初響の気付き
次の金曜日。
蘭が欠勤したので、代わりに華が早番をすることになった。
午後になって初響が来たので、華は、
「初響ちゃん、今日はよろしくお願いします」
とにこやかに挨拶した。
初響も
「よろしくお願いします」
と小さい声で答える。
華は初響に会ったことはあるが、一緒に働いたことは初めてだった。
おとなしいとは聞いていたが、本当に声が小さい。
でも小さいなりに、指で数字を示したり、メニューを指したりして、工夫はしているようだった。
客足が途切れ、もうすぐ華の退勤時間という時に、春子が厨房から出てきた。
「華ちゃん、初響ちゃん、リフォームの件なんだけど、おととい保健所と消防署に届け出しに行ってきたのよ」
「わぁ、いよいよですね」
「2階の部屋、新しい畳に張り替えることにしたの。ゴロンと寝転がれるようになるわよ。私この前事務処理してた時めちゃくちゃ眠くて横になりたかったから、新しい畳が楽しみなの」
「あれ?テーブルと椅子っておっしゃってませんでした?」
「最初はそう思ってたの。板張りにして今のスタッフルームのテーブルそのまま持って上がろうかって。でも土足より靴を脱いで畳に上がる方がくつろげるでしょ?」
「…」
「麗花さんと真凛ちゃんが足伸ばせるってはしゃいでたわ。お座布団もふかふかのにしようと思うの」
華が黙り込んでしまったので、初響が小さい声で
「くつろげるの、いいですね」
と答えた。
そこへお客様が来られ、初響がオーダーを聞きに行った。
どうやら小春スペシャルのようなので、春子が用意しながら、
「じゃあね、華ちゃん、時間だから上がってね。お休みなのに来てくれてありがとう。助かったわ」
と言い、華は
「お先に失礼します」
と帰って行った。
夕方、春子と初響が後片付けをしている時、初響が
「春子さん」
と話しかけた。
「華さん、今日2階が畳になるって聞いて、ショック受けてたように思ったんですけど…」
「あ、そういえば無口だったわね」
「あの…。ちょっと言いにくいんですけど…」
「なあに?遠慮なく言ってね」
「あの、華さんもしかして畳に座るのはしんどいんじゃないかな、と。体型が…」
「あー、ぽっちゃり体型だものね」
「私、妹がいるんですけど、太ってて、床に座るのが苦手なんです。小学生の頃はじゅうたん敷きの多目的室の授業の日は休んだりしてたんです。座るのも立ち上がるのもしんどいらしくて」
「そうなのね。深く考えてなかったわ」
「でももう畳になるのは決まってますよね」
「そうねぇ。決めちゃったわねぇ。まさか畳が居心地悪い人がいるとは予想外だったわ」
「ただの私の想像なんですけど」
「いやぁ、でも多分合ってるわね。言った直後から無言で浮かない顔してたものね」
あの時確か、麗花と真凛がはしゃいでいたことを話した。
よりによって特別に細い2人が喜んでいる例を出してしまったので、これはさぞかし華が落ち込んでいるだろう。
春子は
「やってしまった…」
と頭を抱えた。どうしよう…。
「あ、そうだ!」
春子は先日行った「うめのはな」の掘りごたつを思い出した。
「初響ちゃん、掘りごたつ式にするのはどうかしら?この前行ったお店に、こたつの機能はないんだけど、形だけ掘り下げたのがあったの。あれならぽっちゃりでも座りやすいかしら?」
「妹は家の掘りごたつなら楽みたいなので、きっと華さんもそうだと思います」
考えてみると春子も60を過ぎて、膝が時々痛くなることもある。これから先は自分も掘りごたつ式の方が楽なのではないだろうか。
そして、もしかしたら若い人たちも、畳でくつろげるのは嬉しいとしても、ごはんを食べる時は掘りごたつの方がいいのではないだろうか。
太っているか痩せているかは関係なく。
「ちなみに初響ちゃんは掘りごたつとフラットな畳だとどっちがいい?」
「私はいつも休憩なしなのであまり関係ないんですけど、もしお弁当を食べるなら、掘りごたつとか、椅子みたいな形のがいいです。どちらかと言えば、ですけど」
「やっぱりそうか…。ありがとう。ちょっと考えてみるわ。教えてもらって本当に助かったわ」
「いえいえ」
春子はまず古沢工務店の社長兼担当者、古野に電話をして事情を話してみた。
「いやぁ、古民家でも掘りごたつはできるんですけど、2階は厳しいですねぇ。文字通り掘って下げないといけないんですけど、1階と違って下は屋根ですからね」
「あー、考えたらそりゃそうよね」
「梁や柱の位置によっては神業的にうまくできる場合もあるんですけどね。図面と現地をよく調べないとはっきりとは言えないですけど」
「でも無理の可能性の方が高いわけね」
「はい。でも代替案はあります」
「どんなの?」
「まずは、小上がりのユニットを畳の上に置いて、上げてから下げるパターンです。2人ぐらい食事できるような小さい小上がりを乗せたら、そこだけ掘りごたつみたいになって、残りのスペースは普通の畳として使えます」
「へぇ、そんなのがあるのね」
「またはもっと簡単なのは、畳専用の和風のテーブルと椅子を置くやり方です。これがいちばんシンプルです。予算もかなり少なく済みます」
「畳専用の椅子なんてあるのね!専用だから置いても畳は傷まないようになってるわけね」
「はい。ご心配なら敷物も敷けば完璧です」
「畳用の小さいテーブルと椅子の他に、小さいちゃぶ台とお座布団も置いて、上でも下でもご自由に、って感じでもいいかしらね」
「それはいいですね。食べ終わったら下に座ってくつろぐ人もいるでしょうし」
「ありがとう。じゃあスタッフにアンケート取ってからまた電話するわ」
「ありがとうございます。いやぁ、スタッフ思いのいいオーナーさんですねぇ。休憩室にこんなにかけてくれるとは」
「スタッフがいい子ばかりなのよ。じゃ、またね、ありがとう」
春子は次にみんなの意向を聞いて回ることにする。
まず翌日に蘭に、その次の日に麗花と真凛に聞くと、全員一致で、
「板張りよりは畳がいい、でもごはんを食べるのはテーブルと椅子がいい」
とのことだった。
真凛によると、
「板張りにテーブルも、畳にちゃぶ台も、それぞれメリットとデメリットはありますけどね、でも畳にテーブルやったらメリットしかないですね。寝転ぶのもできるし、食べる時は椅子に座れるし、ええとこ取りですね」
「やっぱりみんなそうなのね」
「だって、お座布団に座って食べてたら、だんだん足が痛くなってきますもんね」
「細い人でもやっぱり床に長く座ると痛くなってくるの?」
「なります。お肉がない分痛いです。お肉がたくさんある人も床に座るのはしんどいって聞きますけどね」
「麗花さんも痛くなる?」
「なります。真凛ちゃんほどじゃないですけど私もまあまあ痩せタイプなので」
「ふーん」
春子が考えこんでいる横で、2人は雑談している。
「麗花さんと私って、背は同じくらいですよね?155cmぐらいですか?」
「うん。一緒ね。私は40kgか41kgぐらいだけど、真凛ちゃんは30kg台よね?」
「はい。ここに来てからちょっと増えましたけど。このまま増やして、目標40kgです」
「40kgでもまだ健康診断では『低体重』って赤字で書かれるわよ」
「あー、でもまあそれ以外の数値がOKならいいですけどね」
「あとは備考欄に参考までにって感じで『胃下垂』っていつも書かれてるわ、私」
2人は笑った。
「蘭さんなんて身長も体重も平均ぐらいな感じだし、接客も癖がなくて万人に好まれる感じだし、喋りすぎずおとなしすぎず、全てがちょうどいい感じで理想ですよねぇ」
「確かに。私らはちょっと癖ありだし喋りすぎの傾向あるけどね」
麗花と真凛は自虐的に言い合っているだけなのだが、ここに華がいなくて良かったーと、春子は胸をなで下ろした。
まあこの2人のことだから、華がいる前ではこの話題は出さないだろうけど…。
そして最後に華に話を聞くことにした。
次の華の勤務日は真凛が一緒だったので、しばらくの間は接客を真凛に託し、華をスタッフルームに呼ぶことにした。
華は来た時から既にブルーな雰囲気を醸し出している。
「華ちゃん、リフォームの件なんだけど、2階の部屋、畳の上に和室専用の小さいテーブル置こうかなと検討中なんだけど、どう思う?」
「えっ、それは嬉しいです」
華にちょっぴり笑顔が戻った。
「椅子の方が食べやすいわよね?」
「はい」
「でも1人用の小さいちゃぶ台とお座布団も置いて、どちらを使ってもいいよみたいにしようかとも思ってるの」
「それだとそれぞれの好みで使えますよね。私は椅子になると思いますけど」
「じゃあその方向で進めるわね。最初は掘りごたつにしたかったんだけど、難しいみたいだから、代替案なんだけどね」
「いえ、じゅうぶん嬉しいです。ありがとうございます」
華は一応笑顔にはなったが、何となくまだ完全ではないような感じだ。
しばらく2人は黙った。
「最近困っていることはない?」
「うーん、困っていることですか…。むしろ、困っていないことが困っているかもしれないです…」
「え?」
「…新しいスタッフさん4人、皆さんあまりにも優秀で、1年間働いてる私よりよくできて、一緒に入って困ることは全然ないんです。それがむしろ落ち込んじゃうというか…」
「なるほど、それなのね、まだ浮かない顔してるのは」
「初響ちゃんは動画編集が上手でSNSの投稿すごくおしゃれに作ってるし、蘭さんは初日の午前だけで全てが完璧にできて優等生って感じだし、真凛さんは人懐っこくて誰からも好かれるし、麗花さんは藍子さんそっくりでめちゃくちゃ可愛いし。で、全員仕事よくできるんですよね」
「華ちゃんもここの仕事は何でもできて優秀よ」
「私は入ったばかりの頃はミスばかりして、ヒカルさんにさんざん怒られてました。でも今の皆さんは、私みたいなミスしてる人見たことないです」
「それはね、社会経験があるからよ」
「社会経験?」
「他のところで働いたことがあれば、接客の仕方や機械の扱い方なんかはある程度共通しているでしょ。例えば華ちゃんが他のカフェにアルバイトに行くとするわね」
「えっ、私はここがいいです!」
「もちろん、例えばの話ね。他のカフェに行っても、食洗機、クレジット端末なんかはそこそこ操作は似通ってるから、華ちゃんも初日からすぐに使えるようになるわ。あと、ご注文の聞き方も、メニューさえ把握できればすぐにできるようになるわ」
「そうでしょうか」
「少なくとも去年初めてここに来た日よりは比べものにならないくらい早く習得するはずよ」
「…」
「働いた経験だけでなく、長く生きていたらお客さん側としての経験も増えるし、たくさんの人と接するし、いろんな経験が積み重なってその人の力になるのね」
「…はい」
「華ちゃんももう既にいろんな経験を重ねて、ずいぶん成長してるのよ。私が言ってるんだから信じてちょうだい。自信持ってね」
「はい」
やっと自然な笑顔が少し出てくる。
「あと…」
「あら、まだあるの?」
「はい。なんか新しい4人の方、みんな背も小さめで細くないですか?私、1人だけ太ってて、突出してジャンボサイズって感じで、目立つのが嫌だなぁって…」
「それは人それぞれの個性だからね。痩せすぎの人もその人なりの悩みを抱えてるし、背が低いと棚に手が届かないから、高い人が羨ましいわけだし。でも本気でどうしても嫌だったら、運動してちょっと引き締めるのもいいかもしれないわね」
「運動ですか」
「食べるの減らすのは楽しみが減っていやでしょ?だから消費量を増やすの。あ、ヒカルちゃんに久しぶりに連絡して、紹介割引チケットもらって、駅前のジム行くのとかどう?」
「ジムですか…」
「久しぶりにヒカルちゃんにも話聞いてもらってスッキリしてきたら?まあ直接会うのは難しいけど、メッセージは送れるんでしょ?ヒカルちゃんがスポーツクラブで活躍してる話も聞けるわよ」
「はい。…そうですね、そうしてみます」
華はやっと笑顔になった。
「春子さんありがとうございました。春子さんって人を元気にさせる天才ですね」
「そんなことないけどね。華ちゃんが元気になってくれて嬉しいわ。リフォームの話はまた進んだら言うわね」
「はい!ありがとうございます!」
華は仕事に戻り、真凛は
「おかえり〜」
と華の背中に腕を回して寄り添った。
この物語はフィクションです。作中に登場する人名や地名、校名、お茶やフルーツの銘柄などはすべて架空のものです。一部実在の名称と同じものも混在しますが、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。




