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壊れた魔法、直します。~魔法の糸が見える修理屋、世界のほつれまで請け負います~  作者: 雪月 夜狐
第一章:百年目の故障

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第3話 守り神よ、そこは守る側だろ

 間抜けな声が、自分の口から漏れた。


 ついさっきまでパンを焼いていた店が、半分なくなっていた。


 崩れた屋根から白い粉が舞い上がる。小麦粉なのか、砕けた石なのかもわからない。焦げた木の匂いに、焼きたてのパンの甘い香りが混じっていた。


「ジオ! ぼうっとしない!」


 リゼの声で、ようやく息が戻った。


「トトが中にいる!」


 彼女は俺の返事も待たずに走り出した。剣を抜き、落ちてきた木片を横から斬り払う。


 そうだ。トトだ。


 メル婆さんもいる。


 さっき笑っていた二人が、あの下に。


「くそっ!」


 俺も地面を蹴った。


 店の入り口があった場所には、守護竜の石の翼が突き刺さっている。看板は折れ、焼き窯の周りには割れた煉瓦が散らばっていた。


「トト! メル婆さん! 返事してくれ!」


 呼びかけても、返るのはぱらぱらと瓦礫が落ちる音だけ。


 心臓が嫌な音を立てた。


 ついさっき、トトは小麦粉の袋を抱えていた。重そうに運ぶ姿を、みんなで笑って見ていた。


 あんな何でもない光景が、どうしてこんなことになる。


 まさか。


 そんなはずがない。


「……ジオ、兄ちゃん?」


 か細い声がした。


「トト!」


 崩れた陳列棚の向こう。小さな手が、積もった小麦粉の中から伸びていた。


 隣にはメル婆さんもいた。彼女はトトを抱くように丸まり、背中で棚を支えている。


「大丈夫か!」


「トトは……無事だよ。あたしはちょっと、腰が抜けちまってね」


 いつもの調子で言おうとしたのだろう。


 けれど声が震えていた。前掛けの肩口が赤く染まっている。


 トトは泣くのをこらえていた。唇を噛み、メル婆さんの前掛けを離そうとしない。


「ばあちゃん、痛いって言わないんだ。ずっと、ぼくのことばっかり……」


 その言葉を最後まで聞くのが怖かった。


「わかった。二人とも連れて出る。約束する」


 俺は自分に言い聞かせるように答えた。


 リゼが棚の下へ身をかがめた。


「私が持ち上げる。ジオ、二人を引っ張り出して!」


「待て! その上に梁が乗ってる。棚だけ動かしたら全部落ちる!」


 見上げれば、折れた太い梁が斜めに引っかかっていた。支えているのは、今にも潰れそうな陳列棚一本だけだ。


「じゃあ、どうするの!」


 どうする。


 俺の針で木材は直せない。


 力任せに引き抜くこともできない。


 視線を巡らせた、そのとき。


 通りに、荷運び用の飛行板が横倒しになっているのが見えた。


 商人が荷箱を載せて運ぶ、小さな魔導具だ。荷車ほどの重さは持ち上げられない。ましてや、屋根を支える梁なんて本来は無理だ。


 でも、ほんの少し浮けばいい。俺たちが身体を滑り込ませるだけの隙間ができれば。


「リゼ、十秒くれ!」


「長い!」


「じゃあ八秒!」


「値切れば何とかなると思わないで!」


 怒鳴りながらも、リゼは棚を両手で支えた。


 俺は飛行板を引きずり寄せ、梁の下へ押し込む。魔晶石は生きている。けれど、落ちた衝撃で魔力の流れが止まっていた。


 銀の針を抜く。


 目を凝らせば、板の内側に青い糸が見えた。端が外れ、力を伝える輪が途切れている。


「頼むぞ。今だけでいいから!」


 糸をすくい、つなぎ直す。


 じり、と指先が焼けた。


 痛い。けれど手は止めない。


 魔晶石が光り、飛行板が低く唸った。


「上がれっ!」


 板が浮く。


 ほんの少しだけ、梁が持ち上がった。


「リゼ、今だ!」


 リゼが棚を横へ押し倒す。俺はトトの腕をつかみ、瓦礫の外へ引き寄せた。


 続いてメル婆さんの手を取る。


「痛いとこあるか!」


「肩だね。でも、手は動くよ」


「よし。文句はあとで聞く!」


「そりゃ、たっぷりあるよ!」


 その返事に、少しだけ胸が軽くなった。


 だが、まだ終わっていなかった。


 みしっ、と飛行板が鳴る。


 魔晶石に細い亀裂が走った。


「まずい、持たない!」


 リゼがメル婆さんを抱き上げ、俺はトトを胸に引き寄せた。


 飛び出した直後、背後で梁が落ちた。


 木材が砕ける音に、トトがびくりと身体を震わせる。


 俺はその頭を抱えた。胸のあたりで、小さな肩が何度も上下している。


 朝の俺は、トトに強くなりたい理由を聞いた。


 今はその子が、こんなに必死でしがみついている。


 守らなきゃいけないのは、こっちだろう。


「もう大丈夫だ。……いや、まだ大丈夫じゃないけど、とにかく俺から離れるな」


「どっちなの、ジオ兄ちゃん……」


「今、俺も整理してる!」


 通りでは近所の人たちが動き始めていた。


 靴屋の爺さんが水桶を運び、花屋の娘が避難する人々を誘導している。誰かが衛兵を呼びに走った。


「メルさん、こっちへ!」


 リゼが二人を預ける。


 メル婆さんは顔をしかめながらも、俺の袖を引いた。


「ジオ。……トトを、ありがとうね」


 いつもは声の大きい人が、こんなに小さな声を出すのかと思った。


「礼はあとで。パン三個で勘弁してやる」


「二個で手を打ちな」


「命の恩人にまで値切るのかよ!」


 メル婆さんが笑う。頬に涙が伝っていた。


 その笑顔を見た瞬間、足から力が抜けそうになった。


 生きている。


 二人とも、生きている。


 ――よかった。


 だが、安堵したのは一瞬だった。


 ごりっ。


 壊れた店の奥で、石がこすれる音が響いた。


 守護竜が、動いた。


 崩れた壁を押しのけ、巨大な頭が持ち上がる。赤く光る目が、ゆっくりと通りを見渡した。


 鱗の隙間から、煤のような黒い靄が漏れ出している。


「な、何だ、あの黒い煙……!」


 近くの商人が叫んだ。


 やっぱり、見えているのか。


 石造りの竜から煙が出ること自体は、おかしくない。だがあれは火の煙じゃない。風が吹いても流されず、鱗の周りにまとわりついていた。


 糸は俺にしか見えない。けれど、あの黒い靄は別らしい。


「ジオ、下がって!」


 リゼが俺を押しのけた。


 次の瞬間、守護竜の尾が振り抜かれる。


 石畳が割れ、拳ほどの破片が飛んだ。


 リゼは剣で大きな破片を弾き、返す刃で尾の先端を斬りつけた。


 金属を叩くような音。


 石の鱗が数枚、砕け散る。


「硬っ……!」


「そりゃ石だからな!」


「今そういう感想いらない!」


 ごもっとも。


 守護竜は、翼を広げて立ち上がった。崩れたパン屋の奥で、焼き窯だけが不思議なほど原形を保っている。


 その窯を囲うように、守護竜の前脚が石畳へ食い込んでいた。


 ……なんだ?


 襲ってきたにしては、妙な位置だ。


 考えかけたとき、守護竜の首がこちらを向いた。


 赤い光が、ひときわ強くなる。


「リゼ、来るぞ!」


「わかってる!」


 彼女が剣を構え直す。


 俺も銀の針を握った。


 守護竜の身体に視線を向ける。無数の魔法の糸が、暴れるように絡み合っていた。


 そして、その奥に。


 あのとき見えた、黒いもの。


 今度は、はっきりと見えた。


 一本の糸が、無理やりほかの糸を縛りつけている。


 故障じゃない。


 誰かが、こうなるように仕組んだんだ。


「……ふざけんなよ」


 守護竜の喉の奥が赤く灯った。


 あの巨体から炎まで吐かれたら、下街がどうなるか。


 考えるまでもない。


「リゼ!」


「何!」


「まずは、あいつの口を閉じさせる!」


「方法は?」


「今から考える!」


「せめて考えてから言って!」


 守護竜が大きく息を吸い込んだ。


 熱気が通りを走る。


 メル婆さんの店で、火の粉が舞った。


 その向こうで、トトが俺を見ている。


 さっき、木の剣でばあちゃんを守りたいと言っていた子どもが。


 俺は針を握り直した。


 壊れた魔法なら、直せるかもしれない。


 でも、その前に――。


「全員、伏せろ!」


 守護竜の口から、炎が噴き出した。

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