながら、桃華はグラスを磨き続ける。
「……………………」
祖父は、諦めたのかそれ以上、なにも言わなかった。
二〇時を過ぎた頃。
からん、と真鍮の鈴の音。
来店した人物を見て、桃華は目を輝かせる。
田中先輩だった。
田中先輩は、やや疲れたような表情で、席に着く。
「いらっしゃいませ、田中様」
「マスター、どうも」
田中先輩は、祖父のことを『マスター』と呼ぶようになっていた。
「お疲れですか?」
「少し。――結構仕事がたまっていまして……」
祖父と田中先輩が話している。
桃華は、笑顔になりそうなところを我慢して、
「センパイ、お疲れ様です」
田中先輩はこちらを見て、
「そういや、花咲は、手伝いをしているんだっけな。仕事終わりによく頑張っているよな」
「そんなことないですよ」
田中先輩に褒められ、天にも昇る気持ちだが、表情には出さない。
先輩には、チョロい女と思われたくはないのだ。
「疲れていないのか?」
「大丈夫です。――むしろ、残業しているセンパイの方が疲れてますよね」
「まぁな。――本当は、まだ仕事は終わっていないんだが、今日は諦めて帰ることにしたんだ」
「そうなんですか……」
そんな田中先輩を見て、無力感に苛まれる。
桃華が一人前だったら、田中先輩の仕事の手伝いも出来ただろうが、如何せん二年目のぺーぺーである。
むしろ足を引っ張りかねない。
「本当に困ったときは、花咲に頼ることになるかもしれないが、いいか? ――残業させて悪いんだが……」
「もちろんです。いくらでも言ってください」
桃華は、田中先輩が自分を頼ってくれたのが、うれしかった。
そんなやり取りをしていると、
「今日は、なにになさいますか?」
祖父がタイミングを見計らって言う。
「ああ、そうですね……今日も、お任せで」
田中先輩が言った。
最初に大失敗をしてから、自分からは頼まなくなっていた。
「でしたら……」
と、祖父が思案しているところに、
「お祖父ちゃん、わたしが、センパイにカクテル作っていい?」
桃華が口を挟む。
「桃華……店で『お祖父ちゃん』はやめなさい」
「ごめんなさい。マスター。それで、いい?」
「……良いわけないだろう。まだお客様に出せるレベルではないのだから」
「そうなんだけど……」
この店の手伝いを始めてからカクテルの作り方を教わってはいるが、未だ客に出したことはなかった。
自分自身、まだ実力は足りないと思っている。
だが、疲れている田中先輩を癒やすようなカクテルを作りたかったのだ。
「お願い、マスター」
「しかしな……」
祖父が渋っていると、
「マスター、俺はいいですよ」
田中先輩が言った。
「しかし……」
「花咲もやる気になっているみたいなんで、やらせてやってくれませんか? 俺なら気にしませんから」
「センパイ……」
「……わかりました。やってみなさい、桃華」
「はい、マスター!」
桃華は動き出す。
作るカクテルは決めていた。
背後のバックバーからジンのボトルと、レモンジュース、そしてパルフェタムールを取り出す。
何度も練習では作っているが、客の前で作るのは初めてだった。
慎重に材料を、シェーカーへ注ぎ込む。
氷を入れて蓋を閉める。
「へー、今回はシェーカーを使うんだ」
「そうなんです。楽しみにしていてください」
内心ドキドキだが、平静を装う。
シャカシャカと、必死で腕を振る。手のひらから、氷の冷たさが一気に伝わってきて、指の感覚がなくなりそうになる。
格好良く振れているだろうか。
祖父のように、うまくできていないのは、自覚している。
だが、自分なりのベストを尽くそう。
先輩に喜んでもらいたいから。
規定の回数を振り終え、細心の注意を払いながらカクテルグラスへ注ぐ。
照明に照らされて広がる、綺麗なすみれ色。
うまくいったと思う。
最後に、おまけとして円形のレモンピールをのせて、完成。
「どうぞ、『ブルームーン』です」
想いを込めて、そっとグラスを差し出す。
田中先輩は、吸い込まれるようにグラスを見て、
「へえ、綺麗な色だな。この黄色いのは満月?」
「今日は、満月ですので。――ただ、満月ではありますが、今日はブルームーンじゃないのですが」
「そうなんだ。というか、ブルームーンってなに?」
「ブルームーンは、一ヶ月に二回満月がある時の、二回目の満月のことを言うんです」
「一ヶ月に二回、満月ってあるんだ」
田中先輩が素朴な疑問を漏らす。
桃華は、それはですね、と説明する。
「月の満ち欠けの周期は約29.5日なので、月の初めに一回目の満月があると、同じ月の終わりにもう一度満月が巡ってくることがあるんです。滅多にあることではありませんが」
「なるほど……勉強になるな」
田中先輩は感心しながら、カクテルの上に浮いている満月を模したレモンピールをじっと見つめていた。
――なにをしているんだろう?
不思議に思い、様子を見ていると、田中先輩は、ぽつりと、呟く。
「月は出ているか?、か……」
「はぁ?」
突然の発言に、思わずそんな声を漏らしてしまう。
――なに言っているの? センパイ?
わけがわからず目を白黒させていると、
静かにグラスを磨いていた、祖父がぽつりと言った。
「ガンダムXですか……」
「…………ま、マスター……あなた、まさか……」
田中先輩は、祖父と静かに視線を合わせる。
そして、二人は静かに頷いて見せた。
「ガンダムXはリアルタイムで鑑賞しておりました」
祖父は、一見ポーカーフェイスに見えるが、孫の目から見れば明らかにテンションが上がっているのがわかった。
「マジですか! それは羨ましい。俺は世代じゃないんで、リアルタイムでは見られてないんですよね。――あとでDVDを借りて全話観ました」
「ほう、そうなんですか」
「もしかして、ファーストから観てます?」
「はい。最初に観たときは小さかったのですが、食い入るように観てました」
「すごっ! 尊敬です」
「田中様も、なかなか詳しそうで」
「そんな、俺なんか全然ですよ」
「最初に観たのは?」
「SEEDからですね」
「ほう、SEED世代ですか……」
そんな感じで、田中先輩と祖父が意気投合している。
はっきり言って、なにを話しているのかわからない。
先輩だけでなく、祖父の意外な一面に驚きを隠せなかった。
完全に取り残されていた。
――おかしい……こんなはずでは……
蚊帳の外となって桃華は、二人の意味のわからない会話を聞いているしかなかった。
「さて、名残惜しいですが、そろそろ帰ります」
カクテルグラスは既に空になっていた。
田中先輩は、お酒に弱いので、その顔は朱を帯びていた。
「田中様。また、お越し下さい。ガンダム話ができることを、楽しみにしております」
「こちらこそ。まだまだ話し足りないですし」
完全に打ち解けてしまったのか、田中先輩と祖父は名残惜しそうだった。
先輩にカクテルを作ったのは、自分なのに、なんでこんなことに……
「会計お願いします、マスター」
「いえ、今日は孫の練習台になっていただいたので……」
「それはさすがに……」
「心配ありません。代金は、孫から頂きますので」
と、祖父がこちらを見た。
「は、はい。ここはわたしが出しますので、気にしないで下さい」
「……そうか? サンキュー」
「いえ、わたしのカクテル飲んでくれてありがとうございました」
「……じゃあ、行くわ」
田中先輩は立ち上がり、店を出ようとする。
ドアを手に掛けようとするところで、振り返り、
「花咲が作ってくれた、ブルームーン、美味かったぞ。甘酸っぱくて、疲れた身体に染み入る感じが良かったよ。また作ってくれると嬉しい。――今度は、お金を払わせてくれよ」
「センパイ……」
それはつまり、一人前になって欲しい、という意味だ。
先輩は桃華のことを信じてくれているのだ。
「じゃ、また明日会社で」
からん、と真鍮の鈴の音が鳴り、田中先輩は店を出て行った。
「これは、わたしの気持ち、伝わってるよね、お祖父ちゃん!」
桃華は興奮気味にまくし立てる。
「なにがだ? 桃華」
祖父はあまりの勢いに引き気味で答える。
「ブルームーンのカクテルには、『完全なる愛』って意味があるじゃない? 今度は、完璧なブルームーンを飲ませてくれ、ってことだよね。わたしの愛、センパイ届いているでしょ、これは!」
舞い上がる桃華に、祖父は冷静な口調で、
「それはない」
「なんでよ!」
「あれだけのやりとりで、そう思う方がおかしいと思わないのか?」
「思わないよ!」
「……恋は盲目というか……」
祖父は呆れ顔で、続ける。
「…………ブルームーンには、もう一つ意味があるのを知っているか?」
「え?」
「『叶わぬ恋』。お前は、少しは落ち着いた方がいいな」
「ひどい、お祖父ちゃん!」
桃華は、祖父に強く抗議した。
あとがき
この話は、機動新世紀ガンダムXの第一話「月は出ているか?」というタイトルをふと思い出したので書いた話です。
マスターもガンダムファンという設定は、『少年とガンダム(https://www.youtube.com/watch?v=-Dm-7u930DI)』という神動画を観て、今や、ガンダムは三世代に渡って続いているんだよな、と思ったのがきっかけです。
ちなみに、この動画で好きなシーンは、Gガンダムを観て子供は目を輝かせていて、父の方は唖然として観ている所です。
Gガンが当時どれだけ異質な存在だったかを思い出させてくれました。
私も最初はどんなものかと思いましたが、マスターアジア登場から全肯定派でしたw




