砂よりも白く あるいは責殺
湯気の立った水、ようは白湯を渡された園崎は、温かみのある液体という貴重な飲み物にからだを喜ばせながら、それを差し出してきた少年に対して不信感を抱いていた。
あの場で見た光景。伊豆麻里と抱き合う獅子頭奈保。
伊豆麻里は、園崎とすれ違うようにどこかへ去っていった。愛人なのか、泥棒ネコなのか。さしてそれは重要ではない。獅子頭奈保は、無理やりだったとしても、この女にされるがままにされていた。
園崎は、獅子頭奈保と滋養風犬は恋仲にあると考えていた。サンジェルというテロリストから因縁をかけられた少女が、恋人とともに追ってから逃げる、いわゆる逃避行のストーリーにも記事を仕上げられるはずだった。しかし、アレを見たあとではどうしてもそんな風には筆を動かせない。
浮気……?風犬が殺されかけていた、あんなときに? だとしたらクズだ。
いや、それとも、そもそも恋仲というのが勘違い?……だとしても、行動を共にしている仲間の危険をよそにあのような情事に耽るのもクズであることに変わりはない。
マボロシ探偵社に勤める少女、狼尾保奈は、無愛想だが、いい子であった。そっけのない態度をとりつつ、園崎の歩み寄りを、少しづつ受け入れようとしてくれている。純粋な少女であった。
そのような妹を持つ兄であるなら、同じようにきれいな心を持った少年であると思っていた。滋養風犬の手を引き、必死に生きようとするけなげな少年。悲劇のヒロインと、そのナイト。そんな美しい物語の登場人物……そう思っていたのに。
場所は、六大企業、武功会の元本部「旧武道館」の宿泊エリアであった。ここは、炎帝府に所有されている場所であったが、管理者がいるわけではなかったようで、簡単に侵入できた。
獅子頭と、滋養にとっては古巣。そして、狩場瑠衣の話では……風犬の手によって、大量虐殺が起きた場所。血の臭いがするわけではないのに、園崎はこの空間に入った時、気分が悪くなった。
通された部屋のベッドに座り込み、園崎は改めて考える。
なにもかも、異様だった。
滋養風犬という少女は、生まれながらの狂人だと認識すれば、それを前提にすれば狂人として接することはできる。しかし、それを支える人間である獅子頭奈保さえも歪であるというのなら、いったいなにを信じればいいのだろう。
わからない。風犬以上に、獅子頭のことがまったく理解できない。園崎の頭は混乱していた。
ノックの音がした。乾いた口で、園崎は、どうぞという。
「どうも。えっと、園崎さんでしたっけ」
獅子頭奈保が頭をかきながら、現れた。一見して、普通の少年である。大物というよりも、むしろ小物のオーラすらある。
「隣、座っていいですか?」
獅子頭は、園崎の隣、つまりはベッドを指さしていた。園崎は、露骨に嫌悪感を現した。それを感じ取った獅子頭は、すみませんと謝って床に座った。
見下すような姿勢になった園崎は、頭頂から獅子頭を眺める。縮こまった少年の姿は小動物のようだった。
通常、園崎の趣向からすれば、獅子頭くらいの歳の男子はストライクゾーンに入るはずであった。しかし、さきほどの唾棄するべき不倫現場を見たあとでは、彼には悪感情しか向けられなかった。
一見害はなさそうなのが、質が悪い。この少年は、少年である資格がないと園崎は思った。
「えーと、園崎みかんさんでしたっけ。マボロシ探偵社っていうとうちの妹がお世話になっているところですよね。あいつ、迷惑かけていませんか?」
身内のつながりから懐に入ろうとする会話の切り口。園崎は、冷たい目を向けた。
「迷惑なんてとんでもないよ。とってもいい子だよ。君と違って」
皮肉に顔が引きつる獅子頭。苦しい言い訳を始める。
「いや、あのさっきのは……違うんです、伊豆とはそういう仲とかじゃなくて」
「『そういう仲』じゃなかったら、余計に悪いと思うけど?」
「……いや、あっちから迫られて、なし崩しにというか、そのキスくらいしかしてませんし」
「昔の政治家のテープレコーダーを神術型から聞かせてもらったことがあるわ。浮気の弁解はやっぱり本職のほうが上手みたいね」
矢継ぎ早の口撃に、沈黙する獅子頭。救えない。園崎は溜息をついた。
「獅子頭奈保。元、武功会の幹部家系の息子。滋養風犬の幼馴染で……、恋人だと思ってたんだけど?違ったのかな?普通恋人が殺されかかってるときに浮気なんてしないからね」
「……愛し合ってはいますよ、一応」
「一応、ねえ……。君は本当に滋養風犬のことを愛しているの?狩場瑠衣さんから聞いたよ。君らのあいだにあった事件のこと。あんなことがあって風犬のことを愛してるなんて言えるなんて、正直おかしいよ」
「……そんなの、こっちの勝手じゃないですか」
「ひとをこんなに動かしている以上、身勝手ともいえるね。幼馴染だからって、そんなに執着する?伊豆ちゃんのほうがいいなら、さっさと乗り換えればいいでしょ」
「いや、だから俺は風犬のことが好きで」
「囚われてるだけでしょ。君は風犬に依存してるし、風犬に依存されることに快感を得てる。普通の恋人同士ならとやかく言うことじゃないけどね。風犬の異常さを放置していることで起こる被害の大きさがわからないわけじゃないでしょ?」
「でも、俺が離れてしまえば、風犬はひとりぼっちになってしまう」
「そんなことを言いつつ、守る気も感じられない。一緒にいるだけで、君はなんにもしてない。もう一度聞くけど。
君は滋養風犬のことを愛しているの?
もしかして君は風犬が死ねばいいと思っているんじゃない?」
〇
鳥取、マボロシ探偵社。砂丘のうえを風が撫で、白い粒子が空に舞う。
この幻想のような世界を歩いてきた男がひとり。
インターホンとともに現れた来訪者を見て、狼尾保奈は顔をしかめた。
「やあ、久しぶりだね、未来くん。あ、未来ちゃん?それとも保奈ちゃんって呼んだほうがいいのかな」
柔和な笑顔の青年、千堂千歳は、手に持ったお土産を差し出した。
「これ、サンジェルさんから社長さんにって」
狼尾は紙袋を受け取る。中身はバームクーヘンだった。サンジェルのもとには『オーブン』という火を用いた調理器具がある。それを使って作ったのだろう。
「未来、お客さんか?」
奥から柊サマンサがやってきた。狼尾は、バームクーヘンを渡した。
「社長と食べてこい。私はこいつと話がある。玄関先で済ますから」
「お、おう。知り合いなのか?すみません、どうぞおあがりください。お茶くらいならお出しできますので」
狼尾は余計なことを言う柊を睨んだが、時すでに遅く、千堂は靴を脱いで敷居をまたいでいた。
「未来ちゃんはこっちで仲良くできてる?」
「ええ、みんな暖かく見守っています」
「そっかそっかそれはよかった」
柊と肩を組みながら中に入っていく千堂。狼尾は拳を震わせた。
バームクーヘンを切り分けて各自に分ける柊。昔は家事を手伝っていた狼尾だったが、最近は柊に女子力で負けている部分がある。なお、柊は男子なのだが。
マボロシ探偵社社長、緑が丘清秋は、お茶をすすってから、千堂に話しかける。
「へえ、君は狼尾ちゃんのいた孤児院で働いてるのかい。そして夜はサンジェルのもとで研究員か。ははあ、働き者だねえ」
「いえいえ。あ、未来ちゃん、子どもたちは元気だよ。たまに顔を見せにいってね」
狼尾は無言でバームクーヘンにかぶりつく。反応するのも面倒くさい。しかし、孤児院に残していった子らが元気と聞いて安心もしていた。
しばらく談笑する一同。
そして、ようやく千堂が切り出す。
「今日来たのはですね、狼尾ちゃんにお願いがあってなんですよ。滋養風犬暗殺計画について」
「風犬の……?」
千堂の話では、サンジェルは滋養風犬を殺すために刺客を仕向けているのだが、失敗が続いているらしい。そこで、ここからは、倒達者の推薦した人間を風犬に当てるという作戦に切り替えたというのだ。強者の選ぶ強者ならば信用できるという考えらしい。
「っていうわけなんだけど、未来ちゃんだれかいいひといない?」
「……風犬が殺されるのは願ってもないんだけど。その責任を負ってもらうひとを差し出す気はない。なんだってこっちが殺しの罪を背負わなくちゃいけないんだ」
「え、おい真っ当なこというな俺のこと殺そうとしたことあっただろ」
「聞こえない。忘れた。……私が出るなら別にいいんだけど、それはダメなのか?」
千堂は首を振る。
「それじゃダメなんだ。……サンジェルの計画で、未来ちゃんたち倒達者は、炎帝府を打倒するときの戦力に数えられている。それまで、極力未来ちゃんたちは戦場にださないようにしたいんだそうだ」
「え?……なに、それ。私、炎帝府と戦うことになってるの?」
狼尾は、この社会の仕組みに少なからず不満を持っていた。そんな彼女にとって、このような社会制度を敷いている炎帝府は、確かに好ましくない対象である。
しかし、だからと言って、国家権力に立ち向かうほどの覚悟はない。狼尾としては、制度さえ変わればいいと考えているので、炎帝府を打倒しようなどという過激な思想は持ち合わせていなかったのだ。
横にいた柊が、狼尾の腕をとる。
「千堂さん、すみませんが、未来をそんな危険なことに巻き込まないでやってくれますか?うちの会社は下請け程度ならこなしますが、直接的なテロ行為に加担することはしないんですよ」
柊の真剣な眼に、狼尾は、思わず頬を染める。照れにより体温が上がることを察されたくなかった狼尾は、倒達者として得た、体温の自在な調整技術を用いて、逆に皮膚を冷たくした。腕にしがみついていた柊は、寒っ、と身を震わせた。
千堂は、しばらく柊と目を合わせた後、口元を歪ませた。
「ふふふっ。未来ちゃんはいい男を見つけたね。羨ましいよ。……さあ、建前は終わりだ。ここからは腹を割って話そう」
「……どういうことだ?」
「実はね、僕も柊くんと同じ考えなんだ。今ぼくはサンジェルのもとで研究職をやっている。そこで、彼女の炎帝府打倒計画案について知った。サンジェルは、倒達者を使って残酷な兵器を作ろうとしている……。あんなこと、現実にしてはならない。僕は土方さん……同じくサンジェルのもとで研究者をやっている僕の先輩とともに、サンジェルが捕らえている倒達者たちを解放しようとしているんだ」
緑が丘は、目を開いた。
「……君は、サンジェルを裏切ろうとしているのかい?なんと命知らずなんだ」
千堂は、苦笑した。
「別に、死ぬつもりはありませんよ。僕はただ、未来ちゃんたち倒達者を助けて、みんなで幸せになりたいだけなんですから。特に、那須花凛ちゃん。彼女は僕を救ってくれた恩人だ。このまま見捨てることなんて、できるはずがない」
狼尾は、千堂の姿を見て、驚いた。そこにいるのは、かつてのように薄っぺらい男ではない。自らの使命に燃える、軸の通った男であった。
「未来ちゃんの指名したひとと風犬が戦っているあいだに、アジトから、那須花凛ちゃんを連れ出す。そして、そのまま、僕らは那須ちゃんを連れて逃げるんだ。この作戦には、土方さんと奇術型倒達者の狩場瑠衣さんも参加する。あの二人もサンジェルのもとから逃げだすつもりだ」
緑が丘が、尋ねる。
「……つまり、君は『うちの』狼尾くんも、その逃亡劇に加えるつもりなんだね」
重々しく頷く千堂。
「はい。さきほど申し上げた通り、サンジェルは倒達者全員を自身の野望のために利用するつもりです。未来ちゃんも、このままココにいても危険です。僕らと協力して身を隠すのが、一番安全かと」
狼尾と柊がマボロシ探偵社に入ったのは、つい最近である。しかし、緑が丘は彼女たちに親心のようなものを感じていた。ふたりとも、育ての親から離れたばかりの少年少女である。強くふるまってはいても、時折寂しさをみせていた。緑が丘は、祖父のように接することで、彼女たちの心を氷解するように努めていた。
だが、いつのまにか、緑が丘のほうが、ふたりに対して深い情を持つようになっていた。ここを巣立つほうが、安全だというのが、理屈ではわかっていても、狼尾や柊と別れるのは辛かった。
老人は、溜息をつく。
「老いぼれの我儘を言ってる場合ではない、か。千堂くん。狼尾くんを頼んだよ。柊くんも彼についていってくれ」
千堂は頭を下げる。
「命に変えても、守らせていただきます」
狼尾は、枯れ木のような社長をみて、思わず口が開いた。
「……社長、そのうち戻ってくるからさ。そんときまで現役でいてよ。帰ってきたら、私を跡継ぎにして」
緑が丘目を丸くする。柊は笑った。
「未来って結構図々しいよな。じゃあ、俺は副社長にしてくれよ、現社長。絶対にそれまで元気でいてくれよな」
「ああ、あと園崎さんにいままでありがとうって言っといて」
狼尾は頭をかきながら付け加えた。緑が丘は、ふっと笑った。
「ああ、わかった。居場所は守っておくよ、ふたりも絶対に生きて帰ってくるんだよ」
千堂はその様子を微笑みながら、見守ったあと、再び狼尾に対して最初の話題を持ち出した。
「じゃあ、滋養風犬に向ける刺客役を引き受けてくれるひとなんだけど、僕たちの逃亡計画にも協力してくれるようなひとがいい。未来ちゃんは心当たりあるかい?」
狼尾は腕を組んで考え始めた。
「……事情を話したうえで、協力してくれて、そのうえ確かな実力があるひとなら、ひとりだけいる」
「へえ。それは、誰だい?」
「霧島孤児院の院長、久本美影さんだ」




