↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遥かなる幻想郷まで  作者: ichir0roie
3章:闘争
PR
54/84

しょく

東門の市で護衛の段取りをつけてから、五週間が経った。

十月の十七日、ドラージョの朝は、川から上がる霧が屋根の上で薄く切れていた。


小領主の館は、街の北の坂の途中に建っていた。

門柱の漆喰が剥げかけているのに、扉の取っ手だけは真鍮が磨いてある。

通された応接間は、窓が小さく、昼前なのに燭台が灯っていた。


「東のブルチャ野に、うちの開拓村がある」

でっぷりした小領主は、背もたれにふんぞり返ったまま言った。

指の太さに合わない指輪が、肘掛けを叩く。

「そこの蔵が荒らされとる。連中を始末してもらいたい」

ノアたちは四人並んで立っていた。

椅子は一脚も勧められていない。

ノアが口を開く前に、領主の目がラウロの上で止まった。

頭から足まで、舐めるように下りていく。

「……そっちの若いのは、灯らずだそうだな」

ラウロの肩が、わずかに固くなった。

「灯りも点せぬ者を頭に据えた組の評判など、当てになるのかね」

領主は鼻で笑った。

ブランが口の端だけで愛想を作り、何か言いかける。

それより先に、ノアが一歩前に出た。

ラウロの横に並んで、領主をまっすぐ見返す。


「灯りは関係ない」

領主の眉が上がった。

「ラウロが頭だから、ボクらは負けない」

ノアは続けた。

「……受ける。蔵を荒らすのは何人?」

領主は面白くなさそうに唇を曲げた。

「十人かそこらだ。夜に来る。報酬は首尾次第」

それだけ言って、手を振った。

下がれ、ということらしかった。


館の廊下は、外より冷えていた。

磨き込んだ床板に、四人の足音が重なる。

窓際で、ラウロが足を止めた。

背中の剣の柄を握り直して、ノアの方は見ない。

ブランがイルウェンの肩を押して、先に階段の方へ歩いていった。

気を利かせたのだと、ノアにも分かった。


「……悪い」

ラウロは窓の外を向いたまま言った。

「俺の灯りのせいで、お前まで安く見られた」

少し間が空いた。

それから、横目でノアを見る。

「けど、頭だって言ったのはお前だからな。十人、夜。段取りは俺が組む。

できないことはできないって先に言うから、お前は前で好きに暴れろ」

ノアはラウロの肩を、拳で軽く小突いた。

目が細くなる。

「謝らなくていい。安く見たのはあいつ」

ラウロの口が、むっと曲がった。

「うん、前はボクがやる。段取り、任せた」

ラウロは何か言い返そうとして、結局、舌打ちだけで済ませた。

肩の力が、ひとつ抜けたのが見えた。



翌日の午後、四人はブルチャ野の開拓村に着いた。

刈り跡のまばらな畑が、枯れ草色のまま空まで続いている。

風が吹くたびに、土が細かく舞った。


下見を始めるつもりで蔵の戸を覗くと、中は半分も埋まっていなかった。

隅に麦の袋が三つ、潰れた形で積んである。

戸口からは、痩せた子どもが首だけ出してこちらを見ていた。

その後ろで、老婆が空の籠を抱えて呟く。

「これじゃ冬は越せん」


広場の方で、荷車の軋む音がした。

領主の取り立て役が二人、麦袋を荷台へ積んでいる。

袖にすがった男が、突き飛ばされて土に手をついた。

取り立て役は振り返りもしない。

ノアの手のひらが、ひとりでに握られた。

灯りは、出さなかった。


井戸端で水を飲んでいると、若い男が寄ってきた。

ソラーナへ出稼ぎに出ているのだという。

「次の取り立て日も、祭日の巡りも、向こうの刻み手のジルドさんに暦から読んでもらってるんだ。

だから先回りして隠せる……おっと」

男は慌てて口を押さえた。

その首筋に、花の形の印がある。

隣に立っていた女二人の首にも、同じ赤い跡があった。

女の一人が、静かに言った。

「伝承者さまが、きっと導いてくださる」

三人とも、目に迷いがなかった。

腹を空かせた村の顔ではなかった。


ブランが若者に顎を引いて礼を言い、井戸から一歩離れた。

目の端で、三つの首筋を数えていたのがノアには分かった。

イルウェンは井戸の縁に腰を下ろしたまま、半分しか開いていない目で三人を順に眺めている。

それから、ノアの袖を指先で引いた。

「……三人とも、おんなじ花ー」

言葉が、ひと呼吸遅れて続く。

「……首のとこー」


ノアは仲間の方へ戻って、声を落とした。

「ラウロ。盗んでるの、この村の人だと思う。取り立てから隠してるだけ」

ラウロは眉を寄せたが、反対はしなかった。

「……ボク、この人たちは斬らない」


ブランが肩を寄せてきた。

「……見たか、首の花。三人揃って、あの目だ」

低い声だった。

「ノア、テオのこぶの話、覚えてるな。ここじゃ何も貰うな」

ノアはうなずいた。

うなずくだけで、喉の奥が乾いた。

あの夜のベリアトの目が、三人の目と重なって見えたからだ。


日が暮れるまで、村を回った。

印を負った村人は、思っていたより多かった。

パンを分け合う女の手にも、鍬を担ぐ男の肩口にも、あの赤い花がある。

誰に尋ねても、「伝承者さま」の名を落ち着いた顔で口にした。

領主を呪う声は、ほとんど聞こえなかった。

ただ待っている、という顔をしていた。


夕暮れ、村外れの空き小屋に四人で入った。

今夜にも、領主に頼まれた「始末」の見張りに立つ段取りになっている。

ラウロが戸口で外の暗さを測り、ブランが床の板を踏んで確かめ、イルウェンは壁際に座りこんで目を閉じた。


ノアは壁にもたれて、膝を抱えた。

手のひらを上に向ける。

白い灯りがひとつ、ぽつりと点った。

色のない小さな光が、土の床と四人の足を薄く照らす。

しばらく眺めて、握りつぶした。

小屋の中が、暗くなった。


「……領主は嫌い」

ノアは膝に顎をのせたまま言った。

「でも、あの花も嫌」

誰も、遮らなかった。

「どっちに立っても、誰か泣く」

顔を上げて、ラウロを見る。

「ラウロ、ボク、わかんない」


ラウロは何も言わずに、戸口から身を引いた。

ブランが床板に腰を下ろして、長く息を吐く。

外で、風が戸を鳴らした。

夜は、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。