白狐の面影
シャーリーもイルハートも、この状況で何もせず、呑気なおしゃべりをしている。
「早速、お触りしてんのねぇ」
「触るだけにしてよ! まったく」
「まあ、あのお嬢ちゃんがぼうやから離れるきっかけになれば、やりやすくなるけどぉ」
「イルハート? 誰のことを言ってるの?」
「ふふ……なんでもないわ、シャーリー。いざという時は───すれば、───は手に入るぅ……」
なんの話だ? イルハートのやつ。
何か企んでるな。
相変わらずのポーカーフェイスで、素知らぬふりがうまい。
フィオと顔見知りであると、こいつらにばれないために、ネプォンを止めることもしないだろう。
だが……だが……!!
ベタベタしてくるネプォンに、俺の限界も近い。
本当に頭にくる!
心底嫌がってる相手に無理矢理触れるのは、欲望優先の無神経な下衆野郎のすることだ。
こういう衝動は、普通理性で抑えるものだろ!?
フィオに変身して、わかった。勝手に触れようとしてくる男の手は、こんなに嫌なものなんだな。
好意がない限り、ただただ迷惑で、気持ちの悪いものでしかない。
……俺も、気をつけよう。
ん? 今度はなんだ?
ネプォンは、俺の肩を抱き寄せて唇を突き出してきた。
ま、まさか……!
「ねぇ、キスしよう」
ゾワゾワ!!
全身に鳥肌がたつ。
気持ち悪いこと、言うんじゃない!!
「やめてください!! 本当に嫌なんです!」
ガタン! ガタガタ!
動揺したために、馬車が制御不能になり始める。
「ちょっとー、ちゃんとしてよぉ」
「お尻が痛くなるじゃない、グライア神官。あんた、まともにやれないの?」
イルハートもシャーリーも、迷惑そうに声をかけてくるだけ。
お、お、お前ら……!!
完全に他人事、無関心。
女同士はこういう時、助け合うと思っていた。
だが、こいつらは違う。
呑気にあくびをしたり、景色を見たり。
『知ったことじゃない。迷惑だけはかけないで』と言わんばかり。
ここにいるのが、フィオじゃなくて本当によかった。
こんなことをされるなんて。おまけに、誰にも助けてもらえないなんて辛すぎる。
揺れる馬車の中で、しつこくキスしようとするネプォンに、俺はもう一度言った。
「やめてください!!」
「そんなに、嬉しいんだ?」
「違います!! あなたが、嫌いだから嫌なの!!」
「またまた、嬉しいくせに」
いつ、そんなこと言った!?
お前の頭は、どんだけお花畑なんだよ!!
ネプォンは、俺の拒絶を気にもしていない。
「俺は魔王を倒した英雄だぜ? そんな俺と過ごせるんだ。喜べよ」
何が喜べだよ。
相手が誰だろうと、『嫌なものは嫌』に決まってる。
どう思うかまで、なんでお前が決めるんだよ。
手綱を握る手が、プルプル震え始める。
フィオ、ごめん。
フィオは、暴力に訴えることはしないだろうけど、忍耐も限界だ。
俺なりに言葉を尽くしたよ。
態度にも出した。
でも、こいつの行動は止まらない。
ネプォンは、吐きそうになる俺の隣で、呑気に顔を寄せてくる、
「顔が赤いね、その顔はキス待ちしてるんだろ?」
顔が赤いのはなぁ───俺の怒りのボルテージが上がってきてるからだ!
もう、無理だ。
やめろと言ってるのに……この! 下衆以下のクソ野郎!!
ガタン!
馬車が小石に乗り上げて、ネプォンがその勢いのまま、俺に顔を近づけてくる。
「寄るな!! セクハラ野郎!!」
ゴツん!!
咄嗟に俺は、奴の顔に渾身の肘鉄をいれてしまった。
やばい!
ネプォンは鼻血を吹き、両手で顔を抑えている。
「いってぇ!!」
思いの外クリーンヒットしてしまった。ま、まずい。本気を出してしまった。
しかも、口調が……乱れた。
ビクビクする俺の後ろで、シャーリーが盛大に吹き出した。
「あははは! 最高! グライア神官、見直したわ!!」
腹を抱えて笑い転げる彼女に、ネプォンが腹立たしそうに喚く。
「うるせぇ! 黙れ! シャーリー!!」
「バチが当たったのよ! あんたのラック値も、落ちたんだわ」
「喧しい! んなわけあるか!! おい、お前───!」
ネプォンが、肩を掴んでくる。怒らせたか。
前はお前が俺の顔を殴って、鼻血吹かせてたよな。
「すみません、つい……」
俺は一応、すまなさそうに謝罪した。
ネプォンは、怒りの眼差しで睨んでくる。
「治せ! 今すぐだ!」
ギク!
「い、今は馬車を走らせてますから、後から」
「ふざけんな! 大聖女候補として、霊力が高いなら、できるだろーが!!」
やばい。俺はフィオじゃないから、癒しの魔法はかけられない。
どうするか───。
「やんなくていいわよ、グライア神官。そのままがお似合いよ、ネプォン」
と、シャーリーが言うと、またネプォンと喧嘩しだした。
このままじゃ、いずれバレてしまう。
……ん?
ガサッ、タタッ、タタッ。
なんだ? 獣の走る音?
その時、視界の端に真っ白い何かが見えた。
草木に隠れながら、距離をとって馬車と並走している何か。
ドクン……ドクン。
心臓が早鐘を打ち始める。
まさか……まさか!
横から細く白い光が、高速でスーッと飛んでくると、フェイルノを隠した上着の中に入ってきた。
!!
思わずネプォンたちの方を見たけど、気づかれていない。
俺は、こっそり上着の中のフェイルノを覗き込んだ。
フェイルノは、目を光らせて俺を見上げる。
「アーチロビン」
小声ではっきりと、フィオの声でフェイルノは俺を呼んだ。
フィオ!!
思わず俺も名前を呼びそうになるのを、全身に力を入れてグッと堪える。
帰ってきた……帰ってきたんだ!!
「ただいま、アーチロビン」
「……おかえり!」
俺は手綱を握る手に、さらに力を入れて小声で応える。
横を見ると、一瞬だけこっちを見ながら走る白狐の姿が見えた。
尻尾が九本……九尾の白狐の姿。
獣形をとって走ってきたんだ。
「何、よそ見してんだよ!」
ネプォンが、俺の肩をもう一度掴む。
奴の怪我を治すまで、この場が収まらないだろうな。
俺はフィオの祈りの書を膝の上に開くと、上着の中のフェイルノをチラリと見つめる。
フェイルノは、フィオの声で詠唱を始めた。
「癒しの泉を司る聖なる天使、ユキア。女神ルパティ・テラの名の下に、泉の雫を分け与えたまえ、ピュアキュア」
俺は口パクで、タイミングを合わせる。
祈りの書がカッと光って、ネプォンの傷が一瞬で治った。
ネプォンは、鼻を拭って血を拭き取ると、俺の方を細目で睨みつける。
「可愛い顔して、嫌な奴だ。黙って大人しく抱かれりゃいいものを。『女』はそういう生き物なのに」
だそうだ。
アホか、こいつ。
何をどうすれば、そんな結論になるのかわからない。
単に、“拒否しない女”にばかり出会ってきただけでは?
「俺に迫られて、喜ばねー女なんか、ゴミ以下だからな!!」
耳元で怒鳴られて、心底軽蔑する。
ああ、そうかい。
悔しいから、怒鳴るんだろ?
そう思っていると、前方に不透明な膜が貼られたエリアが見えてきた。
俺は馬車をとめる。
結界か……?
大魔導士イルハートが、ロッドを光らせて調べていた。
「結界よ、ネプォン。この先へ進めば、ゾンビダラボッチを倒すまで出られないわぁ」
彼女にそう言われたネプォンは、結界を見つめて質問する。
「絶対出られない、だな? イルハート」
「ええ」
「よし、シャーリー」
「何よ」
「さっさと入れ。そして、ニ度と出てくるな」
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