62話 城塞ビーバーとの戦い2
「な、なにあれぇ!?」
ノエルが『あれ』と言及したときには、もうここまで来てしまった。
唸り狂う水の塊が、窓枠をふっ飛ばして部屋の中へとなだれ込んできている。窓の近くにいたおっさんが、その流れに飲み込まれて床に倒れ伏した。
[エネルギーが10減少しました][エネルギーが10減少しました][エネルギーが10減少しました]
俺ものんきに現状を確かめている場合じゃないってか! 最大HPが100しかないのに毎秒10ダメージを食らうのは勘弁してくれ!
10秒間エネルギー回復を怠ったら、活動停止待ったなし。今日はこれまでに貯めたゴミを大量消費する日になりそうだな!
「おい、一旦この家を出るぞぉ! このままじゃ水で埋め尽くされて溺れ死ぬ! その前に外に逃げるぇ!」
暖炉にあたっていた騎士さんが、皆を落ち着かせるためか声を張り上げた。こんな場面なのに凄まじい冷静さ……かな。語尾が怪しいが。
この世界の騎士は、お巡りさんみたいな仕事をしつつ、いざという時には住人を守れるように訓練されているみたいだ。この部屋にいた人もそのことを理解してかしないでか、素直に騎士の言葉に従おうとしていた。
ノエルも俺を抱え上げてくれ、早くも膝のあたりまである水をかき分けて進んでいった。
「ドアはあっちか、よし、このまま外に……」
と、騎士がドアノブを掴み、手前側に引いた瞬間だった。
このことで彼を責めるのはお門違いだろう。想定外な状況に、判断力が鈍ってしまっても仕方ない。
だけど、ドアのすき間から漏れ入ってくる水を見たときには、気づかなければいけなかったのだ。
この状況でドアを開けたら、どうなってしまうかについて。
「ぐぶあぁあ!?」
「きゃあぁ!」
扉を開けると同時に、大量の水が俺たちを家の中へ押し戻してくる。
完全な不意打ちに誰も抵抗できない。玄関に立っていた住人たちは全員が水の壁に飲み込まれてしまった。
ノエルも例外じゃない、バランスを崩して倒れたかと思えば、荒れ狂う渦に翻弄されて浮かぶことすらままならない。
左手を伸ばして必死にもがくが、それをあざ笑うかのように大量の水がノエルを沈めにかかってきた。
「ゴプ……!」
助けを求めるように左手をやたらめったらかき回す一方で、右手は未だに俺を掴んでいる。
それが意識的なものなのか無意識のうちの行為なのかは分からないが、どうにかしてノエルが俺の持ち手を掴んでいる間にケリを付けないと!
まずはステータスをチェック、伸ばすべきは[吸引力]だ。現在は20(+10)の30だが、ゴミを2000kgつぎ込むことによって吸引力を30(+10)の40にする。
まずはこの吸引力を使って、『水』を吸い上げる! これで家の中の水が全部消えるほどの吸引力だったら解決なんだけれど……
「ガポゥ……!」
ダメ! 吸引力上がっている実感はあるけど、入ってくる水を全て処理できるようなもんではない!
この作戦は失敗、だけど全くのムダではなかった。少なくとも一つわかったことがある。
水を吸い込んだ時に、その吸い込む方へ、吸い込む方へというように自分の体が動いていく感じがした。
吸引力を使えば水の中を移動できる、それさえわかれば充分だ。
もう一度、水の吸引を開始する。吸い上げるに従って自分の体が引っ張られるように動く。
方向が全然わからないままやっているが、天井に向かってくれればベスト。そのままノエルを水上に送り出せる。
カベに吸い付けたならベター。いつもやっているように、カベに吸い付いた状態で天井に迎えばいい。
「ンゥ……!」
で、一番良くないのが『床』なんだけれど、見事にあたってしまった。今は水面から一番遠い場所にいるってことだ。
ここから壁に移動してそこから天井を目指す? それまでノエルの息が持たない。すでに相当苦しそうにしている。
そんな悠長なことやってる場合じゃないからな。さっき取ったばかりの新機能に感謝しよう。[デッキブラシ(長)]発動!
「……! ブハァッ! ぜー、ぜー」
吸込口から伸びたデッキブラシが床を押しこむ。その反動を使って、俺はノエルと一緒に水面まで上がっていった。
水の中から開放されたノエルは、水上の空気を肺いっぱいに取り込むことで生きていることをアピールしてくれている。
『プゥン!?』
「あり……がと……! お、お母さんは!? シェリーは!?」
返事の代わりに、モーターを最速で回して様子を見る。
デッキブラシがつっかえていることで、強く吸引しても水中に沈むことはない。
だけど、40まで上がった吸引力は予想を超えた威力を発揮してくれた。家を浸す水の上昇スピードが目に見えて遅くなっている。
天井まで残り5~60センチメートルってところか。これ以上水が増えるのを防ぐためにも、ノエルの肉親を救うためにも、このモーターを止める訳にはいかない。
「ゲホウッ! ゲホッ! お姉ちゃん、お母さん、どこ!?」
あっ、少し離れたところでシェリーが浮かんできた。ダンスをやっているおかげかはわからないけれど、平衡感覚が他人より優れているのかな。
「シェリー、姉ちゃんはこっちにいるよ!」
「お母さんはどこか知らない!? あと、お姉ちゃんの近くにすごい渦が発生しているんだけど、大丈夫なの!?」
「知らないよ! それに、この渦はポルカくんが作ってるみたい、私のせいじゃないよ!」
「みんなその渦に吸い込まれているんだけど! ほんとうに大丈夫!?」
シェリーの言うとおり、激しい吸引をしていることで水の窪地ができている。傍目から見れば渦巻いているようにみえるのかな。
水面に浮かんできた騎士や土魔法師さんがみんなまとめて俺に引き込まれていく、が、肝心のおかみさんの姿はみえない。
焦りが生じてくるが、これが最善の手だと信じて吸引を続ける……と、なにやら吸込口に何かが引っかかった感覚が来た。
『ピンポン! たすけてください!』
大音量でエラーメッセージを流す。俺の予想通り、沈んでいた人が一人吸い込まれそうになっていたみたいで、ノエルが慌てて救助にかかっていた。
「あれっ、ダニーくん……?」
おかみさんであることを祈って引き上げたものの、実際に現れたのはさっきまで川で溺れていたダニーくんだ。 気を失ったようにぐったりしているが、生きているのだろうか?
いや、それを確かめるのは他の人に任せよう。俺が今やるべきことは、おかみさんを釣り上げることを信じてひたすら吸引を続けることだ。
程なくして2人目が引っかかった。今度はこの家に住んでいるおばあさんだ。自分勝手なことはわかっているけど、おかみさんでないとわかった時にがっかりする気持ちは隠せない。
それでも諦めずに吸引を続けること十数秒。
「お母さん!? 起きて!」
なんとかおかみさんを吸い上げることに成功した。これでこの家にいる人は全員か。
ダニーくんと同じように意識のない状態で、首をグデンとたれさせていた。まぶたがピクピクと動いているところを見るに、まだ生きてはいるみたいだが。
まだまだ予断は許されない。それに、また水面が10センチぐらい上がっているぞ。そろそろ限界が近づいている気もする。
「誰か天井に穴を開けられる御方はおらんか! はよう天井をぶち壊してくれい!」
パニックを起こしたのか、この家に住んでいる爺さんがとんでもないことを口走る。自分の家だろ?
しかし、そんな発言を真に受けるような、ちょっと残念な子がここにいる。
「はい! 火炎よ敵を燃やしつくせっ! 炎玉!!」
誰かが止める間もなく、ノエルがその右手を上に向けて高速の詠唱を行ってくれやがった。
当然というかなんというか、その右手からはコントロールの効かない火の玉を生み出し、天空へ向かって打ち上げられる。
俺も急いで[魔法吸引]を発動させようとしたのだが、間に合わなかった。火の玉は天井を突き破って、屋根を燃やし始め……
「あちちっ!……あ、もう消えた」
土砂降りの雨が、ボヤを一瞬にして消してくれた。今回は変な災害を引き起こさなくてよかったかな。
いや、安心している場合じゃない。俺の頭上に空いた穴からは滝のような豪雨がなだれ込んできて、水位の上昇をさらに強烈なものにしている。
もはや俺の吸引では太刀打ちできない。あと数分もせずにこの部屋は水で一杯になるだろう。
家の中にいた人全員、天井の穴から逃げるべきだと気づいたようで、我先にと天井を掴んで屋根の上へと上っていく。
俺も[デッキブラシ(長)]を使って天井の穴から外に出る。シェリーはデッキブラシをのぼり棒代わりにして屋根の上に移動し、おかみさんを水中から引き上げてくれた。
全員が屋根の上に登り、ほっと一息をつきたい気分だったけど……そんな気持ちは遠くからやってくる恐怖に上書きされてしまう。
「狭いわ!」
「ボスがお怒りだ! ダムを広げるぞ!」
鳴き声がした方向を見てみると、体長3メートルはあろうかというケモノが、川の中央でゆうゆうと泳いでいる。
その周りには、中型犬ぐらいの生き物が何匹もいる。先ほど壊された土手から流れ出るように、町の中へと入っていく様子が見えた。
「何が起きているの、これ!?」
ノエルがこの世の終わりみたいな声で叫ぶ。信じられないという気持ちもわかるが、今起こっていることはどうしようもなく事実なのだ。
あれと戦うのか? どれだけ強いのかよくわからないけれど、土手を崩すようなやつだから弱いってことはないだろう。
だとしたら逃げるか……逃げるのも無理がある。この家が孤立しており、近くに手頃な屋根がない。つまり、泳がないとここから離れることができない。既に中型犬サイズの方はこの近くまで来ており、水の中に入っていると襲われるかもしれない。
孤立無援。そんな言葉が頭のなかに浮かんだ時、こちらに向かって喋る声が聴こえてくる。
「何だお前ら? ダムの材料か?」
声の主である3メートルのケモノは、どこからどう見ても、まっすぐこちらを見つめていた。




