第22話
「……」
腕時計に目を向けると、時間はすでに昼休み終了の二十分前になっていた。
窓越しにグラウンドで戯れる同級生の声や、階段を伝って、下の階から喧噪が聞こえる。そのまま静かに、僕は手癖で作った卵焼きを食べた。
……本来はこうなるはずだった。
皆が談笑を交えたり、ご飯を食べ終わってじゃれる生徒たちから距離を置いて、この五階の教室で、こんな風にひっそりと昼食を取る予定だった。
だけど、先に彼女がいた。
あれよあれよという間に、会話をして昼食を一緒に食べるようになって、映画に行った。
僕が自分に「期待をするな」という前に、物事はどんどん動いていった。
そして僕は勝手に期待していった。彼女となら、仲良くなれるかもしれないと。
……だけど、やっぱり僕じゃ無理だった。いつも通りの、ただそれだけのことじゃないか。
口に黙々とおかずを運ぶ。咀嚼音が、鼓膜に響く。
虚しくて、どうにかなりそうだった。はやくセカイの下に行きたかった。
大して時間が経ってないことも分かっているくせに、僕はもう一度時計をみた。
……トイレに寄って、教室に戻ろう。
積まれていた机を器用に避けて、教室の扉を空けた。
「……」
「……あっ」
扉を開けるとそこには、伏し目がちに立つ河野さんが居た。
「……まだ、時間大丈夫ですか」
「……うん、大丈夫」
――もう来ないでください。
――もう来ません。
僕は、次に彼女からどんな言葉が紡がれるのか、それが怖くてしょうがなかった。
僕と河野さんは机をどかし、中心部に戻る。
「……」
「……」
自然に僕と河野さんは向き合う形となった。河野さんはいつものランチバックを持ってきていたが、それを空ける様子はない。
「あ、あの」
以前のように、河野さんから口は開かれた。
「……き、昨日はすいませんでした。理由も聞かずに、その、い、いきなり帰ってしまって……」
「……いや、いいんだ。僕が悪いんだよ」
ああ、ダメだ。
「昨日は河野さんと出掛けれてホントに楽しかったんだ。河野さんが僕なんかを誘ってくれて、有り難かった。だから、自意識過剰なのはわかってるんだけど、木林君たちに会って、河野さんが恥ずかしい思いをしたら、嫌だと思ったんだ」
また、期待をしている。
「恥ずかしいわけ、ないじゃないですか」
微かに河野さんの声音が、昨日のように冷たくなりゾクッとする。
「……でも、私も、わかります。……いや。わかるような気が、します。だからこそ私も、昨日は帰ってしまいました」
少し優しくなった声音に思わず顔をあげると、相変わらず河野さんは下を向いたままだった。
「心の中で、勝手に決めていました。やっぱり、私と一緒に居るだなんて知られたくないだろう、って。……確証が、あるわけでもないのに」
河野さんは本当に申し訳なさそうに言葉を紡いだ。
「でも、家に帰って。冷静になって、考えました。……こんなこと言っちゃうとダメかもしれないけど、加賀君ってものすごく自信がない人だったんだ、って」
「……」
僕自身も、そう思う。
「それから、加賀君のいままでの行動を思い出しました。図書館で会ったときのことや、ここで御飯を食べていたときのこと。……全部、自己評価の低さから成り立っているように、私には思えました」
「……」
「それに、私が間違っていたんじゃないかっていう、罪悪感から謝ろうとしたっていう気持ちもあります。……だけど何より私は、それ以上に――」
河野さんは、そこで言葉に詰まった。
「ま、また加賀君とお昼を取ったり、好きな小説の話をしたかった」
河野さんは下をうつむいたまま、顔を赤くした。
「……河野さん」
「……はい」
下を向いて呼びかけた僕に、河野さんが返事を返す。
……いいのだろうか。
――僕は。
「――君を信頼してもいいの? 迷惑に、ならない?」
思わず出た言葉が、それだった。
「……信頼、してください」
そんな僕の言葉に、河野さんはそう返してくれた。
「……また、どこか行きませんか」
お弁当を食べながら河野さんはそう提案してきた。お弁当を既に食べてしまった僕は、手持ちぶさたのまま首肯する。
「うん、どこに行こうか」
またどこかに出掛ければ、この一件の落としどころになる気がした。この一件を乗り越えて、よりお互いを知れると考えた。
「昨日は私の要望を聞いてもらったので、今度は加賀君の行きたい場所に行きましょう」
「えっ、でも――」
「僕の行きたいところなんて」と言葉を続けようとして止めた。こういうところが災いして、昨日のような出来事が起きた。ああいった過ちをもう、繰り返したくはなかった。
「……じゃあ」
……しかし、そういざ考え始めてみても、すぐにいい案は思い浮かばない。個人的には、河野さんとたくさん話をしたいという気持ちが強かったので、場所はどこでも良かったというのもある。
「……ほ、本屋とかどうかな?」
そして無い知恵を絞って、そう答えを出した。河野さんは映画化された小説の話をするとき、すごく楽しそうだった。本屋なら、河野さんのオススメの本もたくさんあるだろうし、話しも弾むと考えた。
「……ふふっ」
だけどその僕の考えとは裏腹に、河野さんは戸惑ったようにこっちを見て、そのあと笑った。
「そ、そんなに可笑しかったかな?」
不安になり、そう聞いてしまう。
「いや、その、何か加賀君らしいなーって思って。ごめんなさい」
「や、やっぱり変かな」
僕の中で、「自分らしい」という言葉は、そういった類の言葉に結びつく。
「まあ、本屋はいつでも行けますし、中々選ばない選択肢だとは思いますけど」
その言葉を聞いて、僕は居た堪れない気持ちになった。
「じゃあ、やっぱり――」
「いえ、本屋。面白そうですね。お互い本好きですし、私たちの場合は、実は一番いい選択肢なのかもしれません」
言葉を遮り、河野さんはそういってくれた。
「……何なら、今日行きます?」
そして次に言われたその言葉は、嬉しい言葉だった。社交辞令で約束してそれっきりという経験を、僕は何度も経験したことがある。しかし今日行こうという約束なら、それは実現する可能性は高い。河野さんが本気で約束してくれている証拠だと、僕は考えることが出来る。
……でもその申し出は、今日に限っては優先できない。
「……ごめん、今日は」
申し訳なさから、僕は河野さんの方を向けない。
「あっ、大丈夫です。大丈夫です。何か用事があるなら、仕方ありません」
気を遣うように河野さんは手を横にぶんぶんと振った。僕は罪悪感から、急いで他の候補日を挙げようとする。
そこで一つの考えが浮かんだ。
――河野さんになら、セカイのことを話してもいいのではないか。
河野さんなら、セカイの事情を理解してくれている、そんな気が僕にはした。
河野さんは本当に優しい人だ。まだ、河野さんがどんな経緯を辿って、こんな性格に至ったのかはわからない。
だけど現時点で、河野さんは人の痛みが分かる女性で、一人の辛さがわかる人だと、それだけはわかっていた。
僕はセカイの話を共有したかった。セカイの魅力を、より多くの人に知ってほしかった。僕だけしかセカイの魅力を知らないだなんて、勿体ないことだと思うから。
それに、僕はしっかり断る理由を河野さんに伝えておきたかった。隠すことは、不誠実だと感じた。
――信頼、してください。
……彼女の言葉を思い出す。もしかしたらいまがその、信頼すべき時なのかもしれない。
――あのさ。
言いよどむ時間は少なかった。
そして、僕はセカイという素敵な少女のことが、より正確に伝わるよう、気をつけながら話した。
セカイと観覧車で出会ったこと。無邪気な少女であるということ。好奇心が旺盛であること。見た目の年齢より幼い行動が多いこと。最近は鍵を探すことに夢中になっていること。些細なことで言い合いになったりもすること。こないだ、菜の花畑で強く拒絶されてしまったこと。僕の唯一の味方であること。
限られた時間の中で、河野さんに出来るだけ伝わるように話した。
「……こないだも、一瞬強く否定されちゃったけど、すぐに僕のことを心配して謝ってきてくれたんだ。自分も辛いはずなのに、優しすぎる子なんだ」
「……す、すいません加賀君」
「……なに?」
どこか情報が不足していただろうか。
「その人……セカイさんの話は、ア、アニメとかの話ですか?」
「……」
ああ、そうだ。説明を忘れていた。
「セカイは、終わりの世界に生きているんだ。この世界のなれの果てのような場所でひとり。この世界には生きてはいないけど、確かに実在しているんだ」
「……ああ、なるほど。そうなんですか。そんな素敵な子だったら、私もいつか出会ってみたいです」
「うん、いつか会って欲しいよ」
セカイと河野さんが出会った時のことを想像して思わず笑みがこぼれた。
「……はい、いつか、会いたいです」
……河野さんも僕と一緒に笑ってくれたけど、僕は見えてしまった。河野さんの笑顔がどこかぎこちないところも、一瞬だけ怪訝そうな表情をしたところも。
……ああ、そうか。ダメだったんだ。




