夢の残滓3 左手
「また回ってきた。例の試作だ」
奥の机で、係が二人、声をひそめて話している。
実証部隊の詰め所は夜の明かりに切り替わって、灯り石が一つおきに暗くなっていた。
ベリアトは長椅子に寝転がったまま、天井を見ていた。
試し手になってからは毎日、石を担ぎ、走り、殴った。
首のデバイスでどれだけ力が増したかを、係が書きとめる。
そのあいだに、規格の合わないデバイスを植えた者を何人も見た。
植えた所から灰色が広がり、指が、腕が、胸が石の色に変わっていく。
そのたびにベリアトは、植える手前で止めに入った。
止めきれないことのほうが多かった。
「合わない者が出ると、設計部が先に書いてよこしたやつだ」
年かさのほうの係が、机の上の小箱を指で叩いた。
手のひらほどの、黒く塗った箱だ。
「まだ誰にも植えてないのか」
「政府は、今週の志願者で済ませろと言ってる。坑から上がってきたばかりの細いのがいるだろう。
代わりのいくらでもいるほうでいい、とさ」
若いほうの係は黙って、ペンを置いた。
坑から上がってきたばかりの、細いの。
今朝、廊下ですれ違った。
背はベリアトの胸までしかなく、袖からのぞく腕は棒のようで、目だけがやけに大きかった。
あいつの目、ハーミドに似てた。
合わない奴にあれはもうやらせないと、横道の灯り石の筋の下で、ハーミドに約束した。
政府の決めたことでも、黙って見てはいられない。
ベリアトは長椅子から起き上がり、奥の机まで歩いていった。
係たちが、そろって口を閉じる。
細いのに回させてたまるか、と黒い小箱を右手で押さえた。
「なあ。そいつは俺が預かる。政府には、俺が止めたって言っとけ」
年かさの係は箱から手を引いて、ベリアトの顔を見上げ、首を横に振った。
「預かるのはいい。だが政府の命令だ、俺たちには止められん。止めたいなら、設計者に掛け合え。
上の階にいる」
設計区画の扉を叩くと、中から短く「入れ」と声がした。
明かりが細く絞ってある。
壁一面の棚に、紙の束と小さな器と、ベリアトには名も分からない道具が並んでいた。
奥の机に、覆面の悪魔が座っている。
目元だけを空けた覆面に、口もとの小さな格子。
肩が痩せていて、椅子の上の体が小さく見えた。
試験の日、ハーミドを治せと怒鳴ったとき、何も言わずに頭を下げただけの男だ。
あれから、遠くからしか見たことがない。
男はゆっくり顔を上げ、ベリアトの手の黒い小箱に目を留めた。
机の端に裏返してあった紙を表に返し、ベリアトのほうへ滑らせる。
手の形の図だった。
指の一本一本に線が引いてあり、小指と薬指の線だけ、消して浅く引き直した跡がある。
「箱を置け。話はそれからでいい」
ベリアトが箱を図の横に置くと、男は図の線を指で一本ずつなぞった。
口を開くまでに、少し間があった。
「……その型は、手に根を張って、握る力を骨と筋ごと書き足す。代わりに、指を開く線は根に食われる」
男は自分の左の手首を、右手でそっと押さえた。
話しおえても、しばらく手を離さない。
「細い体に合わせて、根は浅くしてみた。
……それでも、左手に植えれば握った形で固まって、戻らないだろうね。戻す型は、まだ無い」
ゆっくりした声で、手が固まる話を、灯り石を配る順でも読み上げるように口にする。
ベリアトは図から目を上げ、覆面の目元をまっすぐ見た。
「今の話、あいつは知ってんのか?」
男は答えなかった。
棚から台帳を一冊引き出し、ゆっくり開いてペンを走らせる。
書いて、次の行を空けたまま、ペンを止めた。
書きつけたのが今の問いなのかどうかも、ベリアトには分からない。
誰も言っていないし、言う気もないのだ。
あの細いのに回せば、政府は満足して、あいつは何も知らないまま手が動かなくなる。
ハーミドと同じだ。
けれど止めに入るだけでは、この試作は来週も再来週も、志願者の列に回ってくる。
誰かが越えなきゃならねえなら、俺がやってやる。
首にはもう根づいていて、根を張られる痛みも知っている。
左手が固まっても、右手があれば、木箱は担げる。
止めに入るだけなのは、今夜で終わりだ。
ベリアトは左の袖をまくり上げ、図に描いた手の上に、自分の左手を重ねた。
右手で、黒い小箱を男のほうへ押し戻す。
「あいつには回すな。それ、俺の左手に植えてくれ。その空いてる行に、俺が受けるって書いとけ」
覆面の格子の奥で、息を一つ吸う音がした。
男は空けた行に短く書きつけた。
ペンを置き、ベリアトの左の手首に指を当てる。
骨の太さを確かめるように、手首の内側から甲へ、ゆっくり押していく。
冷たい指だった。
「……理由は、聞かないでおこう。政府には、私から話しておく」
それから図を引き寄せ、小指と薬指の線を、また引き直しはじめる。
「夜更けまで待て。……君の骨なら、開く線を一本、残せるかもしれない。残せなくても、植えるよ」
夜更けの試験の間は、明かりが半分落ちていた。
ハーミドの腕が灰色になりはじめた部屋だ。
低い台の上に、黒い小箱がある。
覆面の悪魔は引き直した図を係に渡し、壇の奥の椅子で、膝の上に台帳を開いた。
年かさの係が、ベリアトの顔と小箱を何度も見比べてから、左の手の甲を指で押した。
「ここだ」
細い道具で、小箱から灰色の粒を一つつまみ上げる。
ほかの粒より、色が暗い。
係はそれを手の甲に当てて、押しこんだ。
熱いのは、首のときと同じだった。
違ったのは、そのあとだ。
熱が、引かない。
手の甲から指の付け根へ、付け根から指先へ、焼けた針金を一本ずつ通されていく。
骨が、中から押し合って軋む。
開け。
開けよ。
指は開かなかった。
左手の甲が、黒く変わっていく。
煤の色でも灰色でもない、磨いた鉄のような硬い黒。
黒は手首で止まり、そこから先だけを塗りこめていく。
五本の指が寄り合ってぴたりと揃い、一つに固まりながら、まっすぐ伸びていく。
指先が、細く尖った。
ベリアトは固まっていく左手を、右手で手首ごと握りしめ、台の端に額を押しつけた。
ハーミド、あんたの腕もこうだったのか。
灰色になって、動かなくなって、それでも俺の袖を引いてくれた。
なんとかすると約束して、二日走り回って、何もしてやれなかった。
ひとつだけ、違う。
これは、俺が決めた。
尖っていく黒い指先から、目を離さなかった。
口が動いた。
「……奇跡があるかどうかは……あんたが、決めろ」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
熱が引いたのは、半刻ほどしてからだった。
手首から先が黒く固まり、揃った指が一本の針になって、明かりを鈍く返している。
引き直した線は残らず、指は一本も開かない。
「根づきました。手首で止まっています」
年かさの係が、かすれた声で壇へ言った。
覆面の悪魔が台帳を閉じて、壇を下りてきた。
ベリアトの横にかがみ、黒い針になった左手を両手で持つ。
手首の境目を指でなぞり、指の付け根だった所を、一つずつ押していく。
「……決めたよ。奇跡は、ある。ただ、私の描いた形ではなかったね」
何か言いかけて、口をつぐむ。
「……すまない。開く線を、残してやれなかった。君の手で、次の者の……」
男は係から図を受け取って、壇へ戻っていった。
背を向けて図を裏返し、ペンを取る。
手首のところに一本、太い境の線を書き足しているのが、背中越しに見えた。
この手をもとに、次の奴の規格を描き直しているのだ。
年かさの係が布を持ってきて、黒い左手に巻きはじめた。
ベリアトは、右手でその手を止めた。
針になった左手を、明かりにかざす。
握ったまま固まると聞いていたのに、針になった。
代価なら、この手で払った。
悪くねえ。
背を向けたままの覆面の悪魔を見て、少し笑った。
「謝るな。それより、次の奴の規格、ちゃんと直してくれよ。
今朝の細いのにも、いつか合うのを作ってやってくれ」
男の返事は無かった。
ペンの音だけが、止まらずに続いていた。
針の先で、半分落ちた明かりが細く光った。




