第13話 鐘楼の鍵を持つ者
鍵穴に鍵を差し込んだまま、俺は動けなくなっていた。
「……リゼ」
「今度は何?」
「店に入れない」
右手の包帯を見せる。鍵をひねるだけで指が痛む。左手もまだ自由には動かない。
「そこ、どいて」
リゼが俺から鍵を受け取り、かちゃりと扉を開けた。
「おお。開いた」
「感心してる場合? さっきから鍵穴の前で何してるのかと思ったわ」
「世の中、鍵を持ってるだけじゃ駄目なんだな……」
「その教訓、今さら?」
もっとも、今の俺には笑い事じゃない。
昨日、衛兵詰所で見せられた守護竜の保守記録。十七日前に胸部点検を終えたことになっているのに、鐘楼へ入った者の記録はなかった。
しかも、使われていたのは先月廃止された確認印だ。
誰が、どうやって鐘楼に入ったのか。
その疑問が、頭から離れなかった。
リゼは店の戸口に《本日、細かい修理は休止》と書いた札を掛けた。俺が昨日、左手で書いた字だ。どう見ても《本日、細かい料理は休止》に見える。
「……これ、書き直したほうがいいか?」
「料理屋だと思って入ってくる人がいたら、考えましょう」
「うちの店、いよいよ何屋かわからなくなってきたな」
くだらない話をしていると、扉が三度叩かれた。
「修理屋、出られるか」
衛兵隊長の声だった。
「今日は修理を休むよう言われてまして!」
「工具はいらん。鐘楼を調べる。見てわかることがあれば教えろ」
……仕事を休んでいる人間の扱いに、なかなか慣れていないらしい。俺も人のことは言えないけどな。
◇
鐘楼の入り口には、二人の衛兵が立っていた。
見上げると、守護竜のいなくなった台座がぽっかり空いている。百年そこにあったものがないだけで、ずいぶん寂しい景色になるものだ。
「立ち入り用の鍵は三本だ」
隊長が鉄の扉を開けながら言った。
「詰所、魔導具組合、鐘楼の管理人。それぞれ一本ずつ預かっている」
「三人とも調べたんですか?」
「鍵の所在は確認した。だが、持ち出して戻すことまで不可能だったとは言えん」
あくまで事実だけを述べる口調だった。
中には、組合の技師イネスさんが待っていた。隣には、背の曲がった白髪の男がいる。手にした帳面の角が、何度も開かれて柔らかくなっていた。
「鐘楼番のハインだ。三十年、ここの世話をしている」
隊長の紹介に、ハインさんが軽く頭を下げる。
「守護竜があんなことになったのは、初めてでしてな。若いの、無事でよかった」
「あ、どうも。ジオです」
「聞いとるよ。修理屋の坊主だろう」
坊主。
二十二歳にもなって、坊主。
リゼの肩がわずかに揺れた。
「……笑ってるだろ」
「いいえ。ジオ坊主、よろしくお願いします」
「お前まで言うなよ」
「話を戻すぞ」
隊長が短く遮った。さすがに、ここで遊んでいる場合じゃない。
イネスさんが壁際の昇降機を指した。
「例の金具は、もともとこの昇降機の部品です。不合格品が保守倉庫から消え、守護竜の胸に取り付けられていた。少なくとも、部品の移動経路を調べる必要があります」
「ここから上へ運んだってことか」
「そう考えるのが自然です。ただし、犯人が誰かを示す証拠ではありません」
きっぱりした言い方だ。イネスさんは、推測を事実として話さない。
彼女は昇降機の扉を開き、レールの脇を検査鏡で照らした。
「レールの傷は古いものですね。ここを使った日付まではわかりません」
俺も脇から覗く。魔法の糸はいつもどおり青白く流れていた。黒い糸は見えない。
だからといって、何もなかった証拠にはならない。
「ハインさん。点検する人って、必ずここを通るんですか?」
「普段はな。だが鐘楼の裏には、古い保守用階段がある。昔の職人はそちらも使っとった」
「外から入れるんですか?」
「昔はな。今は鍵を返して、使わんことになっとる」
俺たちは鐘楼の裏手へ回った。
細い路地の突き当たり、蔦に隠れかけた古い木扉があった。壁の上には石の階段が続いている。正面の扉を通らず、鐘楼の上部へ登れるらしい。
扉の取っ手の横には、今の入り口とは形の違う鍵穴がある。
「ここから上がれば、守護竜の胸まで行けるんですか?」
「途中の点検足場へ出られる。大きな道具は運べんが、人ひとりなら通れるはずじゃ」
ハインさんは路地を見回し、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「通れぬように壁を塞ぐ話も出たんじゃが、金が掛かると見送られてな。古い街には、そういうところが多い」
隊長が足を止めた。
「その鍵はどうした」
「十年ほど前、組合へ返したはずですがな」
イネスさんが眉を寄せる。
「旧式の鍵は回収記録があります。鍵穴そのものは、改修の対象から外されていました」
俺は扉の前にしゃがみ込んだ。
鍵穴の周りには長年の埃が積もっていた。だが、その一部分だけ、細い線がついている。
「……これ、拭いた跡ですかね」
リゼが横から覗く。
「鍵を差した傷じゃない?」
「かもしれない。でも、新しいかどうかは俺にはわからん」
見えるからって、何でも判断できるわけじゃない。
隊長は若い衛兵を呼び、扉に触れないよう指示した。
「傷を記録しろ。鍵穴の型も調べる」
「了解!」
衛兵が道具を取りに走っていく。
その間に、イネスさんが検査鏡を扉へ向けた。
「施錠の術式はありません。純粋な機械式です。鍵の形が合えば、魔力がなくても開きますね」
「つまり俺の出番はない、と」
「指を休める理由が一つ増えました」
リゼが横でうなずいている。
やめろ。二人がかりで俺の仕事を減らすな。
そのとき、ハインさんが首を傾げた。
「おかしいのう」
「何がです?」
「この扉、ずっと閉まっとったはずなんだが……」
指さしたのは、扉の下だった。
床に積もった埃の上を、細い弧が走っている。扉の角が床をこすったような跡だ。
しかも、弧の外側だけ石の色が少し明るい。
「開けた跡、ですよね」
隊長が膝をつく。
「最近掃除した者は?」
「そこは触っとらん。階段を使う理由がないからのう」
隊長は立ち上がり、扉の前に立つ衛兵へ告げた。
「鍵の型が確認できるまで開けるな。内側の階段口にも見張りを置け」
十七日前、この裏通りを誰が歩いていたのか。近くの家の人が覚えているかもしれないが、今すぐ答えは出ない。
ただ、旧式の扉を通れば、正面の入塔記録には残らない。
だが、誰でも通れるわけじゃない。
十年前に回収されたはずの鍵。それと同じ形のものが、まだどこかにあるということだ。
「……隊長さん。昔の鍵、一本だけだったんですか?」
隊長はハインさんを見た。
「どうだ」
「いや、当時は二本あった。鐘楼番が一本、保守工房が一本。それをまとめて返した覚えがあるが……」
「回収簿を確認します」
イネスさんが帳面を閉じた。
扉の向こうは静かだった。何かの音がするわけでも、妙な魔力が見えるわけでもない。
それなのに、背筋が落ち着かない。
誰かが捨てるはずの金具を持ち出し、古い印で点検記録を偽り、守護竜の胸に細工をした。
もし、この非常用の扉が使われたのなら。
正面の鍵を持つ三人を疑うだけでは、足りない。
「修理屋」
隊長が低く呼んだ。
「今日見たことは、外で話すな。調べがつくまでだ」
「……わかりました」
俺は古い鍵穴から目を離した。
遠くから、大工の槌の音が聞こえた。メル婆さんのパン屋では、今も何人もの職人が修理を続けている。
直すためには、あれほどの人手と時間が要る。なのに壊すときは、金具一つで足りてしまった。
守護竜は、街を守るために百年もの間、鐘楼にいた。
その胸を壊すための道が、こんなところに残っていたなんて。
十年前に回収されたはずの、二本の鍵。
その鍵は今、いったいどこにあるんだ?




