第8章 狂竜の遺骸、そして愛の始まり
第一幕:巨躯の怪物
クラウドが馬を駆って立ち去ってから、わずか三分後のことだった。
駆魔公安地下研究所の重厚な防爆鉄門が、ギチギチと重い金属チェーンの摩擦音を響かせて、ゆっくりと引き揚げられていく。
数人の研究員たちが額に汗を浮かべながら、巨大な鋼鉄の台車を押してホールへと入ってきた。
台車の上には、刺すような生々しい血の臭いと、触れる者の精神を狂わせるほどの狂暴な威圧感を放つ、漆黒の帆布が掛けられている。
白衣を纏ったディアンナは、あまりの異様な光景に息をのんだ。彼女は信じられない様子で小さな口元を押さえ、小山のように聳え立つその不気味な輪郭を見上げながら、傍らの男に小声で尋ねる。
フィルムのような静寂の中、レイブンは無言で手を伸ばし、覆われていた漆黒の帆布を勢いよく引き剥がした。
舞い上がる埃と凄まじい熱風の向こうに――。
幽かな金光を放ち、全身を頑丈な竜鱗に覆われた「巨型双頭の化け物」の巨大な遺骸が、二人の目の前にその全貌を現した。
レイブンは、すべり落ちそうになった眼鏡を中指で押し上げ、途方もなく重々しく、そして誇らしげな低い声で告げる。
「これは……『狂竜王』モルドレッドの遺骸だ」
第二幕:禁忌の構想
「ここ数年、僕たち二人は錬金術を使って、クラウドの目や足といった人体器官の魔具化を研究してきたね」
レイブンは、竜の胸骨の中央で今なお微かに脈打ち、周囲の空気を歪めるほどの凄まじい魔力エネルギーを放つ『熾紅の魔核』を指さした。
その瞳には、天才錬金術師としての狂熱と、世界を塗り替えるための思索が宿っている。
「そこで、僕は全く新しい可能性に気づいてしまったんだ――もしも魔物の魔核や中核器官を、人間の肉体に直接移植する『内臓義肢』として魔改造したら、いったどうなると思う?」
ディアンナは、微かに息をのんだ。
「内臓義肢……ですか?」
「そうだっ!」
レイブンは設計図の束を示しながら、話せば話すほど興奮の色を隠しきれなくなっていく。
「そうすれば、たとえ特別な才能のないただの人間であっても、高階魔物と同等以上の破滅的な戦闘力を直接その肉体に宿すことができる! あらゆる自然災害すをも凌駕する……究極の『魔化戦士』の誕生さ!」
第三幕:傷つかせぬための約束
レイブンの語る、あまりに狂気的で前衛的な構想を聞きながら。
しかしディアンナは、この技術がどれほどの政治的栄誉や軍事的な富をもたらすかには、微塵も関心を示さなかった。
彼女の瞳は、工房の壁にひっそりと掛けられた、かつてのクラウドの訓練風景を写した一枚の写真へと緩やかに注がれていた。
彼女の脳裏に鮮やかに蘇ったのは――。
欠損した左脚を引きずり、たった一つの右眼で、暴風雨の夜のなかに孤身で食屍鬼の群れへと突撃していった彼の悲壮な背中であり、その頑なな肉体に刻まれた幾重もの痛々しい傷痕だった。
ディアンナは胸元のクロスをそっと撫で、その瞳に優しくも固い微光を宿すと、静かに問いかける。
「レイブン先生……その力があれば、これからクラウドさんが……誰かを救うためにまた魔物と戦う時、もう二度と傷つかずに、命の危険に晒されずに済むのですね……?」
レイブンは、目の前の少女の真摯な横顔を見つめた。
彼の顔から狂熱がスッと引いていき、彼は極めて神妙な面持ちで、深く、力強く頷く。
「ああ……その力さえあれば、あいつはもう二度と、無茶をして傷つかずに済むさ」
その言葉を聞いた瞬間、ディアンナの顔に、この世で最も甘く、純粋な微笑みが咲き誇った。
彼女は胸のつかえが下りたように深く息を吸い込むと、澄んだ声で告げる。
「分かりました……! では、研究を始めましょう!」
第四幕:時代の変革と異例の栄昇
数年後。
「魔化戦士」計画の正式な発表は、駆魔公安と世界中の高層部全体を文字通り激震させた。
かつて高階魔物の討伐任務を執行するたび、駆魔公安は百人から二百人もの精鋭隊員が惨烈な犠牲を払うことを余儀なくされていた。
しかし今や――魔力内臓と義肢器官を完全装備した「魔化戦士」の精鋭小隊が彗星のごとく現れ、竹を割る勢いで魔物の群れを粉砕していった。それどころか、戦果は「全員生還・任務完遂」という、世界的大戦の歴史において前代未聞の奇蹟を打ち立てたのだ。
この時代を画する、あまりに偉大な貢献に対し。
駆魔公安本部は、前例のない破例の最高昇進令を下した――
レイブン: 駆魔公安史上最年少の「総司令官」に正式就任!
ディアンナ: 駆魔公安「最高研究所の所長」へと栄えある栄昇!
第五幕:祝勝会での強襲
その夜。
都心の高級レストランの個室では、キャンドルの優しい光が揺らめき、精巧を極めた料理と香醇な赤ワインがテーブルいっぱいに並べられていた。
窮屈な上下関係の挨拶もなく、レイブン、ディアンナ、そしてクラウドの三人は、気心の知れた仲間としてテーブルを囲んでいた。
レイブンは嬉しさのあまりすっかり顔を真っ赤にしながら、未来の駆魔公安における壮大な技術ブループリントを、今宵も熱っぽく語り続けている。
しかし、デザートのタイミングに差し掛かったその時。
レイブンは突如として言葉を詰まらせ、どこか尋常ではない、強烈な緊張を湛えた面持ちで椅子から立ち上がった。
クラウドとディアンナが「どうしたんだ?」と怪訝な顔で見つめる中。
新科総司令官たる男は――『ドサッ!』と盛大な音を立てて、二人の目の前で、なんとディアンナに向かって両膝をついたのだ!
「レ、レイブン先生……っ!? 一体何を……?」
ディアンナは驚愕のあまり目を丸くし、手にしたフォークを危うく落としそうになる。
レイブンは小刻みに震える手で、スーツの胸ポケットから、精巧なベルベット製の小さな木箱を取り出した。
彼は全身のすべての勇気をかき集め、ガタガタと震える指でその木箱の蓋を開く。
中から飛び出したのは、キャンドルの光を浴びて眩いばかりの光を放つ、美しく研ぎ澄まれたダイヤモンドリングだった。
レイブンは熟し切ったトマトのように顔を真っ赤に染め上げ、噛み噛みで、しかし絶叫に近い叫びを絞り出す!
「デ、ディアンナさんっ……! 僕と……僕と結婚してくださいっ……! 僕の残りの全人生をかけて……あ、あなたのすべてを僕が絶対に守り抜きますからっ……!!」
第六幕:空気が凝固した三秒間
個室内の空気は、針一本が床に落ちても聞こえるほど、一瞬にして死んだように静まり返った。
ディアンナは口をぽかんと開けたままフリーズし、脳内の思考回路が完全に白紙に戻る。
フォークを構えたまま呆然と硬直し、やがてロボットのようにぎこちなく、少しずつ首を横のクラウドへと向けた。その瞳には「誰か助けて……!」という純粋なSOSが満ち満ちていた。
一方、向かい側の席に座っていたクラウドは――。
口に含んだばかりの赤ワインを、見事に吹き出しそうになっていた!
目の前で膝をつき、純粋な虔誠と、期待に満ちた子犬のような目を向ける親友を見つめる。
かつて無数の魔物を斬り捨てる際にも一切の動揺を見せなかった「白衣の死神」の顔芸は、今この瞬間、十頭の巨竜と対峙する時以上に凄絶なものだった。
クラウドは極めて気まずそうにゴホンと咳払いをし、力なくボサボサの髪を掻きむしると、深い、深いため息をついた。
呆然と目を見開いたままのレイブンが固唾を呑んで見守る中。
クラウドはゆっくりと右手を伸ばし、隣に座るディアンナの華奢で真っ白な手を取り、そっと持ち上げてみせた――。
ディアンナの薬指には。
すでに、シンプルでありながらも一際眩しく、気品ある輝きを放つダイヤモンドリングが、ぴったりと優雅に嵌められていたのだ。
そして――クラウド自身の右手薬指にも、それと全く同じデザインの、お揃いの婚約指輪が力強く光り輝いていた。
クラウドは気まずそうに喉を鳴らし、ぶっきらぼうに言い放つ。
「その……レイブンよ。……悪りぃが、俺とディアンナは……先週、すでに正式に婚約したんだ」
第七幕:総司令の大脳フリーズ
『カチャン……っ!』
レイブンの手から、指輪の入った木箱が滑り落ち、床の上をむなしく転がった。
彼は片眼眼鏡をかけた大きな目を限界までパチクリさせ、ディアンナの指輪を見つめ、それからクラウドの指輪を見つめ――。
次の瞬間、彼の全身はまるで雷に打たれたかのように、その場で完全に石化した。
「こ……婚約ぁぁぁぁぁぁ――っ!?」
レイブンは口を限界まで開き、目玉が飛び出さんばかりの奇声を上げた。声が完全に裏返っている。
「二人とも……いったいいつの間に、そんな不屈の愛を育んでたんだよっ!? 僕が毎日ラボの地下で寝ずに魔核と格闘してる間に、背後でそんな極秘プロジェクトを進行させてたっていうのか……っ!?」
クラウドは照れくさそうに頬を微かに赤らめ、ツンと明後日の方向を向いて鼻を鳴らす。
「誰が……お前みたいに毎日魔物の内臓とばかりにらめっこして、世間の機微に疎くなってる鈍感野郎だ、バカ」
ディアンナは申し訳なさそうに両手で口元を押さえながらも、たまらなくなってクスッと可憐で楽しげな笑い声を漏らした。
キャンドルの温かな光の下。
告白は大失敗に終わり、レイブンが頭を抱えて崩れ落ちたものの――三人の晴れやかな歓声と笑い声、そしていつまでも終わらない賑やかな戯れ合いは、冷徹なはずのこの都市を、何よりも温かく、優しい色で染め上げていくのだった。




