◆夜空で出会う◇
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どうやらこの状態だと浮けるらしい。行儀良く仰向けに寝ている自分を、空中でうつ伏せに浮かびながら見ていた。自分の寝顔を見ているのは不思議だった。
身体に重なり、どうにか実体に戻ろうとしても少しも戻れない。
時計はまた二時四十五分。この時間に何の意味があるのか一生分からない自信がある。
考えてもしょうがないので、天井を抜けて外に出られるか挑戦してみることにした。このマンションは十階建てで、俺の部屋は十階だ。天井の先は屋上。
空まで行けるかな?
俺は妙な好奇心が芽生え、不思議とワクワクし始めた。
いざ飛び上がり、天井にめり込むと、マンションの内部構造が流れるように視界を抜けていった。
やがて天井を抜けると、そこには満点の星空と満月が目の前に広がっていた。
「うぉー!すげー!」思わず叫んでしまった。
外はスッカリ台風が去った晴れた夜空。空中で見下ろす夜景は美しい。身体も思考も完全に解放された気分。この浮遊感、もうなんでもありかもしれない。何が起きたってオールオッケー……はさすがに言い過ぎか……。
しばらく景色を見渡していると、そこになぜか同じマンションに住む井出川さんが現れた。早速あまりオッケーではない気分になった。井出川さんの腰の辺りからオレンジの糸が漂って揺れていた。
「え?こ、こんにちは。あの、同じ階の田所です」
挨拶をすると気づいて、こちらに視線を合わせたが、すぐに青ざめた顔で何かを言っていた。
「え?あ……やめてくれ……」
井出川さんの腰から漂う糸が急に赤く変色し、引っ張られるように地表へ向かって落ちていった。
なにかを言いたそうだったが、急なことで理解が追いつかない。糸は色が変わる?なぜ落ちていった?自分以外にも同じ状態の人がいる……。そのまま考え込んだが、これだけでは何も推理は立たなかった。最後に『やめてくれ』と言っていたが、誰に言っていたのだろう。
周囲を見渡すと、自分がかなり上空にいる認識が自然と深まった。答えの出せぬまま、やがて興味は目の前の光景に静かに移っていった。
この状態から、どこまで行けるんだろう?
飛び始めると心地よく、何もなかったかのように全てを忘れて思いのままに上空を飛び回った。まるでピーターパンのように自由に空を泳いだ。
「気持ちいいー!」
鳥とぶつからないように避けていたが、途中でペットボトルを掴めなかったことを思い出し、一人で勝手に恥ずかしくなる。
空中で静止して目の前に広がる絶景をしばらく見ていた。
煌びやかな夜の街並み――遠くに見える地平線に続く海。
満点の星空と雲一つない満月。
遠くに飛ぶカモメ。
水平線に浮かぶ船が出す煙。
どれも止まっているように見えるが、3Dゲームに搭載されたフォトモードのように全てが立体的で、どの角度からも見れる美しい夜景。
飛んでる鳥の羽ってこんな感じなんだなぁ……。
「あのー!すいません!ちょっといいですか?」
地上の方から女性の声がした。かなり上空にいるのに、人に声をかけられるなんて予想していなかった。薄い雲を一つ抜けて下降すると、そこにはパジャマ姿の若い女性が自分と同じように飛んでいた。
「あの……私と同じ状態の人ですよね?」
俺は身構えた。その女性の姿をまじまじと見つめて危険がないか警戒した。
彼女は二十代後半くらいで、長い黒髪がゆらゆらと揺れている。月明かりもいい感じで彼女の白い肌を照らしている。スタイルも八頭身のモデル風。整った顔立ちで、素っぴんでもかなりの美人。
どこかで会った?いつかの電車で老婆に席を譲ったときに俺を見ていた女性を思い出す……いつもの『運命的な出会いかも?病』が発病した妄想が一瞬頭をよぎる。
長年の孤独という牢獄から解放される予感……これは親切にして損はないはずだ。
俺はできるだけいい声で言った。
「どうしましたお嬢さん」
内心で願った、頼り甲斐がある雰囲気出ろ!俺は胸板を厚めに見せようとして胸をやや張った。
「あの……私、いま空を飛んでいます!」
見たら分かる。
何を今さら……そう言いたい気持ちをグッと抑えた。ガチの美女を前にして、本能が気に入られたいと望んでいた。
「どうしたら、家に帰れますかね?」
なんで俺に訊くんだろう……とは思ったが、同時に納得してしまった。
そう言われてみたら、どう帰るんだろうか?帰り方まで考えていなかった。ただ、飛んで部屋へ戻ればいい……深く考えずに細かいことは感覚で済ませていた。
「普通に下降すればきっと帰れますよ。一緒に降りましょうか?」
「いいんですか?私、空を飛ぶの初めてなんです」
彼女は不安そうな表情から解放されたように笑顔を作っていた。それがまた可愛くて美しい。
「俺もですよ。じゃあ、行きましょうか?」
彼女はうなずいた。
地上を指差してゆっくりと下降を始める。
しかし、彼女はその場で止まっていた。
「どうしました?さ、行きましょう」
少し下降していた俺は彼女を見上げて手で招いた。
「……ど、どうやって降りるんですか?」
俺は彼女を一瞬見つめながら答えた。
「手を引きましょうか?」
ペットボトルのように空を切って手を繋げるかは分からなかったが、自然と言葉が出た。
「いいんですか?」
「もちろん」
彼女に近づいて手を取る。意外にもすんなり彼女の手の温もりが伝わってきた。と言っても、まるで死人のように冷たかったが……空にいるせいで冷えたのか、そもそも自分もこの状態だと冷たいのかも……と、勝手に納得した。それ以外は普通に女性の手らしく、細くて柔らかい感触があり、実体で握るのと同じだった。妙な幸福感が胸に芽生えた。
上機嫌でそのまま手を引き、横に並んだ状態で空を移動した。
「ペットボトルとかは掴めないから、手を取ろうとしたときに掴めなかったらどうしようと思いましたよ」
「魂同士は触れられるってことですかね?」
そこからの雑談はただただ楽しかった。自己紹介などをしながら気分よく移動時間を過ごした。
「オレンジの糸もこの状態だと触れられるから、どうやらそういうルールみたいですね」
彼女は不思議そうな表情をして俺を見て言った。
「オレンジの糸?あ、その腰の辺りから伸びてる光った線のことですか?」
彼女の目が一瞬見開いた気がした。
「……そうです。魂の緒みたいなもの、肉体と魂を繋ぐ命綱ってなんとなく勝手に思っているんですが、実際はよく分からないです」
彼女は興味深そうに糸を隅々まで見ていた。なぜか嬉しそうに見える。
「魂の緒?……光っていて綺麗な色ですね。どこに繋がっているんですか?」
「どこって、自宅にある自分の身体ですよ。あれ?優美さんも付いていませんか?」
彼女の腰の辺りに視線をやったが、なぜかオレンジの糸はなかった。
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