第6話
記憶はぽつぽつと雨が降る、半壊した工場地帯から始まっていた。砂利道をゆっくり歩くと、右にも左にも、屋根がないプレハブ造りの物置小屋や、何を作るのかもわからない穴あきだらけの工場がある。中に収容されている車は、苔だらけで見るからに使い物になりそうもない。
「はやくはやく」
そう僕に促す彼女の白いワンピースには泥が多く跳ねている。だが、それを彼女が気にする様子はない。
「ゆっくり行こうよ。転んだりしたら元も子もないよ」
「えー、だって流されちゃうよー」
「……流されるものなんだ」
彼女は足早に歩いて「あっ、アサガオだー」等と何かに興味がそそられる度に、足を止めた。
……何やかんやで、このペースが丁度いいのかもしれない。
いつもの観覧車から、東に大きくはずれたとこにあるこの工場地帯は、観覧車の上から視認したことはあったけど、実際に赴いたことはなかった。
だけど、それは僕が概ね予想した通りの景観だった。
例によって人の気配は感じない。
廃れたこの景観からは、過去の人間の息吹は感じるが、工場を伝う蔦、機械に赴くまま生い茂る雑草や苔からは現在が漂う。
何でこんな場所に、こんな天候の中、彼女は出掛けようと言い出したのだろう。
「隊長、こりゃあ大発見ですよ」とセカイに自慢げに話されたのは、つい先程のことだった。
何を発見したのかとそう質問したのだが、セカイは勿体ぶって教えてくれなかった。挙げ句の果てには「そんなに見たいのなら、さあ行きましょう」と僕の心情を勝手に決められる始末。……僕は寒いから、雨に当たりたくなかったのに。
また今度、天気のいい日に行こうよと提案したが、セカイ曰く「歴史的発見だから、一秒でもはやく見た方がいい」とのこと。そのまま一時間ぐらい「行く」、「行かない」の押し問答が続き、セカイが折れないことを確信した僕は、おとなしくセカイの後ろについていった。
「この上、この上!」
「ええ、大丈夫かなあ」
セカイが指さしたものは、工場地帯を横道にそれたところ。山の緩やかな斜面に、獣道が続いている場所だった。
「ここを少し行くとねー、開けた場所があるのー。そこにね、宝はあるのよ!」
セカイがキラキラと目を輝かせる。確かに目を凝らすと、獣道の上方には空が広がっていて、距離はそんなになさそうだった……だけど、
「……やめとこうよ。手すりになる木も少ないし、人が開拓した様子もない。地面もぬかるんでいて危ないよ」
それにセカイは裸足だ。踏ん張りは聞きにくいし、地面には尖った枝や葉が無数にある。引き返した方が賢明だということは明らかだった。
「圭太、あたしを誰だと思ってるのよ! 天真爛漫! おてんば娘! 天候が逆らえない唯一の存在! それがワタシよ! 雨の日だろうと関係ないわ! とう!」
「あっ、ダメだって!」
セカイは忍者走りで獣道の上を駆けていった。不安に駆られ、僕もセカイのあとを追いかける。
「うわ!」
しかし、想像どおり獣道はぬかるんでいて、僕は盛大にこけてしまう。受け身のためについた手の皮が微かに剥ける。
「アハハ! ダメだって! 一応、木に掴まりながら来ないと!」
セカイは獣道の中間あたりで、木に片手をつきながらそう僕に言った。
「……わかったよセカイ。上まで行くから慎重に、ゆっくり歩きながら行こう。君が万が一、転んでケガでもしたら、すごく悲しい。だから走るのは、頼むからやめて欲しい」
「……はーい」
さっきまでの表情とは一転、セカイはシュンとなって、視線を俯かせた。
「そう…の…いなあ……」
「ん?」
独り言のように呟くセカイに僕が問いかえすと、セカイは「ううん、何でもない」と首を横に振った。そしてそのまま僕の方に近づいてきて、手を差し出す。
「……ほら、手」
「あ、ありがとう」
僕はその手をしっかり掴んで、立ち上がった。
不意にセカイの顔が近づいて、僕は少しドキッとする。
「また手、貸そうか?」
「ん、大丈夫。この木に掴まれば……よいしょっ!」
あまり運動も得意じゃない僕にとって、この獣道を辿るのは容易なことではなかった。
だけど、お年寄りみたいなかけ声をだしながらではあるけど、何とか開けた場所まで登りきることができた。
「……何だこれ」
登りきった達成感などはなく、まず最初に出てきた言葉は、そんな言葉だった。
開けた視界の先にあるのは、極めて異質な存在だった。
安全の為に設けられた柵などはない、自然のままの崖の上。登った高さはそこまでではなかったが、遮蔽物があまりないので、廃れた町を一望できる景色となっていた。
そして、そんな崖の真ん中にポツンと立っていたのは、この自然の中において、明らかに不自然な、一つの扉だった。
扉自体は木製の、ごく普通の造りだった。右側にドアノブがあり、真ん中上部に覗き穴がある。普通と違うところがあるとすれば、長年放置されていた結果から、例のごとく蔦が巻き付き、苔が生えているところぐらいだろうか。
「ねっ、ねっ! すごいでしょ!」
指さしながらセカイが僕に共感を求める。だけど、僕がセカイのように好奇心をそそられる前に得た感情は、何より不気味さだった。
「……一体何のために、誰が設置したんだろう」
誰かがこれを設置したのだとして、こんな事をする意味がわからなかった。
「でもね、コレ」
セカイが足下に注意しながら、扉の方に向かう。
「あっ、無闇に近づいたら」
わけもわからず、そんな不安に襲われた。何かが出てくるんじゃないかと、非科学的な不安で一杯になった。
「んーっ。……ほら、開かないんだ。……というか大丈夫だよ、何も出てこないから」
僕を見透かすようにセカイは苦笑いをした。何だか恥ずかしくなって、コホンと一つ咳をして、僕も扉に近づいた。
「……当たり前だけど、後ろには何もないんだね」
扉の後ろには、崖の先と景色がひたすらに続くのみだった。とてもここを通れば、魔法都市が広がっているようには見えない。
「……意外とファンタジーな思考するんだね、圭太って」
「な、何だよ。可能性を絞っていくことが大切だろ」
今まで子供っぽいと思って接していたセカイが、こんなとこだけは妙に冷めていた。立場が逆になったようで恥ずかしく、思わずそう反論した。
「……扉もしっかり打ち付けられている、っていうのかな。すごくしっかりしてるね」
試しに扉を手で押してみても、引っこ抜く要領で力を入れてみてもビクともしない。不意に水で濡れた木材の独特の匂いが、鼻腔をくすぐる。
「……子供のいたずらって感じでもなさそうだね」
その可能性が消えて、僕は益々誰が何のためにこれを建てたのかわからなくなる。
「でもね、これ凄いの。覗き穴の中がね。すっごく綺麗なの」
「……覗き穴の中?」
疑問に思っていると、セカイが「とにかく見てみて!」と背中を押す。言われるがままに僕は覗き穴を覗いた。
しかし、そこに広がっているものは、セカイのいっているものとは大きくかけ離れていた。
赤や黒、紫に緑、青や黄色、不気味な色合いで彩られた人や怪物が僕の方を一斉に見ている。
そのどれもの皮膚がただれていて、色合いも相まって絵の具が垂れたようになっている。怪物や人間の目や鼻の位置も、バラバラで規則性がない。
その存在に驚き戸惑っていると、一斉にその場にいる怪物と人間が目配せをしながら、僕の方を見て笑い始める。
ケラケラケラ、クスクスクス
得体のしれない怪物も人間も目を見開き、怪物が尖った歯、人間が、ひとつひとつ色の違う歯を見せて笑う。そのまま指を差し、僕に何か言っている。聞いてはいけない気がしたけど、耳は勝手に、声に集中した。
「シネイラナイ シネイラナイ シネイラナイ シネイラナイ シネイラナイ シネイラナイ シネイラナイ シネイラナイ」
「死ね、要らない」
最後に怪物が、小さく耳元で、そう囁く。
そこからの記憶は、僕にはない。




