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第十話:世界が、耳を塞ぐ

国境というものは、地図の上に引かれたただの線に過ぎない。

 だが、音楽業界における「国境」は、言語、文化、そして「利権」という名の巨大な防波堤だ。

 島国の中でどれほど熱狂を巻き起こそうとも、海を越えれば「東洋の珍しい出し物」として片付けられる。それがこれまでのルールだった。

 だが、僕はそのルールを根底から破壊する。

 言語の壁? 文化の違い?

 そんなものは、魂を直接揺さぶる「純粋な音」の前では無意味だ。

 今夜、白雪凛の歌声は、デジタルという名の海流に乗って世界中のデバイスを侵食する。

 準備はいいか。世界が、そのあまりの衝撃に耳を塞ぐ時間がやってくる。

テレビ局を「殺した」あの日から、事態は僕の予想を上回るスピードで加速していた。

「……ねえ、これ、翻訳機が壊れてるんじゃないの?」

 事務所の狭いソファで、凛がタブレットを眺めながら呆然と呟いた。

 彼女が見ているのは、昨夜公開した新曲『アビス』のミュージックビデオに寄せられた、数万件のコメントだ。

『Who is this monster?(この化け物は誰だ?)』

『I don't understand Japanese, but I can't stop crying.(日本語は分からないが、涙が止まらない)』

『The soul of Asahi Kisaragi has returned.(如月アサヒの魂が戻ってきた)』

 英語、スペイン語、中国語、アラビア語。

 ありとあらゆる言語で綴られた称賛と驚愕が、秒単位で画面を埋め尽くしていく。

 再生回数は公開から十二時間で一千万回を突破。Apotifyのグローバルチャートでは、日本人アーティストとしては異例のトップテン入りを射程圏内に捉えていた。

「サキさん、電話は?」

「……もう、切ったわよ。というか、受話器を上げたままにしてる。アメリカの『グラミー』関連のプロモーターとか、ロンドンのエージェントとか……英語で捲し立てられても対応できないわよ!」

 サキさんは、嬉しい悲鳴を通り越して、もはや魂が抜けたような顔で天井を仰いでいた。

 無理もない。

 僕が仕掛けたのは、単なる「海外配信」ではない。

 

 かつて如月アサヒが、海外の有名アーティストと極秘に進めていた未発表のコラボプロジェクト。僕はその権利を、神代朔としての「ハッキング」……いや、前世の記憶を頼りにした「正当な権利行使」によって再起動させたのだ。

 世界的に有名なエレクトロニック・ユニット『ノイズ・テンプル』のトラックに、凛の剥き出しの歌声を乗せる。

 それは、既存のJ-POPという枠組みを粉々に粉砕する、世界基準の「劇薬」だった。

「朔、次はどうするの。まさか、このまま海外に飛ぶとか言わないでしょうね」

 凛が不安そうに僕を見る。

 彼女は、自分が世界中に見つかってしまったことの重大さを、その身体で感じ始めていた。

「いや、まだ行かない。向こうから『来い』と泣きついてくるまで、僕らはここを一歩も動かないよ」

 僕は窓の外を見下ろした。

 事務所の周りには、もはや日本のメディアだけでなく、海外の通信社のカメラマンまでもが陣取っている。

 その時。

 僕のスマホに、一通のプライベートメッセージが届いた。

 送り主の名を見た瞬間、僕の心臓が、如月アサヒとしての記憶と共鳴して激しく脈打った。

『ヴィクター・サリバン』

 ニューヨークを拠点に、数々のトップアーティストをプロデュースし、グラミー賞を総なめにしてきた「世界の帝王」。そして……如月アサヒが唯一、その才能を認め、かつ激しく競い合ったライバルであり、親友だった男。

『アサヒが死んでから、この世界は退屈だった。……だが、昨夜の歌を聴いた。神代朔、君は何者だ? あの少女の喉には、アサヒの亡霊が棲みついているのか?』

 メッセージは、挑戦状そのものだった。

 彼は、凛の歌声の中に、隠しきれない「如月アサヒの筆跡」を見抜いたのだ。

「……面白い」

 僕は、震える指を抑えながら返信を打った。

『亡霊じゃない。これは、死神による新しい世界の「調律」だ。……ヴィクター。君の作ってきた偽物の楽園を、今から僕たちが壊しに行く』

 戦いの舞台は、日本という小さな箱を飛び出し、世界のエンターテインメントの頂点へと移り変わる。

 翌日。

 僕は凛を連れて、都内にある最高級のレコーディングスタジオを貸し切った。

 黒岩から引き出した「制作費無制限」の権利を行使し、世界中のトッププレイヤーをオンラインで繋ぐ。

「凛。今日の曲は、今までで一番過酷だ」

 僕は譜面を渡した。タイトルは『バベル』。

 かつて神に挑んだ人間たちが、言葉をバラバラにされた神話。

 あえて歌詞の半分以上を、意味を持たない「造語」で構成した。

「意味がない……? これ、どうやって感情を乗せればいいのよ」

「意味なんてなくていい。君の喉を、ただの楽器にしてくれ。怒り、悲しみ、悦び……それらすべての感情を、言葉というフィルターを通さずに、音そのものでぶつけてほしい」

 凛は、その譜面を見て絶句した。

 そこには、人間の限界を超えるような超高音のロングトーンと、激しいドラムの乱打に負けないパワフルなシャウトが詰め込まれていた。

「……やってやるわよ。あんたが私のことを『化物』だって言うなら、本物の化物になって、そのヴィクターとかいう奴の耳をぶち壊してやる」

 録音が始まった。

 

 凛の声が、防音室の壁を突き抜け、モニター越しに僕の全身を支配する。

 それはもはや、歌ではなかった。

 太古の昔、人間がまだ言葉を持つ前に、夜の闇に怯えながら神に叫んだ「祈り」そのもの。

 

 言語を超えたその響きは、オンラインで繋がっていたロサンゼルスのギタリストや、ロンドンのドラマーたちの手さえも止めさせた。

「Jesus...(なんてことだ……)」

 通信の向こう側で、世界トップレベルのミュージシャンたちが、一人の東洋人の少女の声に、戦慄していた。

 

 その夜。

 新曲『バベル』は、世界同時ゲリラリリースされた。

 

 lTunesのワールドワイドチャート。

 一位、二位、三位。

 それまで君臨していた海外のトップスターたちの名前が、次々と『白雪 凛 / Produced by 神代 朔』という名前に塗り替えられていく。

 

 世界中の人々が、スマホの前で耳を塞いだ。

 その美しすぎる暴力に耐えきれず、しかし、聴くことを止めることができない。

 

 SNSは、もはやお祭り騒ぎを通り越して、パニックに近い状態になっていた。

『音楽の歴史が変わる瞬間を見た』

『この少女は、人類を調律しに来たのか?』

 

 そんな喧騒の中、僕は一人、スタジオのベランダで夜風に当たっていた。

 ルナという小さな敵を倒した先に待っていたのは、世界という名の巨大な戦場。

 

「アサヒ……見ているか」

 僕は自分の手に視線を落とした。

「君が辿り着けなかった場所へ、僕がこの少女を連れて行く。……君を殺した、この世界の残酷なルールごと、すべてを音楽で塗り替えてやる」

 

 その時。

 事務所の前に、黒塗りの高級車が数台、音もなく止まった。

 車から降りてきたのは、日本の芸能関係者ではない。

 屈強な体格の、海外のセキュリティチーム。

 そして、その中央から、白髪を綺麗に整えた一人の老人が現れた。

 

 ヴィクター・サリバン。

 世界の音楽王が、ついに自ら動き出したのだ。

 

「……フフ、来いって泣きつく前に、来ちゃったわね」

 背後に立っていた凛が、不敵な笑みを浮かべていた。

 

「ああ。いよいよ、最終楽章の始まりだ」

 

 如月アサヒの復讐劇は、今、世界を巻き込んだ「革命」へと昇華する。

 神代朔の指揮棒が、次に刻むリズムは――。

第十話、最後までお読みいただきありがとうございました!

 ついに物語は世界規模へ。

 かつての如月アサヒのライバル、ヴィクターの登場により、物語の緊張感は一気に最高潮へと達しました。

 ただの復讐劇から、音楽という概念そのものを書き換える「革命劇」へと進化していく様子を、圧倒的なボリュームでお届けしました。

 「ヴィクターとの対決が楽しみ!」「凛がどんどん強くなっていく!」

 という方は、ぜひページ下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして、この二人の「世界制覇」を後押ししてください!

 皆様のブックマークと評価が、次の執筆の最大のエネルギーです!

 次回、第十一話――「ニューヨーク、死神の初舞台」。

 いよいよ、世界の中心での決戦が始まります。お楽しみに!

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