第31話
「……っ」
目を開いても、視界は黒一色のままで僕は困惑する。
「……セカイは? どこ? セカイ、セカイ……」
不安が募り、僕はおぼつかない足取りでセカイを探し始める。
以前に見た夢の影響もあり、僕は自分自身でもわかるぐらいにおびえていた。迷子になった幼子のように、何も感情を取り繕うことなく、僕は情けなく泣きじゃくりながらセカイを求めた。
「セカイ、どこ? セカイ、お願い、返事をしてよ、君がいなかったら、君がいなかったら僕は……」
手を伸ばしながらその場をさまようと、何かが右手の薬指と小指にぶつかる。
「いたっ……」
ぶつかったものがある方向に、戸惑いながらも恐る恐る指を伸ばす。何かがあることを確信した僕は、それを隅々まで触る。
それは一つ、その場に屹立していた。横幅がそこまであるわけでなく、厚みもない。手を上に伸ばしてみると、高さも僕の身長プラス二十から三十センチ程度しかないことがわかった。
触覚で得られた情報はそれだけで、次に嗅覚を使う。それが無機物であることを確信していた僕は躊躇うことなく鼻を近づけた。
「……木の匂い」
以上の全ての情報を得た僕は、一つの仮説を立てることが出来た。
「セカイ、いる? セカイ、セカイ!」
僕はそれを、あの世界にあった扉だと結論づけた。この暗い場所は、僕が以前あの世界でみた怪物の居た場所だと、そう考えた。何度もその扉らしきものに向けて、彼女の名前を呼び、拳を強く叩きつけた。しかし一向に彼女からの返答はなく、僕はそのまま膝をついた。
「……セカイ、なんで、返事、してよっ……うっ」
そしてそのまま泣きじゃくる。自分の精神がこんなに薄弱だとは思わなかった。だが、もはや他人も存在しないこの世界で、虚栄を張る必要性もない。
「ぐすっ、セカイ……うっ、うっ」
「……泣き虫だなあ、圭太は」
その時扉越しから声が聞こえ、僕は何かに気づいたように顔を上げた。その声は、紛れもなくセカイの声だった。
「セ、セカイ……よかった、いてくれたんだ」
僕が一番恐れていたことは、セカイがいない。その事実だけだった。だからまだ顔も合わしてすらいないのに、僕の心は少し安堵していた。
「圭太、鍵がね、あったの」
「……どこに?」
僕はそのことについて何となくわかっていた癖に、わざとらしくそう聞いた。
「……嘘みたいだけどね、落ちてきたの。ワタシが扉に色んな鍵を試してたら、私の目の前に」
「……そうなんだ」
――それは、実は当たり前のことなんだよ、セカイ。
だって、ここは僕にとって、一番都合のいい、何でも思い通りになる世界なのだから。
僕が傷つけば、セカイが慰めてくれる。
僕が寄り添って欲しければ、セカイが寄り添ってくれる。
……時に、僕が傷つけば、セカイも一緒に傷ついてくれる。
そういう、歪んでいて、でも居心地のいい世界。
僕が作った、そういう世界なんだ。
「そんなことよりセカイ、会いたかったよ」
「……」
「なんだか随分久し振りな幹事がするよ。あっ、そうだセカイ。悪いけど、鍵を開けてくれるかな、こっちは暗くてさ」
「……」
「みんな、僕を化け物扱いするんだよ、僕はどうやらこっちの世界の住人じゃないらしい」
「……」
「こっちには色んな生き物がいてね、それは皆、共存して生きているんだ。でもその中でも基準があってね、それを満たせないと僕は、僕として認められない」
「……」
「わかってもいたんだ、自分にも悪いところがいっぱいあるって。でも、逆立ちしても、皆の足跡についていっても、元の根っこの部分、本能的な部分っていうのは変えられなくてさ、だから結局、どうにもならなくて」
「……」
「たくさんの人がいても、空虚なんだ。誰も、僕のことは見たくないんだ。もう、こんな世界は嫌だよ。だから、開けてよ、セカイ」
僕が懇願しても、セカイの返事は返ってこず、そこに間が生まれた。
「……圭太、初めてこっちの観覧車で初めて会った時のこと、覚えている?」
「……うん」
セカイの意図を掴めず、僕はとりあえず首肯した。
「……ワタシね、ものすごく嬉しかった。泣いたって、叫んだって、何も起きないこの世界に、圭太が来てくれて」
「……」
おかしい、セカイの意図が相変わらず掴めない。
「圭太のこと、大好きだった。人の気持ちを知ろうと努力できるところが、大好きだった」
セカイの声が少し涙声になる。
「……セカイ」
セカイのことが心配になり、届く訳じゃないのに扉の先に手をのばした。
「でも……だからこそ、だからこそ、ここは開けられない」
「……えっ」
その言葉に、僕はそう反応することしかできなかった。
「な、なんで。開けてくれれば、僕たちは一緒に、幸せに過ごしていけるんだよ。」
「……幸せなんて概念、いつかなくなる」
「……セカイ」
「この狂った世界にいたら、幸せだとか、好きだとか、嫌いだっていう考えも、いずれなくなる……っ!」
「……何で、わからないよ、教えてよ」
「……」
セカイはそれ以上、答えてくれなかった。僕は別の言葉を探した。
「開けてくれれば、セカイはその扉を開けて、セカイの行きたい場所に行けるかもしれないんだよ」
次に出てきた言葉は、嘘の言葉だった。僕はセカイに、他のところになんか行って欲しくない。その癖に適当なことを言った。僕にはセカイの見ている世界は見えない。あるのは怪物と暗闇が広がる世界だけだ。
「……ダメ」
「僕も、僕ももしセカイの行きたい場所に行けるのだとしたなら、二人でそのキラキラした世界で、優しい人たちと一緒に過ごしていけるんだ。君と、その世界よりも、綺麗な風景を見に行ったり、出かけたり出来るんだ」
「……ダメなの」
「だったら何――」
「圭太のためなのっ! ……だから、だからダメなのっ……!」
セカイが涙声で、それでも声を枯らしながら叫んだ。
「ワタシだって、圭太ともっと遊んだり、色んなとこに行きたい……行きたいよ。圭太と同じ学校にだって行きたいし、出かけたりもしたい。……だけど、ここを開けたら、圭太は多分、この世界から一生出なくなる……だから、ダメなの」
僕の欲しいものを全て与えてくれた彼女が、僕の望むものを、ついに与えてくれなくなった。
……河野さん、ここは僕の妄想の世界じゃないの?
「好きだからダメなの! 愛してるからこそ、ダメなの……っ!」
――だったら、どうしてこんなにセカイの気持ちが分からない。
「……ワタシのことがどうでもいいように思えちゃうぐらい、圭太のことが好きなのっ……」
これは、僕の想像したセカイじゃない。
拳を強く握りしめても、そこには無力さしか残らない。こんなに近くにいるのに、壁一枚しかないのに、僕と彼女は一緒に居られない。
「ねえ圭太、また最後に宿題、出していいっ……?」
「……セカイ、やめて」
最後だなんて僕にとって悪い冗談でしかなかった。
「まずね誰か一人でも、認めてくれる人がいれば、それだけで生きられるってことを覚えといて……ワタシが、圭太から学んだ、一番のこと」
「やめてくれ」
それは、僕が君から学んだことだ。
「それでねっ、それを、皆に教えてあげて……っ。つらい思いをした、圭太だからこそっ、皆に教えてあげれると思うんだ」
「……」
「それでね、おじいちゃんになるまで、生きて」
……セカイ。
「ワタシ、年取れないから、わからないの。おじいちゃんやおばあちゃんになったときのことも、学校が辛い気持ちも」
「……うん」
「ちょっといいなと思う友達とデートにいく気持ちも、お母さんに元気になって欲しくても、何も出来ない気持ちも、現実を直視したくない気持ちも」
「うんっ……」
「これから起きる辛い感情も、嬉しい感情も全部、全部わからない。……だから、なるべく多く持って帰ってきて。どんな感情でも、ワタシには嬉しいから。それを持って、また、ワタシのところに戻ってきて……っ」
泣きながら、時折笑いながら、セカイは話した。
「うんっ……うん」
涙を手で拭うと、扉に変な違和感を感じた。
「……何だ」
そこには、針の穴ぐらいの一縷の光が扉に当たっていた。
後ろを振り向くと、それは、一直線に、まっすぐ後ろに繋がっていた。
「ケ…ィ……………カ…………」
微かに後ろから声が聴こえてくる。しかし、それは、以前聴いた、低くうなる怪物の声ではなかった。
「ケ……ィ……タ……」
「……力……ク……ン」
「……」
「……圭太は、傷ついた分だけ、優しさに気づける人間になれたはずだよ」
「……っ」
セカイがそう告げる。
「また、今度ね」
セカイの呟くような声のあと、扉が消えた。
「セカイっ……!?」
突然の出来事に対し戸惑う。同時に最早どうしようもない今の現状、事実に僕は一度、下を向いた。でも、すぐに前を向いた。それは、セカイとの約束があったおかげだ。
後ろから指す一縷の光が、遮蔽物のなくなったいま、弱々しく前に向かって指す。
消えてしまいそうな、か細い、一縷の光。だけど、この何もない闇の中では、やけにはっきりと見えた。
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