家族
「……フランカ。刃物が出たら、棒より先に足を使え。一人で奥まで入る」
詰め所の戸を開けたところで、背中から声がかかった。
頭のコスタンツァは、椅子で帽子を目まで下ろしたままだ。
起きているのか寝ているのか、何年いても分からない人だ。
波止場裏の路地には、夜になると霧が這いこんでくる。
フランカは樽の陰に腰を落として、ジロの小屋の裏口を見ていた。
闇市に流れる禁じられた品の出所を追う役を、自分から頭に申し出て、半年になる。
去年の夏の満月の夜、この路地の口で見た、背の高い黒髪の男。
布をかけた箱と、縄も無くついていく男。
あれから、自分の手帳の頁が少しずつ埋まってきた。
裏口が、細く開いた。
中から、獣脂の明かりが一筋こぼれる。
影が一つ、横向きに出てきた。
袖を切った麻の上着で、腕を肩まで出している。
胸に、布をかぶせた小箱を抱えていた。
戸が閉まって、明かりが消える。
影は肩をすぼめて、路地を古道具屋のほうへ早足で歩きだした。
あの袖無しの上着は、ニーノだ。
頭が、弟みたいにかわいがって育てた子だ。
半年追って、やっと箱を抱えているところを押さえられる。
一人で奥まで入るなと、頭は言った。
けれど、ここはまだ表に近い。
古道具屋に着かれる前に止める。
頭の顔がちらついた。
それで手を緩めたら、また何も守れない。
足音を殺して、壁ぎわを小走りに追った。
古道具屋の手前の角で、影の前へ回りこむ。
黒い棒を横にして、路地の幅いっぱいに突き出した。
「ほら、そこまでだよ、ニーノ。その箱、布の下を見せてもらおうかね」
ニーノは小箱を胸に引き寄せて、半歩下がった。
左の耳の銅の輪が、霧の中で鈍く光る。
棒の先から、こちらの顔へ目を上げて、薄笑いを浮かべた。
「おっと、夜中に通せんぼたあ物騒じゃねえか。……こいつはな、代価取りの品だ。
届けて、約束の代価をきっちり取り立てる。それが俺の仕事ってわけだ。てめえが邪魔していい品じゃねえぜ。
どきな」
抱え直した拍子に、布が少しずれた。
下から、白っぽい殻のようなものがのぞく。
殻。
卵か、貝か。
何だい、ありゃ。
代価取りだの約束だの、知ったことではない。
誰の品だろうと、夜中にこそこそ運ぶものに、ろくなものは無い。
後ろに誰かいるという顔をしているが、名前を出されたって引くものか。
フランカは棒を下ろさずに一歩詰め、棒の先で、布のずれた所を指した。
「仕事だろうが何だろうが、夜警の前を通るなら中を見せな。その白いの、何さね。誰に届けるんだい」
ニーノは片手で布を引っぱって、殻を隠した。
「へっ、見せる義理なんざねえよ、でかい姉ちゃん。代価は誰にも渡さねえ!」
身をひるがえして、来た路地を逆へ走りだした。
霧の中を、ニーノの背中が跳ねていく。
少し左に寄る走り方だった。
フランカは棒を担ぎ直して、追った。
路地の出口が見えた。
出口の石段に、誰か座りこんでいる。
帽子を目まで下ろして、腰に鞘の擦れた短い剣を横に差している。
指の真鍮の指輪が、三つ。
頭だ。
詰め所の椅子で居眠りしていたはずの頭が、そこにいた。
ニーノは足を止めずに、石段の脇を抜けようとした。
頭が、座ったまま片手を伸ばした。
ニーノの手首をつかむ。
けれど、走ってきた勢いのまま、ニーノは手首をひねった。
座ったままの片手では止めきれない。
手首が抜けて、ニーノは石段の脇を転がるように抜け、路地の先の暗がりへ消えた。
フランカは石段の前で、足を止めた。
頭は立たなかった。
帽子の下から、ニーノの消えた暗がりを見ている。
つかんだほうの手を、膝の上で握って、開いた。
それから、こっちへ顔を向けた。
「……今夜はしまいだ。この先は袋小路が三つある、一人じゃ入るな。戻るぞ」
夜更けの詰め所で、頭はいつもの椅子に座っていた。
フランカは棒を担いだまま、その前まで歩いていった。
座ったまま、片手でつかむなんて。
港で刃物が出たら、誰より早い人だ。
立てば止められた。
わざと逃がしたとまでは言わない。
けれど、あの子だから手が鈍ったのだろう。
半年かけて、やっと尻尾をつかんだのに。
棒の先を床について、頭の前に立ちはだかった。
「頭。あんた、立たなかったね。あそこで立ってりゃ捕まえられたよ。あの子を育てたのは知ってる。
けど、今は頭があの子を追ってるんだろ。何で座ったままだったのさ」
頭は椅子に座ったまま、こっちを見上げた。
それから帽子のつばを指でつまんで、目まで下ろした。
「……追ってるさ。十四のときから」
それきりだった。
十四のときから。
ずるいよ、頭。
そんなことを言われたら、それ以上は詰められない。
追うというのは、捕まえるためだけではないのだ。
ノアを、遠くからずっと見ていた自分と、どこか似ている。
けれど、自分は書く。
見たものは、見たものだ。
あの子の名を消したら、頭の代わりに、自分が目をつぶることになる。
フランカは頭の前を離れて、壁ぎわの腰かけに座った。
懐から、自分の手帳を出す。
夜警の日誌ではない。
小さな、自分の手帳だ。
書いた。
布をかぶせた、手のひらほどの小箱。
布の下に、白い殻。
運んだ者、ニーノ。
名の上で、一度ペンを止めた。
線は、引かなかった。
手帳を閉じて、懐へ戻す。
椅子のほうで、指輪の触れ合う小さな音がした。




