第23話 差出人のいない警告
匿名の警告状に、三本線の印がある。
そう聞いたとき、俺はてっきり、守護竜の胸から出てきた廃棄金具と同じ印だと思った。
ところが、実物は少し違っていた。
「……丸がついてるな」
魔導具組合の審査室。机に置かれた封筒の裏には、小さな円と、その内側に三本の短い線が押されている。
再使用禁止の刻印は、ただの三本線だ。形も深さも違う。
「つまり、関係ないってこと?」
リゼが隣から覗き込む。
「今のところはな。三本線を見つけるたびに騒いでたら、俺の指の数まで怪しくなる」
「あなたの指は、まず治療師に見せるものよ」
「そっちはもう見せた」
「言われたとおり休ませてないでしょ」
反論する前に、封筒の向こうから咳払いが聞こえた。
「お二人とも。現物を確認してもらっていいですか」
イネスさんだ。
机には封筒のほか、十七日前の守護竜の点検票も並べられていた。組合の手続きに詳しいセヴァンさんも立ち会っている。
「こちらの印は、旧式の確認印です」
イネスさんは点検票の右下を示した。
丸の中に三本線。
たしかに、封筒の裏とよく似ていた。
「先月から新しい印に切り替わりました。それ以前は、設備安全審査室の確認を受けた書類に押していたものです」
「じゃあ、手紙を送ったのは審査室の人間ですか?」
俺が尋ねると、セヴァンさんが首を振った。
「そうとも限りません。受け取った書類にも、受付係が押していましたから」
「……そういうことか」
犯人がわざわざ残した目印、なんて話ではないらしい。
かっこよく真相へ近づいたつもりが、入口で靴を脱いだだけだった。
「修理屋」
戸口から隊長の声がした。
「印の意味はわかったか」
「はい。少なくとも、金具の廃棄印とは別です」
「なら、そこは切り分けろ。次だ」
隊長は受付簿を机へ置いた。
余計な感想を挟まないところが、かえってありがたい。
「手紙は一か月前、朝の組合便に混じって届いている」
「組合便?」
「建物の中で、部署から部署へ書類を運ぶ仕組みです」とセヴァンさん。「外の人から預かった封書が混じる場合もあります」
「差出人の記録は?」
「ありません。封筒には審査室の名前しか書かれていませんでした」
隊長が受付簿の一行を指で押さえた。
「配達係は確認した。受け取った束を届けただけだそうだ。どこで混ざったかは調査中だ」
セヴァンさんは、封筒の角へ目を落とした。
「私はこれを読んで、誰かが事故を防ごうとしていると思いました。実際に守護竜の事件が起きた今も、そう信じたい気持ちはあります」
俺はすぐには返事をしなかった。
あの人は警告を握り潰さなかった。古い資料を調べ、再点検まで提案してくれた。そこは、何がわかったあとでも変わらない。
ただ、手紙を書いた人間が同じ気持ちだったかは、別の話だ。
俺は封筒を見つめた。
十年前、守護竜が止まるまで七呼吸かかったこと。
その危険を知らせるための手紙が、事件の一か月前に届いた。
なのに今は、同じ危険を利用したような細工が三か所から見つかっている。
「誰かが本当に警告したかったのか、それとも……」
「警告を口実に、古い資料を調べさせたかったのか」
リゼが続きを言った。
俺はうなずいた。
ただ、どっちなのかを決められる材料はない。
「もう一度、本文を見せてください」
セヴァンさんが、透明な保護板の下へ手紙を広げた。
『旧式保護系統は、停止よりも継続を優先することがある』
『守るための命令は、最後まで果たされねばならない』
最後の一文だけ、何度読んでも引っかかる。
先代は、止められない道具を客に渡すなと言っていた。
目の前の誰かは、止まらずに働くことが正しいと言っている。
何を守るかより、命令を果たすことが大事だとでもいうのか。
「これを書いた人、守護竜が実際に暴れたらどうなるか、考えてなかったんですかね」
つい、声が低くなった。
パン屋の壊れた屋根が脳裏に浮かぶ。
トトを瓦礫から引き出したときの、小さな手の震えも。
「考えていたかどうかは、本人に聞くしかありません」
イネスさんは静かに答えた。
「だから、今は紙に残った事実を調べましょう」
彼女は手紙の角を、保護板越しに示した。
「ここ、折り目が二つありますね」
「封筒に入れるなら、折るんじゃないですか?」
「ええ。ただ、この細い跡は折り目とは違います」
イネスさんは机の灯りの向きを変えた。
斜めから光が当たると、紙の表面に小さな凹凸が浮かんだ。
「……文字?」
リゼが身を乗り出す。
薄くへこんだ線が、文章とは別の場所に並んでいる。
「上に別の紙を置いて、何か書いたのかもしれません。筆圧が下の紙まで伝わることがあります」
俺は目を細めた。
魔法の糸なら、目を凝らせば形を追える。
でも、ただの紙に残った傷は別だ。こういうものは、光の当て方を知っている人間のほうがずっと頼りになる。
「数字みたいね」
リゼが言った。
「……四、二、一?」
その声に、全員の動きが止まった。
四百二十一。
守護竜の偽の点検票に書かれていた番号だ。
「待ってください。偶然かもしれません」
イネスさんが灯りを動かす。
隣に、もう一組の凹みが見えた。
四、二、二。
さらにその下。
四、二、三。
「……おいおい」
俺は思わず息を呑んだ。
守護竜、揚水場、防護灯。
旧保守工房から持ち出された三枚の点検票。その番号が、全部並んでいる。
偶然、番号を書き写した紙の下に、警告状が敷いてあったのだろうか。
でも、どうしてその三枚を選んだ?
事件より前に、同じ番号を並べて書く必要があったとしたら。それは単なる点検の順番だったのか。それとも、最初から三か所を狙っていたのか。
隊長がすぐに口を開いた。
「触るな。記録を取れ」
衛兵が紙と灯りの位置を写し取り始めた。
「同じ番号だと確認できるまでは、断定しません」とイネスさんが言う。「凹みの一部は薄いです。専門の鑑定が必要ですね」
「……はい」
俺は返事をしたものの、胸が落ち着かなかった。
警告状が届いたのは一か月前。
偽の点検が行われたことになっているのは、その後の十七日前、十二日前、八日前。
もし凹んだ数字があの三枚の番号なら、警告状を書いたとき、すでに点検票の番号を知っていたことになる。
「誰かが、先に三枚の書類を用意してた……?」
リゼの声が低くなった。
「可能性はある。でも、この紙がいつ傷ついたかまではわからん」
隊長が答えた。
その言葉で、俺も考え直す。
手紙を書いた人間が、点検票を作ったとは限らない。
同じ机に紙を置いた別人かもしれないし、もっと古い傷かもしれない。
ただ、三つの番号が揃っているのなら、無関係として片づけるわけにもいかない。
「修理屋」
隊長が俺を見た。
「例の三枚、原本を覚えているか」
「はい。番号なら、嫌ってほど見ました」
「なら、組合の記録と照合しろ。現物は技師が扱う。お前は見て話せばいい」
「了解です」
リゼが俺の肩に触れた。
「ジオ。さっきから、すごい顔してる」
「どんな顔だよ」
「仕事で失敗した魔導具を見つけたときの顔」
「……そりゃ、結構ひどいな」
彼女は笑わなかった。
「でも、ここには私たちだけじゃないでしょ」
イネスさんはもう記録を取り始めている。セヴァンさんは組合便の受け渡し記録を調べ直し、隊長は衛兵へ指示を飛ばしていた。
俺は、包帯の残る右手をそっと開いた。
誰が書いたのか、まだわからない。
警告だったのか、誘導だったのかも。
けれど、あの手紙と三枚の点検票は、初めて目に見える形で近づいた。
先代が十年前に残した警告を、誰かが読み、そして利用したのかもしれない。
俺は机の上の手紙を見つめた。
「……差出人さんよ」
聞こえない相手へ、小さくつぶやく。
「お前は、この街を守りたかったのか?」
それとも。
「壊れるところを、見たかったのか?」




