新しい道
3月になった。
麗花と初響が同時に退職し、小春庵のスタッフの数は一気に減ったが、その穴はひとまずは蘭と華が埋める形となった。
蘭はこれまでの勤務時間は週に18時間だったが、正社員になると1日7時間✕5日で35時間となるので、ほぼ2倍だ。
と言ってもシフトはかなり組み直して調整する必要はあるし、厳密には正社員は4月からなのだが、3月の移行期間は多少は勤務時間がオーバーしても問題ないだろうとのことで、春子にとっては大きな安心材料だった。
また、華は基本的には自分の趣味に費やす時間を多くとっているが、こういう臨時の場合には非常に助けてくれるので、春子にとっては嬉しい存在である。
春子は紙とペンを持ち、考える。
蘭が毎日9時半から17時半まで入ってくれるのなら、アルバイトは12時から14時半の短時間だけで足りる。
しかし2時間半だけのアルバイトに来てくれる学生さんはいるだろうか。
むしろ小さい子供のいる若いお母さんの方が都合が良いのかもしれない。
うーん、と春子が唸っていると、華が
「春子さんどうされたんですか?」
「いやー4月からのシフトなんだけどね、平日12時から14時半の短時間だけバイトさんに来てもらえたらありがたいんだけど、そんなのに応募してくれる人いるのかなぁって。しかも土日は11時から15時で来てほしいのよね。そして蘭ちゃんの休日は丸一日来て欲しいのよね」
春子は言いながら、なんて身勝手な、と思う。
「華ちゃんの希望にもなかなか合わないかもしれないわ。ごめんなさいね。どうしようかしら」
華は春子の手元のメモを眺める。
「これ、絶対に12時から14時半なんですか?」
「いいえ、授業の関係で多少はずれても大丈夫よ」
「うちの大学、2限が終わるのが12:10なので、急いで来たら12時半からなら間に合うんですけどね。もちろん2限がない日は余裕で12時までに来れるんですけど」
「なるほどね、そういう場合は12時半でも大丈夫よ」
「あと、4限がある場合は14時10分までの勤務ならできますね。これも4限がない場合は14時半までOKですけど」
「ふんふん、なるほど」
「もし時間割がうまくいきそうでしたら、私、短時間の勤務が4回とかでも大丈夫です。大学まで往復しますから」
「え、いいの?」
「はい、トレーニングにもなりますし」
「でも坂道よね?」
「大丈夫です!むしろお昼だけのバイトなら夜は毎日自由なので、習い事に費やせますし」
「本当?じゃあそうしてもらおうかしら」
「はい!」
「でも、2限と4限両方ある日に走って往復とかはやめてね。お昼抜きになっちゃうし」
「わかりました。どちらか片方ということで。時間割はある程度自由がきくので大丈夫と思います」
「ありがとう華ちゃん!」
春子の悩みは半分減った。
ただし、あと1人は雇わないといけないのよね…。
考えていると、ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
春子と華が振り向くと、それは常連客大山氏の息子、大山伸一だった。
「こんにちは、上園さん」
「…あ、こんにちは、いらっしゃいませ」
「今日は上園さんにお別れを言いに来たんだ」
「お、お別れ!?」
「うん。実は僕、先月大学に退学届を出したんだ」
「え!?そうなんですか!?」
「実はその前から休学してて全然行ってなかったんだけどね」
前に蘭が、大学内で偶然会うことが1年に1度もないなんて…、と言っていたが、なるほどこういうことか、と華は今になってわかった。
「どうしてなんですか?」
「どうも大学の勉強とは合わなくて。で、お笑い芸人を目指すことにしたんだ」
「お笑い芸人!?」
華はのけぞる。
あまりにも驚きの内容に、春子も厨房から出てきた。
伸一は春子にお辞儀をし、
「4月から大阪にあるお笑い芸人の養成学校に通うことになりました」
と背筋を伸ばしてまっすぐ春子の目を見ながら言った。
「あなたのお父様は賛成されているの?」
「いいえ。父は僕が勝手にオーディションを受けて合格し、大学を辞める決断をしたことに激怒しています。でも意外なことに母が賛成してくれたんです。まあ消極的な賛成ではありますが」
「そりゃまあびっくりされたことでしょうねぇ」
「母が、父のことは時間をかけて説得するからひとまずは行っておいでと言ってくれたので、申し訳ないですがあとは任せようと思ってます」
「あらまあ、そうなのね」
「僕は大山伸一という名前なのに痩せてて背も低くて、でもそれを『小さい大山、伸びない伸一』と面白おかしく自己紹介することでみんなが笑ってくれて、そこからみんなを笑わせることにハマっていったんです。もちろん職業にするには厳しい世界だとは分かっていますが、決めたことなので全力でがんばってきます」
「偉いわねぇ。応援してるわ。いつかテレビに出て、お父様も応援してくださるといいわね」
「はい!」
「じゃ、華ちゃん、大山様のご注文お聞きしてちょうだい」
華はやっとフリーズから解けた。
伸一は笑いながら、
「白沢抹茶を2個、白沢ほうじ茶と小春オリジナルを1個ずつ、合計4個、持ち帰りでお願いします」
「かしこまりました」
華はレジを打つ。
「お母様、寂しくなるでしょうね」
「それはそうだね。でも僕の人生だからね。僕が好きな道を進みたいんだ」
「そうですね。応援してます」
華も初めてまっすぐ伸一の目を見た。
「じゃ、上園さん、体に気をつけてがんばってね」
「ありがとう。大山くんもね」
伸一はドアを開け、晴れ晴れとした顔で歩いて行った。
この物語はフィクションです。作中に登場する人名や地名、校名、お茶やフルーツの銘柄などはすべて架空のものです。一部実在の名称と同じものも混在しますが、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。




