第22話 一か月前の閲覧者
《別紙七号》が一か月前に閲覧されていた。
その事実を知った翌朝、俺たちはまた魔導具組合へ来ていた。
「……そろそろ組合の廊下に、俺専用の椅子が欲しいな」
「置いてもいいけど、そこで居眠りしないでよ」
「座る前から用途を制限された……」
リゼは返事をせず、俺の右手の包帯を確かめた。腫れはかなり引いたものの、強く握ればまだ痛む。銀の針を使える状態じゃない。
今日は手を動かす仕事じゃない。書類を読む仕事だ。
……そっちもあまり得意じゃないけどな。
資料室にはイネスさんと衛兵隊長が待っていた。机の上には、昨日見つけた閲覧台紙と、新しい帳面が並んでいる。
「申請した部署がわかりました」
イネスさんが帳面を開く。
「設備安全審査室です。古い魔導具の停止装置が、現行の基準に合っているかを調べる部署ですね」
「だったら、守護竜の資料を読むのは普通の仕事なんじゃ?」
「ええ。閲覧自体は不自然ではありません。ただ、申請票の記入方法が通常と違うんです」
彼女は欄外の小さな印を指した。
「本来は担当者の署名も要ります。今回は部署印だけで通されていました」
隊長が腕を組む。
「許可した者は」
「資料室の当番です。本人に確認したところ、審査室から急ぎだと言われ、受け付けたそうです」
「規則違反だな」
「はい。本人も認めています」
イネスさんは言い訳を添えなかった。こういうところは、信用できる。
「でも、誰が読んだのかはわからないんですよね」
リゼが尋ねると、イネスさんは別の帳面を開いた。
「直接の署名はありません。ただ、資料を受け取ったときに使われた職員証の番号が残っています」
名前の欄には、一人の男の名があった。
『セヴァン・オルド』
「審査室の主任技師です。今も組合に勤めています」
胸が、どくんと鳴った。
ようやく、人の名前が出てきた。
「隊長さん。話を聞けますか」
「もう呼んである。先に言っておくが、閲覧者と細工をした者は別だ」
「……はい」
何度も聞いた言葉だ。
でも今は、ちゃんと意味がわかる。
守護竜の胸にあった黒い糸も、揚水場の金具も、防護灯の異常も、誰かが仕組んだ可能性が高い。だからこそ、名前が一つ出たくらいで犯人扱いはできない。
◇
セヴァン・オルドは、思っていたよりずっと普通の男だった。
四十代半ばくらい。灰色の髪を短く刈り、袖口には古い油染みがある。机に向かうだけの技師じゃなく、実際に設備を触ってきた人の手だった。
「資料を見たのは私です」
向かいに座るなり、男はそう言った。
あっさりしすぎて、俺のほうが拍子抜けする。
「申請書に名前を書かなかった理由は」
隊長が問う。
「急いでいた。部署の印で通ると思い込んだ。そこは私の落ち度だ」
セヴァンさんは頭を下げた。
「ただし、守護竜に細工をした覚えはありません。調査の目的は、むしろ逆です」
「逆?」
「止まれなくなる危険がないか、確認したかった」
男は鞄から一枚の紙を出した。
「一か月前、審査室にこんな照会が届いたんです」
隊長の許可を得て、紙が机に置かれる。
古い設備の停止試験について、過去の事例を確認したい。そういう依頼文だった。
差出人の欄は空白。封筒にも返送先はない。
「匿名の手紙だけで、危険判定の資料を調べたんですか?」
リゼの声には、少し疑う響きがあった。
「最初は取り合いませんでした」
セヴァンさんは、きっぱり答えた。
「ですが、その紙には十年前の守護竜試験で、停止が七呼吸遅れたことが書かれていた。公開されていない数字です。無視できなかった」
俺は顔を上げた。
昨日の《別紙七号》に、まさにその数字があった。
「……じゃあ手紙を書いた人は、十年前のことを知っていた?」
「少なくとも、試験の中身を知る手段があったんでしょう」
イネスさんが静かに答える。
セヴァンさんは紙の続きを指した。
『旧式保護系統は、停止よりも継続を優先することがある』
背筋が冷たくなった。
守護竜が街を焼きかけた理由と、あまりにも近い。
「この警告が本当かどうかを確かめるために、別紙七号を見たんです」とセヴァンさんは続けた。「記録と一致したので、審査室として守護竜の再点検を提案しました」
「提案はどうなった」
隊長が短く問う。
「正式な検査日の調整中でした。担当者と装備を揃えるには時間がかかります。ところが、その前に事件が起きた」
セヴァンさんは唇を結んだ。
「もっと早く動いていれば、と考えています」
その言葉には、軽く口を挟めなかった。
俺だって、守護竜が落ちる前に異常に気づけていたらと思う。過ぎた時間をどうにかできる道具があれば、と何度考えたことか。
でも、壊れたものを直すより、過去をやり直すほうがずっと難しい。
「セヴァンさん。手紙を受け取ったあと、誰かに資料を見せましたか」
俺が尋ねると、男は少し考えた。
「別紙そのものは渡していません。審査室の二人に、結果だけを報告しました。名前は記録に残っています」
隊長がうなずき、衛兵に報告書を取り寄せるよう命じる。
「それから、ひとつ妙なことがありました」とセヴァンさんが言った。
「閲覧した翌日、審査室へ伝声具で問い合わせがあったんです。『停止を確かめる試験は、どこまで進んだか』と」
「相手は?」
「名乗りませんでした。声も雑音がひどくて。ただ、試験を急がせるような口ぶりでした」
俺は依頼文を見た。
危険を知らせた人間が、検査を急がせた。
親切な警告に見える。
でも、そうとは限らない。
誰かが俺たちに危険を知らせ、その直後に同じ危険を作り出したのだとしたら。
何のために?
「ジオ」
リゼが低い声で呼んだ。
俺は、自分が包帯の上から拳を握っていたことに気づく。慌てて力を抜いた。
隊長が依頼文を持ち上げる。
「修理屋。この紙、見覚えはあるか」
「いいえ。……字は、先代のものとは違います」
「筆跡は調べさせる。それ以外は」
俺は端から読み直した。
文章は短い。専門用語が多く、普通の職人なら読み飛ばしそうな内容だ。
けれど、最後の一文だけ、妙に引っかかった。
『守るための命令は、最後まで果たされねばならない』
「……これ」
俺は指を止めた。
「先代なら、こんなこと言わないです」
隊長が眉を寄せる。
「どういう意味だ」
「先代は、止めるのも仕事だって教えてくれました。守りたいからって、何があっても動かし続けろなんて……そんな修理はしない」
イネスさんが紙を見つめた。
「確かに。これは不具合の報告というより、考え方を示す文章にも読めますね」
リゼが腕を組む。
「警告を送ってきた人が、わざわざ危険な考え方まで書いてきたってこと?」
「わからん。ただ、相手が何を考えていたかは調べる」
隊長は依頼文を証拠袋へ収めた。
書類を読んだ人間は見つかった。
でも、書類を読ませた人間は、まだわからない。
しかもその人は、守護竜が止まりにくいことを、事件の前から知っていた。
セヴァンさんが立ち上がりかけて、思い出したように口を開いた。
「そういえば、封筒の裏に一つだけ印がありました」
「印?」
「丸の中に、三本の短い線です。封筒は審査室に保管しています」
俺は顔を上げた。
三本線。
廃棄された金具に刻まれていた、《再使用禁止》の印。
もちろん、同じ意味だと決まったわけじゃない。
けれど、胸の奥で何かが音を立ててつながった。
「隊長さん。その封筒、今すぐ確認できませんか」
「できる。行くぞ」
隊長は立ち上がり、扉を開けた。
俺はリゼのあとを追いながら、包帯の右手を見つめる。
修理する前に、壊した相手を見つける。
こんな仕事、先代は教えてくれなかったぞ。
……いや。
『確かめるまで、直ったと言うな』
そういう意味なら、ちゃんと教わっていたのかもしれない。




