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壊れた魔法、直します。~魔法の糸が見える修理屋、世界のほつれまで請け負います~  作者: 雪月 夜狐
第一章:百年目の故障

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第25話 鍵職人は、何を見た?

 鍵職人の店に入った瞬間、俺は足を止めた。


 壁いっぱいに鍵が掛かっていた。大きな鉄の鍵から、爪ほどの真鍮の鍵まで。形も長さもばらばらで、吊り下げられた札には細かな数字が書かれている。


「……ここ、宝箱の鍵も開けられるのか?」


「宝箱を持ってきたら考えてやる」


 作業台の向こうから、低い声が返ってきた。


 大柄な男が、細い鑢を握っている。腕は丸太みたいに太いのに、指先だけは妙に静かに動いていた。


「カイ・ヘルムだ。あんたが例の修理屋か」


「ジオです。見た目ほど怪しい者じゃありません」


「包帯だらけで言われてもな」


 カイさんは作業を止め、俺の両手を一瞥した。


 隣でリゼが小さく息を吐く。


「ジオ。今日は人の話を聞くために来たんでしょう」


「はい。口は控えめにします」


「それ、朝も聞いたわ」


 信用が薄い。


 店の奥には衛兵隊長と、組合の施設担当者が待っていた。施設担当の男はデニス・ハルドと名乗り、きっちり閉じた書類鞄を膝に置いている。


「一か月前の旧保守工房への立ち入りについて、改めて確認する」


 隊長が口を開いた。


「鍵職人。何を頼まれた」


「鐘楼の裏階段の錠が、交換できるかどうかの見積もりだ。錠の型が古すぎて、今の部品じゃそのまま替えられねえ」


 カイさんは一枚の図を広げた。錠の内部を横から描いた図で、歯車より細かい金属片がいくつも並んでいる。


「だから工房に残ってる型板を確認した。鍵の歯を写す、あの真鍮板だ」


「……型板、あったんですか?」


「あったぞ」


 あまりにあっさりした返事に、俺は身を乗り出した。


「裏階段のやつですよね?」


「そうだ。角に小さな欠けがあった。古物商から見つかった板の写真を見せてもらったが、あれで間違いねえと思う」


 俺はリゼと顔を見合わせた。


 事件の翌日に廃材から見つかった型板は、一か月前には工房に残っていた。


「カイさん。そのとき、型板を持ち帰りましたか」


「いいや。寸法を確認して、元の枠へ戻した。デニスさんも見てる」


 デニスさんが頷いた。


「確認しています。工房からの持ち出しは認めていません。入退室の記録にも、その旨を記載しました」


「じゃあ、誰かがそのあとで取ったってことか……」


「そうとは決められん」


 隊長が遮った。


「記録が正しいか、ほかの移動経路がないか。それを確認してからだ」


「……了解です」


 カイさんは図を畳んだ。


「ただし、俺が妙だと思ったのは、型板じゃねえ」


「ほかにも何か?」


「錠の交換を見送ったことだ。鍵穴の中は摩耗してた。いずれ取り替えなきゃ、正規の鍵でも開けにくくなる。俺はそう報告した」


「見積額が、予算の範囲を超えたんです」


 デニスさんが答える。


「その場では交換を中止すると決めました。危険な裏階段は使わない運用でしたから」


 中止。


 俺の頭に、旧工房の作業帳に残った二文字が浮かんだ。


「デニスさん。作業台に『中止』って書きませんでした?」


 男の顔が変わった。


「……書きました。手控えの紙に、交換中止と記すつもりで。急いでいたので、最初に『中止』だけ書いて……あとは正式な報告書を作りました」


「その文字、あとで横線で消しました?」


「いいえ」


 返事はすぐだった。


「消す理由がありません。交換は実際に取りやめたんですから」


 隊長が、静かに書類鞄へ視線を落とした。


「当時の報告書を出せ」


 デニスさんは慌てて鞄を開け、控えを差し出した。


 そこには確かに、《裏階段錠交換・見送り》と記されていた。


 あの横線は、誰が引いたんだ?


     ◇


 俺たちは衛兵の立ち会いで、旧保守工房へ戻った。


 古い油の匂いにまで顔なじみになってきた気がする。


 イネスさんも組合の技術担当として合流していた。


 カイさんは迷わず型板掛けへ向かった。


「この左の爪だ。板を戻したとき、少し引っかかった」


 イネスさんが検査鏡を寄せる。以前の調査で、そこだけ真鍮の粉が残っていた場所だ。


「当時からこの傷があったんですか?」


「いや。爪の先がひん曲がってたから、俺が指で起こした。ほら、ここに工具の跡がないだろ」


 イネスさんは頷き、記録紙に書き加えた。


「型板を扱った人が、少なくとも一人いたことはわかります。ですが、そのあと別の人が触れたかどうかは……」


「わからねえだろうな。金属は日記をつけない」


 カイさんはあっけらかんと言った。


 俺はちょっとだけ感心した。職人って、道具に関しては妙に割り切ったところがある。


 作業台では、隊長の部下が薄い作業帳を開いていた。


 問題の頁が明かりにかざされる。三列に並んだ数字と、《中止》の二文字。それを横切る一本の線。


「デニスさん。あなたの手控えは、この帳面の上に置かれていた?」


 隊長が尋ねる。


「はい。記入板を借りたので、下に何があったかは意識していませんでした」


「では、ここに残る三枚の点検票の番号は?」


「覚えがありません。施設の錠交換とは関係ありませんから」


 デニスさんの声には、明らかな戸惑いがあった。


 俺は帳面の文字を見つめた。


 《中止》の筆跡が残り、その近くに『四二一 鐘』『四二二 揚』『四二三 門』という圧痕がある。


 だが、同じ日に書かれたとは限らない。


 誰かが作業帳の上で、別の日に別の紙を書いた可能性だってある。


「……一か月前、工房の戸締まりは誰がしたんです?」


 リゼが尋ねた。


「私です」


 デニスさんが答える。


「正面扉を施錠し、確認印を押しました。カイさんは、その前に帰っています」


「合ってる。俺は先に店へ戻った」


「では、鍵を返したのは?」


「当日中に施設管理室へ。返却記録があります」


 隊長がすぐに部下へ合図した。


「記録を取り寄せろ。正面扉の鍵をそのあと扱った者も調べる」


 調査が一つ、前へ進む。


 けれど、犯人の顔はまだ見えない。


 俺が作業帳から目を上げると、カイさんが加工台の前で立ち止まっていた。


「……ここ、おかしいぞ」


「どうしました?」


「俺が来たとき、この刃は外してあった」


 カイさんが示したのは、真鍮を削る加工台の刃だ。前に調べたとき、片側が小さく欠けていた。


「見積もりには関係ねえから、触らなかった。あのときは台の脇に、油紙で包んで置いてあったんだ」


「今は、取り付けてありますね」


 イネスさんが答えた。


「しかも、刃には比較的新しい削り傷があります」


 カイさんは短く頷く。


「誰かがこれを取り付け直して、鍵を削ったんだろうな。少なくとも、俺が工房を出たあとだ」


 隊長は加工台を見据えた。


「時期は断定できん。だが、一か月前の点検では未装着だった、という証言は記録する」


「はい」


 俺は作業台と、空の型板掛けを見比べた。


 一か月前、型板はあった。刃は外されていた。事件のあとには型板が消え、加工台に削り屑が残っていた。


 閉じた工房が、再び作業場として使われた。


「……隊長さん」


「何だ、修理屋」


「俺たち、いなくなった鍵ばかり探してましたけど……ここで鍵を作った人間を探すべきだったんですね」


「最初からそのつもりだ」


 即答だった。


 ……そうか。俺だけ今さら気づいたのか。


 リゼが隣で肩を揺らした。笑いをこらえている。


 それでも、俺の胸には別の引っかかりが残っていた。


 《中止》を消した線。


 もし誰かが、交換をやめたはずの古い錠を使うつもりで、わざわざ否定したのなら。


 そこには、扉を開けること以上の理由があったんじゃないか。


 隊長が戸口の衛兵へ命じる。


「正面扉と裏階段、両方の出入りを洗い直す。型板を扱えた者もだ。逃げ道を一つに絞るな」


 その声を聞きながら、俺は空になった型板掛けを見つめた。


 工房へ入るには、正規の鍵を借りるか、合鍵を用意するか。


 だが誰かは、ここで合鍵だけでなく、三つの設備を止まれなくする準備までしていた。


 それなら、次に調べるべきなのは――。


「イネスさん。ここで使われた工具、どこの工房から持ち込まれたかわかりますか?」


 彼女は、加工台の脇に並んだ工具箱へ目を向けた。


「……確認してみましょう。工具には管理番号が刻まれていますから」


 俺はもう一度、空の型板掛けを見た。


 型板を盗んだ人間が誰か。それも大事だ。


 でも、この場所で使われた道具を追えば、その手に近づけるかもしれない。

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