心ほぐし
6月になった。
新しく入ったスタッフ4人はみんなずいぶん仕事に慣れ、春子は安心して販売を任せられるようになってきた。
ある日、麗花と真凛が勤務していた時に、ドアが開き、初響が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
2人が振り返って声を揃える。
「あの…私、ここでアルバイトしてる網野初響と申します」
「えっ!」
「あ、SNSやってくれてる方?」
奥から春子が出てきた。
「初響ちゃんこんにちは。こちらはパート主婦の麗花さんとアルバイトの真凛ちゃんよ。曜日が違うから会ったことないわよね」
「初めまして」
初響は消え入りそうな声で挨拶する。
「初めまして。よろしくね」
麗花も真凛もニッコリする。
「今日は初響ちゃんはシフトには入ってないけど、ちょっとSNSの相談にだけ来たのよ」
春子が説明する。
「あの小春庵のSNS、いつもおしゃれにできてますよね」
「そうですよね。小春スペシャルを作る動画とか、最後に金箔がキラキラして、めっちゃ綺麗で美味しそうで、食べたくなりました」
麗花も真凛も口々に褒める。
麗花は初響の方を向き、
「私、あの求人投稿を見てここに応募する決心したのよ」
と言った。
麗花は藍子から紹介されたのが最初のきっかけで、夫がここの常連であることも関係していたのだが、店に出向く前にSNSの求人投稿を見たのも事実ではあったので、ちょっと大げさだが初響を褒める感じに言った。
「え…!ありがとうございます」
初響は耳を澄ませないと聞こえないような声だったが、ちょっぴり声に嬉しさが混じった感じで、麗花はホッとした。
その後初響は奥に行き、スマホを見せながら春子と何か相談を始めた。
麗花と真凛のところまで声は聞こえないが、10分ほどあれこれ相談したあと、初響は出てきた。
初響は帰ろうとドアに向かったが、ちょうどそこへ源田が納品に訪れた。
「まいどー」
「あら源さん、おつかれさま。ありがとう」
春子が出てきた。
「源さんありがとうございまーす」
納品物は真凛が受け取ってサインをする。
もともと源田は3月までここで働いていた藍子の大ファンだったので、藍子にそっくりでなおかつ10歳以上若い麗花が来たら間違いなく麗花ファンになるだろうと春子は予想したのだが、案外麗花に対しては普通の対応で、むしろ真凛といちばんよく喋っているようだ。
もっとも真凛は若旦那とも煎ともサカちゃんともよく喋るので、源田だけに限らないのだが。そして真凛は親しくなればなるほど関西弁が出る。
「よう、マリン、儲かりまっか?」
「何ですか源さん、ぼちぼちでんな、って言ってほしいんですか?」
「あれ、関西人はこういう挨拶するんじゃないの?」
「あれはギャグというかネタというか、本当に言う人はいませんよ」
「へぇ、そんなの?」
「まあコテコテの大阪人は知りませんけど。私は神戸人なんで」
「大阪人と神戸人は違うの?」
「違いますよ、言葉も」
「へぇ。どんなところが違うの?」
「神戸人は『◯◯してる』を、『◯◯しとう』って言います。例えば、何があるかなぁ」
真凛はそばにあったトレーを取り、
「このお盆の塗装、はげとう、とか。…あ!!」
真凛は源田の頭を見て口を押さえた。
「おいマリン、オレの頭見てヤバい!っていう顔したな」
「してませんよ。源さん、フサフサやないですか。別にヤバくないですよ。でも一応例文は変えますね。例えば『大阪弁と神戸弁の違い、知っとう?』みたいに言うのが神戸弁です。大阪弁やと『知っとる?』です」
「ほとんど一緒じゃん」
「違いますよ。神戸の方がちょっぴりおしゃれ風です」
「マリンが言っても説得力ないなぁ」
周りのみんなは笑いながら聞いている。
春子は、
「あなたたち漫才師みたいね。コンビ組めば?」
「いやですよ。なんでうら若き乙女が60のオジサンと組まなあかんのですか」
「マリンがうら若き乙女!?それだとオレは紅顔の美少年だなぁ」
「び、美少年!?あ、50年前のことですね、あーはいはい」
帰るタイミングを逃して立ち尽くしていた初響が、珍しく笑いをこらえて下を向いて口を押さえた。
「さあ、ではでは仕事に戻りましょう。元、紅顔の美少年さん、ありがとうございましたー」
真凛は源田に手を振り、初響の背中に手を当てて、
「初響ちゃん、お疲れさまでした。また会おうね」
と言う。
初響も笑顔で
「はい、失礼します」
と帰って行った。
「さあて、オレも帰るわ。あ、春ちゃん、次の注文は?」
「はいこれ、よろしくね」
春子は源田に注文書を手渡す。
「もしかしてあなたたち、おとなしい初響ちゃんを笑わそうとしてサービスで即席漫才やってたの?」
「いやいやいや」
「ちゃいますよ、そんなん」
「じゃあまた来週ー」
源田は帰り、真凛もカウンターの中に戻ったが、春子はみんなで初響の心をほぐそうとしてくれているのかなと思い、嬉しかった。
その後入ってきたお客様に、麗花が対応する。
「いらっしゃいませ」
女性客はツンケンした態度で、
「ワッフルちょうだい」
と言う。
麗花は、
「ワッフルは3種類ございますが、どれになさいますか」
と優しく言う。
女性客は
「はぁ?3種類?知らないわよ」
となぜか怒っている。
麗花はゆっくりした優しい口調のまま、
「こちらはシンプルなもので、いちばん人気なんですよ。こちらの2つは、抹茶とほうじ茶なんです」
「え?ほうじ茶」
「はい」
麗花はうなずく。
「おいしいの?」
女性客は相変わらずとげとげしい口調で聞くが、麗花は
「はい、お茶の香ばしい香りがして、美味しいですよ」
もう一度女性客の顔を見て、大きくうなずき、ニッコリする。
「…。じゃあそれ1つ」
「はい、ほうじ茶お1つですね」
「…2つ」
「はい、ほうじ茶お2つですね、かしこまりました。お持ち帰りでよろしいでしょうか?」
「うん」
女性客は少し気持ちが落ち着いて来たようで、財布を出して支払いをした。
麗花が振り返って中を見ると、真凛がもうワッフルを包んで紙袋に入れてくれている。
「はい、お待たせいたしました」
と手渡し、
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
2人で並んでニッコリと見送る。
女性客はドアに向かったが、立ち止まって振り返り、ムスッとしたまま
「…ありがと」
と小さい声で言って出て行った。
春子が出てきて、
「2人とも、相手の気持ちをほぐすのうまいわねぇ」
麗花は、
「そんなことはないですけど、今の方はなんか他のことでイライラしてたんでしょうね。こちらがゆっくり落ち着いて喋ってたら、だんだん向こうも釣られて落ち着いてくるかなと思ったら、ちゃんと釣られてくれて良かったです」
真凛が、
「麗花さんの、大きくうなずいてニッコリするの、効果ありましたよね。保育園でも、不安な子供に大きくうなずいてあげたらちょっと安心してくれる気がします」
「あ、それは保護猫にも通じるかも。私はネコちゃんと信頼関係を築くために、味方だよってゆっくりまばたきしてアピールするんですけど、大きくうなずきながらまばたきしてるんです。何となく安心感あるかなと思って」
春子は、
「なるほどね、お2人ともそういうところで人の心をほぐす共通点があるのね」
麗花と真凛は嬉しそうに顔を見合わせた。
「めったにないけど、たまーに入ってきた瞬間からものすごく怒ってる人とか、絶対に返事をしてくれない人とかいるのよね。でもあなたたちなら安心して任せられるわ。ありがとう」
「いえいえ」
「でも、私はネコちゃんとしか接していないので、真凛ちゃんの人との接し方を見てまた勉強していきます」
麗花が言うと、真凛も
「いえいえそんな、私のほうこそ麗花さんの穏やかで優しい接客を見て勉強していきます」
「ありがとう。本当にいいスタッフに恵まれたわ」
この物語はフィクションです。作中に登場する人名や地名、校名、お茶やフルーツの銘柄などはすべて架空のものです。一部実在の名称と同じものも混在しますが、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。




