↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壊れた魔法、直します。~魔法の糸が見える修理屋、世界のほつれまで請け負います~  作者: 雪月 夜狐
第一章:百年目の故障

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/34

第26話 工具箱に残された名前

 イネスさんが工具箱の留め金を開いた。


 中には大小の鑢、ねじ切り刃、細い金属棒が、仕切りに沿って収まっていた。持ち手の汚れ具合がどれも違う。使う人間が、道具ごとに手入れをしていたらしい。


「……これだけきっちり並べられる人、うちにも欲しいな」


「最初に片づけるのは店主の仕事でしょ」


 リゼが即座に返す。


「いや、俺は道具に自由を与えてるんだ」


「床に落とした鑢を踏んだの、先週の私なんだけど」


「……帰ったら片づけます」


 イネスさんは俺たちの会話を聞き流し、鑢の柄を検査鏡へ向けた。


「刻印があります。旧保守工房の備品とは番号の形式が違いますね」


 木の柄には、小さな四角い焼き印。その下に数字と文字が並んでいた。


『南棟設備課 貸与品 二七』


「これ、組合の道具ですか?」


「ええ。職員や契約技師へ貸し出す移動用の一式です。廃止された工房に、常備するはずがありません」


 隊長が、戸口の衛兵を振り返った。


「貸出台帳を持ってこい。現物は動かすな」


 衛兵が駆けていく。


 俺は工具箱の中を覗き込んだ。真鍮を削る刃には、新しい傷がついている。鐘楼の裏口で見つかった鍵の欠片と、傷の幅が似ているという。


 だが、似ているだけだ。誰が使ったかまでは、刃も教えてくれない。


 それでも、少しずつ先が見えてきた。


「この一式を借りた人間なら、わかるんですよね」


「記録が正しければ、です」


 イネスさんは淡々と答え、柄の番号を写し取った。


     ◇


 貸出台帳が届いたのは、昼前だった。


 旧工房の埃っぽい机を囲み、イネスさんが該当する頁を開く。


「二七番……ありました。貸し出しは三週間前。返却予定は、二週間前です」


「返ってきてないわけか」


「はい。それで利用者への催促状も出ています」


 イネスさんが指を滑らせる。


 署名欄に書かれていたのは、知らない名前だった。


『マルド・ケイン』


「誰ですか?」


「外部契約の設備技師です。古い安全装置の点検を請け負っていました。守護竜の鐘楼にも出入りしたことがあります」


 隊長の目が細くなった。


「今はどこにいる」


「契約は今月で終了予定です。住所は……東水路の倉庫街ですね」


 そこで、リゼが台帳の端を示した。


「借りた理由に『封鎖設備の安全確認』ってある。この人が調べたかったのは、どこの設備?」


「申請書を確認します」


 イネスさんは別の紙を重ねた。


 そこに記されていた対象設備は、鐘楼でも揚水場でも防護灯でもない。


『旧保守工房』


 背筋が冷たくなる。


「……工房を調べるために借りた工具が、その工房に残ってたんですね」


 俺が言うと、隊長は短くうなずいた。


「本人に聞く。修理屋、お前らも来い」


「いいんですか?」


「技術の話になれば、お前らのほうが早い。ただし、勝手に動くな」


「了解です」


 リゼが俺の袖をつまんだ。


「包帯、ちゃんと巻き直してからね」


 捜査の前に包帯の点検。俺への優先順位は、相変わらず揺るがない。


     ◇


 東水路の倉庫街は、昼でも薄暗かった。


 川沿いに背の高い倉庫が並び、荷を運ぶ飛行板が頭上をゆっくり通り過ぎていく。水と古い木箱の匂いが混ざっていた。


 衛兵が先に調べたところ、マルド・ケインは倉庫の二階を作業場として借りているらしい。


 隊長が階段を上がり、扉を叩いた。


「衛兵だ。マルド・ケイン、話を聞きたい」


 返事はない。


 もう一度叩く。奥で、がたん、と何かが倒れる音がした。


「……いるわね」


 リゼが声を落とした。


 隊長は部下へ目配せし、廊下の両端を押さえさせる。


「マルド。扉を開けろ」


 数秒後、鍵が外れた。


 現れたのは、痩せた中年の男だった。作業着の袖が肘までまくられ、頬には深い隈がある。目が真っ赤だった。


「……何の用です」


「旧保守工房に残された工具の件だ。お前の名前で借りられている」


 男の視線が、一瞬だけ床へ落ちた。


「……あれか」


 忘れていた道具を思い出した、という顔じゃなかった。


「中で話す」


 隊長の声に、男は抵抗せず道を空けた。


 部屋には図面が散らばり、机には小さな魔晶石の検査器が置かれていた。壁際には荷造り途中の木箱が一つある。


「工具は確かに借りました」


 マルドは椅子へ腰を落とすなり、そう言った。


「旧保守工房にある、鐘楼の裏階段の鍵型を調べる仕事があると言われた。だから一式を持っていった」


「誰に言われた」


「名前は知らない。施設担当を名乗る男です。組合の書類も持っていました」


 隊長の声が低くなる。


「その書類は」


「……ありません」


 男は震える指を膝の上で組んだ。


 嘘をついているのか、怯えているのか。それだけでは判断できない。


 イネスさんが用意した工具箱の写しを、隊長が机へ置く。


「この箱を、なぜ工房へ置いたままにした」


 マルドの喉が動いた。


「持ち出せなかったんです」


「どういう意味だ」


「三週間前、工房に入って鐘楼の裏階段用の鍵を削りました。俺がやったのは、それだけです。なのに、工具を取りに戻ったとき、工房の扉が別の錠に替えられていた」


 俺は思わず口を開いた。


「……合鍵、作ったんですか?」


 マルドがこちらを見た。


「作った。依頼書にそう書いてあったから」


 胸の奥が重くなった。


 ようやく、鍵を削った本人にたどり着いた。


 けれど、守護竜を壊した本人かは、まだわからない。


「その依頼書、読んでおかしいと思わなかったんですか?」


 俺の声は、自分でも少しきつかった。


 マルドは俯いた。


「……思ったよ。使用禁止の裏階段だ。なんで今さら鍵が要るんだって」


「なら、どうして」


「金が必要だった。前金を受け取った」


 あまりに生々しい理由だった。


 俺だって、修理代が入らなければ店の家賃を払えない。だから金が欲しい気持ちはわかる。


 それでも、あのパン屋が崩れた光景を思い出すと、簡単にうなずけなかった。


 リゼが静かに尋ねた。


「依頼した人の顔は見たの?」


「帽子を深くかぶっていた。声は低かった。背丈は……俺くらいだったと思う」


 リゼは追及せず、隊長へ視線を移した。曖昧な証言を無理に固めても仕方がない、ということだろう。


 隊長が机の上を示す。


「作った鍵は、どこへ渡した」


「依頼主が取りに来ました。そのあと工房へ工具を取りに戻った。でも中へ入れず……」


 男はそこで言葉を切った。


「それで?」


「怖くなったんです。勝手に鍵を作ったことが知られたら、仕事を失う。工具のことも、そのままにした」


 隊長はしばらく黙っていた。


「無許可の複製なら責任は問う。だが、ここで隠せば余計に重くなる。持っている記録を全部出せ」


「……はい」


 マルドが引き出しを開ける。


 中から出てきたのは、前金の受領書だった。


 隊長が紙を受け取り、目を走らせる。


「支払い印があるな。……組合の旧式確認印か」


 丸の中に、三本の短い線。


 あの匿名の警告状に押されていたのと、同じ形だった。


「隊長さん」


「わかっている。印が同じでも、依頼主まで同じとは限らん」


 先回りされた。いや、実際そのとおりだ。


 ただ、今回は一つ違う。


 書類だけじゃない。鍵を作った職人が、目の前にいる。


「マルドさん。鍵を取りに来たとき、その人は何か言ってませんでした?」


 男は少し考えたあと、ゆっくり顔を上げた。


「……言いましたよ。変なことを」


「何を?」


「『これで止まらずに済む』って」


 部屋の空気が、冷たくなった気がした。


 止まらずに済む。


 守護竜の黒い糸。揚水場の弁。西門の防護灯。


 みんな、止まることを許されなかった。


 マルドが、もう一度口を開く。


「それから……鍵を渡したあと、俺に別の仕事を頼もうとしたんです」


「別の仕事?」


「鐘楼より古い設備の、点検だそうです」


 俺は息を呑んだ。


「……どこの設備ですか」


 男は小さく首を振った。


「断りました。場所までは聞いていない。ただ、その人はこう言いました」


 マルドの声が、かすかに震える。


「『ベルナが止まっても、守るべきものは止められない』って」


 俺は机の上の受領書を見た。


 目の前の男から、鍵を受け取った誰か。


 そいつは魔導具を壊すためじゃなく、何かを動かし続けるために、街の安全装置をねじ曲げたのかもしれない。


 でも――。


 街が壊れても止められないほど、大事なものって何なんだよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。