第16話 街のどこかに、あと三つ
下街の共同井戸に、朝から長い列ができていた。
水桶を抱えた人々が、広場の隅まで並んでいる。俺が数日前に直した井戸は元気に水を汲み上げているが、ほかの給水設備は点検のため一部停止中だ。
「これじゃ、直したそばから大忙しだな」
「あなたは見学よ。包帯、昨日より増えてるんだから」
リゼに釘を刺され、俺は両手を持ち上げた。まるで捕まった泥棒だ。
「大丈夫。今日は針を使う予定はない」
「予定を聞いてるんじゃないの。使わないで、って言ってるの」
「はい」
返事だけは立派にしておこう。
昨日の調査で、守護竜の胸から見つかったものと同じ不良金具が、あと三つ行方不明だとわかった。
魔力を逃がす溝が潰れた、再使用禁止の部品。もともとは鐘楼の昇降機用に作られたものだ。
守護竜の金具には、魔法の働きをねじ曲げる黒い糸が結びつけられていた。
ただ、不良金具そのものが黒い糸を生むわけじゃない。残りの三つを誰かが使ったのか、ただ倉庫のどこかに紛れたのかもわかっていなかった。
「修理屋、来い」
列の向こうから、衛兵隊長が歩いてきた。腕には書類の束を抱えている。
「もう一つ見つかった。組合の検査室にあった」
「えっ、そんな普通の場所に?」
「不合格品の見本として、棚に置かれていたそうだ。番号も一致した」
俺は思わず息を吐いた。
残り二つ。
「じゃあ、全部が仕掛けられたわけじゃないんですね」
「今わかるのは、一つの所在だけだ」
隊長は書類をめくった。
「東の揚水場で、昨日から弁の動きがおかしい。組合が点検している。お前の目も借りる」
「手じゃなくて目なら、喜んで」
「余計な仕事はするな。剣士、見ておけ」
「任せてください」
リゼの返事が頼もしすぎる。俺が逃げる隙はなさそうだった。
◇
東の揚水場は、下街より一段低い水路沿いにある。
川の水を汲み上げ、坂の上の貯水槽へ送る設備だ。共同井戸とは別の仕組みで、浴場や共同洗濯場にも水を届けている。
鉄の扉を開けると、ごうごうと唸る水音が響いた。
中ではイネスさんが検査鏡を構えていた。足元には工具箱が二つ。隣の配管には、《使用停止》の赤い札が下がっている。
「ジオさん。来ていただけたんですね」
「目だけ貸しに来ました。手は今、休業中です」
「助かります。こちらも、今日は触らないほうがいいでしょう」
イネスさんが示したのは、水圧を調整する大きな弁だった。
「制御盤は停止を指示しています。でも弁が完全に閉じません。力が抜けるはずの部分に、魔力が残っています」
配管の脇では、揚水場の職員が険しい顔で圧力計を見つめていた。
「このまま圧が上がれば、古い継ぎ目が持ちません。水が噴けば、通路にいる人が巻き込まれます」
「止められないんですか?」
リゼの問いに、イネスさんが答える。
「魔晶石からの供給は切りました。ただ、上の貯水槽から戻る水の圧力が残っています。先に逃がさないと、弁を外せません」
魔法だけ直せば済む話じゃない、ということだ。
俺は弁へ目を凝らした。
青い糸が何本も絡まり、その端で一本だけ黒い糸が輪を作っていた。輪は弁を閉める命令へ食い込み、押し戻すように張っている。
「……あった」
「何が見えます?」
「黒い糸です。閉める命令を邪魔してる。守護竜にあったのと似てます」
俺は位置を説明した。配管の裏側、六角形の金具の根元。目を凝らすと、その金具は周囲の古い鉄より不自然に新しかった。
イネスさんが検査鏡の角度を変える。
「新しい固定具ですね。製造番号は……」
小さな鏡をさらに寄せる。
「一致しました。探している不合格品の一つです」
全身が冷えた。
今度は、ただの置き忘れじゃない。
「隊長さん、これ――」
「聞いた。周囲を空ける」
隊長は即座に部下へ指示を出した。
「水路側を封鎖しろ。揚水場の外に人を出せ。下手に弁を回すなよ」
職員たちが工具を置いて動き始めた。
だがそのとき、圧力計の針が跳ねた。
ぎしっ、と天井近くの管が鳴る。
「まずい、戻り水が増えてる!」
職員の声に、イネスさんが検査鏡を下ろした。
「排水路の手動水門を開きます。上から戻る水をそちらへ逃がせば、圧力を下げられます」
「俺にもできることは?」
「ここで圧力計を読んでください。針が赤い線に入ったら、すぐ教えて」
言い終えると、イネスさんは職員二人を連れて隣室へ走った。
俺は計器の前に立つ。針は黄色の目盛りを越えて、じりじり上がっていた。
リゼが横に並ぶ。
「ジオ、顔色が悪い」
「俺、修理屋なのに、今日は目盛りを見てるだけだな」
「見落としたら困る仕事でしょ。今はそれをやって」
言い方はいつもどおり厳しい。でも、その目は俺の手元を見ていた。
向こうの部屋から、鉄をこする音がした。
「水門が固着してます!」
職員の叫びに、心臓が跳ねた。
その直後、配管の継ぎ目から水が細く噴いた。
「リゼ! 赤に入った!」
リゼが扉を開け、声を張る。
「圧力が限界よ! そっちはどう!?」
「もう少しです!」
返したのはイネスさんだった。金属を打つ音が続く。
俺は弁の黒い糸を見た。
黒い輪はまだ締まっている。力任せに針を入れれば、右手はまた焼ける。何より、ここで弁を急に開閉したら、水の圧力が一気に動いてしまう。
役に立ちたいからって、勝手に触れていいものじゃない。
圧力計の針が震える。
「……頼む」
次の瞬間、隣室で重いものが動く音がした。
ごぼっ、と低い音が響き、配管の震えが少しずつ収まっていく。
「開いた! 排水路へ流れたぞ!」
職員の声。
圧力計の針が黄色へ、さらに安全な目盛りへ戻った。
「……っはあ」
自分が息を止めていたことに、そこで気づいた。
イネスさんが戻ってくる。作業服は水で濡れ、額には汗が浮かんでいた。
「圧力は下がりました。これで弁を外せます。ただし、再稼働は原因を除去してからです」
「黒い糸のほうは?」
「私には見えません。ですが、検査器で異常な術式の反応を追えます。まず部品を取り外して、別の安全なものに交換します」
「外す前に、取り付け位置と傷を記録します。金具だけ回収しても、どう使われたかはわかりませんから」
イネスさんは検査鏡を職員に渡し、図を描くよう指示した。俺なら金具に飛びついていたかもしれない。ひとつずつ確かめる手順に、あらためて頭が下がる。
俺が見つけた異常を、俺の針がなくても調べられる人がいる。
少し悔しくて、ずいぶん安心した。
隊長が戻ってきた。
「新たに二つは押さえた。残りは一つだ」
「あと一つ……」
「修理屋。見つからんうちは、ほかの設備も動かせん。しばらく調査に付き合え」
「この手でいいなら」
「手は出すな。異常を見つけたらすぐ言え」
「了解です」
リゼが俺の包帯をそっと確かめた。朝、無理に工具を握ろうとしたときとは違う、静かな手つきだった。
そうされても、胸は軽くならなかった。
守護竜に一つ。検査室に一つ。揚水場に一つ。
残る一つは、まだどこにあるかわからない。
隊長が衛兵から一枚の報告書を受け取った。
目を通した瞬間、その眉がわずかに動く。
「……西門の防護灯か」
「何かあったんですか?」
「異常が出た。今朝、停止させたばかりだ」
俺はリゼと顔を見合わせた。
見つかってくれ、と心の中で思った。
できれば、誰も傷つけずに。
守護竜のときみたいな光景は、もう見たくない。
隊長は報告書を畳み、短く告げた。
「移動する。次は西門だ」




