第9章 総司令の最後の軍令
第一幕:警報と暴走する巨獣
数年後。
駆魔公安の地下最深部に位置する「第零号研究所」。
『ウゥ————ッ!! ウゥ————ッ!!』
刺さるような真紅の警報灯が狂ったように明滅し、地下施設全体を一面の生々しい血の海へと染め上げていた!
凄まじい地響きが深刻な崩落を引き起こし、天井からは無数の塵と砕石が豪雨のごとく降り注ぐ。鋼鉄製の防爆門は、内部から放たれる破滅的な竜威によってグニャリと著しく変形し、耳障りな金属の悲鳴を鳴り響かせていた。
白衣の研究員たちは、恐怖の悲鳴を上げながら四散して逃げ惑う。
空間に充満する焦げ臭さと、すべてを焼き尽くす狂暴な魔燼の気息が、空気のすべてを支配していた。
「ご、報告します、総司令……! 狂竜王『モルドレッド』が……完全に制御不能に陥りましたっ!」
全身血まみれの研究員が、レイブンの足元へと無様に倒れ込み、狂乱したヒステリックな叫びを上げる。
「被検体が……被検体が、暴走の限界を超えています……!」
第二幕:司令官の命令
レイブンは、すべり落ちそうになった片眼眼鏡を押し上げた。
レンズの奥にある、かつてはどこか世を拗ねて冷めていたその瞳は、今や万年氷河のごとき硬質で、冷徹な決意を宿している。
彼は腰元の電光杖を固く握り締め、身に纏った総司令の戦袍を整えると、低く、しかし揺るぎない冷静さで語りかけた。
「僕が直接赴く……。完全に奴の息の根を止める。それが、僕の職務だ」
「俺も行く!」
傍らに立ち、「鴉狩の大鎌」を背負ったクラウドが、猛然と一歩前へ踏み出した。
その唯一残された右眼には、かつての戦場を思わせる熾烈な戦意が爆発している。
「あの化け物の破壊力は異常だ……! お前一人で止められるわけがねえ! 昔みたいに、背中合わせで――」
「いや、お前はここに残れ」
レイブンは振り返ると、片手でクラウドの肩を強く押し留め、毅然とした口調でその言葉を遮った。
「なぜだ……っ!? こんな時に、俺に残れっていうのかよ!?」
クラウドは苛立ちを露わにして咆哮する。
しかしレイブンは、ふと深々と言葉を呑み込むと、背後にある分娩室の方角へと複雑な視線を投げかけた。
その瞳には、かつて彼にはなかった、極めて温かな朝靄のような光が宿っている。
「……ディアンナが、間もなく子どもを産む。クラウド……この世界で今、あの母子を守れるのはお前しかいないんだ。お前は、彼女の側にいてやらなきゃならない」
第三幕:約定と重い軍令
「だが――っ!」
クラウドは目頭を真っ赤に染め上げ、両拳を血が出るほど死に物狂いで握りしめた。
目の前の敵がどれほど恐ろしい怪物であるか。そして、レイブンが今から向かおうとしている場所が、どれほど絶望的な死地であるか――彼には、痛いほど分かっていた!
動揺を隠せない親友を見つめ、レイブンは自らのなかの温もりを無理やり押し殺し、真っ直ぐに背筋を正す。
駆魔公安の最高統帥としての圧倒的な威厳を纏い、レイブンはクラウドに向かって、出会って以来最も厳格な軍令を下した。
言い訳は無用だ。クラウド――これは、駆魔公安総司令としての、絶対の軍令である!」
クラウドの全身が、ビクリと激しく跳ね上がった。
微塵の躊躇も後退もないレイブンの瞳を見つめ、かつて無敵を誇った「白衣の死神」は、ただ自分の唇を血が滲むまで噛み締めるしかなかった。
唇の端から赤い血が伝い落ち、その唯一残された右眼に、大粒の涙が晶瑩と浮かぶ。
彼は歯の隙間から、最も重々しい威嚇と、そして祈りを絞り出した。
「レイブン……よく聴けよ。お前……絶対に、生きて戻ってこい……! もしそこで死にやがったら……俺は一生、お前を許さねえからな……っ!」
第四幕:抱擁の約束
泣き声の入り混じった親友の不器用な威嚇を聞き、レイブンの口元が、ふっと微かに吊り上がった。
それはまるで、幼少期に孤児院の村で過ごした頃の――あの得意げで、自信に満ちた少年の微笑みだった。
彼はクラウドの胸板を、ポンと軽く叩く。
そして振り返り、激しい崩落を続け、漆黒の竜焰を激しく噴き出す防爆大門へと歩み出した。
重厚な鋼鉄の門が閉じられる、まさに最後の瞬間。
レイブンは振り返り、クラウドに向かって大きく手を振った。その声は、轟音のなかでも温かく、高らかに響き渡る。
「安心しろ……ディアンナと、これから生まれてくるお前たちの子どもを頼んだぞ!」
レイブンは眼鏡を押し上げ、クラウドに向かって最高の笑顔を咲かせた。
「あの双頭のトカゲを片付けて戻ってきたら……お前たちの子どもを、両手で思いっきり抱っこさせてもらうからな!」
『ズザーーーッ――!!』
鋼鉄の防爆門が、重々しく落下する。
二人の世界を分かつ、絶対的な遮断が完了した。
第五幕:竜の谷の悲劇:断臂と絶境遁走
降り注ぐ豪雨。
冷たい雨水は、足元を流れる濃濁した血の河と混ざり合い、黒い火山岩の溝を唸りを上げて下っていく。
かつて天下に誇った四頭の守護飛龍――アグラヴェイン、トリスタン、ガウェイン、そしてランスロット。
彼らは今やその頑強な鱗甲を砕かれ、鮮血を雨のごとく撒き散らしながら、泥濘の中に瀕死の重体で横たわっていた。そしてその周囲には、数百に及ぶ駆魔公安の精鋭戦士たちが、すでに冷たい屍となって一面に転がり、見るに堪えない惨状を呈している。
現場に残されたのは、ただ一人――総司令の戦袍を纏ったレイブンのみだった。
彼の肉体は、狂竜王の巨大で歪んだ左掌によって死に物狂いで締め上げられ、全身の骨格が恐ろしい咬合力の下で、ミシミシと嫌な音を立てて悲鳴を上げている。
「どうしたね、総司令官殿? 誰を連れ戻すと言っていたのかな? 私はいったい、何の罪を犯したというのだ、ん?」
右介の冷徹で刺すような声が、雨夜の谷にこだました。
左側の佐助は狂気を孕んだ尖った失笑を漏らし、その四つの竜眼は、見下すような悪意の戯れに満ちていた。
レイブンの唇は裂け、大量の鮮血が口元から溢れ出して、埃まみれの片眼眼鏡を赤く染め上げている。
しかし、魂すら凍てつかせる絶望に直面しながらも、この「ウロボロスの魔術師」の瞳には、命乞いも恐れも欠片すらなかった。
彼は、内臓の破片が混ざった血沫を、吐き捨てるように地面へと吐き出す。
そして、冷ややかで、狂気的な嘲弄に満ちた微笑みを、強引にその顔に貼り付けた。
「何の罪だと……? 無辜の民を虐殺し、大地を荒らし……。それに何より、お前たちのその、醜く体を共有した姿が――反吐が出るほど胸糞悪いんだよ」
「死に晒せ、虫螻がァッ――!!」
右介と佐助はその一言によって完全な逆鱗に触れ、狂竜王の殺意が爆発した!
巨大な掌が猛然と握り締められ、目の前の身の程知らずな人間を、一瞬で血の泡へと押し潰さんと迫る!
電光石火の、千鈞一髪の瞬間――。
『ヴァアアアアアン――ッ!!』
レイブンは、残された片手で電光杖を極限まで天へと突き上げた。
先端の「魔燼結晶」が耳をつんざく高音を上げて狂乱回転し、極限の極限まで圧縮されていく。
「この双頭のトカゲめ……大砲ですら通らんほど皮膚が硬いそうだな? なら、これを至近距離で喰らってみろ……!」
彼の額に青筋が浮き上がり、ヒステリックに絶叫する。
「魔燼オーバードライブ――起動! 滅魔槍ッ!!」
刹那。
杖の先から、極度に凝縮された青紫色の細いレーザー光線が、空間を引き裂いて噴射された!
『ビキキキッ――閃光ッ――!!』
夜空を横切る眩い雷霆が突如として大爆発を起こし、方円数里の闇を粉々に粉砕して撒き散らした。
レイブンは歯を食いしばる。魔燼の凄まじい反動による激痛が身を削ぎ落とすのを必死に耐え忍び、この狂気に近い勇猛さを唯一の糧として、人生で最も速く、最も狂暴な反手の一閃を振り抜いた!
「あぁぁぁぁぁぁっっ――!!」
胸をかきむしり、竜の谷全体を震わせる凄惨な絶叫とともに、滾る鮮血がまるで火山のように吹き荒れた!
レイブンを死に物狂いで掴んでいた狂竜王の、あの堅牢無比な巨大左臂が――この極限の雷光によって、肩甲骨から強引に真っ二つに斬り落とされ、夥しい血の雨を散らして空中に舞い上がったのだ!
腕の支えを失ったレイブンは、その自らの断臂と共に、泥まみれの血の海へと重々しく墜落し、大量の血を吐き散らした。
狂竜王の二つの頭部からは、同時にこの世のものとは思えない絶望の哀号が上がり、佐助は狂乱して泣き叫ぶ。
「私の腕がっ! 私の手がぁぁぁぁぁぁっ――!!」
双頭の化け物が、断臂の激痛によって完全に錯乱状態に陥った。
その奇跡的な隙を突き、レイブンは全身の骨折と内臓破裂という極限の激痛に歯を食いしばって耐え、震える片手で、最後の数枚の「錬金濃霧弾」を地面に叩きつけて爆ぜさせた。
『ドカンッ――!!』
濃密な紫灰色の錬金煙霧と、狂暴な夜の豪雨が、一瞬にして彼の姿を完全に呑み込んだ。
レイブンはボロボロになった肉体を引きずり、断崖のフチから――荒波狂う冷酷な深海へと、躊躇うことなく身を投げ出した。
漆黒の荒波と激しい大雨に紛れ。
彼は、奇跡的かつ泥臭く、この地獄の戦場からの脱出を果たしたのだった……。




