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遥かなる幻想郷まで  作者: ichir0roie
3章:闘争
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流星のように

雨上がりの空き地は、足を置くたびに靴の底が沈んだ。

町外れの石積みの陰で、ラウロは木剣を構え直した。

刀の爺さんは、朝から町の外へ薬草を摘みに出ている。

その留守に、ノアの相手をするのが日課になっていた。


弟子入りしてから、三月と少し。

振りは前より、重くなった。

握るな、持て。

爺さんの言葉が、まだ掌に残っている。


正面に立つノアは、白に近い金の髪をひとつに結んでいる。

素手のまま、ラウロの切っ先を半歩の動きでかわした。

かわしながら、目だけが通りのほうへ流れる。


「ノア、よそ見すんな」

「ちがう、足音」

「あ?」


遠くから、土を蹴る音が近づいてくる。

ひとつ。

速い。

通りの向こうから、赤いものが空き地の手前へ飛び込んできた。


「いた! ピエトロ、いたぞ!」

赤い髪をなびかせた子が、背の木剣を揺らして走ってくる。

つり上がった目に、日に焼けた頬。

砂を蹴って急停止した足元から、泥が跳ねた。

「ノアーッ! あたしだ、ガレナだ! 追いついたぞ!」


ノアが、構えていた両手を下ろした。

目を丸くして、それからふっと笑う。

「ガレナ。……ほんとに来た」


ガレナは、胸を張って腰に手を当てた。

ノアの前に立つと、背の柄を握ってみせる。

「当たり前だろ。来るって言ったら来るんだよ。三年も待ってられるか」

鼻の頭が赤い。

目の端が、潤んでいる。

「あたしを組に入れろ、ノア。なんなら今ここで腕を見せてやる!」


「うん。見せて」

ノアが、まっすぐ目を見て頷いた。

空き地の真ん中を顎で示す。

「ラウロ、いい?」


その瞬間だった。

ガレナの足が、残りの二、三歩を一息で詰めた。

勢いのまま、ノアの首に両腕が回る。


「うわ」

受け止めきれなかったのか、受け止める気がなかったのか。

二人まとめて、ぬかるみに倒れ込んだ。

泥が、盛大に跳ねる。


ラウロは、木剣を持ったまま固まった。

ノアが、仰向けのまま空を見ている。

その胸の上で、ガレナが肩を揺らしていた。

笑っているのか、泣いているのか、顔を伏せているので分からない。


やがて、ガレナが飛び起きた。

ノアの肩を拳で、とん、と小突く。

「……っ、今のはなし!」

耳まで赤い。

泥だらけの顔のまま、背の木剣を抜いて空き地の真ん中へ大股で歩いていく。

「ほら、ラウロ! さっさと来いよ、やんのか!」


「……ったく」

舌打ちが、半分だけ笑いになった。

ノアの手を取って、引き起こす。

「立てるか」

「うん。ガレナ、変わってない」

「そこが問題なんだよ」


通りの角に、人影がひとつ立っていた。

荷を肩に引っかけた若い男が、膝に手をついて肩で息をしている。

ラウロの口が、勝手に開いた。

「……ピエトロ?」


ヴァレンツァの坂下の、あのガキ大将だった。

声の大きさだけは、昔から町じゅうに知られている。

その男が、いまは声も出ないほど疲れ果てた顔で、こちらを見た。

呆れたように眉を下げて、片手を軽く上げる。


ラウロは、ガレナの背とピエトロの顔を見比べた。

それから、剣帯を締め直した。

「ガレナ、焦んな。組に入れるかどうかは俺が決める。手ぇ抜いたらそこで終わりだぞ」

木剣を手に、空き地へ踏み出す。

「ピエトロ、あんたが連れてきたのか。ご苦労さん」

ピエトロは、返事の代わりに地面へ座り込んだ。



その夜の酒場は、湯気と煙で窓が曇っていた。

いつもの奥の卓に、ノアとラウロ、ブラン、イルウェンが座っている。

そこへ、風呂上がりのガレナと、ようやく息の戻ったピエトロが加わって、六人になった。


ガレナは、昼の泥が嘘のように髪を櫛で撫でつけている。

ただし、座るなり皿の串焼きに手を伸ばした。

ブランが、杯の縁越しに眺める。

「ほう。ノアの昔なじみってのは、こういうのか」

「元気ー」

イルウェンは、半分しか開かない目で、ガレナの髪を見ていた。

「赤いー」

「なんだよ、悪いかよ」

「うん、いいー」


ピエトロが、杯をあおった。

卓に音を立てて置く。

身を乗り出した。


「どうやってここまで来たかって? おれが連れてきてやったに決まってんだろ!」

声が、隣の卓まで届いた。

「年明けの夜に、こいつが荷ぃ背負って飛び出すってんで、放っとけねえじゃねえの。

街道口の夜警には止められるわ、こいつは投げ飛ばされるわで、受け止めてやったのもおれだかんな」


「投げられたのは余計だ、言うな!」

ガレナが、串を握ったまま睨む。

ピエトロは構わず続ける。


「でな、こいつは登録してねえだろ? だから道中の札は、全部おれの名義で受けたんだよ。

おれの名で、おれが判もらって。なのに報酬は、きっちり半分持ってきやがる」

指を二本立てて、突き出した。

「半分だぞ、半分! 名義貸してやってんのは、こっちだろがよ!」


「半分は半分だろ! あたしが倒した分のほうが多かったんだからな!」

「札の中身も聞かねえうちに『次!』『次!』って、ノアの噂を聞いたら町をひとつ飛ばして走り出すわ、

大鼠の巣に先に突っ込むわ……おれぁ一冬、こいつの後ろを追っかけて走っただけじゃねえの!」

「大鼠のは、お前がとろいのが悪い」


ラウロは、杯で口元を隠した。

笑いをこらえているのが、自分でも分かる。

隣のノアが、ガレナとピエトロを交互に見ていた。

ふたりの言い合いを、ひとことも逃すまいとするように。


ブランが、低く喉を鳴らした。

「同盟の町を、ぐるっと回ったのか」

「おうよ! あっちの町で『白い翼』って聞きゃ、次はこっち、ってな」

「大した追っかけだ。……ガレナ、足は痛まねえか」

「痛くない」

即答だった。

その手が、卓の下でそっと脛を押さえたのを、ブランは見なかったふりをした。


ガレナが、串の先でノアの背を指した。

「そうだ、ノア。フランカ姉さんから言付けだ。あの棒、まだ持ってるかって」

ノアは外套の裾を少しめくって、荷の横に括った樫の棒を見せた。

腰には、ブランから渡された短剣が差してある。

「持ってる。剣をもらったから、今は荷に括ってる。捨ててない」

「……ふうん」

ガレナは、短剣と棒を見比べて、口を尖らせた。

「今度会ったら、姉さんにそう言っとく」


ガレナが、自分の皿の肉を一切れ、黙ってピエトロの皿へ放り込んだ。

視線は合わせない。

ピエトロは、つまんで口に放り、噛みながら笑った。


「とろいだぁ? おまえが速すぎんだよ、猪じゃねえの!」

杯を干して、立ち上がる。

荷を肩に引っかけた。

「……ま、肉に免じて許してやらぁ」


卓が、静かになった。

ピエトロは、全員の顔をひとわたり眺めた。

「んで、おれはここで降りるぜ。もう振り回されるのは、うんざりなんだ」

声は、いつもより低かった。

「こいつのお守りは、おまえらに引き継ぎだ。おれはおれで、自分の名で札取って稼ぐからよ」

ひと呼吸おいて、いつもの調子に戻る。

「そのうちでっけえ札で名前上げて、おまえらのほうから組もうって頭下げさせてやっからな!」


ラウロは、何か言いかけて、やめた。

ブランが杯を掲げる。

「行け。湿っぽい顔は、歩きながらにしろ」

イルウェンが、のんびり手を振った。

「いってらっしゃいー」


ガレナは、立たなかった。

串を皿に置いたまま、動かない。

その横顔を、ノアだけが見ていた。



酒場の戸が開いて、冷えた夜気が入り込んだ。

ピエトロは、荷を担ぎ直して通りへ出た。

石畳の先に、角の灯りがひとつ。


後ろで、戸が派手に鳴った。

駆ける足音が、数歩で追いついた。

「おい、ピエトロ!」

ガレナが、腰の小袋を外して、背中に押しつけるように突き出していた。

「……これ、持ってけ。あたしの取り分の残りだ」


ピエトロが、振り返った。

小袋を一度、手のひらで受ける。

重さを確かめるように、軽く揺らした。

それから、ガレナの胸元へ押し戻す。


「ばぁか。稼いだのはおまえだろがよ」

大きな手が、赤い頭に乗った。

乱暴に、ひと撫で。

「そいつで、木剣じゃねえ剣でも買いやがれ」

背を向けて、片手を上げて歩き出す。

「……おれの背中なんざ、もう守らなくていいからよ。今度はあいつらの背中、ちゃんと守ってやれよな!」


ガレナは、小袋を握りしめたまま、撫でられた頭を押さえていた。

ずるい。

最後にだけ、格好をつけやがって。

大きく息を吸った。


「言われなくても守るよ!」

通りじゅうに、声が響いた。

「お前もでっけえ札取って、さっさと名前上げろよな! そしたら……そしたら、あたしが組んでやる!」


遠ざかる背中は、振り返らなかった。

上げた片手が、ひらりと一度だけ揺れる。

それきり、角の灯りの下を抜けて、見えなくなった。


ガレナは、立っていた。

小袋を胸に押し当てたまま、しばらく動かなかった。

酒場の戸の隙間から、笑い声が漏れてくる。

空き地の泥は、もう乾きかけているだろう。


「……ありがとな、ピエトロ」

誰にも聞こえない声で言った。

流れ星のように駆けてきた一冬が、通りの先で、静かに終わっていた。

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