第23話
目を開けると、そこには既視感のある天井が映っている。
「……セカイ?」
そこは、前回行った丘の上のベンチだった。辺りには菜の花があいかわらず咲いている。しかし前回と違い、近くにセカイの姿はなかった。
「……」
ベンチから立ち上がって辺りを見渡す。降り注ぐ大粒の雨と曇り空で、視界は悪かった。
柵から身体を乗り出して、辺りを注意深く見渡す。目を凝らすと、ここから菜の花畑まで続く丘の芝生が、人ひとりが通れる間の幅分倒れ、中心へと繋がっていた。
「……」
恐らく、この先に居るのはセカイだということはわかるのだが、なぜセカイがあのお墓までいったのかは、僕にはわからない。
セカイはあのお墓のことについて触れた瞬間取り乱した。いままでそんなことは、一度もなかったのに。
「……行ってみればわかるか」
僕は弱い。セカイに支えられながら、あっちの世界で、必死に生きている。そんな僕でも、セカイの少しでも助けになるのならば、助けたい。そんな一心で、僕は歩みを進めた。
しばらく歩くと見えてきたのは、お墓と、そこの近くにしゃがみ込む、少女の小さな背中だった。
「セカイ」
「……」
声を掛けてもセカイから返答はない。
「……こんなとこにいると、風邪引くよ。屋根のところまで戻ろう」
「……」
そう提案しても 、相変わらずセカイはお墓を一点に見つめたままだった。
「……セカイ」
「……私ね、圭太に言いそびれたことがあるの」
「……」
「暗い話だけど、聞きたい?」
「……セカイが辛いなら、僕はいいよ」
「……圭太なら、そういうと思った」
セカイは明らかに迷っていた。こっちを相変わらず向かないし、口調にはいつもの快活さはない。
「……でも、決めたから、言うよ」
そういってセカイは立ち上がり、僕の方を向いた。セカイの体はずぶ濡れで、前髪が額にくっついている。
「圭太には前に、この世界が終着点だって話、したよね?」
「……うん」
この世界にあるのは、時間の経過だけ。それを示すように、天候が曇りの時もあるし、雨の場合もある。五時を知らせるチャイムと、放送も流れる。
だけど、それ以外は何もない。人はいないし、生き物がいる気配もない。植物はあるが、それは枯れもしないし、ただ毎日そこにあるだけ。クリアしてしまったゲームのデータのように、世界を閉じ込めた一冊の絵本のように、この世界は停止してしまっている。
「でもね、この世界で、終わっていない存在がワタシと圭太以外にもいたの」
「……っ」
思わぬ言葉に、唾を飲んだ。
「……それがね、このお墓のなかに埋まっているジョン」
「それは――」
「犬だよ。可愛い、ゴールデンレトリバーだった。垂れ目で、いつも笑っているような顔なの」
不安に駆られた僕が質問を言いきる前に、セカイは僕の意図を汲んで質問に答えた。
「ワタシの、唯一の友達だった。この世界に生まれて、誰も、何もない世界に絶望して泣きじゃくりながら、必死にさまよってたとき、ジョンに会った」
「……」
セカイの当時の様子を想像して、僕は辛くなる。
「やっぱり、味方っていうか、誰かがいるっていうだけで、大きく違うんだ。ジョンは犬だけど、それでも、すごく大きな存在だった」
「……わかるよ」
「でも、ワタシとジョンには決定的な違いがあったの」
言葉を紡ぐセカイの表情は、重く沈んでいた。
「……何?」
思わずそう聞いた。
「……体が老いること。ワタシの体は老いないけど、ジョンの体は、日に日に老いていった」
その事実は僕自身も初耳で、心臓が驚き、ドクンと鼓動を上げた。
「セカイ、君は――」
「……うん、ワタシ、ずっとこの体のままなんだ」
それは、「普通」のことじゃなかった。
「……いつからここに」
「……数えるのやめちゃった。数えても、虚しいだけだし」
「……セカイ」
ごめん。君の悲しみに気付いてあげられなくて。でも、知らなかったんだ。セカイの表情の裏側に、そんな事実があっただなんて。
「いつか、この地獄みたいな状況から抜け出せるかもしれない、希望があるかもしれないって考えているうちにすごい時間が経っちゃった。……バカみたいだよね、ワタシ」
「バカじゃ……ない」
「圭太……」
「バカじゃない!」
語気が自然と強くなる。
それは誰に向けている言葉だろう。そう考えた時、自分の浅ましさに嫌気を覚える。僕もセカイと同様、あの世界にいつまでも希望を抱いている。だからそう、バカじゃないと否定したかっただけなのかもしれない。
でもそれ以上に、セカイという素敵な少女を、僕自身が否定してほしくなかった。だからそう強く、とっさに否定した。
「……ごめんね、暗くなっちゃって」
「大丈夫だよ」
「……続けるね。いつもみたいにジョンと出かけようとしたら、ジョンがついてこないんだ。座り込んで、こっちを見てもくれなくなった」
「……うん」
「ジョンは、そこから動かなくなっちゃったの。でもね、毎日見ていたら気が付いたことがあって」
「……多分、ジョンはもう、寿命が来てたんだ。残り一パーセントのエネルギーでギリギリ生きている。そんな感じだった。本当に、生きている。ただ、それだけ」
「ジョン、死んじゃうんだって毎日悲しんでたけど、おかしいの。いつまで経っても、ジョンは目が閉じることがなくて、それでそのまま……十年近く経っちゃった」
「それで、やっと気付いたの、ジョン、死なないんじゃなくて、この世界じゃ、死ねないんだって」
「死ねない?」
「……うん。その場から動けないほど筋肉はなくなって、目も虚ろなのに、息だけは続いてるの」
その立場を自分に置き換えて、僕はゾッとした。その場から一歩も動けず、意識だけはある。そんな状況を、僕はもう想像したくなかった。
「毎日毎日、どうすればいいのか考えたよ。何もないこの世界じゃ、栄養のあるものを食べさせたくても、そんなものないし、そもそも食べる必要もない。ボロボロの病院に行って薬も探した。でも、何にもなかった。ジョンに謝ることしかできなかった。ごめんね、ごめんねって。でもそうしたら、ジョンがね、私の方を必死に向くの。優しい目で。もうそんな力、ないはずなのに、振り絞って、弱々しく」
セカイの声は、徐々に涙声になっていた。
「……ワタシにはね、ワタシにはその目が」
「……セカイ、辛いんだったらもう無理に――」
しかし、僕の制止は無駄だった。
「――殺して、って言ってるように見えたの……だから、私が、殺したのっ……」
僕達は一瞬言葉を失い、大粒の雨が地面に落ちる音が、鮮明に聞こえる。
「もういいよ、セカイ」
僕はセカイの華奢な身体を、強く抱きしめた。体温が伝わるように、セカイが僕を救ってくれたときのように、強く、抱きしめた。
「うっ……うっ、うっ……」
「……辛いのに、よく言ってくれたね」
「そこから毎日、圭太が帰ったあと、夜に夢を見るの。ジョンがね、『何で殺したんだ』って、私を、責める夢。勝手に、運命を決めるなって、ワタシに言ってくるの。ジョンのためだと思ってやったことっ……なのに、いまは後悔しかない」
少女が、一つの生命の生死を決定する。それはどれだけ勇気の必要な決断だっただろう。
「……僕は、セカイの判断は正しかったと思うよ」
「うっ……ぐすっ……」
セカイが腕にかける力を強くする。
「……僕が、このお墓を疑問に思ったから、言ってくれたの?」
「……圭太にこのことを言ったら嫌われると思った。心のない人間だと思われると思った。だから、ワタシは卑怯だから、いつか言おうと思って……そのまま言わなかった。言う気なんて、なかったクセに」
「……ごめんね、セカイ」
「なんで、なんで圭太が謝るの」
「結果的に、僕が重荷になってたんだね」
「違う、違うよ」
「これからは、君が幸せになるように頑張るよ」
「……圭太は弱いけど、優しいね」
セカイは、僕の胸に顔を埋め、また鼻をすする。
雨は少し、霧雨になってきていた。




