22話
仮想空想OP
水曜日のカンパネラ 『シャルロッテ』
どぷんっ―――
鳥居を越えるとともに、水の中に入ったような妙な音が耳に響く。先ほどまでいた鳥居の外側とは違い、空気が身体にまとわりついてくる。
冷や汗が額から流れ、頬を伝って、地面へと落ちていく。
「あら。先ほどお守りを見せていただいた方ではありませんか。あ…お待ちください。お守り、落とされましたよ?」
多賀大社に来てすぐに会った、お守りのことを教えてくれたご高齢の神職さんが、後ろから声をかけてきた。
お守り?あ、さっき教えてくれた多賀大社のお守りのことかな?わざわざ拾ってもらって
「ありがとうござい―――」
いや、ちょっと待て。待て待て待て!
おかしい…これはおかしいぞ!
さっきまで、この鳥居の中に入るまで、僕の周りには誰もいなかった!それが突如として、背後に現れて、声をかけてくるなんて、どう考えてもおかしいじゃないか!
感謝を述べながら、後ろへ振り向こうとする身体を無理やり止める。危なかった。鳥居の中へと踏み出した一歩目で、振り返る所だった。
それと、お守りなら僕のポケットの中にある。それとなく、ズボンの後ろについたポケットに触れる。―――うん。ここにある。大丈夫だ。
あまりに日常的な会話だったから油断した。もっと恐ろしい、おどろおどろした何かが来るのかと身構えていたからこそ、危なかった。
もしかしたら、本当の神職さんの可能性もあるから、念のため、前を向きながら、ぺこりと会釈だけを返し、もう一歩前へ踏み出す。…ん?やけに脚が重い。踏み出した方の足元を見る。
「酷いじゃないですかぁー!無視するなんてぇー!」
足に、ご高齢の神職さんが、くっついていた。
両腕でガッツリと僕の左足を掴んでいる。
「ひぃ…!」
怖い…!
すぐさま、おもいっきり足を動かし、振り払おうとするけど、涙と鼻水をぐじゅぐじゅに垂らしながら、必死な形相で掴んできて、離れない…!なんだこいつ…っ!なんなんだよ!!怖いよ!!
母に助けを求めようと前を見ると、さっき鳥居に入ったばかりだというのに、前には誰もいない。出口の鳥居まで一本道なのに。まるで自分だけ別の空間に迷い込んでしまったかのような…恐怖が、心の奥底から込み上げてくる。
「ぅ…うぁわぁぁぁー!!!離せよ!離せー!!」
逆の足でおもいっきり、神職の顔を蹴る。その衝撃で、足を掴む力が緩んだ!
―――今だ!持てる力全てを使って、おもいっきり、力強く、地面を蹴る。蹴る。蹴る!蹴る!!
「はぁ…はぁ…はぁ…」
道の中腹くらいまで進んだだろうか。息を吐きながら、足元を見る。足を掴んでいた神職は、どうやら振り解けたようだ。
息を整え、深呼吸。
背中は汗でびっしょり。時折ふく風が、汗で濡れた服を冷やし、少し肌寒さを感じさせる。出口はもう見えている。一歩ずつ、出口に向かって歩き始める。
少し歩いた所でふと視界の左側に、社が映った。気になってそっちを見ると、小さな社が建っている。そう言えば、来る時、お参りしようとしたら、母に止められたっけ。
〝シャルちゃん。大丈夫よ。まず初めに、ここに祀られている最も偉い神様に挨拶に行くのが礼儀なの。そうしないと、神様が拗ねちゃうからね〟
最も偉い神様 伊邪那岐大神への挨拶は済ましたわけだし、挨拶しないと礼儀が悪いか…
先を急ぐ中、なぜかそう思った。
左へと枝分かれした参道の方へと足を踏み入れる。社まではすぐだった。
あ、そう言えばお金を持ってない。まあ仕方ないか。そう思い、社の前で手を合わせ、頭を下げる。目を瞑るのを忘れて、頭を下げたものだから、足元 自分の後ろに、他の人の靴が見えた。
あぁ、後ろに人が並んでる。
そう思い、一歩左にずれる。後ろの人も入れるようにだ。頭を上げると、僕が空けた右側に人が入ったのを感じる。少し離れたところにいるのか、視界には映らないが、そこにいるのは分かる。
よし。参拝も済んだし、帰ろうかな。
右足の踵を軸に、回れみ―――――
〝そのなんだ…帰り道には気をつけよ。もし誰かに呼び止められても、鳥居を出るまでは振り返るな。何があろうと、誰に呼びかけられようと、決して振り返るな。わかったな?〟
ギリギリのところでその言葉を思い出し、なんとか踏みとどまった。身体は正面から30度ほど回転したところで止まり、ふぅーと息を吐きながら、前へ向き直す。
―――っ!?ギョッとした!驚いた!!
さっき右側に入ってきた人(おそらく女性)は、顔に、口だけポカリと空いた黒い狐のお面をつけていて、お辞儀をした体勢のまま、なぜか顔だけをこちらに向けている。なんとも言えない異様な光景だ…
そして、今気付いたことだけど…あの鳥居をくぐった時からというもの、どうやら、感覚が鈍くなっているようだ。鳥居に入るまでは、絶対に後ろを振り向かないぞ!と強い気持ちで臨んでいたのに…さっきの神職も今も振り返りそうになった。この空間には、感覚を麻痺させる何かしらの効果があるに違いない…!
……あれ?そう言えば…なんでわざわざ、この社に挨拶に来たのだろうか。そのまま、まっすぐ出口に向かえばよかったのに。
……はっ!これもこの空間のせいか!?
だけどまあ、今、考えても仕方ない。
そう考えをまとめ、後ろに振り返ることなく、後ろ向きのまま歩き始める。今来た道を思い出しながら、ゆっくりと。
異様な光景は続く。
足音もなかったのに、いつの間にか、右横で参拝していた人の後ろに人がずらーっと並んでいる。同じ黒い狐のお面をつけた人が等間隔に並んでいて、同じように顔だけをこっちに向けている。身体は前を向いたまま、頭だけが後ろ向きでこっちを見てくる。
老若男女。それぞれの体格。それぞれの身長。
全員の頭の高さが違っていて、後ろに歩けば歩くほど、目線が増えていくように感じる。
来る時はすぐに着いたのに、帰りはやけに長く感じる。
ようやく半分ほどまで来ただろうか。目線が気になって下ばかり見て歩いていたから、ふと前が気になって見上げてみると、目でぎりぎり見える先に、全身こちらを向いて立っている人が見えた。背格好からして、さっき参拝した時に横にいた人だろう。
――りゃ――――――せ…
――――んせ――りゃ――…
何か聞こえる。
誰かの呟きのような、声のような。なんの音だ?
足を止め、目を閉じ、耳を澄ませる。音が少しずつ大きくなっていくような…目を開くと、前に見える人が少しずつ近付いてきているような気がした。
何かとても…言い表せられない嫌な予感がする。
止めていた足をまた動かし始める。一歩、また一歩と歩くたび、遥か遠くに見える人も一歩、また一歩と近付いてくるような…そんな嫌な予感が。
あたりの薄暗さが相まって、相手の足の動きまでは見えない…でも、少し急ごう。足を動かす速度を、回転率を少しずつ上げていく。あまり早くすると絡まってこけてしまうから、そこは注意しながら。
歩くたび、後ろに進むたび、聞こえてくる音が大きくなり、ようやくそれが、歌なんだと分かった。
とおりゃんせとおりゃんせ
ここはどこのほそみちじゃ
てんじんさまのほそみちじゃ
ちっとおして くだしゃんせ
ごようのないものとおしゃせぬ
このこのななつのおいわいに
おふだをおさめにまいります
いきはよいよい かえりはこわい
こわいながら
とおりゃんせとおりゃんせ
聞いたことのない歌だ。こっちの世界の歌だろうか。特徴的な音と抑揚の少ない歌い方。どこか不気味さを感じる中、なにより怖いのは、参道に並ぶ人たちが、こっちを向いたまま、一音もズレることなく歌っていることだ。
怖さと不気味さと気持ち悪さ。
その全てがごちゃ混ぜになった感情が、足底から僕を捕えようと、よじ登ってくる。
その感情に捕まらないように、逃げるように後ろに向かって歩く。どんどんどんどん、歩く速さが早足になり、やがて、走り始める。
普段の生活で後ろ向きに走ることがある?いや、ほとんど無いだろう。
数分走っただろうか?ようやっと、視界の端に、元来た道が見えた!この脇道に繋がるT字路だ!ふぅーどうにかここまで―――あっ…
どてっ―――
安堵した瞬間、足が絡まり、盛大に尻餅をついた。
「いててっ……え…?」
お尻が割れるかと思うほどの衝撃。
お尻をさすりながら立ち上がり、前を見ると、目の前に狐面を被った女が立っていた。鼻と鼻がぶつかりそうな距離で、歌を歌いながら。
「うわぁぁぁ!!!」
驚き、また尻餅をついた。
周りを見回すと、狐面をつけた人たちが、僕を取り囲むように立っていた。10人やそこらではない。二重、三重…いや、もっとだ。人の隙間から見えるはずの向こうの景色が、肉の壁に遮られている。
そして、正面に立つ狐面の女が、おもむろに手を、僕の方へと伸ばした。
あの手からは、危険な香りがする。
とても危ない気がする。嫌な予感がする。
絶対に、触れても、触れられてもいけない………そう思ってるはずなのに…なのに…無性に触れてみたい。
なぜか見覚えのあるその手に。
脳内の理性が警告音を大音量で鳴らす中、本能がそれを無視して身体の主導権を奪い取る。
あぁ…――あの手に触れたら、僕はきっと
月・木 更新
30話完結




