第九話:音楽番組の死神
テレビという箱は、嘘をつくためにある。
照明で肌を焼き、メイクで表情を固定し、編集で不都合な音を消し去る。そこに映るのは「本物」ではなく、大衆が望む「偶像」という名の残像だ。
ルナもまた、そのシステムの最高傑作だった。
だが、そのシステムが今、崩壊しようとしている。
今夜、僕たちが乗り込むのは、日本で最も歴史ある生放送音楽番組『ミュージック・ゲート』。
既存の権力と癒着が支配するこの聖域で、僕は白雪凛という「真実」を解き放つ。
嘘で塗り固められた番組を、彼女の叫びで浄化してあげよう。
金曜、午後八時。
港区にある大手テレビ局の、最も巨大なスタジオ。
きらびやかなセット、無数のカメラ、そして熱狂的なファンを装った観覧席のサクラたち。生放送特有の、吐き気がするほど過熱した空気がそこにはあった。
「……ねえ、あのアサヒとかいう奴の曲、本当に歌うの?」
「なんか、如月アサヒの隠し子だとかマネージャーだとか、怪しい噂ばっかりだけど」
スタジオの隅で、出番を待つ雛壇アイドルや、中堅のシンガーたちがひそひそとこちらを伺っている。彼らの視線の先には、パイプ椅子に深く腰掛け、スマホを眺めている十九歳の僕と、その隣で不機嫌そうにフードを深く被った白雪凛がいた。
昨日、黒岩との交渉で手に入れた「最強の切札」。
それは、ルナの代役として、この『ミュージック・ゲート』のメイン枠に白雪凛をねじ込むことだった。
番組プロデューサーは当初、猛反対した。
「どこの馬の骨とも知れん新人を、生放送のトリに置けるか!」と。
だが、僕が「昨夜の同時接続五十万人のデータ」と「黒岩社長からの直々の念書」、そして「拒否すれば番組のスポンサーであるライジング・アーツの不正をバラす」という脅しをセットで突きつけると、彼は脂汗を流しながら首を縦に振った。
「朔、みんなが私を殺しそうな目で見てるわよ」
凛がフードの中から、鋭い瞳で周囲を睨みつける。
「気にするな。彼らは死にかけている恐竜だ。隕石が落ちてくるのを察知して、怯えているだけだよ」
僕は彼女の肩を軽く叩き、ワイヤレスイヤーモニターの最終チェックをした。
『――次は、今ネットを席巻している衝撃の新星。白雪凛さんです!』
司会者の声とともに、スポットライトがステージ中央に向けられる。
スタジオ内は、奇妙な静寂に包まれていた。
視聴者は「如月アサヒの遺作」を期待し、スタジオの業界人たちは「どれほどのものか」と品定めするような、冷たい視線を送っている。
凛がステージの中央へ歩き出す。
その歩調は、まるで死刑台へ向かう罪人のように重く、それでいて一切の迷いがなかった。
僕は副調整室の隅へ移動し、音声スタッフにこう告げた。
「エフェクトも、リバーブも、オートチューンもすべてオフに。マイクの音、そのまま(スルー)で流してください」
「は!? そんなの放送事故になるぞ! テレビの音声は加工してなんぼなんだ!」
「いいから、僕の言う通りにしてください。……それとも、番組の歴史に『伝説』を刻みたくないんですか?」
僕の眼光に圧されたスタッフが、震える手でフェーダーを下げた。
テレビの前の数百万人が、息を呑む。
イントロが鳴り響く。昨夜の渋谷と同じ、あの重厚で絶望的なピアノの旋律。
凛はマイクを両手で握りしめ、カメラを真っ直ぐに……いや、その向こう側にいる「かつての僕を殺した世界」を睨みつけた。
『――名前を、捨てた』
一音目。
その瞬間、スタジオ内のすべての雑音が消えた。
凛の声は、テレビの音響システムというフィルターを突き抜け、聴く者のリビングの空気を物理的に震わせた。加工されていない、剥き出しの「歌」。
それは、これまでこの番組が流してきた、どんな美辞麗句よりも、どんな完璧なメロディよりも、醜く、そして美しかった。
歌っている最中、スタジオの大型モニターには、SNSの反応がリアルタイムで映し出されていた。
『やばい、涙が出てきた』
『テレビで初めて、本物の歌を聴いた気がする』
『ルナとは何だったんだ……これが、如月アサヒが求めていた声なのか』
コメントの滝が、画面を埋め尽くす。
視聴率は、放送開始以来の最高数値を記録し、ぐんぐんと上昇を続けていた。
だが、それだけでは終わらない。
曲の後半、転調が続くクライマックスで、凛はあえて譜面にはない「絶叫」を混ぜ込んだ。
それは、音楽を憎んでいると言いながら、それでも歌うことでしか生きられない自分自身への、魂の肯定。
歌い終えた瞬間。
スタジオには、拍手さえ起きなかった。
あまりの熱量に、スタッフも、サクラの観客も、他の出演者も、ただ圧倒されて言葉を失っていたからだ。
凛は汗を拭うこともせず、マイクを置いてステージを降りた。
僕は副調整室を出て、廊下で彼女を待った。
数分後、戻ってきた凛は、顔を真っ赤にして、膝をガクガクと震わせていた。
「……し、死ぬかと思った。……満足? これで」
「ああ、完璧だ。君は今、この国のテレビを殺したよ」
その時。
廊下の向こうから、一人の女性が足早に歩み寄ってきた。
派手な衣装を身に纏い、だがその表情は屈辱と怒りに染まっている。
ルナだった。
警察の取り調べを受け、謹慎中のはずの彼女が、なぜここにいるのか。
おそらく、最後のコネを使って、番組にねじ込まれた凛を止めに来たのだろう。
「……あんたたち。よくも、私の場所を……!」
ルナが震える指で凛を指差す。その声は、全盛期の輝きを失い、ただの掠れた悲鳴に聞こえた。
僕は凛の前に立ち、ルナを冷たく見下ろした。
「ルナ。君の場所? 勘違いしないでほしいな。ここは最初から、才能のある者だけが立てる場所だ。君のような『借り物の言葉』で歌う人間に、居場所なんて元からないんだよ」
「如月アサヒを……アサヒを返してよ! あいつがいれば、私はまた……!」
「彼はもういない。君が殺したんだ」
僕は彼女の耳元で、死神のように囁いた。
「でも、安心していいよ。君が愛した如月アサヒの曲は、これから白雪凛がすべて塗り替えていく。君の思い出も、功績も、すべてこの世から消し去ってあげるから」
「あああぁぁぁっ!!」
ルナがその場に崩れ落ち、警備員に取り押さえられる。
その惨めな姿を、僕は一瞥もせず、凛を連れてテレビ局の出口へと歩き出した。
外に出ると、冷たい夜風が心地よかった。
スマホを確認すると、事務所のサキさんから狂ったような着信履歴が入っている。
今夜、白雪凛は「怪物」から「神話」になった。
「……次、何するの。もう私、心臓が持たないわよ」
凛が弱々しく僕の袖を掴む。
「次は、世界だ」
僕は夜空を見上げた。
「日本の市場なんて、もう手に入れたも同然だ。如月アサヒが夢見て、君だけが辿り着ける場所……そこへ、僕が君をエスコートしてあげるよ」
復讐は、いよいよ国境を超えて加速する。
神代朔のプロデュースは、まだ始まったばかりだ。
第九話、最後までお読みいただきありがとうございました!
今回は「生放送での実力誇示」と「落ちぶれたルナとの直接対決」という、非常にカタルシスの強い回となりました。
加工なしの生声でスタジオを黙らせる凛の圧倒的な強さ。そして、かつて自分を殺した女に「君の思い出を消し去る」と告げる朔の冷徹さ。
これぞ「ざまぁ」の極み、と思っていただけていれば幸いです。
ルナを完全に排除し、いよいよ舞台はさらに大きなステージへ。
「凛の絶叫が目に浮かぶ!」「ルナにトドメを刺すシーンが最高!」
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次回、第十話――「世界が、耳を塞ぐ」。
お楽しみに!




