嫌な気配
歌と共に過ごした星の夜から時間は過ぎ、二日後の日の入りの前。この日はクレイルと約束していた食事会の日である。リアンは待ち合わせをした南門にのんびりと向かっている。暖かなオレンジ色に染まった空の下では、仕事帰りの人々で賑わっている。学校や騎士学校帰りの子供たちも幾人かで固まって楽し気に走り去っていく。
リアンは先ほど屋台で買ってきたばかりの鳥肉の串焼きの入った袋を腕に抱えながら地面に差した影の中を歩いている。食べ終わった串を袋に戻してまだ湯気の立つ新しい串を取り出して口に運ぶリアンに、ヴェイグが呆れたように口を開く。
「……お前、これから食事の約束じゃなかったか?」
「うん? そうだよ。ふふん……僕は別にいくらでも食べられるんだし問題ないだろ。見つけたものは食べられるだけ食べたいんだよ」
「まったく、お前って奴は……」
それからしばらく歩いて袋の中が串だけになったころには、リアンたちはちょうど南門の近くへと辿り着く。そびえ立つ城壁が大きな影を作り、少しだけ冷え込む。門の近くには小さな騎士団の詰所がある位で、辺りには人も少なくしんとしている。
大きな木が一本植えられた小さな広場のベンチにリアンは腰かける。リアンの身体の上で木の葉の影がゆらりと踊っている。
「リアンさん!」
リアンが目を閉じて木陰の中でのんびりとしていると、聞き知った元気な声が辺りに響く。
「おっと、クレイルさん。さて、早速行こうか。今日はどんなお店を紹介してくれるんだい? 前の店は凄く良かったからね、今日も楽しみにしていたんだ」
「ちょっと、あんまりハードル上げないでくださいよ。でもまぁ、きっと気に入りますよ?」
一行は暗くなってきた街の中を色々とおしゃべりをしながら進んで行くと、一つの店に辿り着く。こじんまりとした小さな石造りの建物……少しほこりで汚れた窓の向こうからはオレンジ色のランタンの光がゆらゆらと揺れていた。
扉を開けて中に入ると、中は何組かのお客がいるだけで少し空いている。一行は壁際のテーブル席に座ると、リアンとクレイルはそれぞれテーブルの上のメニューを手に取る。
「リアンさん、ここの店は魚が凄い美味しいんですよ! ほら、このタレ焼きとかは一押しですよ」
「へぇ……これは美味しそうだな。僕もこれにしてみようかな」
リアンとクレイルはその後もメニューを見ながら飲み物やサイドメニューも一通り物色すると店員の一人に声をかけて注文をする。しばらくすると、湯気を上げたおいしそうな料理を乗せたお皿が次々と運ばれてくる。リアンは目の前の魚のタレ焼きや刺身、魚のフライなどのたくさんの料理に目を輝かせる。
「……随分と頼みましたね」
「まあね、おいしそうなのがたくさんあったから」
「ふふ、良いですね、そういうの。そういえばリアンさん、一昨日のあれは聞きました?」
早速タレ焼きを口いっぱいに頬張っているリアンにクレイルがふと尋ねる。リアンはその問いかけに首を傾げると、口の中の物を喉を鳴らして飲み込むと口を開く。
「一昨日のあれ?」
「ええ、一昨日の夜のあの歌ですよ。随分と久しぶりだったもんで、街の皆も酒場で盛り上がってましたね」
「ああ、あれか。僕も聞いたよ」
「ねぇ、リアンさん。どんな年寄りも知らないんですよ……時折どこからともなく聞こえる歌声の不思議話の正体。でももしかしてリアンさんは、あれが何か知ってたりしないんですか?」
クレイルはリアンの答えに目を細めると、テーブルに手を付いて少し身を乗り出してそうリアンに問う。好奇心に輝くクレイルの瞳にリアンは一瞬口を結ぶと、すぐに微笑んで口を開く。
「……知っているよ、僕は物知りさんだからね。あれは……英雄の時代の一人の精霊の名残だよ」
「英雄の時代の……ですか。あの、もしかしてリアンさんとヴェイグさんも……その時代は英雄だったんですか? あの御伽噺の中の英雄みたいに!」
「違うよ。僕にその名を名乗れないさ。それに御伽噺の英雄なんて……どこにもいないさ」
「リアン」
リアンはヴェイグの呼び声に少し下を向いて首を振ると、笑って顔を上げる。そんなリアンの様子に、クレイルは静かに椅子の背もたれに背中をつける。
「……ふふ。そういえば、一昨日面白い精霊に出会ったんだ。孤児院をやっているらしくてね」
「え!? もしかしてステリナ先生の?」
「おや、知っているのかい?」
リアンは驚いて少し身を乗り出してそう尋ねる。クレイルは、口の中にある料理を飲み込み終わるのを待ってから嬉しそうに笑う。
「知ってるも何も、実は私もあそこの出身なんですよ。あそこを出てからも、定期的に治癒薬を寄付したりしてるんですよ。それにしても、リアンさんこそどこで知り合ったんですか。ほんとになんでも知ってるんですね」
「へぇ! これは面白いご縁だね。実は一昨日、迷子のお嬢さんを拾ってね」
クレイルは、「迷子」という言葉に眉を寄せて首を傾げる。そして少しするとすぐに大きく頷いて破顔する。
「迷子のお嬢さん……? あー! もしかしてアイラスちゃんですか?」
「おや、よく分かったね」
「ふふ……あの娘、大人しそうで実は案外お転婆ですからね。ただ……最近は先生があんまりお外に遊びに行かせてくれないってこの間ぼやいてましたけどね」
「ふーん……お外で遊ばせてくれない、ね」
「ええ、先生に聞いたら、最近良くない気配が強くなってるって。子供たちには可哀そうですけど、しょうがないですね。……それはそうと、実は明日ちょうど孤児院に薬を届ける日なんですけど、良かったら一緒にどうです?」
リアンは思わぬクレイルの提案に目を輝かせて頷く。リアンは、一昨日アイラスが別れ際に「また会いたい」と言っていたのを思い出していた。精霊であるリアンにとっても、幼い人の子というのはやはりとびきりに可愛いものである。
それから一行は明日の待ち合わせについて話し合ったり、リアンがアイラスをはじめ孤児院の子たちの話をクレイルにせがんだりして時間が過ぎて行く。テーブルの上のお皿も空になり、店の中が一層薄暗くなったころ、一行は改めて次の日の再会を約束して別れた。
そして時間はさらに過ぎ、次の日の朝。リアンとヴェイグ、そしてクレイルは街の西門で待ち合わせた後、街の外の道を歩いている。街から少し外れた場所にある孤児院へ続く街道は所々崩れた石畳で、周りは草花に彩られている。
もうしばらくすると孤児院が見えてくるであろうといった頃、リアンがふと足を止める。その気配に、前を先導していたクレイルも足を止めて後ろを振り返る。
「……リアン、嫌な気配がするな」




