第08話 守るための魔法が街を壊している
守護竜が本当に守りたいもの、少しだけわかった気がする。
そう口にした直後、守護竜の喉が赤く膨らんだ。
「修理屋! 説明はあとだ、伏せろ!」
隊長の怒鳴り声と同時に、盾を構えた衛兵たちが前へ出る。
「ジオ、こっち!」
リゼに腕を引かれ、焼き窯の陰へ滑り込んだ。頭上で炎がうなり、砕けた煉瓦が雨のように降ってくる。
熱風で目が乾いた。喉まで焼かれそうで、息をするのも怖い。
炎が通り過ぎると、隊長が焦げた盾を地面へ叩きつけた。
「次は受けられん。修理屋、何かわかったなら手短に言え」
「守護竜と、この焼き窯がつながってます。百年前、この窯は街の共同炊事炉だったみたいです」
「それが何だ」
「守護竜が、何度も窯を庇ってるんです。街を守る魔法の一部に、ここの火を守る役目が残ってるのかもしれません」
隊長は焼き窯へ目を向けた。
「だからといって、住民を焼いていい理由にはならん」
「もちろんです」
そこは、俺も同じ気持ちだった。
百年もの間、この街を見守ってきた守護竜を壊したくない。でも、そのためにメル婆さんやトトを危険にさらすわけにはいかない。
俺は窯の扉に残った文字を指さした。
「まず、こっちを調べます。たぶん、守護竜に何か伝える仕組みがあります」
「時間はないぞ」
「承知してます」
「剣士、修理屋の前を空けるな。俺たちは横から押さえる」
「了解!」
リゼが剣を握り直した。刃には細かな欠けが増え、握りの革もところどころ裂けている。
「ジオ。振り向かなくていいから、そっちに集中して」
「……頼んだ」
「ええ」
彼女はそれだけ答え、瓦礫の向こうへ走った。
俺は焼き窯へ向き直る。
さっき金色の糸をつなぎ直したせいか、扉に刻まれた守護竜の紋章は、まだかすかに青く光っていた。
扉の下を覗くと、煤の奥に小さな金属板が埋まっている。隅に二本のねじ。さらに、その間には細い溝があった。
「……点検口か?」
工具箱からドライバーを出し、ねじを回す。
一本目はすんなり抜けた。
二本目は、びくともしない。
「お前まで意地張るなよ……!」
固着したねじに油を垂らし、柄の尻を軽く叩く。先代なら、この程度で力任せに回したら怒鳴るだろう。
『ねじをなめたら、仕事が一つ増えるだけだぞ』
思い出した途端、少し笑ってしまった。
こんなときでも、俺の頭の中にいる先代はうるさい。
ねじが緩む。
板を外すと、中には親指ほどの小さな指針があった。くすんだ目盛りには、二つの文字が刻まれている。
『平常』と『危急』。
針は、危急のほうへ倒れていた。
「……ああ、なるほど」
この窯は、ただ火を焚くだけのものじゃない。街の人が集まる炊事場だった頃、何かあれば鐘楼の守護竜へ知らせる役目もあったのだろう。
なら、今はどうだ。
窯そのものはまだ温かい。火を保つ術式も生きている。それなのに、危急の信号だけが出たままになっている。
そこへ、無理やり魔法を動かす黒い糸。
守護竜には、この場所が危険だと伝わり続けているのかもしれない。
「リゼ! 窯からの警報が止まってない!」
「それを止めればいいの?」
「試す価値はある!」
「なら、急いで!」
返事と同時に、剣と石がぶつかる重い音がした。
覗けば、リゼが守護竜の前脚へ斬り込んでいた。鱗の隙間を狙った細い一撃。大きく傷つけるためではなく、脚の向きを変えるための剣だ。
守護竜が体勢を崩したところへ、衛兵が鎖を投げる。隊長が先頭に立って引き、前脚の動きを抑えた。
「引け! まともに受けるな、力を逃がせ!」
鎖がきしむ。衛兵たちの靴が石畳を滑った。
守護竜を止めているのは、リゼだけじゃない。
俺が見つけた糸を切るだけでは、誰も助からない。今この瞬間にも、見えないところで踏ん張っている人がいる。
俺も手を動かさなきゃな。
そう思って焼き窯に顔を寄せると、熱で眉のあたりがひりついた。
今朝ここで焼かれたパンは、メル婆さんの手から俺の手へ渡った。トトはその横で笑っていた。
もし今日、この窯まで壊れたら。二人が無事ならそれでいい、と簡単に言えるだろうか。先代の店を守ってきた俺には、たぶん言えない。
だから、直せる場所があるなら直す。あとのことは、そのあと考える。
指針の裏を見ると、薄い銅板が曲がり、接点を押しつぶしていた。落下の衝撃を受けたのだろう。
これは糸をほどく以前の問題だ。
「だったら、普通に直す!」
細いペンチで銅板を起こし、変形した端を慎重に整える。黒ずんだ接点を布で拭い、留め具を押し戻した。
かちり。
小さな音とともに、指針が『平常』へ戻った。
守護竜の紋章が青く瞬く。
目を凝らすと、窯から伸びる金色の糸がぴんと張り、守護竜の胸へ光を運んでいった。
「頼む……!」
外で、石の足音が止まった。
守護竜が動きを止めている。
「隊長!」
「見えている。全員、その場を維持しろ!」
リゼも剣を下ろしかけたが、すぐに構え直した。
赤かった守護竜の目に、一瞬だけ青い光が戻る。
胸の奥で、金色の糸が穏やかに揺れた。
「……届いた」
喉の奥から、熱かった息が抜けていく。
焼き窯が無事だと伝えられた。だったら、もう暴れる必要はないはずだ。
だが――。
びくん、と守護竜の身体が跳ねた。
黒い靄が鱗の隙間から噴き上がる。
青くなりかけた目が、再び赤に染まった。
「ちょっと待て……!」
金色の糸が、強く引き戻される。
さっきまで見えなかった部分が、目の前で浮かび上がった。
黒い糸だ。
胸の奥の金色の糸に何重にも巻きつき、平常の知らせを押しのけるように締め上げている。
こいつは、ただの故障じゃない。
守護竜は止まろうとした。
それを、黒い糸が許さなかった。
「修理屋! 下がれ!」
隊長の声とともに、鎖が一本弾け飛んだ。
リゼが跳び込み、こちらへ伸びた前脚を剣でそらす。守護竜の爪が焼き窯の横を深く削った。
俺は窯を背にしたまま、銀の針を握りしめる。
今、はっきりしたことがある。
焼き窯を直したのは、間違いじゃなかった。
守護竜は、確かに応えてくれたんだ。
なのに、誰かが結びつけたあの黒い糸が、命令をねじ曲げ続けている。
「ジオ、どうする!」
リゼが俺を見た。
逃げれば、隊長たちが守護竜を壊して止める。それは間違った判断じゃない。
でも、もう一度だけ試せるなら。
今度は、何を守ろうとしているのかも知らずに糸を引っ張ったりしない。
「……黒い糸を切らずに、ほどく」
「できるの?」
「まだわからん。でも、守護竜は止まりたがってる」
俺は窯から伸びる金色の光と、守護竜の胸をつなぐ道筋を見た。
糸は一本じゃない。端を無理に引けば締まるなら、結び目の内側から緩めるしかない。
そのためには、もう一度、あの胸元へ近づく必要がある。
しかも今度は、針を一本通すだけじゃ済まない。
「リゼ。もう一度だけ、俺をあそこまで運んでくれ」
彼女は一瞬、目を細めた。
「……どこまで?」
俺は守護竜の胸を指さした。
「心臓の真下」
リゼは守護竜を見上げ、それから俺を見た。
「あなた、修理が終わる頃には私の寿命を全部使うつもり?」
「半分くらい残す努力はする」
彼女は呆れたように息を吐き、剣を構え直した。
「帰ったら、覚えてなさいよ」
その声を聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。
帰ったら。
そう言ってもらえるうちは、まだ終わりじゃない。
俺は傷んだ右手に針を握り直した。指先が震える。痛みをごまかすつもりはない。次の一針を間違えれば、守護竜も、この街の人たちも傷つく。
それでも、手を引く理由にはならなかった。
「……今度こそ、お前の中で何が起きてるのか、教えてもらうぞ」
守護竜は赤い目を光らせたまま、俺たちを見下ろしていた。




