夢の残滓1 坑の子
坑道の天井に吊るした明かりが、ぽつ、ぽつと順にともっていく。
坑の底の長屋では、それが朝の合図だった。
空というものを、ベリアトは見たことがない。
明かりがつけば起きて、消えれば寝る。
十年、ずっとそうしてきた。
モルヴァの家の土間には、鍋がひとつ据えてある。
兄や姉が先に囲んで、年の順に、木の椀へ粥をよそっていく。
兄と姉は、匙を動かしながら話していた。
「今月の配給、また減ってたぞ。上の層の連中が先に取ってくからだ」
「そうそう、上の層の三つ目の通りの家、聞いた? 息子がデバイスを受けたんだって」
「あそこの家がか。うまくやったもんだな」
デバイス。
ベリアトは、その言葉で顔を上げた。
誰が、どうやって受けたのか。
なんでその家なのか。
聞きたいことが、喉の奥まで上がってくる。
口を開きかけて、兄の横顔が目に入った。
末っ子が何を言っても、二人とも聞いているふりをして、話を先へ進めるだけだ。
ベリアトは口を閉じた。
鍋が回ってきたときには、底に薄く残っているだけだった。
木の匙で底をこそげると、焦げついた粥がかりかりと鳴る。
すすれば二口で終わる量。
いっつも、俺が最後だ。
匙で椀の縁を叩いても、誰も気にしない。
デバイスの話は配給の話に流れて、それきり戻ってこなかった。
兄や姉が坑へ下りる支度に出ていくと、土間は急に広くなった。
戸口に、隣の家のハーミドが立っていた。
同い年なのに、背はベリアトの肩までしかない。
腕も脚も細く、煤けた浅黒い顔の中で、目だけがやけに大きかった。
手には、縁の欠けた椀を持っている。
中で揺れている粥は、こっちの家のより、さらに薄い。
ハーミドは何も言わずに土間へ入ってきて、ベリアトの横にしゃがんだ。
自分の椀を傾けて、ベリアトの空の椀へ、きっちり半分を注ぐ。
「食えよ」
ハーミドんちだって、薄いのに。
それでも、腹は鳴っていた。
ベリアトは両手で椀を持ち、一気にすすった。
ぬるくて、ほとんど湯の味しかしない。
けど、さっきの二口よりずっと腹にたまった。
自分の分を減らしてまで、こいつは分けてくれる。
空の椀を置いて、ハーミドの肩を拳で小突いた。
「ありがとな!」
それから、声をひそめるのも忘れて、まくしたてた。
「なあ、聞いたか? 上の層のやつが、またデバイスもらったんだってよ。
なんで上の層のやつばっかなんだよ。俺らだって欲しいっての!」
兄や姉の前では出てこなかった言葉が、ハーミドの前だと、いくらでも出てきた。
昼になると、坑道街のまんなかの昇降機の前に人がたまる。
ベリアトとハーミドも、坑夫たちの背中のあいだから首を伸ばしていた。
鎖のきしむ音が、上のほうから下りてくる。
鉄の箱が石の床すれすれで止まり、格子の扉が開いた。
降りてきたのは、男が三人と女が一人。
袖をまくった腕や首筋に、灼けたような赤黒い印がある。
坑夫の肌の煤とは違って、皮膚の下から浮き出したような色だった。
扉の脇には、灯り石を詰めた木箱が積んである。
坑夫が二人がかりで、腰を落として担ぐ箱だ。
男の一人がそれを片手でつかみ、ひょいと肩に載せた。
もう片方の手をぶらぶらさせたまま、何でもない顔で歩き出す。
坑夫たちが、目を伏せて道をあけた。
誰も何も言わない。
ハーミドの父親も、大きな背中を丸めて、壁ぎわへ一歩下がっている。
デバイスを受けた者たちは、あいだにできた道を、まっすぐ通っていった。
年かさの坑夫が、隣の若いのにぼそっとこぼす。
「デバイス持ちは一日で、俺らのひと月ぶん稼ぐんだとよ」
ベリアトは、男の背中が坑道の角に消えるまで、目を離さなかった。
ハーミドの父ちゃんがどいてるのに、あいつらは前だけ見て歩いてく。
腹が立った。
ずるいと思ったし、それ以上に、うらやましかった。
ハーミドのほうへ向き直って、自分の胸を親指で指す。
「俺だって、受ける気さえありゃ、ああなれる。絶対なってやる!」
ハーミドはベリアトの顔を見て、小さく笑い、袖をちょいと引っぱった。
「お前、毎日それ言ってる。……なったら、木箱、俺の分も担げよ」
「毎日言うのは本気だからだっつの!」
ベリアトは肩を小突き返して、にっと笑った。
「担いでやるよ、あんたの分も、あんたの父ちゃんの分もな。約束だ!」
ハーミドは小突かれた肩をさすって、また少し笑った。
夜になって、天井の明かりが消えた。
長屋の裏から、浅い横道がひとつ、岩の中へ伸びている。
掘りかけてやめた穴で、大人は入らない。
奥の壁に、灯り石の筋が一本、斜めに走っていた。
ほかに明かりは無く、筋だけがぼんやりと青白く光っている。
二人はその下に並んで、膝を抱えて座っていた。
背中の岩が冷たい。
坑道の向こうから、鎖の音が響いてきた。
今夜の最後の箱が、上の層へ上がっていくのだ。
上には、明かりがずっとついてるんだろうか。
ベリアトは顎で音のするほうをしゃくって、隣のハーミドを見た。
「なあ、いつか二人で上の層に行こうぜ。あの箱に乗ってさ」
ハーミドは鎖の音のほうを少し見てから、うなずいた。
「……いいよ。付き合ってやる。二人でな」
「よし、言ったな!」
ベリアトはハーミドの肩を強めに小突いて、拳を突き出した。
「約束だぞ! 破ったら承知しねえからな!」
ハーミドの拳が上がりかけたところで、横道の入口のほうから足音がした。
手提げの角灯の明かりが、岩肌の上で揺れる。
すぐ上の兄だった。
母に言われて、呼びに来たらしい。
兄は二人の突き出した拳を見て、鼻で笑った。
「上の層だあ? 鍋の底しか回ってこねえ末っ子が、何言ってんだ。
デバイスなんか、お前に回ってくるわけねえだろ。さっさと帰って寝ろ」
ベリアトは拳を引っこめて、握りしめた。
うるせえ。
回ってこねえなら、自分で取りに行くんだよ。
そう言い返してやりたいのに、兄の前に立つと、喉が詰まって声にならない。
ハーミドの前で、笑われた。
顔が熱い。
立ち上がって兄をにらみ、口を開けて、また閉じた。
そのまま、兄の横をすり抜ける。
どこへ行くかなんて考えていない。
ここにいたくなかった。
すれ違いざまに、小さく言った。
「……見てろよ」
二歩も行かないうちに、後ろから袖を引っぱられた。
振り返ると、ハーミドが袖をつかんでいた。
「待て」
ハーミドはもう片方の手を握って、ベリアトの拳にこつんと当てた。
「……約束、したろ」
ベリアトは、当てられた拳を見下ろした。
一人で飛び出したって、どこにも行けない。
上の層へ行くのは、二人でだ。
さっき決めたばかりの約束を、ハーミドはもう一度確かめに来たのだ。
ベリアトは握った拳を、ハーミドの拳にごつんと押し返した。
兄の背中に届くように、声を張る。
「ああ、したよ! 二人で上の層に行く。絶対だ!」
兄は肩をすくめただけで、角灯を揺らしながら長屋へ戻っていった。
坑道の上のほうで、鎖の音が止まる。
最後の箱が、上の層に着いたのだ。
ベリアトは、まだ拳を下ろさなかった。
ハーミドも、下ろさなかった。
横道の奥で、灯り石の筋が、変わらずぼんやりと光っていた。




