第28話 止めたら、守れなくなる
床が、もう一度震えた。
今度は足元から突き上げるような揺れだった。天井に積もった埃がぱらぱらと落ち、炉室の扉に掛かった鎖が鳴る。
「全員、壁から離れろ!」
隊長の声で、俺たちは通路の中央へ下がった。
イネスさんが検査器を見下ろす。針は赤い目盛りの手前で、細かく震えていた。
「内部の圧力が上がっています。炉を止める前に、熱の逃げ道を確保しないと」
「中の男は何をしてる?」
「まだわかりません。扉越しでは測れない部分があります」
隊長が鉄の扉を叩いた。
「衛兵だ。聞こえているなら答えろ。中に何人いる」
「……一人だ」
かすれた声が返る。
「頼む。主電源に触るな。今止めたら、下の蓄熱槽が破れる」
「なら、扉を開けろ。技師を入れる」
「開けたくても……こっちの錠が噛んでるんだ!」
隊長はイネスさんを見た。彼女は図面を床に広げ、扉の断面を指さした。
「遮断錠が熱で膨張したんでしょう。無理に壊すと、炉室を密閉する機能まで失います」
リゼが俺の前へ出る。
「外から開ける方法は?」
「冷やせば戻る可能性はあります。でも水を掛けるのは駄目。急激な温度差で割れます」
俺は錠へ目を凝らした。
青い糸が、二重の輪に沿って伸びている。黒い糸は見えない。ただ、一番奥の輪だけが、熱を帯びた糸に引っ張られて歪んでいた。
「内側の輪は生きてます。外側だけ、枠に押しつけられてるみたいです」
「……なら、外側の締め付けを先に緩められます」
イネスさんが工具袋から長い六角棒を取り出した。
「リゼさん。ここに差し込んで、右へ四分の一回転だけ。全部回さないでください」
「わかった」
リゼが棒を差し込み、体重をかける。金属がきしんだ。
ぎ、と小さな音がして、錠の外輪が動く。
「そこで止めてください」
内側から、がちゃんと音がした。
「開いたぞ!」
男が叫ぶ。
隊長が扉を細く開け、炉室の中を確認した。
◇
そこにいたのは、背の曲がった初老の男だった。
頬は煤で汚れ、片方の手袋が焦げている。男は壁際の大きな回転輪を握ったまま、俺たちを見た。
「……組合の人間か?」
「衛兵だ。名を名乗れ」
「オルバン・レイス。昔、この炉の管理をしていた」
イネスさんが顔を上げた。
「オルバンさん……十年前の閉鎖記録に、お名前がありました」
「だったら話が早い。そこの冷却弁が閉じたままなんだ。俺がこの輪を押さえてないと、排熱の送風まで止まっちまう」
俺はようやく、男が扉を開けに来られなかった理由を理解した。
片手を離せば、いま動いている唯一の逃がし口まで閉じる。
必死に踏ん張る男の腕は、もう限界に近かった。
「隊長さん、まずこっちを何とかしましょう」
「技師、指示を出せ。修理屋は手を使うな」
「……はい」
先回りして言われたが、今度は文句も出なかった。
イネスさんが炉心の計器を調べ、壁にある二本の配管を示した。
「南側の予備排熱管が使えれば、ここを押さえ続けなくて済みます。ただし出口は屋外です。近くに人がいないか確認しないと」
「衛兵を回す」
隊長は即座に二人を外へ送った。
その間に俺は配管の糸を追った。南側へ伸びる青い糸は細いが、途切れてはいない。
「出口まではつながってます。途中で結び目も見えない」
「ありがとうございます。では、まず機械式の弁を開きます」
イネスさんは蓋を外し、古い調整軸に手回し器を取り付けた。
一回転、二回転。
固い金属音が響く。三回転目で、天井の奥から低い風切り音がした。
外の衛兵が伝声筒で知らせてくる。
『排気口の周囲、退避完了!』
「弁を開きます。オルバンさん、まだ輪を離さないでください」
「わかった」
しゅうう、と太い管が鳴った。
熱が、少しずつ屋外へ逃げていく。検査器の針が赤い目盛りから下がり始めた。
「……下がってる」
リゼが小さく言う。
「まだよ。安全域に入るまで待ちます」
イネスさんは目盛りから目を離さなかった。
しばらくして、ようやく彼女が頷く。
「オルバンさん。輪をゆっくり戻してください。こちらで排熱を引き継ぎます」
男が指を一本ずつ離していく。
何も起きなかった。
全員の肩から、少しだけ力が抜けた。
「これで急停止の危険は避けられます。炉そのものは、段階を踏んで止めます」
イネスさんの言葉に、オルバンさんがその場に座り込んだ。
「……止められるのか」
「止められます。安全な手順を守れば」
男は煤だらけの顔を両手で覆った。
「よかった……。もう、ずっと止まらないんじゃないかと思った」
さっき扉越しに聞いた声とは、まるで違っていた。
◇
「で、誰が炉を動かしたんです?」
俺が尋ねると、オルバンさんは首を振った。
「知らん。三日前、家に手紙が届いたんだ。北の古炉が再起動する恐れがある、すぐ確認しろって」
「差出人は」
「なかった。最初は悪戯だと思ったさ。でも昨日、煙突から温い風が出ているのを見て……」
男は膝の上の手を握り締めた。
「十年前、ここを閉じたのは俺だ。壊れたまま放っておけば、いつか人を巻き込む。見過ごせなかった」
隊長が厳しい顔をした。
「だからといって、許可なく立ち入っていい理由にはならん」
「……わかってる。だが、報告に戻っている時間もなかった。炉室へ入った途端、冷却弁が閉じちまった」
「手紙は残っているか」
「ああ。家の机に置いてある」
隊長が部下に指示する横で、俺は炉室の中央を見ていた。
古い制御盤に、小さなガラス窓が三つある。
どれも淡い青に光っていた。
「イネスさん。これ、何の表示ですか」
彼女が盤の埃を払う。
『鐘楼系統』
『東水路系統』
『西門系統』
俺とリゼは顔を見合わせた。
守護竜。揚水場。防護灯。
三か所とも、俺たちが追いかけてきた設備だ。
「……なんで、ここに全部あるんだ?」
「古い防災網の中継盤です」
オルバンさんが立ち上がった。
「昔は大きな災害が起きたとき、街の重要設備が働いているかを、ここでまとめて確認していた。炉はその信号を受けて、避難所用の暖気を送る仕組みだった」
「でも十年前に停止したんですよね」
「そうだ。再起動しないよう、主回路も遮断したはずなんだ」
イネスさんが窓の下にある文字を読んだ。
『継続応答 受信済』
三つとも同じ表示だった。
俺は背中が冷たくなるのを感じた。
「……待ってください。あの三か所、どれも止まれなくされてたんですよ」
イネスさんが頷く。
「はい。安全停止より動作継続を優先するよう、細工されていました」
「それで『動いている』って信号が、ここへ来た?」
「記録を読めばわかります。少なくとも、この表示は三系統から継続応答を受け取ったことを示しています」
彼女は盤の下の記録器を開いた。
細い紙帯に、三つの時刻と設備名が刻まれている。守護竜の騒動、揚水場の故障、西門の異常。その発生順と一致していた。
そして、最後の記録。
『全系統応答確認。待機解除』
リゼが息を呑んだ。
「……つまり、あの三つの故障は」
「ああ」
俺はガラス窓を見つめた。
誰かは、街の安全装置を狂わせてまで、三つの設備を働かせ続けた。
その結果、この炉に三つの返事が届いた。
偶然じゃないとしたら。
「炉を、起こすためだったのか」
イネスさんは慎重に言った。
「そう考えると辻褄は合います。ただ、なぜ主回路を切った炉が動いたのか、まだ説明がつきません」
オルバンさんが震える声で答えた。
「……主回路の、もっと奥がある」
俺たちは男を見た。
「十年前に封じたんだ。暖気を送るための炉じゃない。街の外へ続く、古い防護網の回路だ」
「外へ?」
「ああ。そこを止めるために、俺たちはこの炉ごと閉鎖した」
男は制御盤の奥、壁に埋め込まれた古い銅板を指した。
煤を払うと、消えかけた文字が浮かんだ。
『外郭防護網 第二中継路』
その下には、街の外へ伸びる一本の線が刻まれていた。
ベルナの北東。
交易路の先へ。
俺はその線を、指で触れずに目でたどった。
守護竜だけの事件じゃなかった。
誰かは、街の三つの設備を使って、もっと遠くにある何かを動かそうとしている。
イネスさんが記録紙を見つめたまま呟いた。
「……この先に、まだ稼働中の中継所があるはずです」
隊長が静かに尋ねる。
「場所はわかるか」
オルバンさんは、頷いた。
「最後に通じていたのは……隣の街、ハルゼンだ」
その名を聞いた瞬間、俺は思わず天井を見上げた。
やっとベルナの修理が片づきそうだと思ったのに。
どうやら、このほころびは街の外まで続いているらしい。




