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遥かなる幻想郷まで  作者: ichir0roie
3章:闘争
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やきもち

ガレナが組に加わって、三月になる。

ドラージョの夏は、川からの湿気が石畳に溜まって、朝から首筋に汗がにじんだ。

ノアは、灰色の外套の前を合わせ直した。

背中の袋の中で、翼の継ぎ目が肩に当たる。

暑い。


灰鷹の詰所は、朝の依頼の取り合いで混んでいた。

掲示の板の前で、ブランが腕を組んでいる。

その後ろに、ラウロ、イルウェン、ガレナ、ノアと並んだ。


「なあ、まだかよ。町の中の依頼は、もう飽きたぞ」

ガレナが、背の木剣の柄を指で叩いた。

折れたあとに買い直した、まだ角の立った樫の木剣だ。

本物の剣を欲しがったが、ブランにまだ危なっかしいからと止められた。

鼠の駆除に、猫探しに、倉の荷運び。

この三月、五人で取った依頼は、どれも町の壁の内側だった。


ブランは返事をしなかった。

板の端の一枚を、しばらく眺める。

それから剥がして、卓に置いた。

「ほう。東の街道で隊商狙いの野盗、その巣の偵察だとよ」


「野盗!」

ガレナの声が、詰所の天井に跳ねた。

隣の卓の冒険者が、こっちを振り向く。

ブランは、依頼書を指で叩いた。

「いいか、今回は見るだけだ。斬りに行くんじゃねえ、数と道と見張りの癖を数えて帰ってくる。

……ラウロ、受付に通してこい。行くぞ」

「おう」

ラウロが依頼書を取って、帳場へ向かった。


ブランの目が、ちらりとガレナの足元へ落ちた。

すぐ、板のほうへ戻る。

ノアには、何を見たのか分からなかった。


「五人で外に出るの、初めて」

ノアが言うと、ガレナが勢いよく振り向いた。

「だろ! やっとだ。見てろよノア、見張りの数、あたしが一番に数えてやるからな」

「うん。数えるのは、見張りだけ」

「分かってるよ!」


イルウェンが、半分の目で欠伸をした。

「遠いー?」

「一日歩く」

「そっかー」

麻袋が、ノアの手にのせられた。

いつものことだった。

ノアは何も言わずに、肩に掛けた。


ガレナが、その麻袋をじっと見ていた。



東の街道を、一日歩いた。

日が落ちると、昼の熱が土から抜けて、草の匂いが濃くなる。

街道脇の窪みで火を起こした。

ブランとラウロは、少し離れた土手の上で見張りに立っている。


焚き火の前に、ノアは膝を立てて座った。

ようやく、外套の前を開けられる。

背中の袋は、下ろさない。


イルウェンが、麻袋を引きずってきた。

枕にするように引き寄せて、ノアの隣に横になる。

「疲れた。……寝るー」

少しずつ、ノアのほうへ寄ってくる。

「ノア、あったかいー」

「もう夏だよ」

「うん」

目が閉じた。

頭が傾いて、ノアの肩に落ちてくる。

枕のはずの麻袋が転がって、膝にぶつかった。


ノアは、肩を少し下げた。

頭がちょうど収まる高さだ。

ずり落ちそうな麻袋を膝の上で押さえ、外套の端をイルウェンの肩にかける。

「うん、寝ていいよ」

もう、聞いていなかった。

ヴァレンツァを出てから、ずっとこうだ。

肩が重い。

冬の初めより、また重くなっている。

嫌ではなかった。


ぱち、と火がはぜた。


反対側で、草を踏む音がした。

ガレナが、木剣を抱えたまま立っていた。

ノアの空いている側を、見下ろしている。

足が、一度止まった。

それから、どかっと腰を下ろした。

肩が触れない分だけ、間を空けて。

枝を一本、火に放り込む。


「……別に寒いからじゃねえぞ。火に近いからだ」

火の粉が、夜に上がった。

「明日、見張りの数、あたしも数えるからな。ノアより先に見つけてやる」


麻袋が、また膝から滑りかけた。

ノアは引き戻して、目だけをガレナへ向けた。

笑った。

「うん、負けない」


ガレナの顔が、火のほうへ逸れた。

口が、何か言いかけて閉じる。

それから、自分の外套の留め紐をぐいと引いた。

脱いだ外套が、ノアの空いた肩に、乱暴にかぶさってきた。


「言ったな!」

顔は、火を睨んだままだった。

「……それ、両手ふさがってんだろ。風邪ひかれたら、勝ちになんねえからな。今のはなし!」

言うだけ言って、膝を抱えた。


両肩が、重くなった。

片方はイルウェンの頭で、もう片方はガレナの外套。

夏の夜に、外套が二枚。

暑い。

ノアは、どちらもどけなかった。


ガレナは、しばらく火を睨んでいた。

イルウェンは、目も開けない。



翌日の昼過ぎ、街道を外れた。

ガレナの外套は、朝のうちに持ち主へ返した。

「寝冷えすんなよ」と言って、ひったくるように受け取られた。


ブランの背について、岩場の谷を登る。

谷の奥に、崩れかけた石小屋があった。

屋根の穴から、焚き火の煙が一本。

岩の上に、見張りが二人立っている。


ブランが手で合図して、五人は岩陰に伏せた。

「ここから数える。動くな」


ノアは目を細めた。

見張りの片方は槍を抱え、もう片方は弓を背に掛けている。

槍のほうが、よく欠伸をした。


隣で、ガレナが指を折っていた。

「見張り二人、煙一本」

小声で言って、身を乗り出しかける。

止まった。

小屋の裏手は、ここからでは岩に隠れて見えない。

「……裏が見えねえ」

ガレナの目が、ブランへ向いた。

「あたし、脚に灯をまとわせりゃ、岩伝いに音立てずに回れる。行かせろよ」


ブランの手が、ガレナの肩に置かれた。

軽く押して、岩陰へ戻す。

目は、石小屋から離れない。

「やめとけ。昼間に灯をまといや、岩の上の目にゃ火の粉と同じだ」

ガレナの口が、尖った。

「……と言いてえが、裏は要る」

ブランの指が、小屋の裏の尾根を示した。

「ガレナ、お前は俺と組んで、灯さずに尾根の下を回る。足は俺のあとに置け。

ノア、ここで見張りの交代を数えろ。イルウェンは弓を下ろして待て。ラウロ、二人を頼む。

日が傾く前に戻らなきゃ、そのまま退け」


ガレナの顔が、ぱっと明るくなった。

すぐに引き締めて、ノアのほうを見る。

勝った、という顔だった。


ブランとガレナが、岩の陰を伝って消えていく。

ノアは、見張りを見た。

槍の男が、また欠伸をする。

交代は、まだ来ない。


見張りより、尾根の下のほうが気になった。

赤い髪が、岩のあいだにちらりと見えて、また消える。


「ノア」

ラウロが、低く言った。

「数えるのはお前だぞ」

「うん」


交代が一度あった。

槍が、弓に替わった。

それを指で覚えてから、ノアは岩の端へ移った。

もう一つ、先の岩へ。

裏手が見えるところまで。


「おい」

後ろで、ラウロの声がした。

ノアは、振り返らなかった。


岩の上から、小屋の裏が見えた。

馬が四頭つながれ、荷が積んである。

その手前の岩の下に、ブランとガレナが伏せていた。

ガレナが、ブランの袖を小さく引いた。

顎で、こっちを示す。

見つかった。

味方に。


小屋の裏口から、男が一人出てきた。

用を足しに、岩のほうへ歩いてくる。

こちらには背を向けた。

そして、振り返った。


目が、ガレナと合った。


「おい、誰だ!」


小屋の中で、怒声と足音が重なった。

裏口から、二人が刃物を手に飛び出してくる。

ブランが身を起こした。

「退くぞ」


最初の男が、ガレナへまっすぐ駆けた。

ガレナの腕に、朱が灯る。

木剣が横から振られて、男の手首を打った。

乾いた音。

刃物が岩に跳ねる。

ガレナが、後ろへ跳んだ。

「ノア、来んな! 退けっ!」


着いた足が、ぐらりと揺れた。

片足が、体を支えきれずに折れる。

ガレナの体が、岩の手前で崩れた。

飛び出した二人が、その背へ迫る。

ブランは一歩前で、もう一人の男と向き合っていた。


岩が、二つ。

跳べば、届く。


「やだ」

ノアは岩を蹴った。

一つ目の岩で、靴底が鳴る。

二つ目を蹴って、ガレナの背と男たちのあいだに降りた。

先頭の男の手首を、蹴り払う。

骨に当たる手応えがした。

男が呻いて、刃物を取り落とす。

ガレナの襟を、後ろからつかんだ。

「立って、ガレナ」


もう一人が、刃物を振り上げていた。

ガレナの背の、真上。

ノアの片手は、襟でふさがっている。


風を切る音がした。

正面の岩陰から、薄い緑の光が一筋走る。

矢が、振り上げた腕を射抜いた。

男が刃物を落として、うずくまった。


ブランが、向き合っていた男の足を払って押し倒した。

「今だ、退け!」


ノアはガレナの腕を肩に回して、岩を跳んだ。

後ろで、馬が嘶く。

野盗の声は、馬のほうへ散っていった。

追ってくる足音は、無かった。



谷の入口まで、一息に下りた。

大きな岩の陰で、イルウェンが座っていた。

弓を膝に寝かせて、半分の目でこっちを見ている。

その隣で、ラウロが剣の柄から手を離した。

長く、息を吐く。


ガレナが、ノアの肩から腕を抜いた。

岩の上から、跳び降りる。

膝はつかなかった。

着いた瞬間、体が片側へ傾いて、すぐにまっすぐ戻る。


ガレナは、イルウェンの前で止まった。

目は、イルウェンの肩の向こうの岩を見ている。

腰の水袋を外して、弓の横に置いた。

「……飲めよ。灯り使ったら喉かわくだろ」


イルウェンは、水袋を見た。

それから、ガレナを見上げた。

「うん」

栓を抜いて、一口飲む。

礼も、何も言わない。

ガレナも、言わない。

そのまま背を向けた。


ありがとう、も、ごめん、も無い。

それで済んでいるのが、ノアには少し不思議だった。


「ノア、荷」

ラウロに言われて、麻袋を拾い上げた。

二人で荷をまとめる。

見張り二人、交代は昼過ぎに一度。

馬四頭、荷が六つ。

裏の抜け道。

依頼の分は、揃った。


手を動かしながら、目の端に映っていた。

ブランが、ガレナの横に腰を下ろした。

谷の奥を見たまま、自分の水袋の栓を抜く。

何か話している。

声は、ここまで届かなかった。



ブランは、谷の奥を見たままだった。

水袋の栓を閉めて、膝に置く。

「見張りの数、交代、裏の抜け道。それで依頼は達成だ」

荷をまとめる三人には届かない、低い声だった。

「……ガレナ、足は痛まねえか」


ガレナの手が、脛へ伸びかけた。

止める。

見られていた。

跳び降りたときか。

もっと前からか。


「答えはいらねえ」

ブランが立ち上がった。

ガレナの荷を拾って、自分の肩に掛ける。

「傷を隠して、気ぃ立てたまま前に出るのが、いちばん危ねえ。……帰りは俺の後ろを歩け、荷は俺が持つ」

谷の空を見上げたまま、続ける。

「湿っぽい顔は歩きながらにしろ。行くぞ」


見つかったのは、あたしのせいだ。

なのに、このおっさんは責めもしねえ。


ガレナは、立ち上がった。

脛の奥が、ずきりと鳴った。

「痛くない」

ブランの背に言った。

「……次は見つからねえ」

少し間を置いて、もうひとつ。

「……ありがとな」

自分でも、聞こえるか聞こえないかの声だった。


ブランは振り返らなかった。

片手だけ、軽く上げる。

「おう。次は、見つかる前に退け。それができりゃ一人前だ」


ガレナは、その背の後ろに足を置いた。



夕方の街道は、西日で土が赤かった。

休みどきに水を回したあと、ガレナはまたブランの後ろを歩いていた。

荷の無い肩が、軽すぎて落ち着かない。


少し先を、ノアとイルウェンが歩いている。

イルウェンは、ノアの腕に寄りかかっていた。

歩き疲れた、と一度だけ言って、それきりだ。

自分の麻袋は、とっくにノアの手に提げられている。

ノアは、何でもない顔でそれを提げていた。


隣に、ラウロが並んできた。

歩幅を、こっちに合わせてくる。

ガレナは、前の二人を見たまま言った。

「……なんだよ。笑いに来たのか」

ラウロは答えない。

「ノアのやつ、来んなっつったのに来やがった。

あたしが組んでやるって言ってきたのに、助けられてばっかだ」


「笑わねえよ」

ラウロも、前を見たままだった。

「俺なんか三年、あいつの背中ばっか見てる。助けられた数なら、俺のほうが上だぞ。

……それでも隣に立つって決めたんだ。お前もそうだろ」


前で、イルウェンが半分の目のまま、あくびをした。

ノアが麻袋を提げ直して、何か言って笑っている。

イルウェンは、一度もこっちを振り返らない。


ガレナは鼻を鳴らした。

ラウロの脇腹を、肘で小突く。

「数えんな。……当たり前だろ。三年なんか待ってられっか、あたしは来年には隣に立ってやる。

お前より先にな」


目が、前から離れなかった。

ノアの腕にもたれて、麻袋を提げさせたまま歩く背中から。


ラウロが、その目の先をちらりと追った。

口の端が、上がる。

「言ったな。先は譲らねえぞ。……あと、張り合う相手、ノアじゃねえだろ。顔に出てんぞ」


耳が、熱くなった。

ガレナは、ラウロの肩を拳で殴った。

鈍い音がした。

「言うな! 出てねえ! 今のはなし!」


早足で、二歩。

三歩目で、脛が鳴った。

足が止まる。

前には、ブランの背中があった。

ガレナは、その後ろに足を戻した。


ゆっくりやれ。


前を歩くイルウェンの頭が、ノアの肩へ、こてんと傾いた。

歩きながら、寝ている。

ガレナは、その横顔を睨んだ。

「……あいつ、ノアの何なんだよ」


後ろで、ラウロが笑った。

「楽な枕だろ」


それだけだ、と言われているのは分かった。

分かったから、余計に腹が立つ。

こっちがいくら張り合っても、向こうは張り合ってくれない。

外套をかけても、水袋を置いても、あいつは「うん」で済ませる。


ガレナは、ブランの背中越しに、白っぽい頭を睨み続けた。

イルウェンは、今日も目を開けなかった。

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