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第十二章 王子からすべてを奪う

リリアーヌの逮捕から三日後、諸侯会議は王太子アレクシスへ出頭を命じた。  

容疑は婚約破棄事件における不正な裁定、証拠隠滅、アルディス公爵家への違法な財産没収。  

さらに東方遠征での指揮責任と、王都の穀物危機への対応も審理されることになった。  

王宮の大評議室には、国王、王妃、五大貴族家の当主、王国裁判所の判事が集まっている。  

クラリッサはレインフォード侯爵の補佐として出席していた。  

彼女の前には、二年前の王太子会議の議事録が置かれている。  

婚約破棄が行われる十日前。  

王宮法務官が、リリアーヌ側の証拠には不審な点があると指摘していた。  

毒を混入する方法。  

慈善基金の管理権限。  

侍女マルタの証言が、尋問の前後で変化していること。  

議事録の末尾には、アレクシスの署名があった。  

彼は、知っていた。  

少なくとも、疑いを持つだけの情報を得ていた。  

それでも再調査を命じず、卒業祝賀会で婚約破棄を強行したのである。


「この議事録について、ご説明を」  


判事が問う。  

アレクシスは王太子の礼装をまとっていたが、顔には疲労が刻まれている。


「法務官の指摘は、可能性を述べたに過ぎない」

「余は、他の証拠を総合して判断した」

「総合した証拠の多くが、捏造だったと判明しました」

「それはリリアーヌとガストンが余を欺いたからだ」

「あなたは王太子です」  


クラリッサが告げる。


「家臣に欺かれたという言葉は、責任を免れる理由にはなりません」

「そなたは余を裁く立場ではない」

「では、アルディス公爵の死について」  


クラリッサは別の書類を開いた。


「公爵が獄死した翌日、典獄長バルガスから報告書が届いています」

「そこには、尋問中の事故とあります」

「殿下は署名し、事件を不問に付した」

「余は、公爵が病弱だったと聞いていた」

「遺体には、多数の拷問痕がありました」

「その記録も、お読みになったはずです」

「細部までは」

「読まなかったのですか」  


アレクシスが口を閉じる。

「それとも、読んだうえで見なかったことにしたのですか」  


クラリッサの問いに、評議室の視線が王太子へ集まる。  

アレクシスは拳を握った。


「余が判断を誤ったことは認める」

「だが、それはリリアーヌを信じたためだ」

「彼女を愛していた」

「愛する者の涙を疑えなかったことが、国家反逆罪に値すると言うのか」

「愛を、責任から逃げるための言葉に使わないでください」  


クラリッサの声は静かだった。


「あなたは途中から、エレオノーラが無実かもしれないと知っていた」

「それでも、自分が間違っていたと認めることを恐れた」

「愛ではありません」

「あなたが守ったのは、ご自身の誇りだけです」

「黙れ」  


アレクシスが立ち上がる。


「そなたに何が分かる」

「余は幼い頃から、国王となることを求められた」

「常に完璧であれと」

「一度でも間違えば、臣下は余を見限る」

「だから、余は」

「だから、間違いを認める代わりに、無実の人間を罪人にしたのですか」  


評議室に沈黙が落ちる。  

アレクシスは答えられなかった。  

上座の国王は目を閉じ、深く息を吐く。


「アレクシス」  


老いた声が、息子の名を呼ぶ。


「そなたを、王太子位から廃する」

「父上!」

「本日をもって王位継承権を剥奪し、すべての公務から退かせる」

「お待ちください」

「余には、まだ」

「王位とは、失敗しない者へ与えられる褒美ではない」  


国王は息子を見た。


「自らの失敗によって傷ついた者のために、責任を負うための座だ」

「それを理解できぬ者に、王冠を与えることはできない」  


アレクシスの胸から、王太子の徽章が外される。  

金色の鳥をかたどった徽章。  

十歳の頃から、彼が誇らしげに身につけていたものだった。  

それが侍従の盆へ置かれた瞬間、アレクシスの身体から力が抜ける。

「余は」

「私は、王太子ではないのか」  


誰も答えなかった。


その夜、王宮の西塔へ幽閉されたアレクシスのもとへ、一人の女が現れた。  

衛兵は床へ倒れている。  

殺されてはいない。  

眠り薬で意識を失っているだけだった。  

扉が開き、銀髪の女が室内へ入る。


「エレオノーラ」  


アレクシスは椅子から立ち上がった。


「どうして、ここへ」

「最後に、あなたのお顔を拝見しようと思いまして」

「私を殺しに来たのか」

「いいえ」  


エレオノーラは室内を見渡した。  

幽閉とはいえ、寝台も暖炉もある。  

食卓には上等な葡萄酒と食事が用意されていた。  

アルディス公爵が入れられた地下牢とは、比較にもならない。


「随分と快適ですね」

「そのうち北方の修道院へ送られる」

「王位も、名誉も失った」

「満足か」

「まだです」  


エレオノーラは窓辺へ立つ。  

王都の明かりが、夜の底で揺れていた。


「あなたが罪人となったことを、父は知りません」

「母も、今の私を理解できない」

「失ったものは戻らない」

「あなたから王位を奪っても、私の十年は返ってこない」

「なら、何が欲しい」

「謝罪ですか?」  


アレクシスが近づく。


「謝れば、許すのか」

「エレオノーラ」

「私は間違っていた」

「リリアーヌに騙された」

「君こそが、私に必要な人だった」  


エレオノーラは、ゆっくりと振り返る。


「今、何と」

「君なら、国を立て直せる」

「諸侯会議へ働きかけてくれ」

「父上に、処分を考え直すよう」

「私が王位へ戻れば、君の名誉も完全に回復させる」

「公爵家も再興する」  


アレクシスは手を差し出した。


「もう一度、私の隣に」  


エレオノーラは彼の手を見つめた。  

十年前、王宮の庭で同じ手を取った。  

幼い王子は、立派な国王になると約束した。  

自分は、その隣で国を支えると答えた。  

今にして思えば、彼が望んでいたのは支える者ではない。  

失敗を隠し、責任を引き受け、賞賛だけを自分へ返してくれる存在だった。


「あなたは最後まで、私があなたを愛していると思っているのね」

「違うのか」

「私は十年間、あなたを愛そうと努力しました」

「愛は婚約者の義務だと信じていたから」

「けれど、あの夜に終わりました」

「では、なぜ私を殺さない」

「死ねば、忘れられるからです」  


エレオノーラはアレクシスの横を通り、扉へ向かう。


「明日からあなたは、誰にも殿下と呼ばれない」

「王宮を出れば、民衆の罵声を聞くでしょう」

「リリアーヌは、法廷であなたの罪を証言する」

「あなたの名は、愚かな王子として歴史に残る」

「そのすべてを、生きて見届けてください」

「待て」  


アレクシスが腕を掴もうとする。  

エレオノーラは短剣を抜き、その切っ先を彼の喉元へ向けた。


「二度と、私に触れないで」  


アレクシスは動きを止める。


「これが、最後です」

「さようなら、アレクシス」  


エレオノーラは彼の名を、初めて敬称なしで呼んだ。  

扉が閉じる。  

後に残された男は、誰もいない部屋で差し出した手を見つめていた。


翌朝、国王の退位を求める声が王都中に広がった。  

婚約破棄事件だけでなく、公爵家の財産没収、軍需汚職、穀物危機。  

長年隠されていた王宮の不正が、一度に表へ噴き出したのである。  

群衆は中央広場へ集まり、王門の前で抗議を始めた。  

初めは武器を持たない集会だった。  

だが、王太子失脚の混乱に乗じ、略奪を企む者や、王家を打倒して権力を得ようとする貴族の手先が入り込んでいた。


「王宮を開けろ」

「小麦を返せ」

「罪人の王を引きずり出せ」  


王都守備隊は命令系統を失っている。  

国王派、諸侯会議派、王太子へ忠誠を誓う者に分かれ、誰も統一した指示を出せない。  

王門へ石が投げられた。  

守備隊の一人が矢を放つ。  

矢は群衆の中へ落ち、一人の青年が倒れた。  

その瞬間、抗議は暴動へ変わった。  

王都各地で商店が襲われ、火が放たれる。  

王家の倉庫だけでなく、貴族や商人の所有する穀物庫も標的となった。  

アレクシスは西塔から脱出しようとしていた。  

忠誠を残す近衛騎士が、修道院へ送られる前に国外へ逃がそうとしたのである。  

しかし裏門を出たところで、群衆に見つかった。


「あれは、王太子だ」

「もう王太子じゃない」

「俺たちの小麦を奪った男だ」  


人々が押し寄せる。  

近衛騎士が剣を抜くと、怒りはさらに燃え上がった。  

石が飛び、アレクシスの額へ当たる。  

彼は馬から落ちた。


「待て」

「余は」  


王太子だと言いかけ、言葉が止まる。  

もう、その名乗りは使えない。


「私は、アレクシスだ」  


誰も聞かなかった。  

群衆の靴が、かつての王子を取り囲む。  

クラリッサ率いる侯爵家の騎士団が到着しなければ、そこで命を失っていただろう。


「道を開けて」  


クラリッサは風魔法で群衆を押し分け、血に濡れたアレクシスを救い出す。


「なぜ」  


彼は朦朧としながら尋ねた。


「なぜ、私を助ける」

「あなたが無実だからではありません」  


クラリッサは冷たく答える。


「法廷で罪を語り、生きて償っていただくためです」  


アレクシスは目を閉じた。  

その言葉が、エレオノーラの宣告と同じ意味を持つことに、彼は気づいていた。


日暮れ前、王都南部の穀物倉庫が襲撃された。  

暴徒は扉を破り、小麦袋を奪い合う。  

その混乱の中、誰かが松明を落とした。  

乾いた粉塵へ火が燃え移り、瞬く間に倉庫全体が炎へ包まれる。  

人々は、小麦を抱えたまま逃げようとした。  

狭い出口へ殺到し、倒れた者を踏み越えていく。  

やがて炎は倉庫の床を焼き抜いた。  

地下に保管されていた巨大な魔石が、熱によって亀裂を生じる。  

その魔石が何であるかを、暴徒は知らなかった。  

王都全体を魔物や災害から守る古代結界。  

その力を各区画へ分配する中継核である。  

亀裂から青白い光が漏れた。  

炎と魔力が混ざり合い、人の意思では制御できない力となって地下水路へ流れ込む。  

直後、王都の各地で地面が震えた。  

魔晶灯が砕け、石畳の隙間から蒼い炎が噴き上がる。  

南部倉庫の屋根が崩れ落ち、天を焦がす火柱が立った。  

その光は、灰色商会の屋上に立つエレオノーラからも見えた。


「結界中継核です」  


駆けつけたローウェンが叫ぶ。


「倉庫の地下にあったのか」

「古い王都図には記載されていませんでした」

「中枢が連鎖暴走を始めれば、王都全体が燃えます」  


エレオノーラは青い炎を見つめた。  

穀物倉庫を狙わせたのは、自分ではない。  

火を放ったのも、魔石を壊したのも別の誰か。  

けれど、王都を飢えさせなければ、倉庫は襲われなかった。  

王家への怒りを煽らなければ、これほど多くの者が暴徒へ変わることもなかった。  

離れた場所で起きた無数の選択が、一本の鎖となって自分の足元へ繋がっている。


「止める方法は」

「王宮の結界記録を調べます」

「急いで」  


エレオノーラは外套を翻した。


「どちらへ」

「南部倉庫です」

「危険です」

「だから行くのです」  


青白い炎が夜空を染める。  

王都を喪主として見送ると決めた女は、自ら燃やしたに等しい街へ向かって走り出した。






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