Step.7 クリームを塗って⑤
草むらで状況を見守る柊サマンサは、狼尾保奈の安否を案じていた。
那須花凛の攻撃は、ライブ会場全体を焼き払った。無謀にも那須に向かっていった狼尾は、炎に捕まった可能性が高い。
柊は、無力な自分を情けなく思った。
足元の獅子頭奈保が、寝返りを打った。
柊の心配とは裏腹に、狼尾は無傷で、炎のなかを歩いていた。
狼尾保奈は、幻術型である。体表の細胞で色素を分泌し、体色を透明化することができる。狼尾は知る由もなかったが、那須花凛の発火能力は、視認した対象にしか作用しない。念のため、からだを透明化していたのが功を奏し、彼女は生きながらえたのだった。
死体が燃えていく臭いに、鼻をつまみ、狼尾は清水の舞台に向かっていた。
那須花凛の歌は、美しかった。歌詞や、メロディの良さはわからなかったが、その歌には歌い手の信念がこもっているように、狼尾は感じた。この会場で、那須花凛の歌を一部始終聞いていたのは、狼尾保奈くらいだった。
姿の見えないたった一人の観客と、誰にあてるでもない歌を続ける歌手。
狼尾は、孤独を共有する感情を胸に抱き始めていた。
そもそもが、兄への鬱憤がじゅうぶんに晴らせなかったことからくる八つ当たりによる感情が強かった狼尾にとっては、那須を憎む気持ちが足りなかった。理不尽なこの世のなかを変えたいという狼尾の想いも、冷静に考えてみれば、自由に音楽を楽しめる世界を作りたいというブレーメンの理念にも一部合致する。
狼尾は、手に持ったナイフを向けるべき相手を見失っていた。
「…………んおっ!?」
獅子頭奈保が、飛び起きた。瞼が完全に開いておらず、覚醒が遅れているようだった。柊サマンサは、狼尾の心配で気が気でなかったので、獅子頭のことを適当にあしらう。
「お、起きたか?まだ寝ててもいいんだぞ」
獅子頭は、眠気まなこであたりを見渡す。
「えーと、いまどういう状況っすか……」
彼の記憶では、砂川と伊豆に従い、森に駆け込んだら、ゴスロリ服の女に話しかけられ……その先は暗闇であった。気を失っていたことは理解できたが、それがどのくらいの時間であったのかは、はっきりしなかった。
柊は、面倒くさそうに言う。
「那須花凛が大暴れしてる。大惨事だぜ」
獅子頭は、それを聞き、柊のもとに這いより、草陰からライブ会場を見渡す。
「……………」
しばらくの沈黙ののち、獅子頭は溜息をついた。
「砂川さん、しっかりしてくださいよ……なに気絶してるんですか……」
柊は、獅子頭の発言に思わず顔をみる。突然振り向かれ、戸惑う獅子頭に、柊は、恐る恐る質問をする。
「え……なに、あんたの知り合い、会場で気絶してんの」
さきほどは、未来の兄のため気を使って敬語で話していたが、柊は思わず言葉を乱した
「え?はい……ほら、あそこの大男ですよ。大やけどをして倒れている人です。あー、あれ気絶っていうか、生きているのかな……」
柊は絶句した。この獅子頭という男、どんな道徳教育を受けてきたのか。知り合いが戦場のど真ん中で倒れていたら、心配するべきだろう!
柊の冷たい視線をよそに、獅子頭は立ち上がり伸びをする。
「あー……嫌だ。ほんと。どうせサンジェルがどっかで監視してるんだろうしな……。行かざるをえない、か」
そういうと、獅子頭は草陰から出ていく。柊は、その行動に度肝を抜く。
「ちょ、待てよっ!なんだあんた!死ぬ気かよ!」
信じられない。那須花凛の脅威を、結果だけしか見ていないからか?その行動の無謀さは、柊の理解を大きく超えていた。
獅子頭は、柊のほうを振り返り、一言残していった。
「いや?死ぬ気はないよ。俺には殺されたい人がもういるからね」
柊は、ゆらめく炎の中に歩いていく獅子頭がひどく歪に見えた。
「なんなんだよ、あの兄妹……」
この清水の舞台周辺で唯一まともな感性を保ったままなのは、柊サマンサただひとりだけであった。
那須花凛は、気分が最高であった。
燃える会場は、自分のライブを祝う最高のセット。彼女は、今日のライブが成功だと、本気で思いこんでいた。
観客は、炎とともにからだを揺らしているし、耳が張り裂けそうになるほどの叫び声、おそらく歓声も聞いた。
あとは、この『はっぴいばあすでい』を謳いきるだけ。
しかし。
そこへ異物が現れた。
「あのー、すみませーん。那須花凛さんですかー?」
那須は、ステップを踏みながら、声をかけてきた少年の顔を見る。
清水の舞台の下で、声を張り上げているのは、純金閣寺で、砂川の背に隠れていた少年である。
那須は、あたまのなかの歌詞を一度どけて、記憶を探る。サンジェルのもとには、武術型の倒達者である少年がいたはずである。名前は、なんといったか。獅子頭……奈保?
この少年が、その獅子頭奈保であるのだろうか。
サンジェルの仲間で、そのうえ倒達者であるというのなら、この少年は敵である。那須は、大きく息を吸い込み、曲のサビをマイクに注ぎ込む。
「はっぴいばあすでい わかったよ信じること かっていんぐけいく みんなで分かち合おう
らぶあんどらぶ ついてきて一緒にいこう はっぴいふゅうちゃ 輝く未来へ!」
〇
那須が俺を視認すると同時に、俺は駆け出した。
〇
那須花凛は、状況が把握できなかった。
倒達技術『はっぴいばあすでい』は、視認した相手を、発火させる。そういっても過言でないほどの一撃必殺なのである。かわすことは、通常、不可能。それなのに。
歌が終わると、辺りはぱちぱちと炎が燃料を燃やす音だけが響くようになった。
那須は、謳いきり、汗を流し、体力の消耗からその場に座り込みたかった。しかし、それをさせない観客が、ひとり、那須のまえに立っていた。
さきほどまで、下にいたはずの少年が、この高さまで一瞬で登ってきた。なぜ自分の呪術で火に包まれていないのか。那須は、ここにきて初めて、対等な実力の持ち主が現れたと、『錯覚』する。
何者だ、こいつは!
〇
そう、錯覚なのである。
俺は、獅子頭奈保は、自分で言いたくもないが、弱い。
那須は驚いているが、いま行った俺の瞬間移動は、インチキの塊の技法により成立していた。
武術型倒達技術『極加速』は、心臓の拍動を活発化し、無限に肉体を加速するちからである。このちからは、使い続ければ隕石に匹敵するほどまでの速度に至るのだが、それが有効となるには、距離と時間、そして攻撃対象が動かないという、複数の条件が必要となってくる。
なんとも使い勝手のわるいちからである。接近戦においては、なんの役にも立たない。一度砂川さんと試してみたが、俺のような武術の下級者では、回転力が生かし切れず、途中で加速が切れてしまうことが判明した。一度止まると、速さがリセットしてしまうのである。
そこで、伊豆さんとの特訓により、俺はこのような『インチキ』を身に着けた。
すなわち、「さきに思考を加速させておいて、肉体への命令はある程度速度がたまってから行う」というものである。
頭のなかでの事前準備として加速をしておくと、相手からは、一瞬で高速移動したように見える。しかし、俺にとっては、からだを動かすのと準備時間が同じくらいだし、脳が滅茶苦茶につかれるので、コストは変わらないように思える。
それに、結局加速がたまる前に攻撃されてしまえばダメ、という致命的な弱点は解消されていないのもなんだかな、というところなのだ。
とにかく、俺はこの加速により、勢いをつけて清水の舞台を高速で駆け上がり、那須花凛のまえに立ったのである。
那須は、俺を警戒しているが、一曲歌い切ったあとであるためか、息を切らしていて攻撃には移れないようだった。しかし、体力による消耗は、完全なる無力化にはならない。サンジェルに引き渡すときに、抵抗をしないように、牙を抜かなければいけないのだ。
つまり、俺はこれから那須の心を折らなければならない。
……気が乗らないが。
「那須花凛さん。あなたは、これで満足なんですか?」
俺はライブ中、ほとんど気絶していたため、その経過は知らないが、会場が火の海になっていることから、平和的な進行ではなかったのだと察した。
ブレーメンの、そして那須花凛の目的が、音楽を自由に行える世界を作りたいというのなら、この現状は悲劇としかいいようがないだろう。
しかし、那須は笑いながら言った。
「これ以上ないくらいに、最高のライブだったね」
「…………」
彼女は、錯乱している。
サンジェルから、那須花凛の生い立ち、そしてブレーメンが成立するまでについては聞かされていた。那須は、自分に音楽を教えてくれた女、「天宮シオリ」の弔いでアイドル活動を始めたのであると。自分が輝く存在になり、未来を照らすことで、病に侵されていた「天宮シオリ」の生きざまを世界に残そうとしているのだ。
ここで、もし「天宮シオリ」が実は悪人だった、という真実でもあれば、那須の心を折ることは容易だったろう。目標にしていた人間が、悪人であった場合の精神的ダメージはそれなりだろう。しかし、この女性、調べれば調べるほどに聖人君子であった。
元、神仏連の姫、天宮シオリ。彼女は、格差社会の激しいこの世のなかで、せめて京都の町だけは、と民のために雇用を生み出したり、街の景観を整備するなどしていた。公共のために身をささげる、美しい心の持ち主。違法とされていた音楽記録媒体を聞くことを趣味としていたこと以外は、一切の汚点が見つからなかった。彼女がいたころの神仏連は富士月見や椿舞など、邪悪な人間がはびこる余地はなかったのである。
そうなると……自ら手を下すようで気が乗らないが、これしかない。
口がうまい自負はないが、監獄省でつけられた蔑称「食人鬼」の本領、見せてやるよ……!
俺は、那須と距離を保ったまま、語り掛ける。
「那須花凛……さん。あなたは、現実が見えていない」
「…………」
那須は、アイドル少女の飾られた表情を消し、ひたすらにこちらを睨んでいる。荒い息遣いはまるで獣のようだった。
「このありさまを見てくださいよ。なにがライブ成功ですか。あなたのファンは死に、仲間は死に……ここは地獄ですよ」
那須は、一層鋭い眼光を俺に向けた。言葉が届いているのかはわからない。しかし、俺に敵意を向けたということは、彼女も気が付いているのだろう。自分のせいで生まれた犠牲と、その罪に。
彼女は、本当にただ音楽を信じていただけなのだろう。だが、その結果がこの地獄絵図だ。那須にこの残酷な現実をつきつけることで、俺は彼女の心をおり砕く……!
「認めたくないなら、俺がはっきり言ってあげますよ。あなたは、自分の夢のために、大勢の命を……」
そのとき。
目の前にいた那須の姿が消え。
直後、頬が裂けた。
ツーと、一筋の線から血が流れる。
「……命、を……えーと……」
空気が、傷口に染み込み、痛みで言葉が出なくなる。はっとして、後ろを振り向くと、那須がマイクを手に立っていた。
全身にまとっていたひらひらした衣装はところどころ破け、見え隠れする肌は赤く染まっている。
那須が叫ぶ。
「わかってるんだよ!そんなことは!」
きいいいんと響く高音に、鼓膜が刺激される。耳をふさぎたい欲求にかられるが、ここで両手をふさぐようなことは避けたかったので、我慢する。そして、残響する耳鳴りに涙目を浮かべつつ、那須のいまの瞬間移動について考察する。
「…………」
那須は、呪術型である。呪術型の瞬間移動として即座に考えられるのは、「転送術」である。しかし、さきほどは、転送術発動時に出現するゲートは見られなかった。つまり、別の方法で、那須は高速移動したと考えられる、が……。
ない頭を振り絞る。那須は、これまで音を用いて攻撃してきた。サンジェルから、その原理はおおまかに聞いている。エネルギーを持った粒子を、声とともに飛ばす。それが那須の自然発火能力の正体である。そこから発展させて考えると、まさか、とは思うが……。
俺は、那須に答え合わせを求める。
「お前、音速で動けるのか……?」
那須が覇気を纏う。
「だったらなんだ!」
その声が耳に届いた瞬間、俺のからだが宙に浮いた。腹には、重い衝撃。拳が、那須の拳が食い込んでいる。鬼のような表情で、俺を殴っている那須がスローモーションに映りこむ。こみ上げる血が、口のなかに溢れ、耐えきれず、口外に吐き出す。空に飛び散った血しぶきは、正面にいた那須の顔面を真っ赤に染め、アイドルを悪鬼に変える。
やっぱりだ!俺は確信する。那須は、自らの肉体を音速で動かすことができる……!
呪術型は、エネルギーを変換できる。大方、運動エネルギーにでも変えたか!?
だが、いまわかったところで!
離れていく舞台の欄干を見て、現在地を把握する。俺と那須は、清水の舞台から、飛び降りている!水平に進む移動は終わり、一気にからだに重力がかかる。落下している!
「うわああああ!?」
後ろを振り向くと、地面が迫っていた。高さ約十二メートル!もしこのまま硬い地面にぶつかれば、大けが……いや、死ぬ!
人間は重力のまえに無力である。俺はいちかばちか、頭を守る。
死にたくない!
絶望的な衝撃を予想して目をつぶると、背中に棒が当たるような感触がして、肉体が静止する。
「……あ?」
おそるおそる目を開けると、俺は地面からわずか五十センチといったところで空中に浮かんでいた。
「バカ兄貴。殴られるまえに、勝手に死ぬな」
幼さが残る女の声が上から降ってくる。しかし、そこには誰もいない。
「誰だ……?」
そう問うと、今度は舌打ちが降ってきた。そして、ぼんやりと空間が歪み、俺を見下ろす少女の顔面が浮かび上がった。
「あっ君は……」
その少女の顔は見覚えがあった。純金閣寺で、富士月見に首を絞められていた塗装業者の少女である。なぜ、こんなところに……?まさかこの子も那須の招待に応じてやってきたというのか?
少女は、いらだった表情をして、俺を地面に落とした。尻餅をつき、俺は腰をさすりながら立ち上がる。助けてくれたかと思えば、急に手放すとはどういう親切心だ。
「わたしは狼尾保奈だ。十数年ぶりだなクソ兄貴!」




