後編
あれこれと家の構造や周りについて質問してくるナハムティをなんとかあしらい、夕食も無事に終えた後、夜彦を寝かしつける。
すぐに出発という訳ではないと聞いて安心したからか、すぐに眠りについた夜彦。
起こさないように慎重に部屋を出る。
空気がある家から離れ沼の底に複数ある横穴、その中の一つを進んで少しすると目的の場所に到着する。
上から降り注ぐ月光に照らしだされるのは、一面を覆い尽くす白い、花 花 花。
此処は夜彦を育てると決めた後に種を埋め、成長してからは夜彦と一緒に育てた花畑。
水中でも息が出来るようにドーム型に膜が張っており、しかし花と地面の間には水が張っているという、幻想的で美しい此処は私と夜彦のお気に入りの場所。
その中心に座り込む。
何故此処に来たか………此処なら、どんなに大声を出しても夜彦には届かないから。
「…っぁ…っっ……ぅあ゛っ……っあああ゛あ゛――――――――っ!」
悲しい 嫌 寂しい でも 離れたくない 夜彦が 嫌だ けど いやだぁ……
最終的には託すと、決めた。
今生の別れではないことも分かっている。
それでも感情が、涙が、溢れてしまいどうしようもない。
本来精霊とは感情がむき出しの生き物。
前世の記憶のおかげで私はある程度我慢できる、でも今回は無理だった。
夜彦が離れて行ってしまう悲しみと寂しさと、もしかしたら行ったきり帰ってこないのではないかという不安、そして……私を守りたいと言った夜彦への愛おしさで気が狂ってしまいそうだった。
溢れる感情に呼応するかのように、とめどなく流れる涙を拭うこともせずただただ、泣き叫ぶ。
どれくらい経っただろうか、思いっきり泣いたので少し落ち着いてきた。
しかし涙は止まらず流れ続けている。
そのまま放っておいても下は水だから、そのままにしていると………白く細長い指に涙を拭われる。
驚いて顔を上げると、そこにはナハムティが居た。
「……どうやって…此処へ……途中の道には空気が無かったはず」
「少しの間でしたら水中でも呼吸が出来る魔法がありますので」
「そう………ところで、拭わなくていいわ」
話している最中も流れる涙をナハムティは拭ってくる。
さすがに恥ずかしいので、指を掴み止める。
「貴女が家から出て行かれるのを見て追ってしまいましたが、何故泣かれていたのですか?」
「何故って…」
泣いている理由なんて一つしかないでしょう、そう思いナハムティを見ると、ふざけているわけではなく真剣な顔をしている。
まさか…本当に分からない?
「まだ幼い息子と離れることになるというのに、悲しくならない訳ないでしょう」
「………解らない。赤子の頃から育てたとはいえ赤の他人」
「それ以上言えば本気で怒るわよ」
「!?」
「昼間にも言ったと思うけど、夜彦は私の大切な愛おしい息子。血が繋がっているかどうかなんて関係ないの」
だからこそ、離れて暮らす事がこんなにも悲しくて不安で、寂しいのよ。
そう言っても、ナハムティは理解出来ないと眉を寄せる。
どうしてか聞くと自分の知っている母親とは全く違うとのこと。
ナハムティの母は正妃、しかもイーム族の中でも高位の貴族の生まれ。貴族は高位の者程、子供は乳母に任せ、赤子のころからほとんど関わることは無いのだそうだ。
「物ごころつく頃から第一王子なのだから、他の弟妹に劣るなとだけ言われてきました。それに交流など公を除けばほとんどなかった」
だから血が繋がってなくとも子供を思い、涙を流す母親がいるなんて………知りませんでした。
無表情で言うナハムティが突然、身体は大きいのにとても幼い子供のように感じられ
なでなで
思わず、夜彦にやるように頭を撫でてしまった。
驚いたのかナハムティは眼を見開き石のように固まってしまっている。
……ついでに思わず撫でてしまった私も自分の行動に驚き、しかしいつ止めたらいいか分からず、そのまま手を動かす。
しばらく撫でて最後にわしゃわしゃと強めに撫で、手を離す……が離れる前に手をがしっと掴まれる。
掴まれている手はそのままナハムティの顔の前に持っていかれる。
「ごっごめんなさい。つい夜彦にやるように手が動いて…嫌だったわよね」
「いえ……ただ」
そのままじっと私の手を見つめるナハムティに、どうしたらいいか分からずされるがままになる。
「貴女の手は…暖かいですね」
「そりゃ精霊といっても、今は実体化しているからね」
「そういう意味ではないのですが…」
苦笑したように言われてもよく分からず、首を傾げる。
そんな私の様子に、今度は何が可笑しいのか体を震わせて本格的に笑い出すナハムティ。
しばらくそのまま花畑で過ごしていると、いつの間にか涙は止まっていた。
さすがにそろそろ寝ないと明日がきついので、帰ろう。
けどその前に……
「ナハムティ……夜彦のことを、貴方の弟をどうか、よろしくお願いします」
深く、深く頭を下げ、側に居てあげれない私の分まで夜彦を守って欲しいと。
短い時間ではあるが、精霊としての眼と自分の感を信じ、ナハムティに改めて夜彦のことを頼む。
「この命に替えましても、ヨルヒコを守り、善き道を歩めるように教え導くことを誓います」
ナハムティは穏やかな笑みを浮かべそう言ってくれた。
あれから10年……いろんな事がたくさんあったな。
最初は、帰って来る度に夜彦の成長を喜び、つぶさにその姿を間近で見れないことに寂しさを常にに感じていた。
しかし夜彦に変わり、ナハムティが定期的に夜彦がどういう風に過ごしているか等をしたためた手紙を送ってくれるようになったため、だんだん寂しく感じることは少なくなっていった。
そしてやはりイーム国での夜彦への差別は酷いようで、夜彦はなんてことないようにしていたけど、そんなのただの強がりであることは母親である私にはお見通しだった。
だから帰って来る度に夜彦の好物を作り、夜彦をいっぱい甘やかす。
平気だと強がる夜彦を、思いっきり泣かしてあげるのも最初は私だけだった。
でも何かと世話を焼くナハムティに夜彦はどんどん懐いていって、今では辛いことがあってもナハムティの前でなら泣くことが出来るようになった。
手紙でそれを知った時は、私以外にも心許せる人が出来たのだと安心して少し泣いてしまった。
そして明日で夜彦は17歳、18歳で成人だけどほぼ大人と言っていい年になる。
誕生日なのでいつもより気合いを入れて今日と明日の分の御馳走の下準備して、今か今かと沼の淵にて夜彦の到着を待つ。
やがて空の向こうから大きな翼を広げ、悠々と飛ぶ影が。
段々近づいてくる影が複数であることを認識すると、その中の一つが猛スピードで此方に向かってくる。
「おふくろ~!ただいま~!!」
「おかえ」
りなさい、と言い終える前に夜彦はスピードを落とさず、私を抱きしめ空に攫う。
ぐふぅぇぇ、くっ苦しい…!
「おふくろ、おふくろ!久しぶりだな!元気だったか?なんか前より小さくないか?」
「…ん゛ん゛!(前より夜彦が大きくなっただけよ!と言いたいのに、顔を胸に押さえつけられて声が、というか呼吸が~!?)」
「ああ本当に久しぶりだ!!前回はゴタゴタがあって帰れなかったからな、今回はいつもより長く居れるんだ!」
もうすぐ成人だというのに、まるで子供のようにはしゃぐ夜彦は私をぎゅうっとさらに抱き締めて(死ぬ)、くるくると沼の上で踊る様に回る。
あ、やばい……そろそろ………意識が……………
再会して早々に気絶しそうになっていると、そこに救世主が!
「落ち着きなさいヨルヒコ」
「え、兄っ!?」
ゴゴン!
重そうな音が聞こえて、すさまじい締めつけから解放されたと思えば、気づけばナハムティの腕に抱えられていた。
助かった…危うく息子に抱き締め落とされるところだった。
「ぜぇ…ぜぇ…ありがとうナハムティ、助かったわ!」
「いえ、ですが大丈夫ですか?どこか怪我などは」
ナハムティを仰ぎ見ながら礼を言うと、眉をさげて心配そうに伺ってくる。
その顔は昔と違い、かろうじてあった幼さが完全に消えて一層美しさが増していた。
もちろんこの10年で夜彦も昔から中性的で小さい頃は天使だったのが、今は美の女神(中見は普通の子供)のように成長した。
対してナハムティは美青年から美丈夫に、昔よりガッチリとした体躯になり荘厳な雰囲気を纏っている感じだ。
昔はあんなに儚い雰囲気だったのに……と考えながらじっと見つめる。
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないわ。ところでさっきから気になっているんだけど」
「はい」
「もうそろそろ下ろしてくれないかしら?」
そう言うと、ナハムティは沼の側に下ろしてくれた。
さっきから大人しい夜彦はというと、なにやら頭を抱えて蹲っている。
どうやら先程の音は、ナハムティが私を救出する際に思いっきり頭をはたいた音のだったようだ。
蹲る夜彦の隣にはもう一人、ドレスを着た見知らぬ女性がいた。
チョコレート色の髪に黒目の前世のアラビアンナイトをどこか思わせる感じのボンッキュッボンな美女だ。
「ナハムティあの人は?翼が無いからイーム族ではないようだけど、もしかして」
「ああ、彼女は人間ですよ……普通の人間ではありませんが」
「?」
よくわからず首を傾げていると、ようやく動けるようになったのか彼女と共に夜彦が近づいてくる。
「ひでぇよ兄貴!あんなに力一杯殴んなくてもいいじゃねえか!」
「母さんが苦しんでいたというのに、気づかないお前が悪いのです」
「えっマジでおふくろ!?ごっごめん、大丈夫か?」
本当に気づいていなかったのか驚いた様子で慌てる夜彦。
「ええちょっと苦しかっただけだから。でも今度から気をつけるように」
「わかった!でも、本当に大丈夫なのか?」
「ええ」
会話がちょうど途切れた瞬間、女性が口を開いた。
「ねぇ、そろそろ紹介して頂けません?」
「あっすまない、おふくろ彼女はシェーラ。人間だけど今はうちの国に事情があって住んでるんだ」
「初めまして、シェーラ・マグダと申します。ヨルヒコの育ての親がどのような方か興味がありましたので、今回御一緒させて頂きました」
ん?この子………
「そうなの…こんな普通のおばさんでがっかりした?」
「普通だなんてそんな……まさか、下級の水の精霊が育ての親とは驚きましたが」
「…」
「しかもこのような人も物もない環境でよく生活することが……さぞ大変でしたでしょうヨルヒコ」
はぁ?
「別に?家は沼の底にあるけど、此処って本当に住み心地良いし綺麗だから!シェーラにも、それを知って欲しいな」
「ヨルヒコ…」
夜彦が満面の笑みで心の底から此処が良い所であると言っているのに対して、眉を下げるシェーラ。
ナハムティは特に口を挟まずニコニコしている。
うわぁお……何この空気。
夜彦、シェーラが今どんな風に貴方を見ているかちゃんと気づいてるの?
「ところでナハムティ、先程貴方もこの方を母と呼んでいませんでしたか?」
あれ、そこ気になる?
まぁなんでかというと、あれはそうナハムティが夜彦を迎えに来た時に私の名前を聞かれたのよ。
もともと精霊で名前を持っているのはかなり力が強いものだけで、下位なんてみんな名前が無いの。
まあ私には、前世の名前があるにはあるけどそれは秘密だからね。
で、ナハムティにそう説明したら……
『それでは弟であるヨルヒコにとって母である貴女は、兄である私にとってももう一人の母親ということになります』
『…いやいや!?なら』
『なので、母さんと呼ばさせて頂きますね。これからも末長くよろしくお願いします、母さん』
と押し切られたのよ………普通におばさんとかおばちゃんでは駄目か提案したのに、絶対母さん呼びから変えないのよ。
でも別に嫌とかではないし、実際もう息子のようなものだから今では母さん呼びが気にならないのよね。
そうナハムティから説明されたシェーラは、理解出来ないという顔をしている。
とまぁ一旦話題が切れたので、ずっと立ったままもなんだしとりあえず家へと招待する。
「これは、また見たことない小屋ですね」
「私と夜彦の家ですがなにか?」
本当にこの子、失礼だな。
小屋ってなんだ小屋って!これでもそこら辺の一般人の家よりも広いからね!
ナハムティも珍しそうに見ていたけど、あれには好奇心もあったのでそこまで不快ではなかった。
しかしこのシェーラは完全に駄目だ。
家だって言ってるのに心底ありえないとこっちを見て来る。
「それでシェーラさん、貴女の私を見るという目的を達成したけどどうするの?夜彦達はしばらく滞在するけど此処は貴女が言ったように広くないし、そんな大人数泊めれないの」
そもそも貴女自分の身の回りのことを出来ない人でしょ?
「あれ?おふくろよくシェーラが貴族って分かったな」
「分からない訳ないでしょう。名前、服、言動、全てが庶民じゃないのだから」
「これでもいつもよりかなり安い服を着てきたのですが」
「はあ?……まさかそれで変装しているつもりだったの?」
「「うん(はい)」」
「ナハムティ」
「知っていましたが、面白そうだったので特に何も助言しませんでした」
すいませんと全然すまなさそうに謝るナハムティ。
だろうね、ナハムティがいるのにこんなお粗末なことするわけがない。
恐らく自分達がずれていることに自分で気づかないと意味がないとか、そんなところでしょう。
「ご心配されなくとも、もとより泊る気はありませんわ。ナハムティと共に帰りますわ」
「私は帰りませんよ?」
「え!?」
まさかナハムティが一緒に帰らないとは少しも思っていなかったのか、かなり驚いている。
いや私も達って言ったわよ?
そもそもナハムティがなんで付いて来ているのか知らなかったのかしら。
「ナハムティは夜彦が帰省する度に泊って行くわよ?」
「ですが先程は泊れないと」
「もう10年近くなる付き合いだからね、ナハムティの分だけは食器も布団もあるのよ」
「ですから、シェーラだけで、帰国してください」
ニッコリ、そんな音が聞こえるかの如く、それはもう輝くような有無を言わせないような笑顔で言い切るナハムティに、顔を引き攣らせるシェーラ。
「でっでも」
「貴女は御自分一人であれば転移出来るでしょう。我が国までは転移出来なくとも、途中で寄った街までは行けるはず」
「それでも、一人は心細いわ」
不安そうな顔をするシェーラに対し、ナハムティは笑顔を崩すことなく返答する。
「転移は一瞬ですし、それに街には貴女の従者達が待機していますから大丈夫でしょう」
「ヨっヨルヒコも私に一人で帰れと?」
「シェーラは強いし大丈夫だろ?」
「…!?」
なんとかナハムティを説得しようと、夜彦を味方に付けようとしたりしているみたいみたいだけど、無残にも一刀両断されている(ざまぁ)。
というか転移?
「転移ってかなり魔力が必要なはず。それに技術だって」
「ええ、ですがこのシェーラは魔術師、特に人間の中でもかなりの実力者で、転移ぐらいは簡単に出来るんですよ」
確かに魔力が多い人間だとは思っていたけどそこまでとは……なるほど転移出来るから送迎のための人がいなかったのか。
疑問が解けたためすっきりしていると、シェーラが諦めて渋々一人で帰ることに了承したので、見送りのため全員また地上戻る。
一人だけで帰されることがかなり不満なのか、帰る直前まで顔を俯けていたシェーラは転移する直前に、ナハムティを睨みつける。
「ナハムティ、私は貴方のことを諦めていないわ」
「その件に関して私は断りました、それは今も変わりません」
「でも!貴方は誰とも契約していない……貴方の隣が空いている限り諦めないわ」
そう言い捨ててシェーラは帰って行った。
やれやれ、やっと行ったわね。
せっかく帰ってきてくれたのは嬉しいけど、こういったトラブルの元になりそうな人は連れて来て欲しくなかったわ。
「さあさ、もう時間も遅いし夕飯にしましょう」
「やったおふくろの飯~!すっげ~今お腹すいてんだ」
「はいはい、ちゃんといっぱい作ってるからいっぱい食べなさい」
「ふふ、母さんの料理は美味しいので、楽しみです」
食べざかりの息子二人が帰って来るんだからちゃあんと用意はしてますよっと。
しかし………契約、ね。
気にはなるけど、私はあまり干渉するものではないと思い、特に聞かず家に戻る。
しかし夕食を食べ終わり、食後のお茶を飲んでいる時に唐突に夜彦が切りだした。
「なあ兄貴、昼間シェーラが言っていた契約ってあれのことだよな?」
「ええ、ですがシェーラにも言った通りそれは断りました」
「なんで?シェーラはそこまで悪くはないと思うけど」
「ヨルヒコ、シェーラとは絶対に契約しませんし、何故かは貴方も分かるでしょう」
「ん~…」
ふむ、また契約。
さすがに一人会話についていけないのは悲しいわね。
「夜彦、ナハムティ。さっきから言っている契約って何のことかしら?私にも教えてくれない?」
「あれ、おふくろ知らない?」
「ヨルヒコ、あれはイーム族独特のものですから、母さんが知らなくても仕方ありません」
「あっそうか!じゃあ一から説明するな」
夜彦達の説明によると、契約とは元々イーム族の間で行われていた儀式のことで、この契約をするのは一生に一度だけ。
あまり気軽に行えるものではないなく、イーム族でも一生しない人も普通にいるそうだ。
しかし最近一部の国と貿易を開始したためか、他種族と契約をする者が増えているんだって。
で、一番人気は王太子で美形で性格も良いナハムティで、夜彦もかなりの申し込みがあるとか。
「ちょっと待って。契約したとして、それによって特なことってあるの?」
「ああ、契約すると契約した相手の属性が使えるようになったり、強化されたりするんだ」
相手の属性が風以外なら今まで使えなかった属性が使えるようになり、同じ風ならより強大風魔法が使えるのだそうだ。
「だけど、それは力が釣り合っている場合なんだ」
「釣り合っていない場合は?」
「弱い方は強くなるという利点がありますが、強い方にほんの少し強化されるだけで、とってはあまり意味がないのです。まあしかし契約はもう一つ意味があり、最近むしろそちらを目的にすることが多いのです」
「もう一つ?」
「他国の方々は此方の方も目的の様で」
ナハムティは苦笑しながら言う。
「契約と言っていますが正式には永久の儀と言いまして、お互いは離れることがないよう永遠に共に居ることを誓う儀式なんです」
「それって……結婚?」
「永久の儀は同性でも出来るので厳密にはそうではないのですが、昔とは違い力では無く恋愛目的で行われるのがほとんどですので、間違ってはいませんね」
なるほど、それでそれを知った他国の人達が、力も容姿も地位も抜群のナハムティに群がっていると。
「しかし離れることがないようにという内容が少々問題で…」
「え?」
「この契約をすると、物理的にもあんまり離れられないんだよ」
「は!?」
「正確には三日の内少しでもいいので相手に触れていれば、その後は離れても大丈夫です。しかし長く離れていると体調が崩れ、相手に触れたいと焦燥を抱くそうです。それでも放置していると最悪の場合、死にます」
なにそれ、怖い……。
「ですからよほど力が欲しい者か、深く愛し合っている者同士でもなければ、そうそうしないものなんです」
「シェーラや他国の人達も知っているの?」
「なんか逆に離婚防止に良いとか言って、むしろ積極的にやろうとしてる」
それって契約してしまえばこっちのもんとかそういうことでしょ。
そっちもそっちで怖!?
「そういう人達ってもしかして、シェーラのような要人や貴族とか、王族とか?」
「おふくろよく知ってんな~」
「大体想像着くわよ、平民とか普通の人はそんなこと考えないもの。ところで夜彦、その…貴方は契約したい人とかいるの?」
「いないけど?」
けろっとした表情で答える夜彦に、思わず安堵する。
良かった…さすがにあのシェーラと契約したいなんて言い出したらどうしようかと思った。
まあ、そうなっても全力で阻止するけど。
「ふふふ、大丈夫ですよ母さん。ヨルヒコもさすがにあれの本性ぐらい分かってますから」
「あっもしかしてシェーラとするかもって思ったの?」
「だって…」
「ないない!だって向こうで滞在中も此処に来る間も、シェーラって兄貴に相手されない時だけ代わりみたいに俺の所に来るし、影で俺の悪口言う女は流石に嫌だって」
なんですって。
「ちょっと悪口って、どんなこと言っていたの」
「あ~…別になんでもないって」
「ナハムティ」
「愚か者達の言葉などあまり気にしていませんが、母さんの耳に入れるにはあまりにも汚い言葉である、とだけ」
どうやら第一印象通りの女だった訳ね……ちっ!ちょっと嫌がらせでもしてればよかったわ。
夜彦のことを憐れむような、下に見ているような雰囲気があったものね。
「でも夜彦は嫌っている様子ではなかったじゃない、何故?」
「だって裏でこそこそしているみたいだけど、爪が甘くて逆に可愛いじゃん!それが下に見ている奴に全部筒抜けになってるって知った時に、どんな表情するかなって思ってわざと好意があるように見せてんだ」
見たことないような黒い笑顔を浮かべながら言う夜彦に、人の裏が分かるぐらい成長していることに喜べばいいのか、いつの間にナハムティに似て腹黒にと嘆けばいいのか複雑になった。
「何か?」
「いえ何でもないわ。あらもうこんな時間、もうそろそろ寝ましょう。疲れたでしょう?」
「……まあそうですね、時間も時間ですし」
何かを察知したナハムティの笑顔から顔を背けてなんとか話題も反らす。
しばらく見つめられたが、気にせず布団を敷く準備をすれば特になにも言われなかった。
いきなり最初でゴタゴタしてしまったがその後は特に問題なく、翌日には誕生日を盛大に祝い、それ以外の日ではのんびりくつろいだりあの花畑の真ん中で花見したりと楽しく過ごした。
あっという間に時は過ぎ、明日には夜彦達は帰るので今夜は二人が狩ってきたお肉と野菜でバーベキューにした。
煙がこもるので流石に地上ですることになったが、みんなで和気あいあいと串に刺して焼いてお腹いっぱい食べた。
「は~食った食った!今日も上手かった!」
「こらお行儀!」
「うぇ~い。でも別に実家でぐらい堅苦しいのは無しで良いじゃんな、兄貴」
「ふふふ、やはり母さんとだと格別に美味しいですからね。気を張り詰めなくて良いというのには同意ですね」
「もう、お世辞いっても何も出ないわよ」
「本音ですよ」
「そうそう!」
ナハムティの言葉に頷いてるけど夜彦、ナハムティは別に行儀が悪い事については同意してないわよ?
「でも実家であろうと最低限のマナーを忘れるのは良くないので、また勉強し直しますかヨルヒコ?」
「げっ!?勘弁してくれよ!」
マナーの勉強やり直しという言葉に血相を変える夜彦。
昔から勉強嫌いなのに一度合格もらったのに再度やり直しはキツイものね。
よっぽど嫌なのか必死にナハムティに懇願する夜彦と、涼しい顔して焦っている夜彦を楽しそうに見るナハムティ。
体は大きくなっても変わらないやりとり思わず笑ってしまう。
笑う私に気づいた夜彦達は顔を見合わせどちらともなく吹き出し、その様子がさらに可笑しくて場に笑い声が溢れる。
「おふくろ」
「母さん」
笑いが治まってバーベキューの片づけも終わり、そろそろ帰ろう思っていると夜彦達に呼ばれた。
「どうしたの?」
「いや以前、契約について話しだたろ?その繋がりって訳じゃないけど、精霊と人との契約についても聞きたいなと思って」
「私達との契約について?ナハムティも知らないの?」
「ええ、精霊と契約出来るのは一握りの人間だけですし……国の書庫には上級や中級の精霊との契約について書かれた文献はあれど、それ以下の精霊についてはあまり書物が無くて」
「ああ~なるほど」
確かにあのプライドが高そうな種族が下級の精霊に興味を持つこと自体ないか。
「まあ上級や中級と比べて、下級精霊って本当に力が弱いからそれこそ契約する意味がないからね。別に教えてもいいけど、まさか悪用しないわよね?」
いくら下級とはいえ人によっては面白半分に契約したり、契約した精霊を酷使するかもしれないからあまり気軽に広めないようにお願いする。
「しない」
「しません」
「よろしい!けどまあ教えると言っても方法は難しくないのよ」
下級精霊との契約方法
・契約したい精霊と向かい合う
・精霊に対して契約したい旨を率直に伝える(変に難しい言葉を使っても精霊に伝わらないからね)
・場所もその精霊がよく居る場所または住処が望ましい(基本下級(私以外)は人間でいう子供に近いから安心させる目的がある)
・そして精霊が契約に対して肯定するような発言をすればそれにて契約完了
・完了後には体のどこかに刺青のような紋章が現れる(これはどの精霊でも一緒だけど下級はサイズが小さくあまり目立たない紋章よ)
・また完了後に契約者は精霊に名を与える
「イーム族の契約と違って離れられない訳ではないけど、定期的に適量の魔力を上げないと契約が破棄になってしまうから要注意ね」
「なるほど…」
「あっ一番大事なことを忘れていたわ!場所はもう一つ契約しやすい場所があるのよ」
「えっどんな所?」
「人気がほとんどない、今夜のように綺麗に雲ひとつない空で満月の光が辺り一帯に降り注いでいる場所よ」
「!?なrっ」
夜彦が目を見開き何か言いそうだったが、その言葉が聞こえる前に視界が見慣れた胸板で埋め尽くされた。
「母さん、聞いて欲しいことがあります」
かなり近い距離にきたナハムティを見上げると、いつもの笑顔が鳴りを潜め真剣な表情だった。
何故か静かな夜彦も気になるけど10年前のあの夜以来、ほとんど見たことの無いハナムティの珍しい様子に何かあるのかと緊張してしまう。
「10年前…私は貴女と幼いヨルヒコを引き離してしまった。当初私は離れてしまえば情が薄くなっていくのではないかと危ぶんでいました」
「…」
「ですが薄れるどころか、貴女達の仲はどんどん深くなっていった。親子の絆というものをまざまざと見せつけられました。その様子を近くで見てきたからこそ私は、心が苦しかった」
「っ!?」
「一緒に住めないまでも、王都に暮らせればいつでも会うことが出来るのに、くだらない法があるばかりに入国することも許されない状況をどうにも出来ない自分に怒りが湧きました」
「それは…仕方ないわ。王太子とはいえ貴方は王ではないだから」
本当に苦しそうに顔を歪めるナハムティにそう言うも表情は晴れない。
まさかナハムティがそんな風に思っているなんて露にも思わなかった……仮にも息子同然の子にこんな表情をさせるなんて母親失格だわ。
思わず唇を噛みしめる。
「いけません、傷が付いてしまう」
両手で優しく俯き気味だった顔を持ち上げられ、親指で優しく唇をなぞられる。
「しかしヨルヒコももう17歳、来年にはもう成人となります。一生に一度の成人の儀を迎える前にどうにか貴女を呼べないか二人で考えました」
「そんなの別にいいのに、ただその後に無事成人を迎えた姿をみせてくれればそれでいいのよ」
「母親である貴女がいたからこそ、ヨルヒコはここまで成長できたのです。なのに貴女が特等席で見る事が出来ないなど、私達が納得できません」
「ナハムティ…夜彦…」
ああ……本当に、いいのに。
そう二人が思ってくれたということが知れただけで、もう胸がたくさんなんだから。
二人の思いに感動して思わずナハムティを抱き締めると、優しく抱き締め返してくれる。
「そして私達は見つけたのです。法の破ることなく貴女を入国させる術を」
「ええ!?」
驚いて腕を離すがナハムティに抱き締められたままなので、密着した状態でなんとか見上げる。
先程までの苦しそうな顔から一転、蕩けるような笑みを浮かべるナハムティ。
「だから母さん、お願いです」
「なに?」
「母さんを我が国に迎えることが可能となる術を見つけました。ですがそれには母さんの協力が必要です」
「私の」
「勿論母さんが何か制約や重荷を課せられるわけでもありません。ただ母さんという存在が必要なんです。だからどうか協力……して頂けますか?」
「もちろん!私に出来る事があるならどんなことでもするわ!!」
私がそう答えた時、お互いの胸……というよりは鎖骨の中心に近い所が光だした。
「なっこれは!?」
「 … ……」
何が起きたのか解らず焦る私と違い、ナハムティは落ち着いている。
光が納まると、その部分には親指の爪程だけど蔦が半円を描き中心部分には……これは、あの花畑の花?
「まさか、契約が…」
「ええどうやら成功したようですね」
「ナハムティ貴方まさか狙って!?」
「説明せずに申し訳ありません、ですが契約した精霊としてであれば貴女と共に国に居ることが出来るのです。母さんも先程どんなことでもすると言ってくれましたので」
「うっ!」
確かに言っちゃったわ……でもまさか契約だなんて思わないでしょう…。
「はっそういえばこれ夜彦も知っていたの!?」
ナハムティの後ろで嫌に静かな夜彦の方を見ると…………………目がおかしくなったのかしら、夜彦が触手のような蔦に口部分と手足をぐるぐる巻きにされて陸に揚げられた魚のように、びちびちしているのが見えるわ。
「…っ!…っっ!!」
「ああ忘れていました」
ナハムティが手を振ると蔦は消えて夜彦は急に解放されたためか、重力に従い地面に落下する。
ベシャっと受け身が取れずに落ちたので夜彦が心配になり駆け寄る。
「だっ大丈夫!?」
「いって~~!クソ兄貴何しやがるっ魔法使うなんて卑怯だろ!」
「卑怯もなにも、先手必勝ですよヨルヒコ」
「おふくろとは俺が契約したかったのに!!」
「ふふ残念ですが、母さんとの証は既に私のここに刻まれました」
胸の紋章が見えるように服を肌蹴るナハムティ。
……紋章を見せるだけの行為だって分かってるけど、なんでそんな色気たっぷりでしかも見せつけるようにするのかしら。
何かイケナイ物を見せられてる感じがして直視出来ないでいると、夜彦がこちらに矛先を向ける。
「おふくろもなんで了承しちゃうんだよ!」
「いやまさか契約になるとは思うわけないでしょう」
「さっき自分で方法説明してたのに!?」
「うっ…それは私の不注意だとは思うわよ。でもね!貴方達がまさか私との契約を企んでるなんてそれこそ思いつかないわよ!!もうどうしてこうなったのか、いい加減一からちゃんとっ説明しなさーーい!!!」
混乱のあまり叫んでしまったが、とりあえずここじゃ落ち着かないので家に戻る。
まだ少し混乱しているのもあって、お茶も入れて全員一服して落ち着くことにした。
そして落ち着いたところで説明をしてもらうと…
・法関係を調べた所、契約した精霊は風属性でなくとも入出国に規制は無い。(まあ普通無いわね)
・私は精霊なので契約さえしてしまえば簡単に入国出来る
・しかし探したが下級精霊との契約方法が不明だった
・ならいっそのこと本人に聞こう
となったそうだ。
私に一言も相談なしに行ったのは、契約を拒否されるかもしれないと思ったからだそうだ。
「そりゃそうでしょう。私は中級ですらない下級なのよ、契約する意味が無いわ」
「意味はあるぜ」
「母さんと共に住むことができるというとても大きな利点があります」
二人して断言されると何も言えなくなってしまう。
私だって嬉しくない訳じゃない……でも契約すると基本的には契約者とほとんど一緒にいることになる。
ナハムティの重荷になってしまうんじゃないかと、心配になんだと伝えると問題ないと言われてしまった。
「母さん安心してください。この何年かで煩く言うような者は有る程度排除しましたし、新たに湧く輩は速やかに潰せるぐらい力をつけましたから」
「つぶ、え?今、え?」
「そうそう!今じゃ兄貴に口答えする奴なんてめったにいないし、よほどの馬鹿か命知らずな奴以外は逆らおうなんて考えるのはもういないんだぜ」
もうってことは過去にはいたのよね、いないってまさかこの世にいないって意味じゃないわよね?
と思うも笑顔で話す二人が怖くて聞けないので口を噤む。
「……ところで話が変わるけど、さっき夜彦はなんで縛られてたの?」
「あっ聞いてくれよおくふくろ~!兄貴がヒデェんだよ!あの時俺がおふくろと契約したかったのに、魔法で拘束して音も立てれなくしたんだぜ!!」
「そもそも契約はどちらがするか決まらなかったので、早い者勝ちということになったのです」
「~だからって!弟相手に」
「魔法を使ってはいけない、とは言っていなかったでしょう?」
ぎゃあぎゃあ(一方的に)と喧嘩し始める二人を眺めながら、ふっと溜息をつく。
もう既に契約は完了してしまった。
今更ごちゃごちゃ言ってもしかたないと諦めて、腹を括るが……一つまだするべきことがあったのを思い出す。
「ちょっとナハムティ」
「はい」
「契約しちゃったのは仕方がないけど、貴方まだ私に名づけをしていないじゃない」
ピタっとじゃれ合っていた二人が固まる。
「契約事態は完了しているけど、流石に名前は欲しいなぁと思うのだけど?」
「すいません、まさか名づけを契約時に行うとは知らず…期限はありますか?」
「特にはないけど私もね、ちょっと怒っているのよ」
確かに相談されていれば拒否したと思う。
けれどちゃんと理由とか貴方達の思いを聞かせてくれれば、こんな不意打ちでの契約とはならなかったとも思うのよ。
「だからね?期限を設けます。明日の出発までの間に私が気に入る名前を考えなさい!」
そう笑って言い渡すと、いつも余裕たっぷりのナハムティが夜彦と揃ってぽかんと呆けたような顔になる。
そんな二人を放って置いて、私はしばらく開ける事になる我が家やその周りの整理をする。
離れる間際、後ろが慌ただしくなる気配を感じる。
今生での初めての名前がどんな物か、期待に胸を膨らませると自然と口元に笑みが浮かぶのを感じるが、これぐらいの仕返しは許されるでしょと思いながら歩を進める。
結局時間までに徹夜で話し合って考えたらしく、名づけは無事終わった。
でも私は二人の母親であることは変わりないので、今まで通りの呼び名のままとなった
だけど、確実に名づけの前の自分とは違うのがはっきりと分かる。
確固たる自分を指す名前を得たことにより、私という個が安定した感じだ。
今日から私の名前は、「ヤナ」
夜彦の夜でヤ、ナハムティのナをくっつけた名前。
色々意味のある名前とかも考えてくれたみたいだけれど、二人の息子から送られる名前なのだから、二人の名前から一文字ずつとった名前に決めたのだそうだ。
「さて、それじゃ出発しますか」
「では母さんは私が抱えましょう」
「いや俺がおふくろを抱っこする!」
「いやいや!自分で飛べるからね、私これでも精霊だからね!?」
「「ええ~」」
「ほら!さっさと先導する!!」
文句を言う二人を追い立てて空へと飛ぶ。
前世の記憶があるとはいえ、あまりこの世界の人と関わってこなかった。
だからこそ不安もあるけれど、それ以上にもう息子達から離れなくてすむことへの嬉しさが何倍も強い。
これからどんなことがあろうと、家族と共に乗り越えれるだろう。
この後、色々なトラブルやナハムティと夜彦の嫁問題などに巻き込まれるのだけど、そのお話はまた今度するとしよう。
本編はこれにて完結です。気が向けば番外編を投稿するかもしれませんが今のところ未定です。