第4話
学校唯一の憩いの場所が図書室だった。
図書室では、僕は無いものとして扱われる。静かに、目立たないことが何よりの条件であり、それは僕にも出来ることだった。
なにより、本を読めば僕は自分から乖離できる。一旦、何もかもを忘れて別世界にいける。
趣味もあまりない僕にとって放課後図書室に行くことは、違和感のある行動じゃなかった。
何となくいつも座ってしまう席に腰掛け本を開く。
しおりを挟んだページを開いて文字列の世界に飛び込むと、集中するのにさほど時間はかからなかった。
情景が浮かんできて、僕はこの世界と乖離する。
「アッハハハハハハ!!!」
「ちょ、ちょっと、声デカいって、ふ、ふふっ」
しばらく経って、大きな笑い声がした。その声で僕は現実に戻ってくる。
図書館にいた数人が一斉に笑い声の方を向く。 そこには必死に笑い声を抑えようとする、二人組の女子の姿があった。
「くっく……ほ、ほら、ゆみ、うるさいから」
「ご、ごめん」
二人の座る席には問題集が広げてあった。いつも見ない顔だし、補習か何かの勉強だろうか。
「……ぶっぶふっ! ダ、ダメだ。思い出したら笑いが」
「もう、ホントだめだって。……くっくく」
彼女たちは相変わらず必死に声を抑えようとしていたが、ツボに入ってしまったのだろうか。その声は静かな図書室と不釣り合いに大きく響いた。
辺りを見回すと図書室にいた人たちの視線が、今度は他のところに注がれていることに気がつく。そしてその視線は、早く注意しろと言わんばかりに、前方の貸し出しカウンターの方へと注がれていた。
僕もつられてそっちの方向に視線をやると、図書委員の女の子と目があった。だけどその子はすぐに視線を逸らし、持っていた本で顔の半分を覆い隠してしまった。
……何だか催促しているみたいになっちゃったかな。
相変わらずその子は本越しに、笑っている二人をあたふたしながら見るだけだった。
周りの人たちは本に目を落とす。二人の女子に視線をやる。そして再び図書委員の子を見るのループを繰り返していた。多くの人がループを繰り返す度、図書委員の子が余計にあたふたする。そんな悪循環に、図書室全体がハマっていた。
「……」
……僕の顔なんてすぐに忘れてくれるよね。
ひとりでにあたえた使命感から、椅子を立ち上がる。そしてそのまま二人に近づいて、恐る恐る声をかけた。
「あ、あのーすいません……」
「は、はいっ……ふ、ふふっ」
「あの申し訳ないんですけど、もうちょっと静かに……」
「あ、ああ。すいません。ほらっ、ゆみ、一旦出よ」
「ひひっ、う、うん……」
二人は小声で合図しながら図書室を後にした。
その後姿を見ながら、いったい何がいきなりあんなにツボに入ったのだろうかと考えたが、答えは出ない。……僕も高校生だけど、女子高生は謎だ。
不幸中の幸いか、二人は案外素直な人たちだった。周りの人たちは、既に本の世界に没頭し直している。
図書委員の人がちらりとこちらを一瞥したのがわかった。恩着せがましいと思われないよう、目を合わせないよう努力した。
その後の図書室は先ほどの喧噪が嘘のように、服の衣擦れ音のみが、唯一の雑音と化した。
「……あ、あの」
「……」
「す、すいません」
「……」
「あ、あの、か、鍵……」
「ん? ……うわっ!」
素っ頓狂な声を挙げると、僕の声に彼女もびっくりして、ビクッと身を引いた。
「あ、ご、ごめんなさい、集中しているところ……。も、もう鍵閉めなきゃいけない時間だった、ので……」
「え?」
前方の時計を見ると時刻はもう五時だった。窓からは夕日も射している。
「す、すいません! すぐ帰ります!」
急いで栞を挟んで教室を後にしようとする。
「あっ、ま、待って!」
後ろを振り返ると、その子は下を向いたまま、軽く深呼吸をした。
「あ、ありがとう……ございます」
「……え?」
「あっ、いや……その、さ、さっきの……。あの、二人のこと……」
……もしかして、僕が注意したこと?
「いや、その、そんなお礼を言うほどのことじゃ……。……じゃ、じゃあ! 長居してすいませんでした!」
頭を下げて、僕は急いでその場を後にした。
「あっ……は、はい」
そのとき僕は、別に急がなくてもよかったのに、感謝されたことが嬉しくて、思わず下駄箱まで駆け足で向かった。
◆ ◆ ◆
「……どうしたの? すごく嬉しそうじゃん」
「……えっ?」
見透かされたことが無性に恥ずかしくて、思わず狼狽してしまう。
「そ、そんなことないよ」
「ウソ! 足取りがスキップみたい! たまににやつく! いつもより下をうつむかない! バレバレだかんね!」
僕の方を指さしながら、セカイはそう指摘した。自分の単純さにも驚いたが、なにより驚いたのは、セカイがそんなに僕の一挙手一投足を追っていたことだった。
「はい! そこ、座って座って! 尋問尋問~」
そういってセカイは、ボロボロの木製のベンチに僕を促した。尋問という言葉の割に、セカイの口調が軽くて、何だかおかしい。
「さあキミ、正直に全部吐きなさい。カツ丼は、いま油っぽいものの気分じゃないからありません」
……気分次第なんだ。
「いや、でも……きっと笑うよ。それか、ひく」
「わたしがいままでキミを笑ったことがあったかね? さあ、言ってみなさい。頼んだのはざるそばだから、冷める心配はないよ」
セカイは存在しない架空のヒゲをいじりながら精一杯の厳かさで言った。というか、カツ丼の代わりにざるそば頼んだ設定なんだ……。
「じゃあ、一応言うけどね。今日、図書館で騒いでいた女子がいたんだ。それを注意したら、図書委員の子にお礼を言われて、思わず嬉しくなったって話だよ」
「アハハ! それだけ!?」
食い気味に笑われてしまった。
「……だから言いたくなかったんだよ」
「ごめん、ごめんってー、アハハ」
笑いながらセカイは僕の背中をバンバンと叩いた。
「……いいだろ。僕が人の役に立つなんて、滅多にないことなんだ。そりゃあ、些細なことだって嬉しくなるよ」
「……私は好きだな。そうやって、ひとつひとつのことを、大事にできるとこ」
「無理矢理持ち上げなくてもいいよ」
「ホント」
隣に座っていたセカイが僕の方に前のめりになる。
「……ホント」
「……二回言わなくていいよ」
セカイとの顔が近くて、思わず目をそらしてしまう。
「……さっきの話、図書委員の子っていってたけど、女の子?」
「……ああ、そうだったね。女の子だった」
「ふうん」
そういいながら、セカイは再び、僕の隣に座り直した。
「……可愛かった?」
「……ずっと下のほう俯いてて、よくわからなかったよ」
「……そっか」
「?」
セカイはそのまま、じっと自分の爪を見つめていた。
その後も、不自然な間はしばらく続いた。




