第27話
「じゃ、終わりー、日直ー」
「気をつけ、礼」
「はい、さよならー」
教師の掛け声と共に、教室は喧噪に包まれる。今日が金曜日だからだろうか。みんなは少し上機嫌なようにも見えた。そんな中で、部活組が淡々と着替えを始める。
僕自身も、休日に楽しみがないわけではない。休日は睡眠に多く時間を割ける。それはイコール、セカイと長い間いられるということになる。
――どうして僕は、力になれない。
昨日の、自分の言動が脳裏をよぎる。冷静になったいま、その訴えは、ひどく滑稽で、子供じみていて、思い出すだけで恥ずかしくなる。
だがそれと同時に、そんな羞恥に満ちた告白は、不思議と心を軽くするものでもあった。
結果的に、また僕はセカイに助けられている。……何も出来ないままで。
何か、僕に出来ることはないのか。そう考えながら、僕は持ち帰るべき教科書を鞄に詰める。
「……加賀くん」
「……えっ?」
そんな中、肩をトントンと二回叩かれ振り向くと、そこにいたのは河野さんだった。
「……」
周囲にいた数人が、僕たちのほうを訝しそうに見る。
そんな状況にまた狼狽してしまいそうだったが、人目を意識しないよう必死に努力した。それは、あの時の反省を踏まえたからこそ取れた行動だった。
「ど、どうしたの河野さん?」
河野さんと昼休み会うことはあっても、今日のように教室で顔を合わせたことは一度もなかった。それはどのみち、図書室に向かいお互い顔を合わせるからと、僕も河野さんも考えていたからだろう。
そしてだからこそ、僕は河野さんが教室に来た意図を、未だ捉えられずにいた。
「あ、あのですね、ちょっと来て欲しいとこがあるんですけど、大丈夫ですか?」
「……図書室じゃなくて?」
河野さんは首を横に振った。
「違います。でも、加賀君のためになる場所だと思うので」
「?」
相変わらず僕は、河野さんの意図を捉えきれない。
――信頼、してください。
だけどそんな言葉だけが、いつまでも頭の中で残響している。
……僕に、面と向かって、そういってくれた彼女。でも、深いところで分かりあえなかった彼女のそんな言葉を、僕自身、性懲りもなく信頼してみたかった。
「……うん、わかった」
だから僕は、彼女の後ろにそのままついていく。
「……」
「……」
河野さんの進む方向は、よく行き慣れた方向だった。
「……」
「……」
階段を登るあいだ、僕と河野さんは一言も会話を交らわせなかった。何かしてしまったのかと不安になり、一度河野さんの表情を窺ったが、河野さんの表情から怒気のようなものは感じ取れない。……でも何だろう。この心の中にうごめく不安は。
このまま行くといつもの五階の空き教室に、僕たちはたどり着く。そのことも踏まえて、何の為に、河野さんは僕を教室に促したのかを、今一度考えていた。
……だけど何でだろう。僕が何か忘れ物をしたのか、それともここで、お弁当を食べてることがバレて、禁止の張り紙でも貼られてしまったのか。
……いや、やめよう。選択肢が数珠繋ぎに出てきて、手に負えないことを確信した僕は思考を止めた。いずれにせよ、もうわかることだ。
少し息を切らしつつ、五階に着いた。
この階段を登った一番左奥に、いつもの空き教室はある。
「こっちです」
「……えっ」
だけど、河野さんは空き教室に目もくれることなく、体を右の方向に向けた。
この時点で、僕は本当に、どこへ、何のために行くのかもわからなくなった。
河野さんは、僕が漏らした声を気に留めることもなく、そのまま廊下を歩く。
そして、すぐにとある教室の前で足を止めた。
――コンコン
河野さんが扉を二回ノックする。
「……いない」
そんな河野さんを見て、僕は困惑する。
「ちょ、ちょっと待って、河野さん。何でここに行くの?」
河野さんに導かれてきた教室の扉には「カウンセリングルーム」と書かれた張り紙が貼ってあった。
「……」
ありのままの疑問をぶつけると、河野さんは気まずそうに僕の方を向いた。
「……あの、誤解しないで聞いてほしいんですけど……いいですか?」
「……うん」
河野さんの意図を掴みきれない僕は、とりあえずそう首肯した。
僕の様子を見て、河野さんは言葉を選ぶようにうつむき、一旦間を置いた。
「……あの、ですね。……加賀くんは、以前私に、セカイさんの話をしてくれたじゃないですか」
「……うん」
……それは、僕が心のどこかで、河野さんに線引きをしてしまった、あの時の話だ。
「その時に違和感を感じたというか、何と言うか……その」
ドクンと心臓が脈打つ。
なぜだか、僕はものすごく嫌な予感がした。
「あの話」
……やめて。
「私には……その」
やめてくれ。
「……と、とても現実のことのようには……聞こえなくて」
そして、僕の思いは届かなかった。
血の気の引く感覚を覚える。
この場にいたたまれなくなる。
全てを、忘れてしまいたくなる。
「……どういうこと」
手のひらは汗にまみれ、びっしょりになっていた。微かに体が震える。そんな状況下で僕は、また次の言葉を求めてしまっていた。
「……まず私には加賀君が言っていた、『別の世界』というのが、よくわからなくて」
「……あるんだ」
「……証明ができません」
うつむいたまま、河野さんは申し訳なさそうにそう呟いた。
「……あるんだ。こことは違う、現代の果てのような世界が、確かに、鮮明に、僕には見えるんだ」
河野さんに自分の正当性を主張したくて、必死に言葉を探した。
「……それは、どこにあるんですか?」
河野さんは次に、淡々とそう質問した。
「……眠るんだ。眠ることが、その世界に行く条件なんだ」
「……それは」
口を開きかけた河野さんに僕は、再び怯えていた。
――やめて。
「夢……ですよね……」
何かが崩れ去った。僕の中で、確かに崩れ去った。
「……っ。違うっ、違うんだ……」
泣きそうだった。
どうして伝わらない。
どうして僕を、そんな憐れんだ目で、河野さんは見る。
「セカイがそこで独りぼっちで、だけど確かに、生きているんだ。僕がこの目でみた、確かな、事実なんだ。夢とは違う、あの観覧車も、壊れた橋も、菜の花畑も、鍵屋も、全てが何もかも、僕には鮮明に見えているんだ」
「……客観的な証拠がありません」
「……っ」
その言葉は非情に、僕の前に立ちふさがる。
「だって……。だってそれは、僕とセカイしか居ない世界だから……。誰も、誰もいない世界だから……」
「……」
河野さんは俯いていたが、それでもその目は、ひどく冷めているように見えた。
「……そうだ。セカイはジョンっていう犬が昔居たって言ってた。その犬とセカイと僕しかいないんだ。だから他の人は見れな――」
「……加賀君には、恐らく治療が必要です」
放たれた河野さんの声に、僕の言葉は遮られた。
「……えっ」
僕はそれに、戸惑うことしかできなかった。
「……図書館で調べました。加賀君のいうセカイさんは『イマジナリー・フレンド』という症状に酷似してます。それが高校生になっても出現するってことは、ひどいストレスに苛まれている状態が多いって……。医者に診て貰わなきゃ、心が壊れちゃうかもしれないって……」
「……」
イマジナリーフレンド? 想像上の友人?
――セカイが? 想像上?
「実際、加賀君は家族の状況を聞いても負担が大きいし、なぜか常にヒトに脅えてる。そんな状況に居たら、加賀君が壊れちゃう……」
「……違う」
「……っ、違くありません」
「それじゃ、セカイは僕の作り出した妄想で、存在しないってことなの?」
「……」
河野さんは、俯いて口を閉ざした。
「ねえ……」
「……」
「河野さん」
「……」
その沈黙を、僕は受け入れられなかった。卑怯だとすら感じた。ここまで言っといて、そこだけ沈黙を貫くだなんて、それはフェアじゃないと、そう考えた。
「――何とか言ってよ!」
僕は本能的に声を荒げ、河野さんを壁際まで追いやっていた。
ここまで来て。ここまでセカイの存在を否定されて、僕は黙っているわけにはいかない。
「私はっ……」
河野さんが一瞬言葉に詰まる。
「私は加賀君に、これ以上苦しんで欲しくないっ……。加賀君に、もっと笑って生きて欲しいっ、だからっ……」
河野さんの目が、涙で潤む。
笑って?
「だから、話したんです。このことを伝えることで、最終的に、加賀くんの幸せに繋がると、思ったから……!」
「……」
幸せ?
僕に、幸せ?
「……ふふっ」
その言葉に、笑いをこらえることが出来なかった。
「……加賀君?」
「ふふふっ」
ここまでくると、僕は笑うことしかできない。
「ははっ」
やっぱり河野さんは、僕とは違う。
「……河野さん、それはそっち側の人の、思い上がりだよ」
「……えっ」
そう告げると河野さんは驚いたように目を開いた。
「だってそれは、僕が不幸だっていう前提から成り立っている話でしょ?」
自分が、不思議なほど冷静なことがわかる。
「それは、そっちの物差しでみたときの話だよ。僕は、セカイと一緒に居れてすごく幸せなんだ」
河野さんが戸惑うようにこっちを見ている。
「精神的に辛いことがあって、それを救ってくれたのは、誰よりもセカイだ」
「主観でしかないんだよ」
誰かが階段を上ってくる音が聞こえる。でも最早そんなこと、どうでもよかった。
「結局さ、みんな、全部主観なんだ。僕が惨めだ。不憫だ。情けない。気持ち悪い。……全部、そっちの主観で決まっている」
「僕を異常だと認識しているのは、結局、そっちの人たちなんだ」
「おい、何やってるんだ!」
階段を上る音が徐々に近づいてくる。振り向くとそこには、白衣を着た男の姿があった。男はそのまま、河野さんから僕を引き剥がそうと腕を掴む。
「やめっ……!」
腕を振り回し必死で抵抗する。ここに居るはずだった心理カウンセラーだろうか。……そんなこともどうでもいい。
「離せっ……!」
一瞬、男の手から、僕の腕が一瞬離れかける。
「やめろ! 暴れるな!」
すると男は、腕力に全てを託して再び僕の腕をつかみ、そのまま僕を投げ飛ばした。男は僕の上に馬乗りで乗っかり、腕を取り押さえつける。
「いっ……!」
貧弱な僕の体は、いとも容易く男に取り押さえつけられてしまう。
「キミ、大丈夫かい……っ! もし大丈夫なら他の人を呼んで――」
「……っ!」
……なんで。
……なんで、僕は。
――こんなにも、遠いのだろう。
「あっぁあああぁああぁああああああっ!! なんで、なんでっ……!」
気が付いた時には、叫んでいた。
痛みと怒り、心に感じた嘆き、無力感。様々な感情が交りあって、器からあふれ出す。僕は、今までにないぐらい必死で、わけのわからない声をひたすらに出した。驚き、河野さんと男が、一斉にこっちを見てくる。
「許して、許してよっ。僕は人と違うよ。何も出来ない。でも、だったら、放っておいてよ。何でバカにされる。何で生きてるだけで、こんなに辛い」
僕の嘆きに、男は哀れみの目を向け、河野さんはすぐに下を向いた。
「……キミ、もし大丈夫なら、下の階に行って誰か、他の人を」
「……」
「キミ……」
「君達からしたら僕は異常だよ……。君達が妄想だっていう女の子のことを、愛していて、こことは違う世界があるって、そう言ってるんだからっ……。でも、これが、これが僕にとって正常なんだ……。見えるんだよ。本当にセカイはいるし、あっちの世界も、あるんだ……。僕の見えている世界を見てよ……。 そしたらきっと、わかるから……」
「……」
「気が付いたらこうなってたんだよ……。そういう人間は、どうすればいい……。異常の烙印を押された人間は、どうすればいい……」
「……」
「……」
「普通が出来ない人間は、どうしたって見下されるんだ。どうあがいても、懇願しても、諦めずに追い求めても、『普通』が出来ない人間は、どうすれば、どうすればいい……」
我ながら、情けない嘆きだった。
「君たちはこう思っているだろうね。そんなの自分で考えろ、黙って聞いてれば甘えやがって、って……。皆それぞれ苦しみながら生きてるんだ。それをお前は、人のせいばっかにしやがって、そうやって……」
――正論。確かにそれは、僕がどれだけ言い訳を探しても反論できない、まさに正論だ。
だけど僕には正論を正論であると、そのまま受け入れる度量も、余裕もなかった。一生出来ないかもしれないとも、そう考えていた。幼稚な人間だった。
「……誰もそんなことは言っていない。すこし落ちつこう」
心理カウンセラーらしき男が手を優しく、諭すように僕に言った。
「……っ!」
だが、僕はそんな男の言葉を振り切り、浅はかにみじめに、再び抵抗を始める。
「……! やめなさいっ!」
じたばたもがくと、男はまた僕を必死に取り押さえようとしてきた。
「そっちの正論は、悲しいぐらい僕にとっての、正論じゃない……っ」
考えることがトラウマだった。
いくら考えたって、答えが出てこない。そういう人間は、どうしたらいいのだろう。
必死にもがいた上で、なりたいものになれない。そういう人間は、どこに心の拠り所を作ればいいのだろう。
じたばたとあがき、うつぶせの状態から仰向けになる。そのまま男を振りほどくために腕を振り回すと、男は再び僕の手を押さつけようとしてくる。
僕のめちゃくちゃな動きに戸惑う男をみて、男がこういった状況に慣れていないことが一目でわかった。そこに気づいた僕は、腕を簡単に男に捕ませた。男がしめたという表情をしたことを僕は見逃さなかった。僕が敗北を認めたかのような苦悶の表情を作り、腕を脱力させる。勝利を確信した男が腕の脱力に釣られ、僅かに力を緩めた瞬間、
素早く、そして全力で、顔の方に男の腕を引いた。
僕の腕に引っ張られる形で、眼前に男の左腕が現れる。やるしかないと、0(レー)コンマ何秒の間に意を決した。
そのまま僕は、男のその後など配慮することもなく、ただただ全力で、指を噛んだ。
「っつ……!」
激痛に表情の歪む男は最早、痛覚に頭を支配されている様子だった。間隙を突き、僕はそのまま走りだす。
「加賀君っ!!」
途中、河野さんの声が聞こえた。だが、僕は振り向かなかった。
階段を下りていくと、騒ぎを聞きつけた教師たちが僕を必死に止めようとしてきた。だが、僕はそれを見て女性教師がいる方に走り込み、全力で突進をした。女性教師が驚き、咄嗟に僕を避ける。自分でも最低な行いだと思う。だけど、もうそんなことも、すぐにどうでもよくなる。
旅立とう、あの世界へ。もうこの世界は、終わりにする。




