第八話:狂乱のスカウト合戦
昨日まで見向きもしなかったくせに、数字が出た途端に親友のような顔をして近づいてくる。それがこの業界の正体だ。
彼らが愛しているのは「才能」じゃない。「才能が吐き出す金の匂い」だけだ。
渋谷の夜をジャックした白雪凛の歌声は、たった一晩で、腐った掃き溜めに巨万の富を呼び込む「黄金の雨」へと変わった。
だが、安売りするつもりは毛頭ない。
僕は彼女を「商品」として売るつもりはないからだ。
僕は、彼女という「爆弾」を、この業界のど真ん中で爆発させるためにここにいる。
さあ、ハイエナたちの接待を始めようか。
一夜明けて、世界は一変していた。
「……ねえ、これ。どういうことなのよ」
僕が所属する弱小事務所『スターダスト・リンク』のボロオフィス。
白雪凛は、朝から鳴り止まない事務所の電話と、建物の前に集まった報道陣やスカウトマンたちの姿を見て、顔を引き攣らせていた。
事務所の回線は完全にパンクしている。
昨日まで閑古鳥が鳴いていたメールボックスには、誰もが知るレコード会社や、業界トップの広告代理店、さらには海外の音楽メディアからの取材依頼が、数秒おきに流れ込んでいた。
「どういうことも何もない。昨日、僕が言った通りになっただけだ」
僕は、壊れかけのノートパソコンの画面で、昨夜の生配信の「最終戦績」を確認していた。
最大同時接続数、五十二万人。
アーカイブの再生数は既に五百万回を超え、海外の反応動画(リアクション動画)が凄まじい勢いで量産されている。
「朔くん! 大変よ! 大手のプロデューサーたちが、アポなしで玄関に押しかけてきてるわ! 私、どうすればいいの!?」
先輩マネージャーのサキさんが、目を白黒させて走り回っている。
「サキさん、落ち着いてください。今、ドアを開けたら骨までしゃぶられますよ。……とりあえず、僕が出るまで誰も中に入れないでください」
僕は凛に視線を向けた。
彼女は、自分が引き起こした事態の大きさに、まだ実感が湧かない様子で、お気に入りの黒いパーカーの袖を握りしめている。
「……あんた、私をどうする気? これだけの大人が動いてるんだから、もう後戻りはできないんでしょう?」
「後戻り? そんな選択肢、最初から用意してないよ」
僕は立ち上がり、彼女の目の前に立った。
「いいか、凛。これから君に群がってくる大人たちは、君の声を『金の成る木』だと思っている。適当な契約書に判を突かせて、流行りのアイドルソングを歌わせ、搾り取るだけ搾り取って、使い古されたら捨てるつもりだ。……君は、それでいいのか?」
「……そんなの、死んでも嫌」
凛の瞳に、再び鋭い光が宿る。
「私は、借金を返すためだけに歌いたくない。……あんなふうに、私の声を震わせてくれたのは、あんたが初めてだったから。あんな歌を歌えるなら……私は、地獄にだって行ってやるわ」
「なら、僕の交渉を黙って見てろ。君は、最高の歌手であればいい」
僕は事務所の応接室――と言っても、会議室の片隅をパーテーションで区切っただけの粗末なスペース――へ向かった。
そこには、既に一人の男が座っていた。
ルナの元飼い主であり、業界の最大手『ライジング・アーツ』のCEO、黒岩だ。
彼は昨夜の配信から、一睡もしていないのだろう。目の下には隈があるが、その瞳には獲物を見つけた猛獣のような、どす黒い欲望が漲っていた。
「……来たか、神代」
黒岩は、高級な葉巻を灰皿に押し付け、僕を睨みつけた。
「昨夜の騒ぎ、見事だったぞ。如月アサヒの未発表曲。そして、あの白雪凛という少女。……貴様、どこであんな化物を拾ってきた」
「そこらへんの掃き溜めですよ、黒岩社長。……で、本題は?」
僕は彼の向かいに、あえて無作法に座り込んだ。十九歳の若造が取るべき態度ではないが、今の僕にはそれだけの「カード」がある。
「単刀直入に言おう。白雪凛を我が社で引き受ける。移籍金は三億だ。プロモーション費用も十億は確約しよう。……お前も、うちの専属プロデューサーとして、相応の地位を用意してやる。如月アサヒの権利関係も、すべてお前の思い通りにさせてやろう」
三億。弱小事務所なら、一生かかっても稼げない大金だ。
だが、僕は鼻で笑った。
「黒岩さん。あなた、まだルナの件で大損した分を回収する『新しい商品』が欲しいだけでしょう? 三億? 笑わせないでください。昨夜の配信だけで、凛の市場価値はその十倍を超えた。……それとも、昨夜の視聴者の熱狂が、たった三億程度の価値に見えましたか?」
黒岩の頬がピクリと動いた。
「……小僧、あまり調子に乗るなよ。この業界は、大手が本気で潰そうと思えば、一晩で白雪凛のキャリアを終わらせることもできるんだぞ」
「やってみればいい」
僕は身を乗り出し、黒岩の耳元で囁いた。
「でも、その瞬間に、あなたの事務所の『裏帳簿』の残りの半分……昨日のドームで見せなかった分を、すべてリアルタイムで世界中に同時配信します。……それこそ、白雪凛の次のライブの『演出』としてね」
黒岩の顔から、一気に血の気が引いた。
彼が最も恐れているのは、ルナという駒を失うことではない。自分たちが築き上げてきた「利権の塔」が、一人の若造によって根底から破壊されることだ。
「……何が、目的だ。金を積めばいいのではないのか」
「金は自分で稼ぎます。……僕が欲しいのは、対等な『パートナーシップ』だ」
僕は、あらかじめ用意していた契約書をテーブルに叩きつけた。
「一、白雪凛のすべての制作権、プロデュース権は、僕が独占する。事務所の意向は一切反映させない。
二、ライジング・アーツは、僕らが確保するメディア枠を『提供』するだけの窓口に徹すること。
三、収益の比率は、僕らが八、あなたたちが二。……嫌なら、隣に座っている『ユニバーサル』の重役のところへ行くだけだ」
「なっ……! ふざけるな! 八対二だと!? そんな契約、この業界の歴史に存在しない!」
「なら、今ここで作りましょう。新しい歴史を」
僕は冷徹な目で黒岩を見据えた。
「黒岩さん。あなたは興行師だ。二割でも、今の白雪凛から出る利益なら、並のアイドルを十人抱えるより儲かるはずだ。……それとも、一円も入らなくなった上に、事務所を倒産させたいですか?」
重苦しい沈黙が、応接室を支配した。
黒岩は震える手でペンを握り、僕を……いや、僕の背後にいる『如月アサヒの亡霊』を恐れるように、その契約書にサインを書き込んだ。
交渉成立だ。
応接室を出ると、凛が不安そうに待っていた。
「……終わったの?」
「ああ。君は自由だ。どこかの事務所の操り人形になる必要もない。……僕の指揮下で、好きなだけ世界を壊していいことになった」
僕は窓の外を見上げた。
ビルを取り囲む記者たち。狂乱する大衆。
かつて如月アサヒを殺した、巨大な「システムの歯車」が、今度は僕たちの利益のために回り始めた。
「準備しろ、凛。次は、ルナが二度と這い上がれないように、彼女の『聖域』だった番組に殴り込む」
復讐の旋律は、第二楽章へ。
今度は、業界すべてのルールを書き換えてやる。
第八話、お読みいただきありがとうございました!
今回は、神代朔の「交渉術」と「冷徹さ」にフォーカスした回でした。
格上の相手を「情報」と「才能」で完膚なきまでに叩きのめす展開、楽しんでいただけたでしょうか。
三億という大金を鼻で笑い、逆に業界最大手の社長を「下請け」にしてしまう。
如月アサヒ時代に業界の裏表を知り尽くしていたからこそできる、圧倒的な「俺TUEEE」ならぬ「プロデューサーTUEEE」な展開です。
そして、凛との絆も少しずつ深まってきました。
「音楽を憎む少女」が、朔という「自分を理解してくれる悪魔」と手を取り、どこまで登りつめるのか。
「黒岩を黙らせるシーンがスカッとした!」「八対二の契約、エグいけど最高!」
と思ってくださった方は、ぜひ下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして、神代朔の快進撃を後押ししてください!
皆様のブックマークと評価、お待ちしております!
次回、第九話――「音楽番組の死神」。
生放送の音楽番組を舞台に、凛と朔がさらなる伝説を作ります。お楽しみに!




