非常に長く険しい序章 17
声は女の子のようだが、まっすぐ前を向くと剣が喉に入っていきそうだったので、ちょっと上を向いている。
斜め45度くらい。
なので、声の主は見えない。
そして、俺は素直に両手をあげた。
「あのさあ、抵抗する気はないんだけど、ここ、俺の家なんだよねー」
ダメ元で少しだけ自己主張してみる。
「そんな戯言を信じると思う?」
ああ、そうとるか! 確かに、証明できるものは何もないけどさ……。
「め~」
ヤギ太郎、気持ちは嬉しいが、ここでお前が鳴いても事態は変わらない。
「あ、ヤギだ! かわいー」
「おい、ヤギはいいのかよ!」
つい、突っ込みを入れてしまった。
人に突っ込みを入れるときは相手の顔を見て、というじいちゃんの遺言を忠実に実行した結果なのだが。
それはつまり。
さくっ。
あーら、素敵な感触。俺の喉に。
!!!!!!!!!!!!!!!
もう脊髄反射。
剣から離れるべく、腰のバネだけで後ろにのけぞり、地面を転げまわった。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!
うはうはうはうはうはうは、これ、血、出てんじゃねえの?
確認はしたくない。どくどくどくどく。
いやいやいや、大丈夫。俺、本当大丈夫ですって!
でも、触ると痛い!
どうしよ! どうしよ! どうしよ!
俺が苦しんでいるとき、さっきの女の子が、冷たくつぶやくのが聞こえた。
「ださっ」
「それ、ひどくない?」
俺はそのまま意識を失った。
また、幼馴染の女の子が俺の前に立っていた。
やっぱり、黒くて長い髪で、上品でくりくりっとした瞳が印象的なあの子。
それですぐに分かる。
ああ、これは夢なんだなあって。
これが現実であるはずがないって。子供の頃、何度も思い知らされたせいで、彼女が出るだけで夢の中にいるんだと自覚できるようになった。
不思議な気持ちだ。
ここ数年、彼女の夢を見ることなんて全然なかったのに、中一日で見るなんて。
でも、ちょっと嬉しい。
俺は自分でも分からないが、彼女に向かって、一生懸命に喋っている。
彼女はそれにいちいちうなずいて、時には笑っていた。
あーかわいいなあ。
二十五歳の俺にとって、十歳の女の子はロリコンの極み、ロリコンの免許皆伝なんだが、愛しい気持ちが湧いてくるのを抑えきれない。
ま、いっか。
夢だし。
自分の手を見る限りでは、俺の身体もどうやら十歳みたいだし。
神隠しにあって俺の前から姿を消した、初恋の女の子。
今思うと、小学生の自分ができたことなんて何もない。
でも、当時は違っていた。
俺は自分の無力をかみしめていた。
だから、今度もし何かあったとき、後悔しないですむようにしたいと思った。
で、決意した次の日から、中国武術を習い始めた。
特に中国武術にこだわっていたわけじゃなく、たまたま隣の家のおじさんが中国武術の達人らしいというを聞いてたからなんだけど。
ああ、でも久しぶりに思い出した。
高校生になったくらいに隣の家のおじさん、つまり師匠は引っ越してどこかへ行ってしまい、俺もそれ以上は鍛錬をしなくなってしまった。
悔しい気持ちはあったけれど、強くなったところでどうにかできるわけじゃないって思ってしまったんだ。
ごめん。忘れていたわけじゃない。
ただ、世の中どうにもならないことが多すぎるような気がしてたから。
ださい言い訳だな。
でも、目の前の幼馴染は、あの頃と変わらず俺に微笑みかけている。
なんか、くすぐったい。
ダメな自分を肯定してくれているみたいだ。
そう思ったとき、世界が揺れた。
「あ、起きた?」
目を開けると、見覚えのある顔が。
「昨日の!」
そうだ。
昨日、山賊もどきから助けてくれて、一緒に居酒屋に行った女だった。
確かに、剣を突き付けていたときの声は、彼女のものだ。
夢の中で世界が揺れたのは、彼女は俺の両肩をつかんで揺すっていたからだ。
「もっと穏やかな起こし方はなかったの?」
「それどころじゃないわ」
険しい顔をして言う。
まあ、そうだろうよ。
一言くらい謝ってくれてもいいんじゃないかなあ。まったく。
俺は身体を起こした。
室内だった。壁にかけられた何かに、明かりが灯っている。
気絶したのは外だったから、彼女が入れてくれたんだろう。
結構、力持ちなんだな。
で、なんで気絶したんだっけ……ああ、そうそう、彼女に喉を刺されたんだっけか。
剣でさくっと。
血が出てたよなー。
と、俺は傷があるであろう場所に触れてみる。
あれ?
あれれ?
「喉が痛くない」
「貴重な魔力を使って回復してあげたのよ」
彼女は怒ったように言った。
原因はお前だろうが……という言葉は飲み込む。怒ったら、多分、同じことをやられるから。
「め~」
「ヤギ太郎!」
「あ、この子、ヤギ太郎っていうの。かわいいわね」
「め~」
こいつ、嬉しそうに目を細めてやがる。
「なんで、ヤギ太郎まで室内に?」
「私、タチの悪い連中に追われているのよ」
……マジで?




