『旅』と『歌』
アウロアと別れて騎士団を後にしたリアンは、とある酒場の隅の席に座って軽い食事を取っている。少し落ち着いた薄暗い店内の角の席、表面が少し削れた小さな木のテーブルの上にはサンドイッチが乗った皿が置かれている。端からはみ出る程たっぷり挟まった焦げ色のついたお肉と青菜が少しお皿に零れている。
ちょうど昼時で高く昇った日の光が窓から差し込み店内を淡く照らしていた。厨房が奥にあるカウンターの方からは湯気と共に肉や魚を焼く匂いが漂って来る。
子連れの家族や昼休憩の途中の鎧姿の騎士など様々な人で賑わう店の中を見回しながら、リアンは静かにサンドイッチを口へと運ぶ。
「なぁ、リアン。お前はどう思ってるんだ?」
「……何がだい?」
「さっきの……あいつのことだよ。随分と悩んでたみたいだったろ」
ヴェイグの言葉にリアンは食べかけのサンドイッチを皿に置くと目を細める。どこか乱暴に見えて実のところリアンよりもずっと心配性で甘い性分だとも言える……リアンはそのどこか可愛いそんな性格が好きだった。
二人きりの旅路では、「あいつは今どうしているか」などと旅先での思い出話と出会った友人の話がヴェイグの口癖である。決して自分では言わないが、久しぶりにエクレルの街に戻ろうと言い出した少し前のヴェイグは、アウロアにも久しぶりに会いたいとずっと話していた。
「……悩むことだって別に悪くはない。それだけ、自分のことを考えてるってことさ」
「だがよ、行き過ぎた後悔は、精霊だろうと容赦なく壊しちまうもんだ」
「確かにそうかもね。でも、後悔は自分を創るものでもある……僕たちだってそうだろう?」
「そうだ、そうだよ。だが、俺にはお前が、お前には俺が居る。あいつには、誰か居るのか……?」
「きっと居るさ。そしてその時は、僕たちの出番じゃない。先輩は先輩らしく、前を歩いているだけで良いさ。振り返らず、それでも背中を見せるのが後輩への信頼ってものだろう?」
「……ふん、確かにそうかもな」
ヴェイグの答えに微笑みつつリアンは残りのサンドイッチも口に運ぶ。全部食べ終わると席を立ちあがる。奥のカウンターで会計も済ませて外に出ると、店に入る前より少し暖かくなった風がそっと吹いていた。建物の影から出ると、真上から差す日の光がリアンの胸元の星にキラリと反射する。リアンは額に手をかざすとその雲一つない青い空を見上げる。
「さて、行こうかヴェイグ。もう少し街を見て回ろう」
「しょうがねぇな、付き合ってやるよ」
石畳の上を歩き出すリアンは街の人々とすれ違っていく。昼下がりの街は買い物の後であろう大きな袋を持った人、甘辛い香りを漂わせた串焼きを片手に歩く人、走り回る子供……色々な人々で相変わらず賑わっている。
その時、リアンは母親の手を握りながら歩く一人の少女とすれ違う。その少女は何やらメロディを口ずさみながら、上機嫌に軽い足取りである。リアンはぴたりと立ち止まり、ゆっくりと後ろを振り向く。一瞬揺れたその瞳の先で、少女は母親に楽しそうに笑いかけながら歩き去っていく。
「……笑ってたな」
ヴェイグの言葉にリアンは目を伏せると、すぐに振り向いた顔を再び前に向ける。一瞬だけ太陽の輝く空の遠くを見つめて頬を緩めると、髪を靡かせてまた歩き出す。リアンの姿は、真昼の人混みの中へと消えていった。
それから時間が経ち、日が完全に落ちて空が暗くなった頃、リアンとヴェイグは街の城壁の外を歩いていた。人気の全くない広い草原の中にある丘の上、リアンの頭上には満天の星と深い藍色の空が広がっている。リアンはヴェイグを鞘ごと腰から外して地面に置くと、自分も柔らかな草に覆われた丘の斜面に腰を下ろす。
「ふぅ……今日は色々なことがあったね。でも、中々に楽しかった」
「ああ、そうだな。あの銀髪の嬢ちゃんにも、ちゃんとまた会いに行ってやれよ?」
「ああ、もちろんさ。それに……少し気になることも聞いたしね」
リアンはそう言うとそのままその場に仰向けに寝転がる。リアンがそっと目を閉じると、ひんやりとした風が吹きリアンの柔らかな前髪を躍らせる。
その時、その風に乗って微かな音が運ばれてくる。小鳥のさえずりのような、川のせせらぎのような、揺らめく木の葉のような……世界に溶け込んだかのようなその音は、確かな意味を持ち旋律を奏でている。どこからともなく、まるで世界が歌っているかのような不思議な響き。リアンはパッと目を開くと体を起こす。
「ああ……今日は本当にいい日だね。これを聴けるのは、何カ月ぶりだろうね」
「さぁな、覚えてねーよ。だが、最近は聞こえてくることも少なくなったな」
「そうか……やっぱり、そろそろか。まぁ、今日は良い夜になりそうだ。彼らも喜んでくれているといいね」
リアンは街がある方へと顔を向けて目を細める。これまで何度も聞いて来たその調べ……遥か彼方の過去から届く優しい調べ。リアンが再び目を閉じて耳を澄ませていると、その調べは次々と鮮やかに移り変わっていく。世界の美しさを語る歌、誰かを慰めるような歌、誰かの背中を押すような歌……そして、旅を祝福する歌。
「きっと響いてるだろうよ。……さっきの嬢ちゃんも笑ってたろ?」
「……そうだね」
柔らかな音色が響く中、星の下で静かに時間だけが過ぎて行く……




