第14話 回収されたはずの二本の鍵
十年前に回収されたはずの鍵が、二本。
そのうち一本でも残っていれば、鐘楼の裏口から守護竜の点検足場へ上がれる。
だから俺たちは、翌朝、魔導具組合の資料保管室にいた。
「先に言っておきますが、鍵が見つかっても、それだけで犯人はわかりませんからね」
机に帳面を積みながら、イネスさんが言った。
「わかってます。俺たちが調べてる間に、犯人が名札を落としてくれてたら楽なんですけど」
「落としていても、本人の物とは限りません」
「夢のない返答だなあ」
「捜査に夢を持ち込まないでください」
隣でリゼが口元を押さえた。笑ったな、今。
俺は両手の包帯を見下ろした。昨日より腫れは引いたが、細かい工具を握れる状態じゃない。今日の役目は、せいぜい目と口くらいだ。
口なら元気なんだけどな。さっきから二人とも、その長所を認めてくれない。
「持ってきましたぞ」
鐘楼番のハインさんが、小さな木箱を抱えて入ってきた。後ろには衛兵隊長がいる。
「十年前の回収品だ。封は切るなよ、修理屋」
「触りませんって。今の手で箱を開けようとしたら、昼になります」
「なら黙って見てろ」
隊長は木箱を机へ置いた。蓋の合わせ目には、古い赤い封蝋が二か所。どちらにも組合の印が押されている。
イネスさんが封を確かめ、隊長の立ち会いで細い刃を入れた。
蓋が開く。
内側の布の上には、黒ずんだ鉄の鍵が二本、並んでいた。
「……あるじゃないか」
思わず声が出た。
片方は柄の丸い鍵。もう片方は角張った柄だが、歯の形は同じだ。どちらにも古い札が結ばれ、《鐘楼裏階段》と書かれていた。
「二本とも回収されていた、という記録は正しかったわけね」
リゼが言う。
「箱が十年間開かれていなかったことまでは、まだ断言できません」
イネスさんは封蝋の断面を調べながら答えた。
「ただ、封を破って貼り直したような跡は今のところありません。鍵の寸法も記録と一致しています」
隊長が短くうなずいた。
「つまり、元の鍵が消えたという線は薄い」
「……じゃあ、裏口から入ったやつはどうしたんです?」
「合鍵かもしれん。鍵を使っていない可能性もある。まだ決めるな」
そのとき、ハインさんが片方の鍵を指さした。
「こっちは儂が返した鍵ですな。柄に傷がある。昔、足場から落としてしまいましてのう」
懐かしそうな声だったが、途中で小さく途切れた。
「十年も閉じたままだったはずの道を、誰かが使った。儂がもっと早く見回っておれば……」
「ハインさん」
俺は思わず声をかけた。
「昨日、あの扉を教えてくれたのもハインさんです。知らなきゃ、俺たちはまだ正面の鍵ばかり調べてましたよ」
ハインさんは俺を見て、少しだけ目尻の皺を深くした。
「……そう言ってもらえると、助かりますわい」
隊長が帳面を一冊引き寄せた。
「感傷はあとだ。鍵の複製について記録はあるか」
「あります」とイネスさん。「旧工房の台帳に、鍵の製作図が残っているはずです」
「製作図?」
「鍵の歯の深さや溝を記した図面です。失くしたときに同じ鍵を作れるようにするものですね」
俺は机の二本を見た。
なるほど。鍵を返しても、鍵の形を知っていれば作れる。
「その図面、今どこに?」
イネスさんは台帳を閉じた。
「旧保守工房です。十年前に閉鎖されたままの」
◇
旧保守工房は、鐘楼から二つ通りを隔てた裏路地にあった。
木の看板は片側が外れ、《保守工房》の文字が斜めになっている。
俺はつい、足を止めた。
うちの店の看板も、こんなふうに傾いている。先代が帰ったら直すと約束して、それきりのやつだ。
「ジオ?」
「……いや。似てるなと思って」
リゼは看板を見上げたあと、それ以上は聞かなかった。ただ、俺の工具箱を持ち直す。
今日は使わないはずなのに、いつもの癖で持ってきてしまった。先代がいた頃から、現場へ行くなら道具を持てと教えられてきたせいだ。
隊長が扉の錠を開ける。立ち会いの衛兵が記録をつけ、俺たちは中へ入った。
古い油と乾いた木の匂いがした。
壁には使い込まれた工具が並び、奥には大きな手動の加工台がある。天窓から差す光の中で、埃がゆっくり舞っていた。
「鍵の図面は、あちらの棚です」
イネスさんが示したのは、引き出しの多い図面棚だった。
隊長が衛兵に確認させ、引き出しを一つずつ開ける。俺とリゼは離れて見守った。
やがてイネスさんが、眉を寄せた。
「……ありませんね」
「別の棚じゃないのか?」
「整理番号はここです。《裏階段錠・製作図》。この番号の前後は揃っています」
開かれた引き出しには、丸めた図面が何本も並んでいた。
一本分だけ、妙に幅のある隙間が空いている。
「持ち出しの記録は?」
隊長の問いに、イネスさんが棚の横の小帳面をめくった。
「最後の貸し出しは十年前。閉鎖前に返却済みとなっています。それ以降の記載はありません」
「棚ごと整理した可能性は?」
リゼが尋ねた。
「あります。ここにないというだけで盗難とは言えません」
イネスさんは引き出しを静かに戻した。
俺は部屋を見回す。
図面はなくなっている。二本の鍵は回収済み。
だったら、合鍵を作った人間は、十年前の記憶だけで形を覚えていたのか。
「なあ、イネスさん。図面がなくても、古い加工台から鍵の形ってわかりません?」
「使った当時の型が残っていれば、ですが」
彼女の目が、部屋の奥の加工台へ移った。
隊長が手を上げる。
「衛兵が先だ。誰も触るな」
俺たちはその場で待った。
衛兵が加工台の周囲を調べ、金属片を小袋へ入れて戻ってくる。
「隊長、台の下に削り屑があります。ほかの場所と違って、ここだけ油が新しいようです」
イネスさんが袋越しに金属片を確かめた。
「真鍮ですね。鍵の材料にも使います。ただ、この工房で昔使った屑が残っていた可能性もあります」
「確かなことだけでいい」
隊長はそう答え、調査を続けさせた。
するとハインさんが、棚の裏から古い木枠を見つけた。
「これは……鍵の型板を掛けておく枠ですな」
長方形の枠には、二つの金属の留め金がついていた。一方には薄い板が収まっている。もう一方は空だ。
残った板には、《正面》と刻まれていた。
空いた側の下には、《裏階段》の文字。
リゼが息を呑む。
「図面だけじゃなく、鍵の型までないのね」
「ええ。形を写すための見本です。これがあれば、元の鍵がなくても複製しやすい」
イネスさんの声は静かだった。
「ただし、誰がいつ持ち出したのかは、まだわかりません」
俺は空の留め金を見つめた。
鍵を返した者も、鍵を回収した者も、十年間それを保管した者も、記録の上では仕事をしていた。
それでも、鍵の形そのものは別の場所に残されていた。
守護竜の胸に打ち込まれた黒い金具も、廃棄されるはずの部品だった。
捨てたはずのもの。回収したはずのもの。
誰かが、使われないはずの道具ばかりを選んでいる。
「……ずいぶん、古い仕組みに詳しいやつですね」
俺が言うと、隊長は答えず、留め金のついた木枠を見た。
そのとき、外から靴音が近づいた。
「隊長!」
見張りの衛兵が戸口に現れる。
「鐘楼裏口の鍵穴から、金属片が出ました。鑑定班が確認中です」
「何の金属だ」
「真鍮の可能性が高いそうです。鍵の歯の先端が欠けたような形で……」
部屋が静かになった。
俺は加工台の下から見つかった、小袋の中の削り屑を見た。
そして、空の型板掛けへ視線を戻す。
持ち出された鍵の見本。最近触られたかもしれない加工台。裏口の鍵穴に残された金属片。
まだ、全部がつながったわけじゃない。
でも――。
「隊長さん。もしかして、誰かが新しく鍵を作ったんじゃ……」
「その可能性はある」
隊長は短く答えた。
「工房を使った者を洗う。部品も照合させる。修理屋、お前はここまでだ」
俺はうなずいた。
犯人の顔は、まだ見えない。
けれど、守護竜の胸に金具を打ち込むための道筋は、少しずつ見えてきた。
問題は、その道を知っている人間が、いったい何人いるかだ。




