6. 立ちはだかる者
ニクスは自分の口から出た言葉に、目を見開いた。
――今、口にしたのは名前、か?
答えを探るより先に脳裏に幾重もの映像が押し寄せてくる。
「――っ!」
ほとんどは形を成していない。だが、その中に一つだけ、止まるものがあった。霞のように消えた夢。その実像が結ばれる。
数多の剣が浮かび、淡い金色の髪に黄金の眼をした少女。
ニクスの意識はそこで引き戻された。頭を振り、こめかみを押さえる。
横から神の声が聞こえてきた。
『どうした?』
「いや……なんでもない」
ニクスはそう答え、改めて彼女を見た。体にはいくつもの蔓が絡まっており、すすけた布製の衣服を身にまとっている。ところどころ破れた隙間からは白磁の肌が覗いていた。長い髪が床にわずかに触れている。
寝息のようなものは聞こえないことから、眠っているようには見えない。ただ、黙して依然として壁に背を預けている。
ニクスは神に訊ねた。
「この子を目覚めさせればいいのか?」
『ああ、その通りだ』
「そもそもこの子は生きているのか」
『彼女は死んでいない』
生きているのではなく、死んでいない? 微妙に回答になっていない答えに少し引っかかる。
ニクスは彼女に視線を戻し、問いかけた。
「目覚めさせるにはどうすればいい」
『キサマが持っている武器のように彼女に魔力を注げばいい』
神の言葉に眉がピクリと動いた。
"キサマが"、か。二度目だな。
神にちらっと視線を向ける。このまま提案に乗るにしても、手放しで目的を達成されると逃げ道がなくなってしまう。今までのやり取りからして、言葉が通じないわけでもない。それにこのまま言うことを聞いたとて、ラピスが解放される確証はない。それなら――。
ニクスは一度軽く息を吐き、意を決して、神へ向き直る。
「提案がある」
『提案?』
「お前が言うとおりに彼女を目覚めさせる。だが、先にラピスを解放しろ」
『……主導権は、我が握っているのを忘れたのか?』
「お前はさっき、"キサマが"と言ったな。つまり、俺が魔力を流さないと目覚めさせられないんだろ? 俺がいなくてもできるなら、ラピスの体でできたはずだしな」
神の目をしっかりと見据えながら口にする。
「お前がラピスを解放したら彼女に魔力を注ぐ」
神の視線が考えるかのように移動する。無意識に肩の力が入る。
どうだ、いけるか……?
『……いいだろう。ただし、手中に収めていることは理解しておくのだな。約束を破れば、文字通りこの娘がどうなるかは分からない』
ニクスはその言葉にうなずく。
『よい。なら、返そう。キサマの妹を』
神はそう言い、ラピスの体が黄金に光る。すると、ラピスの体が崩れるように倒れてきた。
「ラピス!」
ニクスはとっさにラピスの体をかばう。
息はしている。倒れる瞬間、瞳の色が戻ったように見えたから、そちらは大丈夫だと思うが、髪の方は変色したままだ。高濃度の魔素を吸収しすぎると、身体に影響が出ることがある。今の状態からすると魔素の影響が抜けてないのは間違いない。
ポーチから常に携帯している魔力測定器を取り出し、ラピスに当てる。魔素を過剰に吸収したのであれば、基準よりもはるか上になるはず。
測定完了の音が鳴った。数値を確認するが、基準値よりは少しばかり上。だが、危険域というほどではない。異形化していない点からも魔物化はしていないと考えてよさそうだが……。
しかし、何があるか分からない。早めに診てもらった方がよさそうだ。
ニクスはそのままラピスを壁にゆっくりともたれさせた。
先ほど神に言われた通り、約束を破ればラピスがどうなるかは分からない。今回の取引については、少なくとも応じる必要がありそうだ。
ラピスの頭を軽くなでる。
「少しだけ待っててくれ」
ニクスは壁にもたれかかった少女へ視線を向ける。
魔力を注げば、目覚めるという話だが……。ひとまず、魔装器と同様の手順で試してみるしかないか。
彼女の前に立ち、手を伸ばす。触れる直前――後方から静かな声が聞こえてきた。
『そこまでだ』
ニクスはその言葉に振り返った。そこには薄汚れたローブを羽織った人物がいた。フードの奥は暗闇となっており、顔が見えない。花畑で現れた魔導士は白いローブを羽織っていたから、別人か……?
少なくとも扉は閉まっていたはずな上、気配すら感じなかった。いったいどこから現れた?
ローブの人物はこちらに話しかけてくる。
『彼女に手を出すのはやめてもらおう。お前は彼女にとって災いの種でしかない。従うのならお前と妹をここから出してやる』
ニクスは眉をひそめる。そして、後方の少女をちらっと見た。
――お前は彼女にとって、災いの種でしかない。
何故だか分からないが、その言葉が胸に突き刺さった。
今、何よりも優先すべきはラピスの安全確保だ。しかし、頭ではそう考えていても、ニクスの手は自然とホルスターにかけられていた。
――彼女をこのままにはしておけない。
情動が体を駆け巡るまま、魔装銃の銃口をローブの人物に向ける。
『それが答えか』
ローブの人物がそう答えると、突如として、手に剣が出現した。
何もないところから剣が……? 今日は本当に不可解なことしか起こらないな。
ニクスは内心愚痴りながら、魔装銃を向けたまま少女とラピスから離れるように移動。ローブの人物の前に躍り出る。どちらが先に動くか。魔装銃を握る手に力が入る。
ローブの人物が腰をかるくかがめて駆け出した。それを合図にニクスは右に飛ぶ。狙うは向かって左足。発射。
ローブの人物は剣を下から掬い上げるように魔弾をはじく。剣の剣先が少し焦げ、衝撃のせいか左に重心を寄せるような動きをみせた。
『火とは物騒だな』
「剣を向けてくる奴に言われたくないな」
ニクスは左右にステップを踏み、魔弾を二、三発発射。すべて、ローブの人物の向かって左側へ行くように放つ。だが、剣で弾き落とされる。その攻防を幾度か繰り返していると二人は扉側に寄っていた。ローブの人物がラピスたちがいるほうへ顔を動かす。
『なるほど、彼女たちから離したか』
「あのままだと、巻き込みそうだったからな。あの少女ならともかく、お前はラピスを巻き込むことに抵抗はないんじゃないか?」
『……ふ、確かにそうだな』
ローブの人物は左足を大きく踏みしめる。あたりに石片が舞った。そのまま左足を軸に右足を回転させ、石片に蹴りを入れる。
まずい!
ニクスはとっさに右に飛び、石片の雨を回避する。そこにすかさず、ローブの人物は突進。ニクスは魔弾を何度か放ち、けん制する。剣で撃ち落とされるが、代わりにニクスは向かってくるローブの人物に突進した。
『っ!?』
ローブの人物がそのまま慣性に任せて、剣を振り下ろすも、ニクスは体を回転させ、それを回避。ローブの人物とすれ違いざまに魔弾を発射。着弾。
『ぐぅ!』
ローブの人物は苦悶の声を上げ、その場で崩れた。ニクスは油断なく、振り返り、魔装銃を向ける。すると、先ほど着弾した箇所の傷が急速にふさがっていく。その状態を見て、今度はニクスが驚愕する。
「お前、魔物か……?」
そう認識した瞬間、手が一瞬震えた。ローブの人物はそれを逃さず、ニクスの横腹に拳を叩きこむ。
「ぐはっ!」
石床を何度か転がり、すんでのところで体勢を立て直す。魔装銃を構え直すが、その指は震えたままだ。息を整えようとするもうまく整えられない。
『恐怖を感じるその手で彼女を守れるのか?』
ローブの人物が近づいてきて、剣を振り下ろす。ニクスは右によけ、尻餅をついてしまう。
「はあ……はあ……」
魔装銃だけはローブの人物に向ける。ローブの人物は剣で魔装銃をとらえ、弾いた。そして、魔装銃は右に弧を描き、飛んでいく。
「くっ!」
剣先を向けられる。ローブの人物が剣を振り上げると、ニクスは腰のポーチに手を入れ、すかさず白い属性魔石を取り出し、右に投げると同時に顔を左側に背ける。軽い閃光が目の端で走った。
『!?』
ニクスは起き上がり、魔装銃まで駆け寄ると拾い上げる。そして、ポーチから無色透明のマガジンを取り出し、流れるように赤色のマガジンを抜き取った。残量は1/4。出力は抑えられるが、至近距離なら十分だ。
そのまま無色透明のマガジンを魔装銃に装着。抜き取った赤色のマガジンを握り込み、微量の魔力を送った。未だふらついているローブの人物のわずか上方に放り投げる。すかさず、空中のマガジンめがけて、魔装銃を向け魔弾を放つ。ローブの人物の前でマガジンに着弾し、爆炎が舞った。ニクスは衝撃に耐えるため、しゃがみこむ。
これで……どうだ……。
ニクスはふらつきながらも起き上がり、煙を注視する。呼吸の荒さを整えようとしたところ、煙が盛り上がり、ローブの人物が飛び出してきた。ローブが剥がれ、本来顔のある部分が黒く揺らめいているだけで、実体がなかった。
ローブの人物はそのまま、剣を水平に薙ぎ払ってくる。
ニクスは腕を交差させる。腕に斬撃が直撃。
「くっ!」
だめだ、衝撃を――殺せない!
ニクスは慣性のまま吹っ飛ばされ、壁にたたきつけられた。その衝撃で魔装銃が手を離れ、かなたへと飛んでいく。
「ぐぁっ!」
背中を激しく打ち、呼吸がままならない。視界もちらつき、ローブの人物がゆっくりと歩いてくるのが見えた。なんとか起き上がろうとするもダメージが大きいのか起き上がれない。
ローブの人物が目の前に来て、剣を振り上げる。ニクスは自分の体を守るように両腕を交差する。すると、二人のそばで何かが爆ぜるような音がした。
音の方へ振り向くと、手を震わせながらも飛んでいった魔装銃を手にし、ローブの人物へ向けているラピスの姿が目に入った。先ほどまで気を失っていたはずだ! いつの間に――。
「お、お兄ちゃんから! 離れて!!」
「ら、ラピス! だめ、だ。逃げろ……!」
ローブの人物は剣を下ろす。ニクスをちらっと見下しながら言い放った。
『おとなしく従っておけばいいものを』
そして、ローブの人物はラピスのもとにゆっくりと近づいていく。
「や、やだ! 来ないで! う、うつから!」
ニクスは何とか這ってでも移動しようとする。
「やめろ……! やめてくれ!」
また失うのか。家族を。大切な人を。
体勢を立て直そうともがく。視界の中で一挙手一投足がゆっくりと動いていく。ラピスが怯えながら、尻餅をついている。ローブの人物がラピスの目の前まで迫り、彼女の顔が恐怖にゆがむ。
お願いだ……! 止まってくれ……! 俺は。俺は!
ラピスが縮こまるように両腕で体を抱きしめた。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉ」
その叫びに呼応するかのように、ニクスの首からするりとペンダントが落ち、地面ではじけた。




