第4話 修理屋に火炎耐性はありません
炎が、通りいっぱいに広がった。
「うおおおっ、熱い熱い熱い!」
俺はリゼに襟首をつかまれ、石壁の陰へ放り込まれた。背中を打って息が詰まる。直後、目の前を真っ赤な炎が通り過ぎた。
道端の荷車が燃え上がる。看板が黒く焦げ、窓の硝子がぱきんと割れた。
「助かった! でも投げる必要あった!?」
「受け止めてほしかった?」
「優しく抱き留める選択肢は!?」
「今度余裕があったらね!」
ないだろうな、今度も。
壁の向こうで、炎が石畳を舐めた。頬がひりつく。守護竜が口を開けただけでこの有様だ。あいつが本気で暴れたら、下街の木造部分はひとたまりもない。
しかもパン屋は崩れたまま。トトとメル婆さんを救い出せたからって、安心している場合じゃなかった。
笑いかけた口が止まった。逃げ遅れた男が、道の真ん中で転んでいる。すぐ横には、熱で曲がり始めた荷車の車輪。
「リゼ、あそこ!」
「見えてる!」
彼女は壁を蹴り、炎の切れ間へ飛び出した。男の上着をつかんで引き起こし、そのまま荷車の陰を滑るように駆け抜ける。
元騎士の身のこなしは、こういうとき本当に頼りになる。足の運びに無駄がない。俺ならあの距離で三回は転び、四回目で人生を諦めている。
だが、今は見とれている場合じゃない。
守護竜の頭が動いた。再び喉の奥が赤くなる。
まずい。二発目が来たら、あの二人は逃げ切れない。
俺は通りの角へ目を走らせた。
あった。赤い取っ手のついた、腰ほどの高さの鉄柱。街の火事に備えた《消火柱》だ。地下の貯水槽につながっていて、取っ手を引けば水を勢いよく吹き出す。
ただし、守護竜が落ちた衝撃で柱はひしゃげ、魔晶石の灯りも消えていた。
「壊れてる場合かよ!」
思わず文句を言ってから気づく。
壊れたものを直すのが、俺の仕事だった。
「リゼ! そっちへ水を送る! ちょっとだけ耐えてくれ!」
「ちょっとって何秒!?」
「直してみないとわからん!」
「最悪の返事!」
リゼは男を石壁の向こうへ突き飛ばし、自分も転がるように身を伏せた。直後、守護竜が炎を吐く。
俺は消火柱の前に膝をつき、銀の針を取り出した。
糸が見える。
青い光が地下から柱の内部へ伸びていた。幸い、貯水槽からの魔力は生きている。途中の縫い目が衝撃で外れ、弁を開く命令が届かなくなっただけだ。
「そこか!」
針を差し込み、切れた糸の端を引き寄せる。
指先が熱い。触れているのは金属なのに、皮膚の内側を火でなぞられたようだった。
それでも針を離さない。
ぷつり、と何かがつながった。
鉄柱の魔晶石に青い光が戻る。
「開けええっ!」
俺は取っ手に全体重をかけた。
ごぼっ、と間抜けな音がした。
「……ごぼっ?」
嫌な予感がする。
次の瞬間、鉄柱の継ぎ目から水が噴き出し、俺の顔を正面から殴った。
「ぶはあっ!?」
「ジオ!?」
「水圧! 水圧が俺に敵意を!」
「直す場所を間違えたんじゃないの!?」
「間違えてない! 柱が曲がってるだけだ!」
俺はびしょ濡れのまま噴出口を蹴り、守護竜のほうへ向けた。
水の帯が炎にぶつかる。
蒸気が爆ぜ、白い煙が通りを覆った。消火柱一本で守護竜の炎を消せるわけじゃない。それでも、熱を弱めて逃げ道を作るには十分だった。
消火柱を抱えた俺の腕にも熱が伝わる。濡れた服が肌に貼りついて気持ち悪い。助かったのか、むしろ自分から茹でられに行ったのか、だんだんわからなくなってきた。
ただ、蒸気の向こうで誰かが「通れたぞ!」と叫んだ。
それだけで、濡れ鼠になった甲斐はあった。
「今だ、みんな! 広場の向こうへ!」
靴屋の爺さんが叫び、近所の人々が小さな子を抱えて走り出す。衛兵も駆けつけ、盾を並べて避難路を守り始めた。
その光景に、張りつめていた胸が少しだけ緩む。
俺たちだけで戦ってるわけじゃない。
衛兵の一人が俺の肩を叩いた。
「お前、修理屋か! こっちの消火柱も直せるか!」
「できれば後で! 今は手が足りない!」
「わかった! なら、俺たちは人を逃がす!」
短いやり取りだったが、それで十分だった。みんな自分の仕事をわかっている。俺も、俺にできることをやるしかない。
けれど、消火柱の水が急に細くなった。
「……うそだろ」
柱の横にある魔力計が、底を指している。地下の貯水槽は満水でも、押し出すための魔力が尽きかけていた。
あと一回、炎を受けられるかどうか。
「リゼ! 時間切れだ!」
「こっちも!」
彼女の声が、頭上から降ってきた。
見上げると、リゼは崩れかけた屋根を駆けていた。守護竜の尾が壁を砕き、その後を追う。
彼女は屋根の端を蹴って跳び、空中で身体をひねった。尾の一撃を紙一重でかわし、剣を翼の付け根へ振り下ろす。
ぎんっ、と鋭い音。
「硬いっ!」
「石だって言っただろ!」
「わかってるわよ!」
剣がはじかれる。リゼの身体が宙へ浮いた。
まずい。着地する場所がない。
「右だ、リゼ! 翼の下に継ぎ目がある!」
「右ね!」
リゼは落ちながら剣を持ち替え、守護竜の脇へ刃を突き立てた。石の板が一枚剥がれ、その反動を利用して石畳へ着地する。
片膝をついた彼女の足元で、石が砕けた。
「……今の、けっこう怖かったんだけど」
「見てるこっちはもっと怖かったぞ!」
「じゃあ次は受け止めてね」
「俺を潰す気か!?」
軽口を交わしたものの、リゼの呼吸は荒い。額に汗が浮かび、剣を握る右手も小さく震えている。
長くは持たない。
守護竜は壊れたパン屋の中央に踏みとどまっていた。黒い靄をまとった翼が上下し、石の喉がまた赤く光り始める。
俺は目を凝らした。
普通の魔導具なら、壊れた縫い目を探せばいい。けれど、守護竜の身体には数えきれないほどの糸が張り巡らされている。しかも、糸は守護竜が動くたびに位置を変えていた。
青い糸の束に、一本だけ黒いものが食い込んでいる。
さっき見たのと同じだ。
鱗の隙間から漂う黒い靄なら、周囲の人間にも見えている。だが、糸そのものに気づいている様子はない。黒い糸は、守護竜が暴れるたびに別の色の糸を引き寄せ、ぐちゃぐちゃに絡ませていた。
まるで、無理に言うことを聞かせようとしているみたいだ。
だが、そこへ針を届かせるには、守護竜の懐へ潜り込まなければならない。
「……勘弁してくれよ」
俺は消火柱の陰から身を乗り出した。
守護竜が翼を振り上げ、瓦礫をまき散らす。大きな破片がパン屋の奥へ飛んだ。
その瞬間だった。
守護竜が、妙な動きをした。
自分の爪で石畳を削りながら、翼を折り曲げる。瓦礫を受け止め、胸元に抱え込むようにして地面へ落とした。
まるで、何かに当たらないように。
「……何してんだ、あいつ」
そこにあったのは、パン屋の焼き窯だった。
屋根も壁も崩れているのに、あの窯だけはまだ立っている。
さっきは暴れる尾で壁を壊したくせに、今はわざわざ自分の翼を傷つけている。どう考えても、動きがちぐはぐだった。
偶然か?
俺がそう考えた直後、守護竜の喉が赤く輝いた。
今度は、さっきよりずっと強い。
「ジオ!」
リゼがこちらへ走る。
守護竜の口が開いた。
その先にあるのは、壊れたパン屋と焼き窯。
いや、違う。
瓦礫の向こうで、誰かが泣きながら叫んでいた。
「ばあちゃんの、パン……!」
避難したはずのトトが、衛兵の手を振りほどいて戻ってきていた。
「トト!?」
トトは焼き窯に向かって走っている。
守護竜の喉に、真っ赤な炎が集まった。
俺は針を握り締めた。
「――リゼ! あいつを止めるぞ!」




