はじめてのおつかい
波止場裏の路地は、朝から油の匂いがする。
潮の匂いに、焦げた油が混ざる。
ノアはラウロの後ろを歩いていた。
防波堤の基地に行く近道だ。
「ここ、エルフの店だぜ。」
ラウロが小屋を指した。
戸が開いている。
中は道具で埋まっていた。
壊れた灯り皿、ほどけた網、蓋の無い箱。
その手前の木箱に、細長い男が座っている。
耳が長い。
髪は後ろで適当に束ねてある。
腰に杖が二本。
長いのと短いの。
切り口が揃っている。
男が欠伸をした。
その隣に、小さい子がいた。
ノアの胸くらいの背。
髪は淡い色で、耳の先が尖っている。
膝の上に、体より大きい籠。
「いい、イルウェン。栗の粉を一袋ね。それから灯り直しの部品…芯受けの環っていうやつ。銅のやつだよぉ。
あと魚、なんでもいいから一匹。」
男が指を三本立てた。
子は一拍おいて、頷いた。
「……うん。」
「お金はこれ。おつり、持って帰ってきてね。たぶん…足りるでしょ。」
「……うん。」
ノアは戸口に立ったまま、杖を見ていた。
「その杖、二本あるの?」
男がこっちを向いた。
目が半分しか開いていない。
「折れてるだけだよぉ。」
「かっこいい!」
「そう…。」
男はまた欠伸をした。
「おい、行こうぜ。」
ラウロが袖を引く。
子が籠を抱えて立ち上がった。
ゆっくり歩いて、路地の角を曲がる。
ノアが三歩あるくあいだに、一歩。
「ちっちゃいね。」
「お前より小さいな。」
昼前の市場は、魚の腹の匂いがした。
石畳が濡れている。
ラウロが腹が減ったと言うので、基地から戻ってきた。
人の流れが、真ん中で割れていた。
割れたところに、あの子が座っている。
石の上に、そのまま。
膝に籠。
籠は空。
目は半分、閉じている。
「森の子だよ。触るんじゃないよ。」
前を通る女が、連れの腕を引いた。
市場の隅で、丸い体の男が腕を組んでいた。
足元に桶。
桶の中に、頭の欠けた魚が三匹。
「朝からずっとああだわ。森の子は時間の流れが違うんだと。知らんけど。」
「なんか、考えてなさるんだよ。」
隣の籠売りが手を合わせた。
みんな、遠巻き。
誰も近づかない。
ノアはしゃがんで、顔をのぞきこんだ。
まばたきが、一回。
「寝てる?」
「寝てねえよ。目あいてる。」
「迷子?」
ノアが聞いた。
子は一拍おいて、頷いた。
「……うん。」
「おつかい、まだだよね。粉と、部品と、魚。いっしょに行っていい?」
「……うん。」
ノアは右手をポケットに入れたまま、左手を出した。
子の手は小さくて、冷たい。
握っても握り返してこない。
でも、立った。
「おれ、粉屋知ってる。こっち。」
ラウロが先に行く。
粉屋はすぐだった。
栗の粉を一袋。
子が抱える。
籠に入れると、籠がふさがった。
「一つ目、できた!」
「……うん。」
次は鋳掛屋の台。
銅の輪や金具が、板の上に並んでいる。
ノアは腕を組んだ。
「えっと。芯…芯なんとかの、輪っか。銅の。」
「芯抜きだろ。」
ラウロが横から言う。
「芯抜きは輪っかじゃねえ。」
台の親父が言った。
「輪っかなら、芯押さえの環ならあるが。」
「それ!」
ノアが指した。
子を見る。
「……うん。」
子は頷いた。
親父が銅の輪を一つ、紙に包んだ。
魚は、隅の丸い男のところだった。
「半端もんしかねえわ。」
男は桶から一匹つまんで、葉っぱで巻いた。
「一枚でいい。持ってきな。」
子が右手に魚、左手に籠。
ノアは手を離した。
「三つ目! できたね!」
「……うん。」
猫だった。
台の下から出てきて、子の右手に飛びついた。
子は動かない。
右手も、動かない。
魚だけが無くなった。
「あーっ!」
ノアは追いかけた。
猫は魚をくわえて、樽の隙間に消えた。
ラウロが樽の向こうを見に行く。
「だめだ。いない。」
戻ると、子はしゃがんでいた。
籠は石の上。
粉の袋が、籠から半分はみ出して、倒れている。
石畳が白い。
「あ…。」
ノアはしゃがんで、袋を起こした。
石の上の粉を、手で寄せる。
半分は戻った。
半分は、もう砂と混ざっていた。
「ごめん。手、離した。」
子はノアを見た。
一拍。
「……うん。」
丸い男が、腕を組んだまま見ていた。
「動かんな、あの子。」
「動かないね。」
ノアは袋を籠に押し込んで、また左手を出した。
今度は、離さないことにした。
夕方の工房は、戸口に西日が入っていた。
油の匂いが、朝より濃い。
細長い男は木箱に座ったまま、短いほうの杖で灯り皿の縁をつついていた。
籠を見る。
半分の粉。
紙に包んだ銅の輪。
魚は無い。
男は輪を開いて、しばらく見た。
欠伸をした。
それから、ため息をついた。
「芯押さえじゃなくて、芯受けだよぉ…。まあ、いいけど。」
「魚は?」
「猫にとられちゃった。」
ノアが答えた。
「そう…。」
男は輪を紙に戻した。
「この子、市場で迷子になってたから。連れてきた。」
ノアは繋いだままの手を、少し持ち上げた。
「いくつ? 六つ?」
「イルウェンは十四だよ。」
ノアの目が、丸くなった。
「…わたしよりおねえさん?」
子を見る。
子は一拍おいて、頷いた。
「……うん。」
「うそだろ。」
ラウロが戸口から言った。
「エルフだからねぇ。」
男が短い杖を腰に戻した。
「僕はシレン。この子、預かってるんだよぉ。おつかいは、初めて。」
イルウェンは籠を置いて、木箱の端に座った。
目が半分、閉じていく。
ノアはまだ、その手を握っていた。
年上の手。
小さくて冷たい。
「ねえ。また来ていい?」
一拍。
「……うん。」
シレンが立ち上がって、粉の袋を棚に上げた。
「半分は買えたんだから、初めてにしては…。」
欠伸。
「上出来でしょ、たぶん。」




