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Step.7 クリームを塗って⑥

「は……?」


 ろうび、やすな……?


 ぐおんと、記憶の奥底からその名が飛び出る。その名前は、そうだ!


「おまっ……俺の妹か!」


「気づくのおせーよ!」


 激昂する少女、保奈を前に、俺は動揺する。まさかの再会である。こんな、戦場で再会するとはなんてめぐり合わせだ。


 言われてみれば、保奈を名乗るこの少女は、どこか俺に似ている。ははあ、しっかりと兄妹だ。女の子らしい可愛さはあるが、それでも顔立ちは似通っている。


 ……戦場?


「あ」


 振り向くと、那須花凛がからだ中を俺の返り血に染めて、立っていた。バカか、俺は。何年かぶりに会う妹との話なんて後回しだ。いまは、この危険アイドルをどうにかしなくてはいけない。


 那須は、再びマイクを口元に持っていく。


「死ねえええええ!」


 叫び声とともに那須の姿が消えた。その瞬間、俺の鼻に色白い膝がめり込む。鼻血をまき散らしながら、俺は数メートルほど飛び、背中を地に打ち付ける。


「いっへえ……」


 顔面は神経が多く通っているという。顔を抑えながら、妹の手前、はやめに立ち上がる。


 那須は、からだ中に切り傷ができ、衣装はもはやぼろ雑巾となっていた。おそらく、彼女の肉体は音速に耐えきれていないのだろう。武術型である俺は、皮膚の性質を変化させることができるので、極加速中でもある程度ダメージは軽減できるが、彼女にはそれができないらしい。


 ならば、勝機はある。


「大丈夫かー兄貴―?」


 いつの間にか離れた位置にいる保奈が俺に声をかける。俺は手を振り、答える。


「ごめんな、やすな。あとで会えなかったぶん抱きしめてやるから」


 強がりながら、俺は那須を睨みつける。那須が呼吸を整え、またマイクを口元へ運ぶ。


 それとともに、俺は『極加速』を発動させる。


「はああああ!」 


 那須の発声。少女の小柄な像がぶれる。


 かわしてやる!


 脳が加速をはじめ、一直線に飛び込んでくる那須の動きがわずかに目に映った。しかし、加速時間が足りなかったので、完全な回避には失敗した。那須の正中を狙った拳はずれて、俺の脇腹をえぐる。臓器が悲鳴をあげる。むしろ、この部位はダメージが大きい。


「ふん!」


 続いて那須が叫ぶ。下から迫りくる音速のアッパー。俺は顎が砕ける感覚を味わう。


「はん!」


 那須の足が弧のような軌道を描き、俺の太ももを切り裂く。


 加速が重なり、次第に那須の動きが可視化してくる。よし、この調子だ!乗ってやるよ、音速の世界に!


 俺は、ここで初めて那須に向かって殴り掛かる。


「はっ!」


 声とともに那須の姿が消える。そして、背中に衝撃。回り込まれた。まだだ。まだ、那須の速度に追い付いていない。


 俺は回し蹴りを繰り出す。しかし、足を延ばした方向に、那須はいない。側頭部に痛み。殴られた。まだ、捕らえられない。


「…………くそっ!」 


 やはり、極加速は一動作で区切る動きをしてしまうと、途端に解除されてしまうようだ。走り続けるような、回転力を持続する動きでないと、初速に少し速さが上乗せされた程度のスピードで終わってしまう。対して那須は、一回一回の移動が一定して音速だ。このままでは、彼女の速さに、追い付けない!


 だったら、作戦変更するしかない!俺の真骨頂に!


 俺は拳を握りしめる。


「いくぞ!」



          〇



 炎のなかで殴りあう二人を見ながら、狼尾は兄貴の言葉に唾を吐く。


「抱きしめるって、調子のいいこと言ってんじゃねーよ……。間に合ってるし」


 狼尾は、しゃがみ込み、溜息をつく。


「那須花凛にも、クソ兄貴にも死んでほしくねえし……はあーあ、甘っちょろいな、私は」


 そして、地面に手を当て、幻術型倒達技術の発動準備をする。


「せっかく倒達者になったことだし、平和的に終わらせてやるよ。……だから、それまでどっちも死んでくれるなよ」


 狼尾のからだが、黒く染まる。


 幻術型倒達技術『KAGEROU』。

 発動……!



     〇


 俺の真骨頂。


 それすなわち。


 『逃避』!


 俺は拳を握りしめ、靴を脱ぎ捨てると、那須に背を向けて走り出した。『極加速』発動。五メートルほど那須から離れたとき、俺はからだにかかる重力から速度が上昇しはじめたことを実感する。


「待て!」


 声が追いかけてくる。走る俺の横を突風が通り過ぎ、那須が俺の正面に立ちはだかる。


「やだねっ」


 俺は、足に負荷をかけながら方向転換し、那須にまた背を向ける。多少減速したが、今度はここから『極加速』が始まるので、初速がそれなりに速い状態でスタートできる。


「このっ!!!」


 風と共に、那須が俺の前に現れる。


 相変わらず早いが、音速程度でいつまで追いかけてこられる?


 いずれ、俺はお前を置いてけぼりにする!


 那須は発声と高速移動を繰り返す。俺は、那須から逃げるような方向転換と極加速を繰り返す。


 最初のうちはわずかだった差は時間とともに大きく広がっていき、いつしか、俺のまえから那須の姿は消えた。もう、回り込むことはできない。音速の、限界だ。


 那須花凛!これで、チャックメイトだ!



 ところで。


 俺は、調子に乗りやすい。


 それを忘れていた。


「はっぴいばあすでい!聞けええ!!!」


 那須の叫び声に、俺は首を傾げる。曲名、か?確かに連続した歌ならば発声のように、途切れることなく音速を維持できるが、もはや音速では、俺の加速には追い付けないだろう。無駄なあがきだ!


「爆☆走!」


 踵を返し、那須に背を向ける。那須は歌を歌い始め、俺に必死で追い付こうとする。だが、もはや那須の速度は俺に追い付かず、余裕で俺は彼女を振り切る。


 そろそろか。これ以上加速を続けると、那須に攻撃を仕掛けた時、確実に殺してしまう。皮膚の摩擦で適度にブレーキがかけられ、手加減のできるこのくらいが頃合いだ!


 俺は、足を捻り、必死に歌い続ける那須に向かって飛び込む。


 拳を握り、照準を少女に定める。


「くらえっ!!!」


 終わりだ!那須花凛!

 


 その瞬間。


 目の前が真っ赤になった。


 そして、からだ中が熱い。


「……え?」


 俺の拳が空を切る。そして、足の裏の摩擦を高めて停止の準備をしていたため、急ブレーキがかかり、俺のからだはつんのめる。


 べしゃん、と顔を地面にたたきつける俺。大きな衝撃に頬骨が割れる感覚。


 じんじんと後を引くような痛みが響く。痛い。いや、それよりも問題はからだのほうである。


「ああああっつっっっ!!!」


 俺の首から下が火に包まれている。皮膚が焦げる臭いが立ち上る。熱い熱い熱い熱い!


 必死で地面に転がり、身を包む炎を消そうとするが、なかなか消えない。痛い熱い痛い熱い痛い熱い!!!


 

 苦痛のなか、俺は後悔する。


 馬鹿か!俺は!なにを肉弾戦に集中しているんだ!


 那須花凛の本領は、この音による攻撃だろ!


 頭から突っ込むなんて、愚策もいいところだったじゃないか!!!


 


 那須が、俺を見下しながら、不敵な笑みで歌う。


「はっぴいばあすでい!」


      

    〇



 

 柊サマンサは、遠方から、狼尾保奈の動きを観察していた。炎に囲まれるなか、姿を現した彼女は、真剣な面持ちで、地面を撫でていた。


「あれは……あいつ、やる気か」


 狼尾保奈が、倒達者になったとき、柊サマンサはその倒達技術の実験体となった。危険な行為であったが、狼尾はそれにより、感覚を掴むことができた。


 いまから狼尾が行うのは、本番の本気のものである。その規模がどれほどのものになるのか。柊は息をのんだ。


 

 獅子頭奈保と、那須花凛が対峙している場から離れたところで、狼尾保奈は、幻術型倒達技術『KAGEROU』を発動させた。


 彼女を取り囲んでいた炎の海が、途端に弱まる。炎の揺らめきは、次第に小さくなっていき、最後には、周囲は小さな焚火だけが揺れる空間となった。


 パチパチと、はじける様な音がかすかに鳴る。


 周りの気温が下がるなか、狼尾自身の体温は上昇していた。


「あっつ……」


 狼尾は額に汗を浮かべた。


 この技術は、幻術型新人類の本質に迫るものである。


 幻術型は、肌の細胞を変化させて、色のついた粘液を産生する。これは、意識的に行うことができるとされているが、どのような機序で行われているのかはまだ明らかになっていなかった。


 実は、この色素の産生は、体温を変化させることによって行われているのだ。


 細胞は、特定の温度のまましばらく保つと、特定の色を生み出す。例えば、高温であれば黒赤色、低温であれば透明色といった風に。幻術型の新人類は生まれ持って感覚的にこれを操っているのである。


 幻術型の倒達技術も、この応用による。『KAGEROU』は、周囲の熱源を一度皮膚細胞に取り込む。そして、狼尾の体色を黒色に染めたのち、貯めた熱をターゲットに向かって放射する。


 一度吸収して放出する点では呪術と似ているが、この技術は熱を熱のまま、変換せずに放出する点で異なる。よって、対象にもたらす効果も、熱が起こすものによる。


 狼尾が放出した熱は、対象の脳を障害する。高温に侵された脳は、現実を認識できなくなり、幻覚を見る。ここへ狼尾が誘導するように催眠術をかければ、好きな幻覚を見せることもできるが、そうしなければ、多くは熱さに関係する幻覚、すなわち『炎』の幻影を見るのである。


 倒達技術としては異例の、存在しない炎を操る技術。


 『KAGEROU』は相手を殺さずに無力化することがもっとも容易な技術なのである。



「まあ……もちろん多く熱を送れば死ぬし、実際に発火させて脳を焼き焦がすこともできるみたいだけど、さすがにしないわ」


 狼尾は、獅子頭奈保を下し、勝ち誇ったように歌をうたう那須花凛に対し、『KAGEROU』で集めた熱を放射する。戦闘が終わり、体力が付きかけていた那須は、容易にその網にかかる。



     〇


 炎が鎮火してきて、思考が多少できるようになったが、いまだ火傷の痛みは継続していた。俺は、立ち上がることが、もうできない。


 もし、俺を見下し勝利の歌をうたう彼女に、まだ呪術が放てるというのなら、俺はもう焼き焦がされて殺されるだけだろう。


 さすがに、死を覚悟した。


 走馬燈ではないが、いままでの人生で恩がある人々が頭のなかで流れていく。


 伊豆麻里。俺に笑顔で付き合ってくれる少女。天使のような女の子だ。


 砂川徹。自信がないといいつつも、身を挺して俺を守ってくれる大人。


 蟻沢春。俺をいつも気にかけてくれ、からかってくれる女性。


 滋養風太。俺にはできないがむしゃらで、先陣を切って俺の道を切り開いてくれたひと。


 狼尾保奈。まだ、全然話せていないが、あいつは俺を許してくれるだろうか。




 そして、俺の愛する少女、滋養風犬。


 ……あれ、そういえば、こいついまどこにいるんだ?


「あー……最後に、会いたかったなあ……」


          〇


 目の前に横たわる少年、獅子頭奈保をまえに、那須花凛はとどめを刺そうとしていた。


 サンジェルのもとから、命からがら奪取したチップは、それだけの価値があるほどの武力となって、ブレーメンという組織を守ってくれた。しかし、それに食い下がるものが、今日は何人も現れた。


 自分と同じ、倒達者。獅子頭との戦闘で、那須は、音楽で改心させるという考えを捨て去った。こいつらを生かしておいては、いずれまた障害となって立ちはだかる違いない。


 那須は、大きく息を吸い込んだ。


 これで、ようやく自分に逆らうものはいなくなる。


 これで、自由に歌をうたえる。


 那須は満面の笑みを浮かべて、マイクに息を吹き込もうとした。


 そのとき。


「……ああっっ……!?」


 那須は、頭を押さえてしゃがみこんだ。突然、頭が熱くなったのだ。


 遠方で、狼尾保奈が発動した『KAGEROU』。それによる熱が、いま那須を捕らえたのだ。


 那須は、急激に上昇する頭部に、苦しむ。体力の消耗により、熱に浮かされたのか。いや、違う。これは、なんだ!?尋常じゃなく熱い!


 そのとき、那須の目のまえに突然炎が現れた。


 無論、自分が発生させたものではない。それなのに、とつぜんその炎は現れた。


「熱い……熱い……!!!」


 まさか、ここまで来てしっぺ返しがくるとは。那須は攻撃を受けていることを考え、あたりを見渡すが、目に映るのは、真っ赤な炎だけであった。


 状況がわからない。熱い。熱い!


 ここじゃ、終われないのに!


 私は!天宮シオリのために、キラキラ輝くアイドルにならなきゃいけないのに!


 那須は、混乱したまま、最後のちからを振り絞って、マイクを握った。


「はっぴいばあすでいいいいいいいいいいい!」




 狼尾保奈のからだが発火した。


「わっと!」


 苦しむ那須を、安全圏から見ていた彼女であったが、最後に那須が乱射することは想定していたので、冷静に吸熱し、火を鎮火させる。


「あぶなあ……」


 一安心した狼尾であったが、見ると那須花凛は、ふらつきながら、多方向に向かって歌をうたい続けており、次にまたこちらに無差別攻撃の被害がくるかわからなかった。


 ……とどめをさしたつもりが、刺激してしまっただけらしい。狼尾は若干反省してから、どうこの場を納めるかに考えを移行した。


「殺さずには無理か……?」


 兄、獅子頭奈保ほか倒達者たちを立て続けに相手にした那須は、すでに限界であることが考えられた。しかし、あのような死にかけが、恐ろしい。迂闊に手をだすと、文字通り火傷してしまう。仕留められるなら、この場で仕留めるのが正解なのだろうが。


「……殺しは、したくないな」


 狼尾は、『KAGEROU』の追加使用をためらっていた。ここで、那須を殺してしまえば、自分がこれから掲げる予定の、理不尽な世界の是正が口にできなくなる気がしたのだ。那須は、支配からの解放を望むもの同士、手をつなげるはずなのである。


「くっそ……」


 あたまをかきむしる狼尾。その間、辺りはさきほどとは比べ物にならないほど、炎の大海となっていく。



      〇



 俺は、薄れゆく意識のなか、暴走する那須の姿を見ていた。


 あーあ。


 こんなとき、風犬がいてくれたら、どうにかしてくれるんだろうけどなー。

 頬につく土の臭いをかぎ、俺は目を、閉じ……る……。

 

 

 そのとき、俺の顔を覗きこむ幼女が現れた。


「やっほー」


「……サンジェル?」


 そこにいたのは、幼女だった。テロリスト、サンジェル。いまさら現れて、なんの用だ。藍色の髪の毛を悠々となびかせ、場にそぐわない呑気な声を出す。


「いやー、なかなかひどい状況だねえ。もっとどうにかならなかったの?」


 いままで隠れていたくせに、なんという言い草だ。しかし、俺は文句をいう気力も残っていなかった。


「でも、ま、頑張ったよ、みんな。あとは君の愛するあの子に、なんとかしてもらいな」


「……え?」


 まさか、風犬が京都に来ているのか?北海道から、わざわざ俺を助けに駆けつけて?


 感激で、目頭が熱くなる。


 なんということだ……あいつは、そこまで俺のことを心配してくれたのか?



 ありがとう!風犬!愛してる!



 ……しかし、どこにいる?サンジェルの隣にはいないし、辺りは火の海だ。


 疑問を持ったその時。


 轟音が、天井から鳴り響く。


『ドドドオオオオオオン!!!!』


 音のしたほう、つまり上を見ようと顔を上げると、大量の瓦礫が降ってきた。


「うわあああああ!?」


 落下してくるコンクリートの塊に、どこに残っていたのかわからない悲鳴が飛び出る。


 火の海に、どんどん落ちてくる塊は、いくつかの炎の群を消火する。


 しかし、それは新たな脅威が現れただけのこと。むしろ、この場所はさっきより危険になった!


 なんだ!?なにが起こった!!!


 人工照明は逆光になり、落下物の色を黒く染める。さまざまな個性を見せる瓦礫のかたち。


 そのなかに、『人型』の瓦礫があった。


 否、瓦礫ではない。


 それは、まぎれもない、人であった。


 さらに言えば、少女であった。


 

 後ろで縛った髪の毛を、一本のしっぽとして携えて。

 だぼだぼのハーレムパンツを風にたゆませて。

 腕に纏う薄い布をなびかせて。

 その少女は降ってくる。



「どおおおおおんんん」


 その音は、少女が発した声であったが、実際ドームの天井から落下して、着地した衝撃はそのくらいの音量を生んでいた。


 舞いおこる砂煙のなか、小柄な少女が浮かび上がる。



 サンジェルが呆れたようにいう。


「砂川がよく、上から降ってくれるように現れるって言ったら、自分もしたいって言いだしてさ。……生身でできるってどんなからだしてんだか」


 錯乱する那須の耳にも、その名がくっきりと響いた。




「滋養 風犬!ただいま登場!……いえーい、待った?奈保ちゃーん」




 もう一人の武術型倒達者。

 『怪獣』滋養風犬。


 蹂躙、開始……。

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